第4話 五月雨の嫁入り
部活が終わって校門を出ると、雨雲の間から顔を出す夕焼けで空は茜色に染まっていた。
霧のように細かな天気雨が朝からずっと降り続いており、湿度の高い空気が部活で汗ばんだ身体にまとわりついて、不快指数を押し上げている。
それでも霧雨に濡れたアスファルトが夕陽を反射し、街は黄金色に輝いて見えた。
深く沈み始めた黄金色が街の中のコントラストを強く感じさせ、その風景は年に何度も見られない美しいものだ。
とりあえず私はセーラー服のポケットから携帯を取り出すと、カメラに切り替えてその風景を何枚か撮影し、良い写真が撮れたと一人悦に入っていた。
JRの駅までの歩いて15分程の距離を、横に立つホテルの敷地に植えられた紫陽花の花を横目にしながら歩いている。
「あ、お嫁さん」
霧雨に濡れながら咲きほこる紫陽花より少し上に視線をやると、ちょうどホテルで結婚式の最中なのか、敷地内に純白のウェディングドレスを着た花嫁が、親族に傘をさされて敷地内を移動している姿を見かけ、私は思わず独り言を呟いた。
「◎×△■!!」
「■△◎◎××!!」
突然、内容は聞き取れなかったが大きな声が聞こえた。
何事かと思って見ていると、花嫁と親族がかなり大きな声で口論をしていて、突然現れた男と共に手に手を取って走り去ったのである。
私の頭の中では、サイモン& ガーファンクルの「The Sound of Silence」が流れ始めていた。
かなり昔のアメリカ映画だったけど、花嫁を連れ去って逃げるというラストの映画を父が借りてきたDVDで見た事があった。
そのシーンはドラマやアニメや漫画などでパロディとして使われてたりするのだけど、それをリアルで見られる日が来るとは思ってもいなかった。
映画のラストシーンでは逃げ出してバスに乗り込んだ花嫁の表情が、それから先の不安で曇って終わるのだけど、現実にそんな事をしてしまえば、親兄弟、親族との絶縁に婚約者から名誉毀損と婚約不履行の訴訟、社会的信頼の失墜と抹殺である。
とてもじゃないけど割に合う行動であるとは思えない。
そのウェディングドレス姿の花嫁と連れ去ってきた男性が、ホテルの敷地内を抜け、私がいる方に向かって走ってきたのは五分後の事だったのである。
「ねぇ、そこの女子校生さん。この辺りに着替えられる場所はないかしら?」
霧雨の中を傘も差さずに走ってきて、私の前で立ち止まると、ずぶ濡れになったウェディングドレスの裾を重そうに持ち上げて、息を切らしながら満面の笑みでそう言ったのだった。
よく見ると、整った顔立ちで、目が大きく切れ長なその人はとても綺麗な人だった。
肌に張り付いたウェディングドレスはそのむっちんぷりんな身体のラインを強調して見せていて、これが俗に言う水も滴るいい女という奴なんだろうと思った。
その横で、この綺麗な花嫁を連れ去ってきたさえない感じの小太りな男性が、日頃の運動不足の為であろうか、長い距離を走ってきたので息切れを起こして吐いていた。
私は少し巻き込まれているという事に不安を感じながらも、近くにあった公園のトイレに案内した。
「このトイレは親子連れや身体障害者の人でも使えるようにと、スペースが大きく作られているので隠れるのにも良いと思いますよ。近所の若いカップルがエッチするのにラブホテル代わりに使ったりするので、夜間は閉鎖されますけど」
「それは大丈夫。着替えたらすぐにこの街を離れるから。哲ちゃん、着替えを買ってきてちょうだい」
私は哲ちゃんと呼ばれた男性に、駅前の商店街の場所を教えると、哲ちゃんは礼を言って出て行ったのだった。
私は学校指定のスポーツバックからタオルとジャージをを出すと、追っ手が来たらウェディングドレスじゃ逃げ切れないから使って下さいと言って渡した。
「それもそうね。ありがたく使わせてもらうわ」
花嫁はそう言うとウエディングドレスを脱ぎ始め、胸を露わにしながらジャージに着替えたのだった。
純白のウェディングドレスから、学校指定の小豆色のジャージへ。
「すいません。そんな変な色のジャージで。とても綺麗なのに、ジャージが残念で」
「ありがとう。着たくもなかったウェディングドレスより、ジャージも悪くないわよ。高校生の頃を思い出すわ」
「……あの、聞いて良いですか?」
「なぜ結婚式会場から逃げ出したのかって事?」
「だって、いろいろ割に合わないじゃないですか。下手したら訴えられるんじゃないんですか?」
「それは大丈夫よ。私の花婿さんだった人は、それはそれは女癖の悪い人でね。お金は持っているんだけれども、色々と社会的にも問題のある人だから、訴えられる事はないと思う。逆にこっちが訴えたいくらいね」
「じゃあ、何でそんな人と結婚する事にしたんですか?」
「仕返しよ」
と言って、元花嫁は笑った。
その表情は笑っていながら少し怖かった。
「わたしの親は、その人の会社と付き合いのある個人経営の小さな会社を経営しててね。最初はお見合いで顔合わせをして、まぁ、その時は何も知らなかったし、人当たりの良い性格に私も好きになったりして、婚約する事になったの。でも、いざ付き合いが始まると酷い人でね。私の前歯はそれから全部差し歯に変わったの。鼻も折れたし」
花嫁はそう言って高めの鼻を指先で押すと、ボクシングの選手のようにぺったりと潰れた。
「だから、人前で恥をかかせてやろうと思ったのよ」
そう笑顔で言う花嫁から、少し狂気を感じられたのだった。
しばらくして哲ちゃんが買い物を終えて戻ってきた。
「近くにタクシーを待たせているから、着替えたらすぐに来てくれ」
とだけ言い残すと、自分は先にタクシーに行った。
「これかはあの人と一緒になるんですか?」
私がそう聞くと着替えが終わった花嫁は、笑いながら言った。
「哲ちゃんはね、便利屋さんなの。夜逃げの手伝いとか、浮気調査とか、部屋の掃除とかなんでもするのよ。今回は私の計画を手伝ってもらっただけなの。そりゃあ、わたしの事を好きみたいなんだけど、この先の事はわたしも解らないわ」
そう言っても、その表情に先ほどの狂気は感じられず、柔らかい幸せそうな笑顔があるだけだ。
「本当にありがとう。あなたのおかげでとても助かったわ。このお礼はきっといつかさせてもらうから」
そう言って、私の携帯番号とメールアドレスを控えると、花嫁はタクシーに乗り込んでいった。
タクシーの窓を開け、花嫁は言う。
「最期にお姉さんから一言。男は惚れるより、惚れさせろよ」
奥に座る哲ちゃんが、少し困った表情で声も出さずに笑っていた。
五月雨の中をタクシーは走り出し、そして見えなくなった。
私はすでに日が沈み、薄暗くなった中を幸せな気分で駅に向かって歩き出した。
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