どーでもいい知識その⑤ ハートフルよりハードコア

「タニアさん!」

 気懸きがかりだっただろう毛玉を見て取った途端、シロが歓声を上げる。裏返った声を追い、地面を蹴り、興奮したシロがタニアに飛び付く。タニアは母親が子供を抱き止めるように両腕を広げる――こともなく、肩を入れたストレートでシロの顎を出迎えた。

 こんなあざとい一件で、口は悪いけど本当は……などとテンプレな善人像を描かれるつもりはない。ハートフルよりハードコア――それがタニアの生き様だ。


 グワッシャァァァン!


 突進の勢い+拳の破壊力=ギャラクティカな効果音。


 強烈なカウンターが炸裂し、白目をいたシロが天井スレスレまで吹っ飛ぶ。ひっくり返ったテーブルからアルミ製の灰皿が落ちると、カン、カン、カンとKO的な金属音が鳴り渡った。

「ヘドリアーン!」

 大の字の敗者を見下ろし、タニアは両腕を突き上げる。雄叫おたけびと入れ違いに制裁のお玉が落ち、タニアの脳天にたんこぶを盛り付けた。


「ターニャ、説明しなさい」

 マーシャはタニアを正座させ、尋問を開始する。

「……ご飯持ってくまで物置に隠れてろって言ったろ」

 恨みに唇を尖らせ、タニアは涙目を下に向ける。

「う~」と声にならないうなり声を聞いても、膝の上のメーヴンは小躍りするばかり。丸い尻尾をピコピコさせ、背後のシロに手を振っている。お気楽な姿に怒鳴る気力もなくなったのか、目を吊り上げていたマーシャは肩を落としていく。


「ウチは食べ物屋だから生き物はダメって言っただろう?」

 困り顔のマーシャはタニアの肩に手を置き、力なくさとす。

「……だって、こいつ独りぼっちだったんだもん」


 真っ暗な夜道に取り残された毛玉が、心細げに丸まっている――。


 夕暮れの中にメーヴンを置いて来て以来、タニアの頭から消えなかった光景。


 テレビから熱帯夜と言う単語が流れると、ぜぇはぁと苦しげに息を吐く音が聞こえた。夕御飯を食べている時も、味以上に気になってしまう。あいつ、お腹空かせてないかな、と。


 明日行けばいい――。


 一晩外で過ごしたくらいで、命には関わらない――。


 普段なら筋の通った理屈に聞こえる言葉も、今日は無責任な暴論にしか聞こえない。気が付いた時には、パン片手に昼間通った道をひた走っていた。


 もう飼い主が迎えに来たかも――。


 あまりに都合のいい期待は、案の定、粉々に打ち砕かれた。

 十字路を曲がった瞬間、タニアの視界に飛び込んだのは、道路の端に座り込む毛玉。何かを眺めているにしてはぼんやりした瞳は、夜風以外通らなくなった道をじっと見つめていた。


 明日になる前に存在するのをやめてしまうのではないか?

 暗闇とのさかい曖昧あいまいにした黒い毛が、世界中に嘲笑されるだろう杞憂きゆう信憑性しんぴょうせいを与えていく。

 独りぼっちの背中が過去の自分と重なったら、もうどうしようもない。

 生き物は飼えないと言うマーシャの注意は、完全に頭の外。食べ物を持って行ってやるだけだ――と、道中、さんざん自分に言い聞かせた言葉も、嘘のように記憶からなくなっていた。

 やかましい靴音に呼ばれ、我に返ると、タニアの懐にはメーヴンの姿があった。見慣れた景色を突き進む身体が家に向かっていることは一目瞭然だったが、止める気にはならなかった。


 本心を明かせば、マーシャに恩情を掛けてもらえるだろうか?

 冗談じゃない。

 六年も前の話を引きずっているなんて恥ずかしすぎる。

 それ以上に境遇で同情を乞うようなズルは、絶対にごめんだ。


「……私だけじゃないじゃん」

 上手うまい言いわけが思い付かない苛立ちが、本心を明かせないもどかしさが、タニアの眉間にシワを寄せていく。突発的に目の前が赤く染まり、癇癪かんしゃくを起こしたような絶叫が唇を破る。

「おっちゃんだってヘンなの拾って来たじゃん!」

「だからってヘンなの増やしていい理由にはならないさね!」

 逆ギレされたマーシャは負けじと怒鳴り返し、虫食いだらけの網戸を震わせる。

「ヘンなの……」

 呆然と呟く声に、ガタン……と崩れる音が続く。タニアが食堂の隅っこに目をると、マーシャにさえ「ヘンなの」を否定してもらえなかった「ヘンなの」が、壁に向かって体育座りしていた。


「おばちゃんのケチ! 太っ腹なのは三段腹だけだよ!」

「ああ、ケチで結構さね! それが気に入らないなら出て行きな!」

 めぇめぇ……。

 激しく言い争う様子を見ていられなくなったのか、メーヴンはマーシャとタニアの間を往復し、なだめるように翼を振る。

「もういい! 出てってやる!」

 啖呵たんかを切ったタニアは、腹いせにテーブルを引っぱたき、玄関へ急ぐ。


「タニアさん!」

 体育座りにいそしんでいたシロは慌てて立ち上がり、タニアの前に滑り込んだ。

「待って! 待って下さい!」

 必死に呼び掛けながら、シロは足下のメーヴンをかかげ、首輪を指す。

「この仔、首輪してますよね? この仔本人も言ってたんですけど、迷子になっちゃっただけだと思うんです。まだ毛並みも綺麗ですし、外で暮らすようになってから一週間もってないんじゃないでしょうか」

 めんめん。

 シロの仮説を聞いたメーヴンは、すぐさま顎を沈める。


「家に置いてあげられないなら、せめて飼い主さんのところに帰してあげられませんか?」

「そうは言っても、こんな生き物、この辺りじゃ見たことがないさね。観光客のペットだとしたら、どこの誰が飼い主かなんか見当も付かない」

「だいじょぶです。ほら、ここに番号が書いてありますよね?」

 渋るマーシャに即答し、シロはメーヴンの首輪を少しだけ裏返す。マーシャの後ろからタニアが覗き込んでみると、バーコードの刻印されたプレートに七桁の番号が記されていた。


「人為的に作られた〈言獣げんじゅう〉には、既存の生態系に悪影響を及ぼしてしまうおそれがある。無責任な行為を防ぐ目的で、購入時に個体番号の登録が義務付けられてるんです」

「どうしてさっき教えてくれなかったの……!」

 恨み言を吐き、タニアは頬を膨らませる。最初に個体番号の話を教えてくれていたなら、マーシャを説得する道を選んだ。

 追求されたシロは申し訳なさそうに目を伏せ、メーヴンの背中を撫でる。

「明日まで待ってみようと思ったんです。この仔も元気でしたし、まだあれくらいの時間帯なら飼い主さんが捜しに来てもおかしくなかった。でも飼い主さんが目星を付けてたかも知れない場所から連れて来てしまった以上、責任を持って届けなきゃいけない」


「個体番号とやらを調べれば、飼い主が判るのかい?」

「断言は出来ません。今は個人情報の保護にうるさいんで。まあ理由を話せば、〈言獣げんじゅうきょく〉の方が引き取りに来るとか、飼い主さんに連絡を入れるとかしてくれると思います。近くに住んでる方なら、私が届けに行っても構いませんし」


 見ず知らずの土地に座り込んでいたメーヴンが、無事家に帰れる――。


 これ以上ない朗報だ。


 なのに、めでたしめでたしで結ぼうとすると、タニアの頭の中には嘲笑だらけの教室がちらつく。そう、タニアの知る世界は善意だけで出来ているわけではない。平然とランドセルを切り刻む手も、「死ね」と言い放つ口も人の数と同じだけ転がっている。


「……ヘンじゃない? 何でこの時期に外の人が来るの?」

 明るいきざしの見えてきた空気を、悪くするだけだ――。

 頭では理解しているのに、タニアの口は止めどなく御託ごたくを並べていく。

砂見すなみの時期ならともかく、この時期の〈ロプノール〉に面白いものなんてないんだよ?」

 反論をもらえれば、猜疑心さいぎしんに凝り固まった自分をなじれる――。

 切実な期待とは裏腹、意地の悪い指摘を耳にしたシロとマーシャは、申し合わせたように唇を結ぶ。秒針が一周するまで待っても、聞くことが出来たのは居心地の悪い耳鳴りだけだった。

 め? め?

 沈黙の意味が理解出来ないのか、メーヴンはしきりにまばたきし、皆の顔を見回していく。三巡目に入っても、声は漏れない。


「あー」

 結局上手うまい説明が思い付かなかったのか、マーシャはボイトレのように声を伸ばし、話題を切り替える。疑念を払拭してもらえずに終わったタニアだが、これ以上追求しようとは思わなかった。

「ともかく飼い主に連絡しとくから、迎えが来るまできちんと面倒見るんだよ」

「じゃあじゃあじゃあ、家に置いてもらえるんですか?」

 別人のように声を上擦らせ、シロはどたどたマーシャに駆け寄る。シンクに積まれた洗い物が景気よく転げ落ち、ちんどん屋っぽいメロディを奏でた。


「食堂には入れないこと! いいね? 生き物を嫌がるお客さんも多いんだから」

「はい! もちのろんです!」

 注意を受けたシロはビシッ! と敬礼し、すぐさまメーヴンを抱き締める。ほっとしたように目を細めたメーヴンは、何度も何度もシロの胸に頬を擦り付けていく。どうやら全身でお礼を告げているらしい。

「よかったね~、メーちゃん!」

 めぇ!

「……なんだよ、『メーちゃん』って」

 ケルベロスに「ワンちゃん」と名付けるようなシロのセンスに、タニアは脱力した笑みを漏らす。ただ命名された本人が嬉しそうに返事をしたので、物言いを付けるのはやめておいた。

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