衛士と桜花・2

 衛士が持つスマートフォンの画面を覗き込む桜花。さっきからずっと二人の体の距離が近くなっているのだが、衛士はもう桜花が放つ色香にも慣れてしまっているようだった。いや、正確には――


「この画面の千紗って書いてるのがそうなんだけど、先ずこいつの彼氏の喜亮ってのが途方も無い駄目男でさ。その阿呆を好きになった千紗は、駄目男に引っ掛かるタイプって訳。――ここまで分かる?」

 随分と悪戯ぽい、そして挑発的な雰囲気で説明する衛士。

 正確には、彼特有の冷徹さのが入った為に桜花の色香を物ともしなくなっていたのだ。


 桜花は衛士に何かを感じたように目を細めて言う。

「友達なのに酷い言い様ね」

「勿論気の良い奴らだけどさ、こいつらの恋バナをする上では目を瞑れない要素なんだよ。その悪い部分同士がガチっとハマっちまってる二人なんだから」


 そう答えて衛士は左の掌をスマートフォンを持つ右手の手首へと押し当てる動作を見せた。その仕草を挟んだ事に、桜花は衛士のおおらかな心根も認める。


「ふーん」

「そうですよ」

 衛士は衛士でそんな桜花の表情を見ていた。こっちを即座に薄情だ、友達をそんな風に悪く言っちゃいけない等と言ってくるようなら、その時点で見切りを付けようと思っていたのである。


「それにそもそものさえ、二人だけじゃ上手くいかなかったんだ。そこに助け船を出したの俺なんですよ」

「そうなの?」

「そう。だから俺にはこれ位言う権利有るんです」

「成程、ね」


 桜花が納得したのを見て衛士は気を良くした。この人結構話せるじゃん――と。

「じゃあ今はなんで相談してきてるの? それも二人同時にって、喧嘩でもしてるの?」


「当たり。お互い直接言い合って余計に拗れるのを嫌がって、別々に俺に泣き付いてきたって訳」

「あー。二人の大体の感じが分かってきたわ、私にも」

「どういう風に?」

「きっとどっちも気持ちが先走っちゃう感じなんでしょ。そんでなんか空回っちゃったと」

「良いねぇ、桜花さん結構話せるっ」


 さっき思った事を、今度は言葉に出して言う。あくまで心の裏で桜花を見定めるつもりだったのに、自分の評価を相手に漏らしてしまったのはある意味軽率なのだが……


 衛士君急に楽しそうになっちゃって……きっと私の言葉がのね――


 その衛士の軽率な発言で、桜花は彼の狙いを全て分かってしまうのである。


「お気に入りの答えが出せて良かった」

 今度は桜花が悪戯っぽく笑う。衛士は「えっ」と聞き返したが、その一拍後で彼もまた察する。

「……意地悪してたのバレました?」

「年上を舐めないでよねっ」


 そう言って桜花は更にずいっと衛士との距離を詰める。になった衛士は緊張した顔で同じ分だけ離れた。

「だから近いって!」

「ふふ、衛士君って面白いねぇ」


 そう言った桜花はさっきまでと異なる、ねっとりとした深みの有る顔で衛士の事を見ている。スーパーで初めて逢った時にも一瞬見せた、だ。

「だからその顔やめろ!」


「兄ちゃん達うるさーい! テレビ聞こえないだろっ」

 優士から非難の声が飛んできて、二人共はっとした。


「すまん優士」

「邪魔してごめんねっ」

 少し冷静になった衛士と桜花はお互いを見遣る。桜花の顔ももう元に戻ってい

た。


「……桜花さん、さっきの顔なんだよ?」

 衛士は何故か小声で聞いていた。

「えー、衛士君可愛いなぁって思っただけだけど?」

 逆にとぼけた感じで疑問形として返してくる桜花。


「いーや、何ていうか、すっごい邪悪な意思を感じたぞ」

「あはは。邪悪って無茶苦茶じゃないですかもー、笑わせないで」

「いや笑いごとじゃねーって」


 狙っちゃおっかなーなんて思ってるって、流石に言えないもん――


「それよりさ、今は千紗ちゃんと喜亮君の事でしょっ」

 衛士は釈然としなかったが、何故か優士が近くに居る所では、さっきの桜花の事に足を踏み入れちゃいけないような気がした。


「分かったよ。……昼間に先に喜亮からの相談を済ませたって言ったろ。その時にさ、千紗との距離を詰めていけって言ったの。なんなら言葉より先に手を握れとも言った」

「荒療治だけど確かに効果あるかも。喧嘩してから時間が空く程近付けない空気になるもんね」


「ああ。俺は喜亮の奴勇気を出したんだろうって分かるけど、どうやら力み過ぎたみたいでな。すげー鼻息でふーふー言いながら手を握りやがったらしい」

「犯罪じゃん」

「桜花さんの方が酷い言い様になってますよ」

「えっ? あ、あら失礼……」


「で、千紗その時は驚いて引っ叩いたんだけど、直ぐにぴーんと来たらしい。あの奥手な喜亮がいきなりこんな事するのには訳が有る、きっと俺から入れ知恵されたんだろうってさ」

「パニクっちゃった中でそんな事気付けるなんて、千紗ちゃんは結構出来る子じゃない」

「出来るからこそ駄目男に引っ掛かるっていう、の奴なんだよ」

「成程。それは、残念ね……」


 桜花はそこで気が付く。


「ていうか衛士君、千紗ちゃんに喜亮君の相談に乗った事教えてなかったの?」

 衛士は事も無げに答える。

「ああ。こういうのは何も知らない状態でされる方が、嬉しいもんだろうと思ってさ」

「でも結果危うくもっと拗れる所だった訳じゃん? 喜亮君ふーふー言っちゃうし」

「犯罪者だもんな」

「ちょっと、私の揚げ足取らないでよっ。――まあこの際、犯罪者でもいいわ」

「いいのかよ」

 衛士はしかし特に止めようとはしなかった。


「その犯罪者君、ホントに御縄を頂戴されるかもしれなかったのに、それは良かったの?」

 言葉の言い回しは古臭かったが、桜花はこの時は真面目な眼差しで衛士を見ていた。今度は桜花が衛士を試していたのだ。

 衛士はふっ、と溜め息を吐きこう答える。


「相手が何をしてくるかが分かった状態で喜ばされても、本当の意味では心に響かないんだって。――そんなんで仲直りしたように見せ掛けたまま、あいつらに目の前でイチャつかれたらこっちの気が沈んじまうよ」

 衛士がどこか遠い目をしながら話しているのを、桜花は見逃さなかった。


「でも俺はあの二人なら、俺の考えたやり方で乗り切れるって信じてましたから」

 そこで衛士は桜花に向き直る。


「だから実際、千紗は俺にこう言って来てるんですよ」

 そう言って最後はスマートフォンのトークアプリの、最後の一文を桜花に見せる。そこに書いてあったのは――


「……後になって思う。喜亮があんな顔してたのは、きっとあいつが必死になる事に慣れてないから。それなのに私の為に必死になって見せてくれたのが、今は嬉しいって思うから、これからは私が喜亮をサポートしてもっとイイ男になって貰うつもり……」


 桜花が読み上げた千紗の会話文。桜花は暫し黙って咀嚼するようにしてから、衛士へと向き直った。


「これさ、仲直りは出来たかも知れないけど、ある意味更に泥沼に入っちゃってない?」

「……そうすね。でもそこはもう周りが踏み込む領域じゃ無いですよ。そもそもあの二人がお互い好きになった時点で、そうなる運命だったって事でしょ?」


 さっきとは全然違う衛士の半ば呆れたような顔に、桜花は吹き出してしまった。

「ふふふっ。――ちょっとっ、さっきから笑わせないでよっ」

「知りませんよ、桜花さんが勝手にウケてんじゃないすか」

「ふふ、でも衛士君が二人の事を理解してあげてるのが分かったわ。そうよね、こっちはこっちで二人の今後をもう楽しく見させて貰うしかないわよね」


 桜花の受け答えは、これまでほぼほぼ衛士の想定していた正解を引き当てていた。そこに驚きながらも衛士は嫌な気はせずに、寧ろ楽しげに笑う桜花を見てつい顔が綻んでしまう。


「全くもって同感ですね」

 その言葉はさっきまでよりも少し優しくなっていた。

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