⑥ミュージックステーション
勢いよく脱ぎ捨てたせいで宙返りするスニーカーを背に、タニアは二階へ駆け上がる。マーシャが忍び足するだけで悲痛に
「ご近所迷惑!」
ベヒーモスそっくりの
「ボ、ボンクラのお前でも、さすがに顔を見れば思い出すだろ?」
なるべくお玉を見ないようにしても、死への恐怖が声を震わせる。はたして明日のお天道さまは拝めるだろうか?
答えの出せない自問をひとまず脇に置き、タニアは逆さになっていたスニーカーを履く。手汗で滑る宝箱を抱え直すと、タニアはかかとを踏みながらシロに歩み寄った。
布巾で念入りにテーブルを拭い、クッキーの缶を置く。少し歪んだフタをこじ開けた途端、無理矢理詰め込んでいた財宝の山が溢れた。
缶バッジに雑誌の切り抜き、ブロマイドにキーホルダー。勢い余って床に転げ落ちたのは、似顔絵の焼き印が押された饅頭。開封されることなく、賞味期限を過ぎてしまった非業の品だ。
「じゃじゃーん! まずはこれ!」
宝箱の底から目的の品を引っ張り出し、全力で
高らかに天を貫いたのは、パステルカラーのマキシシングルだった。
パッケージを飾るのは、セーラー服を着た三人組。胸元のリボンは
「知ってるでしょ!? 知らないはずねぇべ!? 〈KHM〉! 〈
「さあ、
DJっぽい口調で宣言し、タニアは軽く〈
丸い頭をあっちへふらふらこっちへふらふらさせながら、〈
「……私、私ね、短パンを
唇を噛み締めそうになりながら、シロは何とか絞り出す。忌々しげに歪んだ瞳は、〈
チアリーダーばりに短いスカートが、白い太ももを
「でも、ぷろでゅーさーさんがダメだって。びっぐまねーにならないからって。私、私、あんな脱いじまったほうがマシな格好で、大勢の男子の前に……」
放心したように呟くと、シロは光を失った目で天を
「まだ思い出せないのかよ」
「じゃ、これは? 〈
自慢しながら宝箱を漁り、ピンクの布切れが付いたトレカを取り出す。伯父夫妻は
「嗅いでみろよ、特別に許可してやっから」
「か、嗅ぐ?」
半笑いで聞き返したシロは、耳に水が入った時のように何度も頭を振る。どうやら聴覚の不具合を疑っているらしい。
「ほぉら、こうやって顔を
ぐへへ……と垂れてくる
昨日も一昨日も今朝もそうしたように、布切れをくんかくんかする。
クッキー缶の鉄臭さに、防虫剤の
障害となる臭いを無数に嗅ぎ分けると、甘い残り香が漂い出す。同時に口角がニヤリと吊り上がり、ハァハァと荒い息を漏らし始めた。
ひぃ……。
唐突に
「嗅がないの? いい臭いするのに」
最後にもう一度、
入れ替わりにピンク色の詩集を取り出し、シロに突き付ける。暗唱出来るほど読み込んだせいで、ボロボロになったそれを目撃したシロは、ボディにいいのでも貰ったように「おぉう……」と
「毎晩、毎晩だよ! 私、毎晩朗読してるの! 〈
「ぽえむ」とオ・ト・メなら抹消したい過去の一つや二つもある単語を耳にしたシロは、さーっと顔面を蒼白に染めていく。何かを哀願するような眼差しは、保健所のヘルハウンドにそっくりだ。
――が、そんなんお構いなしに
「ああ、おひさまはどうしてまぶしいんでしょう。ああ、おほしさまはどうしてきらきらなんでしょう。ああ、おなかはどうしてへるのでしょう」
「あー!」と四回目の「ああ」にハモったのは、サイレンまがいの絶叫。
何事だ!?
反射的に背中を震わせ、タニアは
顔を真っ赤にし、両耳を押さえたシロが、三六〇度回転しそうな勢いで首を振っていた。
「邪魔すんじゃねぇよォ! まだまだ続くんだゼェ! 素敵なぽえむはよォ!」
レディースばりに巻き舌し、タニアはカウンターの椅子を振り上げる。
目からハイライトをなくしてみたり、生きた赤色灯になってみたり、こいつは一体何がしたいのか。いちいち突っ掛かってくるなんて、〈
「お願いです。お願いします。私、何でもします。靴底を舐めろと言うなら舐めます。目でスパゲティも食べます。だからもう許して下さひぃ……」
必至に慈悲を乞いながら、シロはタニアの袖にすがりつく。暴虐的に唾を散らすタニアと、悲痛に
「チッ、しょーがねーな」
ご近所の目が気になってきたタニアは、仕方なく宝箱に詩集を戻す。その姿を見届けると、シロは大きく息を吐き、ぐったりと椅子にもたれ掛かった。老けた。めっきり老けた。ミイラみたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます