⑥バリバリ最強NO.1

「〈アックマーカー〉……」

 愕然がくぜんとした表情で呟き、シロは激しく肩を震わせる。爆発音でも聞いたような反応は、タニアの鼓動を急速にざわつかせていった。

 始めて見るしおりが〈偽装ぎそう〉なのか普通の道具なのか、タニアには判らない。ただ、何か恐ろしいことが起ころうとしているのは間違いない。


「さあ、ショーの始まりだ.……!」

 まんまとシロの表情を凍り付かせたモヒカンは、邪悪にほくそ笑む。いで見せ付けるように胸へ手を伸ばし、しおりの先端に付いたチェーンを軽く引いた。


〝エントリイ 砂漠飛び交う カワネズミ〟


 半分ほどしおりが抜け、スピーカーから五・七・五の電子音声が鳴り響く。呼応してしおりの全体が暗く輝きだし、胸の中央から上下に光を走らせた。

 上に向かった光が額に、下に向かった光が股間に行き当たり、モヒカンの身体を光線が縦断する。右半身と左半身の間に輝きを走らせた姿は、身体の中央に白い線を引いたかのようだ。


 ぞわ……ぞわ……。


 我が目を疑うタニアに更なるまばたきをいたのは、毛虫が這い回るような音。

 光線から禍々しい黒ずみが滲み出し、モヒカンの全身に広がっていく。何らかの文字のようにも見えるそれは、正面のみならずモヒカンの背中までをも真っ黒く塗り潰した。


「〈印象シニフィエ〉が定着したら、ヒトの形に戻れなくなるんですよ……?」

 シロは前傾し、今にも泣き出しそうな顔で訴え掛ける。

 逡巡しゅんじゅんなく冷笑し、モヒカンはお歯黒はぐろ状態の歯を覗かせる。

「使ったことのねぇ奴には判らねぇさ! 幾らでも、幾らでもよ、力が湧いてくんだ!」

 ベーシストのごとく派手にけ反り、モヒカンがしおりを引っこ抜く。途端、全身を塗る黒ずみが波打ち、七・七と独特のリズムを持つ電子音声が鳴り渡った。


〝砂掻くかいな 紫電しでんごとく〟


 光線に分割されていた右半身と左半身が観音かんのんびらきに「開き」、背中で「じる」。


 限界以上に辞書を開き、表紙と背表紙をくっつけたような光景――。


 あまりにも自然に行われたそれは、タニアに一つの疑問を植え付けた。

 無知な自分が知らないだけで、ヒトの身体とは開くものなのではないか?


 圧倒され、震える手を動かし、タニアは自身の肉体を調べてみる。

 身体の中央は勿論もちろん、脇の下や背中にも人体をひもとけそうな線は見当たらない。やはり、一一年間信じてきた常識は間違っていなかった。おかしいのは目の前の光景のほうだ。


 ドリュリュ……。


 イラストの飛び出す絵本、とでも形容すべきだろうか。そう、まさにタニアが目にした現象は、本の中で畳まれていたペーパークラフトが、立体に戻る瞬間にそっくりだった。

 表紙に相当する右半身と左半身が開いた途端、奇っ怪な影が飛び出し、くぐもった声を漏らす。鋭く尖った体毛が日差しを浴びると、いぶし銀のようにくすんだ光がタニアを照らした。


 反射的に細めた目に映るのは、吸い飲みのように鼻の突き出たモグラ。


 つい一秒前まで視界を占拠していたモヒカンは、影も形もない。


 ヒトの姿だった時から二㍍近くあった体躯は、一回り以上も膨れ上がっただろうか。不穏に揺らす尾は、明らかに背丈より長い。

 ビリヤードだまほどもある瞳に、大きく裂け、耳の裏まで達した口。ボコボコと不均一に筋肉の盛り上がった四肢は、土どころか岩盤さえ掘削くっさくしてしまいそうだ。指の股からは鬱蒼うっそうと毛が生え、オール状に固まっている。


「……〈筆鬼ヒッキー〉」

 忌まわしげにこぼすと、シロは額の汗を拭いながら後ずさっていく。

「〈筆鬼ヒッキー〉……? 嘘、何でこんなとこに……」

 あり得ない存在を前にしてしまったタニアは、真っ青になった唇を震わせる。無惨に食いちぎられるモヒカンの姿は、すっかり頭の中から消えてしまった。


 シロが口にした〈筆鬼ヒッキー〉とは、〈たましい〉に別の〈印象シニフィエ〉を書き込むことで、異形の姿を得た怪人だ。恐らくモヒカンの胸に刺さっていたしおりには、モグラの〈印象シニフィエ〉を書き加える機能があったのだろう。

筆鬼ヒッキー〉化をうながす〈偽装ぎそう〉があることは、有名な話だ。ドラマや映画には、犯人の切り札としてよくそんな〈偽装ぎそう〉が登場する。

 逆に言えば、タニアはテレビや映画でしか〈筆鬼ヒッキー〉を見たことがない。そして一生目にすることはないと、半ば確信を抱いていた。


筆鬼ヒッキー〉を生む〈偽装ぎそう〉が流通する場所は、違法薬物や拳銃の近所だ。いや扱い一つで大量破壊を招く分、裏社会でも厳重に管理されていると聞く。言うまでもなく、日の当たる場所で暮らしている一般人が関わり合う代物ではない。

 そもそも人間に戻れなくなるおそれのある〈筆鬼ヒッキー〉化は、〈詐連されん〉の法律で禁止されている。テレビや銀幕に登場するのは、CGや着ぐるみで再現した偽物だ。


「暑いだろォ? 涼しくしてやるぜェ、穴を増やしてなア!」

 気圧けおされるシロを見据え、モグラは勝ち誇るように宣言する。

 ぐぐっ……!

 膝を縮め、縮め、縮め、モグラは踏み抜かんばかりに大地を蹴る。

 狂おしい地鳴りを追い、猛々しい砂塵。モグラの足が地面を離れた瞬間、鮮明に見えていた巨躯が雑な横線に変わる。船窓せんそうから景色を眺めたような状態――モグラはたった一蹴ひとけりで、目が付いて行ける速度を超えてしまったらしい。


 ドリュリュ!

 銀色の影が腕を振り上げ、クロールのごとく掻く。手の先に備えたオールが光り、シロの肩口に迫る。豪腕が空気を押し退ける音は、大木が割れたように荒々しい。僅かにでも触れたなら、シロは肉どころか骨までむしり取られるだろう。

 破滅に肉薄されたシロは、咄嗟とっさに肩を引き、大きく後方に倒れる。シロの背中が地表と平行になった刹那、出来たての残像を両断する閃光。右上から左下にオールが切り抜け、超至近距離――シロがもう一枚厚着していたら命中していた地点をえぐり取る。


 そう、外れた。


 少なくとも、オールの残した光でしかその軌道を確かめられなかったタニアには、切り裂かれたのが空気だけだったように見えた。


 避けた……!

 安堵の笑みを漏らすタニアを嘲笑うがごとく、シロのジャージに斜線状の切り傷が走る。インナーのシャツが覗くと、白い生地は見る見る赤く染まっていった。吸水量を超えた血が裾の部分からしたたり、シロの口から押し殺したうめき声が漏れる。


 苦痛のあまりうずくまり、際限なく涙を垂らす――。


 タニアの予想とは裏腹、シロは慣れた様子で傷口を押さえる。加えて三段跳びを逆再生したように後退し、モグラと距離を取った。

 余裕の笑みを浮かべ、静観するモグラの代わりに、ぽたぽたと垂れる血痕がシロを追う。動いたことでより激しい痛みに襲われたのか、三段目の着地を済ますと同時にがくっと腰を沈ませ、シロは右膝を地面に着いた。

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