星が監視者になった夜

 星。


 星が見ていた。


 群青ぐんじょうに染まった天球を占拠し、世界中に睨みをかせる星。


 真冬の荒野は、乾いた土の臭いを漂わせていた。

 氷河をようした山脈が、まばらに生えた枯れ木を見下ろしている。かつて色鮮やかに咲いていただろう花々は茶色く朽ち果て、干からびた茎を地面に横たえていた。

 山肌から吹き下ろす風は、地表から巻き上げた雪で冷たくきらめいている。ひゅう……ひゅう……と大気がすすり泣く度に、色褪いろあせた大樹から着古しの枯葉が舞い落ちた。痩せ細った枝にはミノムシがぶら下がり、小枝で作った家を凍えたように揺らしている。


 はぁ……はぁ……。


 天の川に見下ろされた彼女は、押し潰されたように膝を着いている。限界まで背中を丸め、顔を地面に寄せた姿は、必死に頭を下げ、許しをうているかのようだ。

 眼前に旋毛つむじを突き付けられているのは、枯れ枝で組まれた十字架。急拵きゅうごしらえにしても粗末な墓標には、しなびた薔薇が手向たむけられている。


 ざっ、ざっ、ざっ……。


 それ以外忘れたように手を動かし、彼女は十字架の根元を掻きむしる。かぎ状に指を曲げ、短く切った爪を立て、半日前に埋めたばかりの墓穴を掘り起こす。荒く乱れた呼吸が肩を上下させる度に、彼女の顔を真っ白い息が包み込む。


 硬く凍り付いた土は、容赦なく彼女の指を傷付けていく。

 一回掻くごとにヤスリを掛けたような音が鳴り、大粒の砂利が彼女の指紋を削り取る。一〇回も掻かない内に爪が割れ、あらく研磨された指先を真っ赤に染めた。

 白っぽい砂埃を追い、掘り出された土が舞い、彼女の小脇に積み上がっていく。きらびやかな金髪がくすんでいくにつれて、赤らんでいたはずの手は血の気を失っていった。

 霜焼けを通り越し、青白くなった肌を見る限り、痛覚や触覚が麻痺しているのは間違いない。目を閉じ、視覚を遮断しただけで、手と手首が繋がっているか判らなくなるだろう。


 はぁ……はぁ……。


 一際ひときわ荒い呼吸が彼女の口を押し広げ、ひび割れていた口角が裂ける。熟した果実のような傷口から血が滲み出し、乾燥した唇を赤く潤していく。

 冷え切った汗と混じり合い、薄くなった血が、一滴、二滴と細い顎を伝う。地面に落ちたそれが次々と砕け散り、薄く張った霜を緋色に染めていく。


 ざっ、ざっ、ざっ……。


 彼女は血を拭うこともせずに、ひたすら十字架の根元を掘り続けた。

 粉っぽく巻き上がる土煙が、純白の頬を茶色く濁らせていく。血塗ちまみれになった指が、地面に赤い拇印ぼいんを押していく。すり傷だらけの手が地面をえぐり、えぐり、えぐり取り、土と血を溜めた爪をり減らしていく。やがて彼女の左右に高々と土が積み上がり、洗面台ほどにまで穴が広がる。


 それでも、彼女の耳にお馴染なじみの寝息は届かない。


 十字架の根元には、果てしなく沈黙が埋まっている。

 あと五分、五分だけ寝かせてくれ――。

 昨日までは布団を取り上げるだけで、彼女の耳に届いた泣き言。

 今、彼女が心の底から望むその言葉は、地球の底よりも遠くにあった。

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