第9話 頼
今年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」である。
もちろん私は視聴している。
何せ、鎌倉在住、三谷幸喜ファン、学生時代は鎌倉時代の仏教学を教える教授に師事したと、観ない理由がない。
鎌倉では便乗商品なども続々と出ており、大河ドラマ館も、当然ここしかないだろうとしか言えない場所、鶴岡八幡宮境内にあるミュージアムを利用して開館している。
個人的には、豊島屋の大河ドラマ缶は是非購入してほしい。
さて、まだ「13人」は揃っていないが、今回は便乗して、鎌倉殿にまつわるスポットを紹介したい。
それは、源頼朝墓である。
源頼朝墓は、かつて源頼朝の御所であった大蔵幕府の北側の、丘、というよりは山の中腹にある。
江戸時代までは五輪塔があっただけらしいが、江戸時代に島津重豪によって現在の形になったという。
そして、ここが少々ややこしいのだが、源頼朝墓に上がる途中の平場は法華堂跡であり、源頼朝の墓と法華堂跡は同一の場所として史跡認定されている。いや、頼朝の墓のための法華堂が明治時代に無くなって、墓だけが残ったようなので、そう考えるとあまりややこしくもないかもしれない。
と、史跡としての説明が少々長くなったが、実際に行ってみるとどうか。
今は恐らく、大河ドラマ効果で人も増えているだろうが、それ以前は静かで、日当たりのよい墓所であった。
源頼朝墓の所まで上ると、ごく普通の小学校と住宅地が見下ろせる。そして、ただそれだけである。
だが、頼朝の時代には、その小学校辺りが、頼朝の御所であった。
御所の場所を変えない限りは、その後継ぎ、更に後継ぎが住むはずの場所でもある。
つまり、頼朝の墓のある場所は、「源氏の棟梁が鎌倉殿として政治を司っていくのを、後ろから見守ることができる」ようになっていたのだ。
そう思いながら御所の辺りを見下ろすと、たった三代で、しかも妻の実家が噛む形で源氏将軍が終わってしまった儚さを感じ、物悲しい気持ちになる。
自分の味方として婚姻によって繋がったはずの北条氏が、次代の将軍もその次の将軍も蹴落とし、実権を握っていったと知ったら……と考えると、切ないものだ。
そして、この位置はもう一つ、法華堂を建立した人々が意図したのか否かは分からないが、面白い意味を持っている。
墓の場所は、鶴岡八幡宮の鬼門の位置にあるのだ。
源頼朝墓は元々それを祀る法華堂があり、法華堂が無くなった後は、頼朝を祭神として白旗神社が建立された。
鎌倉幕府の象徴である鶴岡八幡宮の鬼門にあたる場所に、鎌倉幕府の創設者である頼朝を由来とする宗教施設を必要としていたと見るのは、深読みしすぎだろうか。
通常、鎌倉の鬼門封じ、鶴岡八幡宮の鬼門封じと言えば、荏柄神社が挙げられる。
だが、荏柄神社との距離の近さ、鶴岡八幡宮との位置関係を見ていると、「族滅」と呼ばれるほど色々なことが起きた鎌倉の、二重の封じとして置かれているような。
そんな妄想を巡らせても、不思議な話ではないと思っている。
ちなみに、今年の大河ドラマの主人公である北条義時の墓も、頼朝の墓の2メートルほど下にある。
大河ドラマ聖地巡りという意味でも、おススメスポットである。
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