第6話 流星
バイト帰りに見上げた空は、漆黒の闇に覆われている。
僕の目に映るのは、鈍く光る星々の微かな灯火だけだ。
本来ならば、光り輝く星々がもっとたくさん見えても良いのだろうけど、田舎とも都会とも言えない僕の暮らす街では、それ以上の期待は出来ないと言うことは解っている。
それに加えて乱視がきつい僕の目では、星々の光りを捕らえきれないという事もあるのだろうし、そんな夜空が当たり前のものであるといつの頃からか思っていた。
思いというのは以外と自分でも気がつかないうちに、その心を縛り付けるもので、それ以外の可能性というものを考えたりしなくなってしまう事がある。
そんな考え方を変えさせてくれるのは、結局のところ、自分以外の誰かだったりするするのである。
「流れ星?」
「そう、流れ星。山田君は見た事がある?」
ある蒸し暑い日の昼下がり、コンビニでバイトをしていると同僚である同い年の小島さんが聞いてきた。
「そういえば、一度もないな」
流れ星自体は、それほど珍しい現象ではないのだろうが、そもそも夜空を見上げるという習慣のない僕には、流れ星を見る機会はほとんど無いと言えるだろう。
「私もないんだけど、一度で良いから見てみたいなぁ」
「やっぱり、見ようと思って、夜空を見上げていないと無理なんじゃないかな?」
「この辺りは街の光りで、夜になっても明るいから見えにくいのよ」
「それなら山奥の街灯も何もない所に行けば見やすいかもね」
そんな事を言って仕事をしながら彼女を見ると、彼女は笑顔で言った。
「じゃぁ、流れ星を見に行きましょう」
「流れ星を見に行くの?」
僕は少し驚いて小島さんに聞くと、小島さんは、当然のように答えた。
「夜道で女子一人では危険でしょう? それに私は車の免許もないから遠くまで行けないもの。山田君は車の免許を持ってたでしょ?」
「免許は持っているけれど、僕は車を持ってないよ? オヤジの車をたまに借りて運転するくらいで……」
小島さんの顔を見れば、車を確保したと言う顔で笑っていた。
こうして僕と小島さんは流れ星を見に行く事になり、僕はオヤジに車を借りたのだった。
当日。
時計を見ると時間が近づき、僕は普段はかけていない眼鏡を掛ける。
日常でメガネが必要なほど目が悪いわけでもなかったが、ちょっと乱視がキツイ僕は遠くの信号が二重に見えたりするので、運転するときはメガネを掛ける事にしている。
もう何年も前に作ったのだけど、掛けると度がきつく、動いたりすると目が回るので、普段は掛けていなかった。
久し振りに掛けた眼鏡を通して見る世界は、シャープになり、物事の境目がキッチリして見えた。
僕はエンジンをかけると、待ち合わせ場所になっているバイト先のコンビニに向けて車を発車させた。
小島さんとはバイト先が一緒というだけで、普段の彼女の姿はほとんど知らない。
洋裁の専門学校に通っていて、アパートに一人暮らしで、ネコを一匹飼っていて、家族構成は両親と弟の四人家族だという事や、ラーメンが大好きで、よく行列が出来る有名店に行ったりすると言う事や、漫画が大好きでジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンは毎週欠かさずに買って読んでいると言う事ぐらいしか知らない。
それらも、バイト中に彼女が自分から話していた事で、きっとお喋りも好きなのだろうと思ったくらいだ。
僕は彼女に特別な好意を持っているわけではない。
だからといって彼女を嫌いというわけでもない。
その種の感情を異性に対して持つのを辞めただけだ。
過去に何度か誰かを好きになり、そして失恋した。
初めて出来た彼女には、他に好きな人が出来たと言われて振られてしまった。
その度に、僕は酷く落ち込んで、そんな思いをするくらいなら、誰も好きにならない方が良いと決めたのだ。
だから必要以上に異性と親しくはならないし、距離を保って来た。
そんなわけで異性と二人でどこかに出かけるなどという事は何年もなかったので、少し緊張しているが、そんな感情を出さない術も、僕は身につけているつもりだ。
だから、大丈夫。
これはデートなどというものではなく、流れ星を見に行くだけである。
僕は小島さんを好きになったりしないし、小島さんもこんな暗く、人付き合いの悪い男を好きになったりしないと運転しながら考えていた。
「じゃぁ、行きましょうか」
コンビニにつくと、ビニール袋を両手にぶら下げた小島さんが立っていて、僕が運転する車に気がつくと、すぐに駆け寄ってきて助手席に乗り込みそう言った。
「……ずいぶん、買い込んだねぇ」
「オニギリとか、お菓子とか、ジュースとか必要でしょう?」
小島さんは笑顔で言う。
「そんな時は、手作りのお弁当とか……」
「……ごめん、そう言う発想はなかったわ」
そんなやりとりをして、車は走り出す。
時刻は午後10時を過ぎた辺りで、ラジオの天気予報によると、天気は良いらしく、星空日和だと小島さんが言った。
目的地はコンビニから2時間ほど走った山の中で、ちょうど峠に観光客向けの道の駅がある辺りだ。
そこには展望台もあり、夜空観測の星猛者の中でも有名な観測スポットだと、小島さんがネットで調べて来た。
市街を抜け、山道に入ると街灯もまばらになり、深い闇に包まれて、ヘッドライトの明かりだけが頼りになった。
「ちょっと街中を越えただけなのに、本当に真っ暗になったわよね」
小島さんが真っ暗な闇の中で、カリカリお菓子を食べながら感想を言う。
「オバケとか出てきそうだよね」
僕がそう言うと、小島さんは笑って言った。
「オバケなんて怖くないわよ。そこにいるだけで現世に何の影響も与える事なんて出来ないんだから」
「そうなの?」
「もしそうでなかったら、オバケが社会問題化してると思う。オカルトの範疇である限りは、何もしないと言うのと一緒だよ」
「そんな考え方はした事がないな」
「怖いのは人間の方よ。何をするか何て予測が一番つかないもの」
「そう言えばそうだな。俺も何をするか何て解らないし」
「山田君は大丈夫よ。私の方が腕っ節も強いし」
そう彼女が言って笑ったのだけど、車内が微妙な空気になってしまった頃、僕らはようやく目的地の峠に着いた。
駐車場に車を止め、とりあえずは食堂もある道の家で腹ごなしをする事になった。
夏とは言え、高所の峠は夜になり気温も下がって、半袖では肌寒くなっていた。
念のために用意をしていたフリースを着込み、小島さんにも一枚貸してあげた。
「ずいぶんと用意がいいのね」
僕がフリースなんかを用意していた事に、小島さんが驚いて言ってきた。
「どこに行こうと、旅先では何があるか解らないから、フリースの一枚や二枚は用意しておく物だと、水曜どうでしょうのベトナム、カブの旅で大泉洋がヒゲのプロデューサーに言われてたよ」
その話に小島さんは大笑いし、僕たちは道の駅に入る。
午前0時を回ったというのに、休日を前にしたせいか、客は多く、僕たちは食堂で揚げイモを食べた。
食べ終えると、外に出て、歩いて五分ほど先にあるという展望台に向かう。
他にも僕たちと同じように展望台に向かう人、そして戻ってくる人々の姿が暗闇の中にあった。
すでに空は満天の星空で、眼鏡を掛けた僕の目にもクリアな星空が映っていて、星空を見るのならばここでも良いような気がしたが、小島さんは僕の手を引き闇の中を進んでいく。
「ほら早く山田君。良い場所をとらないと」
「急いだところで、そんなに変わらないよ」
「それもそうか」
そんなやりとりをして、僕たちは声を上げて笑う。
気がついたときには林を抜け、展望台に着いていた。
崖の上に作られたその展望台は、遠くの山々まで一望できて、その上には星空が広がっている。
黒い布に宝石をちりばめた様な星空を見上げ、僕らはしばらく無言になった。
無言で過ぎていく時間を永遠に感じながら、ときどき横に立った小島さんの顔を見ると、暗くて表情は見えなかったけど、きっと幸せそうな顔をしていると思えた。
「そろそろ帰ろうか」
二時間も星空を見上げていいれば、さすがに飽きて来るというもので、僕はいまだに星空を見上げる小島さんに声を掛けた。
「まだ」
小島さんはそう言うって、帰ろうとしない。
「またくればいいだろ」
「まだ、流れ星を見ていないもの」
「一瞬だし、必ず見れるという物でもないんだろ?」
「でも、せっかく来たんだし、見て帰りたい」
小島さんはそう言って、僕にも流れ星を探す様に言った。
だけど、時間は流れ、東の空が微かに明るくなり始めた。
「もう諦めよう。また次に来たときに見れるさ」
だけど小島さんは黙ったまま空を見ている。
「あ!」
小島さんが声をあげ、僕の手を引っ張った。
「あそこ!」
小島さんが指さした方向を僕も見ると、一瞬だけ星が流れるのが見えた。
そしてまた、短い間にいくつかの星が流れて行った。
産まれて初めて見た流れ星の感想は、感動と共にこんなものかと言う物であり、とりあえずその感想を小島さんに言うのはやめた。
小島さんを見ると何か祈っているようで、小さくぶつぶつ言っていたのだけど、その言葉は聞き取れなかった。
だけど、僕の手を時折強く握りしめ、そして指をゆっくりと絡めてきたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます