酒樽心中
兵藤晴佳
プロローグ
かつて美濃国と呼ばれていた辺りに、長良川という清流がある。かつて織田信長が天下を睥睨した岐阜城を頂く金華山の麓を流れる川である。これを遡っていくと、次第に川は急峻な山々に挟まれてゆく。
やがて積翠と呼ばれる城が見えてくると、城下町を貫いて流れる澄んだ川の流れが現れる。ここをまた少しばかり遡ると、山奥から流れてくる細い支流との合流点辺りに、小さな泉が湧いている。
古くは、この泉のほとりで、積翠の城主であった二条派の歌人が高名な連歌師に古今和歌集解釈の秘儀を授けたという。
この支流をまた遡っていくと、小さな谷川が合流してくる。この谷川を境として、城下町と、その奥の小駄良(こだら)と呼ばれる土地とが分かれている。
さて、この谷川には小さな橋が架かっている。
その名を、「宗門橋」というのだが、この名は夏になると城下町のあちこちで聞こえるようになる。
なぜかというと、夏の夜には、この城下町は町中総出の踊りでにぎわうからである。
櫓の上で奏でられるお囃子に乗った軽快な歌声が流れ始めると、街中の細い道は踊りの輪に集う人々で埋め尽くされる。ちょっと外に出ようものなら、ろくに歩くことも出来ず、輪の回る方向へと流されてしまう。盆の間には人々の数が何倍にも膨れ上がり、踊りは夜通し続く。
ここでは十ばかりの歌が軽快なリズムで歌われるが、その中にこんな一節がある。
心中したげな宗門橋で 小駄良才平と 酒樽と
才平は、「サイベ」と読むらしい。
宗門橋で小駄良才平が酒樽と心中したんだってさ、というほどの意味であるが、その「小駄良才平」が何者であるか、はっきりと答えられる者はいない。
ただ、伝えられるところでは、小駄良に住む大酒呑みだったということである。
夜な夜な街に現れてはいい気持ちで酔っ払い、酒樽を担いで大声で歌いながら帰っていくのだが、その声の美しいこと、町中の者が聞きほれたという。積翠の城主も宴会のときは「小駄良才平にするぞ」と宣言したと言われている。
何でもこの「小駄良才平」、あるとき宗門橋で足を滑らせ、酒樽と共に谷川へ転げ落ちたが、そのまま「ワシゃ酒樽と心中したい」と言うなり、一晩中歌いながら川を流されていったらしい。
するとこの歌は、ある意味では「小駄良才平」という人物へのレクイエムと解釈することもできるのだが、どうも納得のいかないことがある。
この谷川、人が溺れられるほど深くはないのである。現在はコンクリートで固められている浅い川で、橋からの高さは2メートルちょっとぐらいである。
それでも、頭から転げ落ちたら命の保証はできない。
その頃はなみなみと水をたたえた深い川だったんだよ、と言われればそれまでなのだが……。
ここから先は、その「宗門橋」が深い谷川にかかっていた、という前提のもとに語られる、全くの想像である。あまり本気にしないでいただきたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます