追手がかかる
玄十郎と才平は、意気投合して大酒を飲みはじめた。
どういう知り合いなのよ、とあきれるなづきに、すっかり正気を失った玄十郎は、こういう知り合い、とだけ答えて、浴びるように酒を飲みつづけた。
酔った玄十郎は、たいへん軽口を叩くようになっていた。
才平の背中を叩きながら、馴れ馴れしい口を利く。
「何であんな山奥に住んでるんだよ、才平さん」
なづきは顔をしかめた。
「家まで知ってるの?」
玄十郎が才平と知り合ったのを明らかに嫌がっているなづきには構わず、才平は大声をあげて泣き出した。
「泣かないでよ、あんたの歌で店がもってるんだから」
なづきが止めても、才平は聞かなかった。
玄十郎に取りすがって泣き続ける。
「ワシはなあ、恥ずかしいんだよ。自分で自分が恥ずかしいんだよ」
いくつも転がった徳利を片付けながら、なづきはまぜっかえした。
「恥ずかしいのはこの酒癖」
それには答えず、才平は玄十郎に問いかけた。
「一揆でどれだけ百姓が死んだか知ってるか? ここでも江戸でも」
玄十郎には分からなかった。
そもそも一揆の話のうち、玄十郎にとって重大だったのは、たった一人の父を失ったことしかない。
答えないでいると、才平も口を閉ざしたまま、酒を飲みつづけた。
次から次へとなづきが並べていく徳利を開けながら、才平は泣いている。
しばらくして、ぼそりとつぶやいた。
「ワシは命が惜しくて、山奥へ逃げた。自分に恥ずかしくて、里へは戻れん。寂しくて寂しくてなあ、毎日毎日酒飲んで、獣にでも食われてしまおうと思って山んなか歩いて、腹いせに木を殴っているうちに、こんなことを覚えたのさ」
「こんなこと?」
なづきが首をかしげると、才平は、がっくりと床に突っ伏した。
玄十郎が声をかけて揺すったが、ぴくりとも動かない。
なづきが驚いたように言った。
「小駄良才平が酔いつぶれるとはねえ」
それじゃあ、と玄十郎が才平の肩をかついだ。
「大丈夫?」
心配そうに尋ねるなづきに、玄十郎は平気平気と千鳥足で答える。だが、玄十郎が才平をかついで店を出るや否や、なづきは裏口に姿を消した。
小駄良才平のいない店の中は、しばしの間静まり返った。やがて、客が入れ替わると自然に、雑談が再び始まった。
その笑いさざめく声に紛れて、背の高い一人の男が、低い声でつぶやいた。
「そろそろ探して来い。こっちの頭数は揃った」
その声に応ずるかのように、店の客の何名かが立ち上がって出て行った。
山小屋に着くと、玄十郎は才平の小屋に入り、ばったり倒れた。玄十郎の隣には、才平が転がった。
そのまま寝てしまおうとした玄十郎に、才平は言った。
「おい、お前に客が来たぞ」
玄十郎が小屋の戸を開けると、そこにはなづきが立っていた。
「何しに来たんだ……いや、どうやって?」
なづきはうつむいて答えた。
「どこへ行ってたのか、気になったから」
風も吹かないのに、ざあっと夜の草木が揺れる音がした。
突然、玄十郎の頭から、水が浴びせられた。
谷川から汲んできて、貯めてある水である。
きょとんとする玄十郎に、才平は事も無げに言った。
「気づかれたな」
まだ事情が分からずきょろきょろしている玄十郎を、才平は一喝する。
「夜が明ける前に逃げろ!」
言うなり、小屋の隅にあった酒樽を担いで凄まじい速さで歩きだした。玄十郎となづきは、慌てて後についていくしかなかった。
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