③Spinning Wheel

 タニアの答えを裏付けるように、ヤルダンのかげから飛び出すヘッドライト。

 逆光を浴び、暗闇の塊と化した流星が、切り裂くように砂の大海原を突き進む。圧縮空気の怒号が倉庫の外壁に肉薄すると、窓と言う窓を光が貫いた。


 室内が真っ白に染まった――直後、全身の骨格を破砕せんばかりの衝突音。


 荒々しい振動が天地を揺さ振り、ミキサーの内側から外を眺めたように視界を攪拌かくはんする。天井と地面が横に並び、斜めに睨み合い、左右の壁が裸電球の残像をラリーする。ドラム缶の焚き火はバク転を繰り返し、何個も何個も紅蓮の円を描いた。


 一枚だった壁が無数の瓦礫に粉砕され、猛然と室内に吹き込む。すかさず轟々と渦巻く粉塵が室内をさらい、目の前のギモンを呑み込んだ。

 まず巻き貝が吹き飛び、次にギモン本人が大きくけ反る。濁流と見紛みまがう土埃は、体勢を崩した彼女を後ろへ後ろへ押し流していく。何としてでも転ぶまいとハイヒールをよちよちさせる姿は、初心者の竹馬にそっくりだ。


 一体、何が起こった……!?


 ぽかんと口を空け、タニアは灰色の粉塵を吸い込んでいく。理解不能な状況に驚きの声さえ上げられない。

 唖然とするタニアを余所よそに、獅子を思わせる放物線が大地に降り立つ。途端、地面からまた新たな砂煙が噴き上がり、バネの伸縮する音が、がしゃん、がしゃんと鳴り渡る。続いて「バスケットボールのドリブルを低くした感じ」とでも言おうか、鈍く張り詰めたバウンド音が一回、二回と骨を叩いた。


 やがて三〇秒前まで壁だった大穴から冷風が雪崩なだれ込み、濛々もうもうと立ちこめていた粉塵を晴らしていく。視界が開けた瞬間、タニアの目の前に現れたのは、流線型を描くカウルだった。


 ジェットスキーにも似たそれは、驚くべきことに純白の木材で作られている。六つの硬貨を上に三つ、下に三つ並べたようなヘッドライトは、ぎらぎらと不気味な輝きを放っていた。

 位牌いはい似のシフトペダルに、超巨大な線香を思わせる緑のマフラー。数珠じゅず状のチェーンで結ばれた前輪と後輪は、あんこ的な色と小豆あずきっぽいパターンでおはぎを彷彿とさせる。裁断した布を碁盤目ごばんめ状に繋ぎ合わせたシートと言ったら、O―BOYオーボーイKE☆SAケサにそっくりだ。


 あ、あれは……!?

 信じがたい光景を前にしたタニアは、何度となく目を擦る。だが念入りかつ徹底的に砂埃を拭い去っても、珍妙な幻覚は消えなかった。


 限界まで磨いた瞳に映る以上、認めるしかない。


 あれは……、


 あれはバイクだ。


 あり得ない!

 答えを出した瞬間、タニアが聞いたのは常識の叫び声だった。

 顔を真っ赤にして否定するのも無理はない。

 車輪なんて日曜朝八時にしかお目に掛かれない代物だ。ましてや木製のバイクなど、仮面のヒーローがまたがっている場面すら見たことがない。


 人間は意外に思うかも知れないが、〈詐術師さじゅつし〉の世界にはほとんど車輪が存在しない。

 無論、超空間を実現させた〈詐術師さじゅつし〉が、車輪を発明出来なかったわけがない。ただ同時に〈詐術師さじゅつし〉は、より優秀で簡単な「陸上を航行する」と言う方法を知っていた。嘘の水面が浸透しすぎていることもあり、車輪の研究は極端に進んでいない。


「タニアさん!」

 慌ただしくゴーグルを外し、バイクの運転手は木魚そっくりなヘルメットを脱ぐ。目の周りを丸くくぼませ、タヌキのような顔になっていたのは、蜃気楼に過ぎないはずのシロだった。


 これは夢だ――。


 わざわざ確かめるまでもなく、ギモンに蹴られた腹は重々しくうずいている。それでも、タニアは頬をつねらずにはいられなかった。

砂盗さとう〉のアジトは〈NIMOニモ〉も知らないはずだ。自宅のガレージに、木製のバイクなどと言うオーパーツが停まっていた記憶もない。何より澄み渡った砂漠の夜空では、数多あまたの星が目を光らせている。


 でも空気を介して伝わって来る温もりは、背後に家庭教師が立っている時とまるで変わらない。まばゆい光沢に誘われ、金髪に顔を寄せると、フルーティーな香りが鼻をくすぐる。無意識に銭湯を思い描かせるそれは、兼用で使っているシャンプーに間違いない。

 おなじみの香りを嗅いだ鼻から目尻に、しゃっくりのような震えが伝染していく。見る見る視界が滲み、立ち尽くしていた足がバイクに向けて進みだした。


 ……みっともない。


 自分自身に吐き捨て、タニアは膝小僧を握り締めた。一も二もなくシロに駆け寄ろうとしていた足を踏み締め、つま先をぎゅっと丸める。

 少し痛い思いをしただけで、さんざん罵倒した相手に擦り寄る? 祈りの名を借りて、シロに事態の打開を丸投げしようとしていた時と何が違うのか。自分の都合によってころころ態度を変えていたら、〈荊姫いばらひめ〉さまに笑われてしまう。


 繰り返し自分に言い聞かせ、タニアは気を抜く度に駆け出そうとする足に力を込める。続けて下唇を噛み締め、シロの名前を無理矢理飲み下した。叫ぶ直前だった声を喉の奥に運び込むと、出る気満々だった舌が不満げに頬を突っつく。


「……ごめんね、私、何も知らないのにひどいこと言った」

 数時間前に吐いた罵声が重く背中にのし掛かり、タニアをうつむかせていく。

「……謝るのは私のほうです」

 二ケツしていたメーちゃんにヘルメットをかぶせ、シロはタニアに歩み寄る。


「私がはっきりしないせいであなたに怖い思いをさせてしまった。でももう大丈夫。私が絶対、タニアさんをおうちに連れて帰ります」

 シロは力強く約束し、素早くタニアの手を縛っていた縄を解く。その後、ポケットからハンカチを出し、鼻血まみれになっていたタニアの顔を拭った。

 どこにやっていいのか判らず、うろちょろさせていたタニアの手をシロの両手が包み込む。銃口に芯まで冷やされていた身体に、見る見る懐かしい体温が染み渡っていく。


 胸の中から様子をうかがう〈荊姫いばらひめ〉さまの目を盗み、タニアはかたくなに地面へ向けていた眼差しを正面に移してみる。待っていたのはこの二ヶ月間、毎日のように見て来た笑顔だった。

 見る間にシロの顔がぼやけ、タニアの頬を涙が伝う。途端に噛み締めていた唇が決壊し、溜めに溜めたシロの名前が溢れた。


「シロっ! シロっ!」

 存在を確かめるように連呼し、タニアはシロに飛び付く。〈荊姫いばらひめ〉さまに軽蔑されてもいい。もうこれ以上、本当の気持ちを抑えきれない。

「タニアさん……!」

 目を潤ませたシロは、痛いほどの力でタニアを抱き止める。それから震える背中を繰り返しさすり、泣きじゃくるタニアをなだめた。


「ごめんね、ごめんね、ごめんね」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 止めどなく流れる涙が鼻水が、輪唱する謝罪を濁らせる。どちらともなく身体を密着させると、胸から胸へシロの鼓動がタニアに伝わっていった。

 心地よい音色が身体に満ちるにつれて、未来との間に立ち塞がっていた暗雲が消え去っていく。胸の中が晴れ渡ると、毎日毎日「ただいま」を聞かせてきた玄関がタニアの頭に浮かび上がった。


「やってくれるじゃないかい……!」

 歯軋はぎしりの合間にドスのいた声を挟み込み、壁際に座り込んでいたギモンが立ち上がる。同時に呆然と立ち尽くし、バイクを凝視していた〈砂盗さとう〉たちが、真四角に開いていた口を閉じた。ボスの声を聞き、ようやく我に返ったらしい。

 すかさず涙に濡れていた顔を引き締め、シロはタニアを放す。最後にもう一度タニアの背中を撫でると、シロは背後のバイクを指した。


「あのバイクの後ろに隠れてて下さい。心配しなくても大丈夫。この倉庫が木っ端微塵になってもビクともしませんから、私の〈キタマクラー〉は」

「でもあの怪人が出て来たら……」

 泣き顔を一層歪ませ、タニアはシロの裾を握り締める。ただの大男ならともかく、あのモグラにシロが勝てるとは思えない。


「安心して下さい。地方のDQNごとき敵じゃありませんから」

 自信満々に言い放ったシロは、バイクのメーちゃんに向けて敬礼する。

「メーちゃん、タニアさんのことよろしくね」

 めっ!

 凛々しく返事をし、ヘルメットをかぶったメーちゃんがビシッ! と敬礼する。頼もしい姿を微笑ましげに見送ると、シロは〈砂盗さとう〉の中央に進み、ギモンに呼び掛けた。

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