④地獄のテヘペロ♡

「ま、まさか死体!?」

 ひぃ……! とかすれた悲鳴を漏らし、タニアは甲板の端っこまで後ずさる。

 考えてみれば、果てしなく広く人気のない砂漠は、死体を隠すのに最適な場所だ。しかしまさか、この平和な〈ロプノール〉が猟奇殺人の舞台になろうとは……。


「し、死体触っちゃった……」

 タニアは蹴りをかました右足を上げ、意味もなくつま先を振る。

 どこの誰だか知らない袋の中身には悪いが、正直気持ち悪くて仕方ない。鳥肌が背中を這い上がり、昼に食べたパンが胃から喉に逆流していく。


 このままでは、船上にキラキラした液体をぶちまけてしまう!


 タニアは慌てて口を押さえ、甲板のふちに駆け寄る。地面に向けて顔を突き出すと、嬉しそうに笑うアルハンブラが目に入った。


「おお、何だあ、声出せたんでないかい!」

 珍しく声を弾ませ、アルハンブラは高らかに手を叩く。

「こ、声?」

 言われてみれば、タニアは飛び蹴りを炸裂させた際、カエルそっくりの悲鳴を聞いた。当然の話だが、死人は「痛い」も「苦しい」も言わない。少なくともあの時点では、袋の中身は生きていたことになる。

 掛け替えのない命が失われていないとすれば、文句なしにめでたいことだ。唇の真裏まで来ていたパンも、胃に帰って行く。だが一方で袋の中身が死体ではなかったと言う事実は、新たな懸念を生むことになる。


 タニアは袋を思い切り蹴飛ばし、あまつさえ甲板から叩き落とした。哀れな袋は鈍器同然の舗道に墜落し、ブロック塀に激突した。


 はたして今も袋の中身は生きているのだろうか?


 鉄板が砕けたような墜落音を聞き、激震するブロック塀を見たタニアには、とても断言出来ない。仮に袋の中身が息絶えていたとしたら、世間は一連の行為を「殺人」と呼ぶだろう。


 実刑、

 収監、

 電気イス……。

 今後を予感させる単語が脳内を飛び交い、タニアの目の前を真っ暗にしていく。なぜゴミ袋を着込んだ奴なんかのために、ガス室へ送られなければいけないのか。自分の運命が呪わしくて仕方ない。いさぎよく砂漠で息絶えていてくれれば、死体したい損壊そんかいで済んだのに。


 ……まだ死んでいると決まったわけじゃない。


 万が一、心臓が止まっていたとしても、ダークマターやらフリーエネルギーやらが働いて、生き返らせてくれるかも知れない。最悪の場合はおもちゃ屋に持って行って、新しい電池に交換してもらおう。

 昏倒寸前の自分を懸命に励まし、タニアは甲板から降りる。

 絞首台への一本道を歩くかも知れない足は、鉛のように重い。しかし生死を確かめるためには、ゴミ袋に近付かなければならない。

 タニアは恐る恐る前に進み、ブロック塀の間際まで歩み寄る。震える手を伸ばし、足下に転がっていた棒切れを拾い、ゴミ袋を突っついてみる。


「うぅぅ……、頭に響くぅ……。つっつかないでくださぁい……」

 か細く返って来たのは、れた少女の声だった。

 無事と呼べるほど健康的ではないが、ともかく生きているのは間違いない。


 奇跡が、奇跡が起きた……!


 タニアは両腕を天に突き上げ、狂喜の雄叫おたけびを上げる。

 弱々しい声を聞く限り、怪我くらいは負わせてしまったかも知れない。とは言え、傷害と殺人では刑の重さが違う。仮に目玉の一つや二つ潰れていたとしても、極刑にはならないはずだ。初犯しょはんだし。


 ともあれ裁判官の心証を考えるなら、応急手当くらいはしておいたほうがいいかも知れない。負傷させた後に介抱したと言えば、過失と言う主張も通りやすいだろう。

 執行猶予への筋道を立てたタニアは、ゴミ袋の前にしゃがみ込む。

 ヘブンイレブンの袋をめくると、真っ赤に焼けた顔と目が合った。

 どうやら袋一杯に入っていたウィッグは、砂塗すなまみれになった髪だったらしい。ヘブンイレブンの袋に頭が、〈詐連されん〉指定のゴミ袋に胴体が収まっていたなら、二つ一緒に飛んでいったのも納得だ。


「……こんにちは」

 消え入りそうな声で挨拶し、少女は黒ずんだ目尻を垂らしていく。本人的には微笑んでいるつもりかも知れないが、濃いクマと言い、ひび割れた口角と言い、不気味以外の何ものでもない。見ていると「フォンこわ」のテーマが聞こえてくる。

 顔中に砂を塗りたくっているせいで判りづらいが、年齢はタニアより少し上だろうか。少なくとも「生徒」と呼ばれる歳ではない。脳内画像合成ソフトでセーラー服を着せてみると、AV嬢のコスプレとは真逆の違和感が生じる。

 背も低く、恐らくタニアより少し高い程度。体育座りのように膝を曲げれば、すっぽりとゴミ袋に収まってしまうはずだ。甲板に横たわっていた時も、手足を収納していたに違いない。


 ほっかむりのようにかぶったヘブンイレブンの袋は、即席の日よけだろう。ゴミ袋も頭や腕が出せるように穴が空けられ、半透明のタンクトップになっている。可能な限り肌の露出を抑えることで、砂塵や直射日光から身を守ってきたのだ。一見すると春先によく出没する人にしか思えないが、意外と利口なのかも知れない。

 痩せ細った四肢を念入りに眺めてみても、ひしゃげたりもげたりしている部分はない。脳の容態に付いては精密検査を待たなければいけないが、ひとまず異常はなさそうだ。


「おっちゃん、これは?」

 法廷行きの懸念が解消されたなら、次は尋問の時間だ。なぜ見ず知らずの女の子が甲板に転がっていたのか、ぜひ納得の行く説明をして頂きたい。いたいけな姪を危うく受刑者にするところだったのだ。ことと場合によっては、あばらの一本くらい覚悟してもらわなければ。

「砂漠で拾ったんだなあ、コレがあ」

 平然と答え、アルハンブラは呑気に笑う。

 アルパカのようにのほほんとした顔が、タニアの胸を煮えたぎらせていく。目一杯膨らんだ鼻から蒸気のような息が噴き出すと、血管の浮いた拳が宙を殴った。

「行き倒れなら、〈NIMOニモ〉とか救急の人呼ばなきゃダメでしょ!」


「だけどもお、この辺りじゃ救急船きゅうきゅうせんが来るのにも時間が掛かるだろお? だったら、二丁目の病院に運んじまったほうが早いと思ってなあ。倒れとったのもお、〈ロプノール〉に近い場所だったしい」

「それはそうかもだけど……」

 タニアは反論出来ずに、胸の前にあった拳を垂らす。

 右脳も左脳も経年劣化しているように見えて、アルハンブラは時々正論を言う。普段は脳細胞を熟睡させている分、必要な時には人並み以上の能力を発揮するのかも知れない。火山も眠っている時間が長いほど、激しく噴火すると聞くし。


「こんな妙ちきりんな格好してんだあ、人間ってこともないだろお。〈詐術師さじゅつし〉なら〈かくざと〉に連れて来てもお、問題ないさあ」

「で、でも悪いヤツだったら!? 回覧板に載ってたじゃん、最近〈砂盗さとう〉とか言う奴らが出るって!」

 言い負かされるのがしゃくで、タニアはつい大声を出してしまう。

 そう、コンビニの袋をほっかむりにした間抜けが、凶悪犯であるわけもない。だが常識にのっとれば、棺桶に片足突っ込んだ老人に論破されることになる。それだけはプライドが許さない。


「おやあ、ターニャにはこの娘っこが〈砂盗さとう〉なんて連中に見えるんかあ? まあ確かにい、甘そうな顔してっけどよお」

 ムキになるタニアを微笑ましそうに眺め、アルハンブラはヤニで黄ばんだ歯を覗かせる。ドーナツ型の紫煙が空に向かい、シワだらけの手がタニアの頭を撫でた。

 髪を掻き回されるほどにくすぐったさが膨らみ、タニアの肩をもぞもぞさせる。我慢出来なくなったタニアは滅茶苦茶に腕を振り回し、アルハンブラの手を振り払った。

「て、天使みたいな悪魔もいるの!」

 タニアはむず痒さを追い払うように吠え、意味もなくボロ船を叩く。同時に甲板が大きく震え、隅にあった月メルが落ちた。


 紙の鈍器こと月メルが地面に猛進し、仰向あおむけの少女に突っ込む。表紙の〈乙姫おとひめ〉さまが顔面を押し潰した瞬間、壮絶な断末魔がタニアの耳を射貫いぬいた。ここが山の中なら疑わなかっただろう。タヌキがトラバサミに掛かったのだ、と。

「ぎぃやぁぁぁ!」

 鼻をプレスされた少女は、バウンドするようにのたうち回る。キツネきのようにのたうち回る。ダイナミックなリアクションの傍らでは、ダイビングヘッドバットをかました〈乙姫おとひめ〉さまがテヘペロしていた。

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