②叶えたい願い
天文学的低確率には、幾つか理由がある。
代表的な理由が、前提条件の厳しさだ。
まず術を
〈
――が、万に一つ以下の割合で、肉体が死んだ後も〈
現象としては〈
〈
〈
むしろ死んでいるのに「生きている」と訴える状況は、スピードの落ちたコマ以上に不安定だ。何も手を打たなければ、一時間以内に〈
また通常無理とされる現象を可能とする秘術は、使用者も限られている。
無闇に死を
超低確率を掴み、
亡骸に〈
しかもその〈
世界中に五人しかいない使い手と巡り逢う――。
死に
ひょっとしたら、骨壷の中で目を開くほうが簡単かも知れない。
その上、タニアの未来を変える術には、もう一つ天文学的低確率を決定付ける要因がある。
代償。
永遠の眠りを覚ます力は、使い手に相応の代償を求める。
自分を実験台にし、マウスを呼び戻した開発者は、初回に右目の視力を失った。左手の触感をなくしたのは四回目。最後の一〇回目には「笑う」と言う感情を奪われた。
平均寿命二歳の小動物を呼び戻しただけで、感情を要求されるのだ。
天寿を
使い手が死者の身代わりになることは想像に
経験者がいない以上、実際にどうなるかは誰にも判らない。
運がよければ、マウスの時と同程度の被害で済むだろう。だが少なくとも術の開発者は、人間にだけは使わないようにと度々注意していた。
代償を要求するのが何なのかは、シロは
生物の
実のところ、一兆分の一と言う低確率の根底にあるのは、〈
最大の原因は、ヒトの心だ。
他人の未来と引き替えに、自分の命を捧げる? 生きた人形になる? 右の頬を打たれたら、左の頬を出す聖人以外には、応じられない取り引きだ。
「っ……うぅ……」
動かせなくなった目が焼けるように
――私は絵空事の善意を待つだけだった。運命の善意を。たかが計算機の善意を。
「うぅ……くっ……」
荒れた吸気が火の粉を
――あなたはどうするの?
シロを見下ろしていた亡霊は、訊くのを
不甲斐なく伏せた目が、何度もシロに向かい、同じ回数引き返す。やがて眉間に力を込め、自分を奮い立たせると、ついに亡霊はシロと視線を重ねた。
――また、私を生むの?
心から
「また、あなたを……」
半ば無意識に呟き、シロは
星。
星が見ていた。
全天から目を光らせ、顔を上げられなくする星。
吐く息が、真っ白く染まる夜だった。
舌の上を往来する空気が、唾液を氷水のように冷たくして、歯の根を
土は氷だった。
あれは氷だった。
爪を尖らせ、
砂利が指紋を削り取り、指の先を
全身に巻かれた麻布を
夢の中にしかない発明品を見せびらかし、得意そうに
自らの偉大さに興奮し、大きく膨らんだ鼻。
どこを見ても寝息を漏らしていた頃と一緒で、毛布代わりの麻布を引っ
――どうする? やめる?
「はい」も「いいえ」も言わない卑怯者に、亡霊が囁く。
――そうよね。私は血の繋がったお兄ちゃんにも力を使わなかった。赤の他人に手を伸ばせるはずがないわ。
「……うん、タニアさんと私は赤の他人。一緒に暮らした時間は、半年にも満たない」
夜明けの近い天球は、すみれ色に染まりつつあった。
地平線に見え隠れする
だが固く瞳を閉じているタニアに、日の出を拝む
「でもね、その短い間に、私は両手からこぼれちゃうくらいの笑顔をもらったよ」
大きく息を吸い込み、シロは亡霊と目を合わせた。今朝出来たばかりの酸素が身体に行き渡ると、
「この子と出逢えたから、私は今、ここにいる。あなたと向かい合える。ううん、お利口な理屈なんか要らない。私はこの子を死なせたくない、絶対に」
――身代わりになっても?
静かに威圧し、亡霊はシロの瞳を覗き込む。
――この子が明日の太陽を見る代わりに、あなたが太陽を見られなくなるかも知れない。ううん、明日のあなたには太陽が太陽だと判らなくなっているかも知れない。
はっきりと口に出された現実が、シロの背中を大きく揺らす。深く高く肩が上下すると、うなじに添えた手からタニアの頭が滑り落ちた。
首の座らなくなった頭がシロの膝に落ち、彼女のポニーテールが地面を撫でる。シロの顔とタニアの顔に距離が出来ると、今まで呼気で
縫い目のように並んだ
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