恋の歌を叫びませ

真瀬真行

第1幕 竜の声

 雨が降っていた。遠くで低く高く響く彼らの声が聞こえて目を覚ますと、窓の外から湿った匂いが鼻を突いた。しとしとと、柔らかい音がする。紅鏡(こうけい)・ティーダ・オルフェウスは急いで布団を跳ね枕元に置いていたものを掴んでから部屋を飛び出して、渡り廊下を走って母屋に向かった。

 渡り廊下は、幅が狭く、まるで母屋に向かうまいとさせているようだといつも思っていたが、懸命に走っているうちに前を見るのがおろそかになって壁のようなものに当たって跳ね返った。尻もちをついて見上げると、そこに祖父が立っていた。

「紅鏡」

 夜中だと言うのに着物を一寸の狂いなく着こんだ祖父は、紅鏡に手を差し伸べることもなく、道端の石ころでもみるように無感情に見下ろしてきた。

「おじいさま」

「何処に行く。また、お前は橙の元に行くのか?」

 うっすらと目を細めると、祖父の顔に刻まれた皺が影を帯びてより一層、表情が無くなり人形の置物のようだった。紅鏡は、頷きながらゆっくりと立ち上がる。咄嗟に、掴んでいたものを後ろ手に隠した。

「雨は雷を呼びます。橙は、雷を嫌うので」

「……雨が雷を呼ぶのではない」

 祖父は、まるで興味がなくなったと言う様に背中を向けて遠ざかる。

「雷が雨を呼ぶのだ」

 きしりきしりと廊下が鳴って、背中が遠ざかったと思ったら、ぴしゃんと戸を締められる。皆が住んでいる、母屋の戸だ。ただ一人、離れで暮らしている紅鏡はその扉が閉まる音がいつも苦手だった。肩をびくりと震わせた後、息を殺す様に戸の前を通り過ぎて、母屋の縁側から通じる中庭に足を下す。靴は縁側の下に隠しているので、それをそっと取り出して突っ掛ける様に履いた後またすぐさま走り出した。

 藍や黄、黄金に赤、それから緑と白に桃と菫と色とりどりの花びらが紅鏡の顔の前を通り過ぎる。垂れてくる藤を避けながら、顔を撫でるシダの葉を手で払い、バラの棘が顔を傷つけるのもためらわず進めば、そこに巨大な球型のドームが現れる。

「橙! 浅黄!」

 ドームの前で叫ぶと、きゅうとうさぎでも鳴いたような声がして、ドームの中から鱗の擦れる音がする。迷わずドームに足を踏み入れると、急に頬に冷たい感触がする。ぴちゃりと通り過ぎて、長細い鞭のような感触のものが唇をふよりと通り過ぎた。舐めあげられて、髭で顔を探られたのだ。嬉しさのあまり顔を右に向けると、そこに優美な生き物が紅鏡を見下ろしてきた。

 地球大気圏保護生物、人は彼らを竜と呼ぶ。蛇の様に長細い体に、白銀の鱗がびっしりと覆い、肉食獣のようなりっぱな足が四本付いて、頭部はもふもふの毛皮を纏い、七色に輝く大きな瞳と牙を隠し持った大きな口を持った生き物。

「橙」

 紅鏡は、オルフェウス家飼いの竜二頭のうちとりわけ、頭頂部に橙色のとさかの様な房毛を持った竜、橙が好きだった。かつて祖父と一緒に大気圏を駆け抜け、任務についた橙は、今はこうして引退して家飼いの竜として庭番をしている。

「浅黄も、雷大丈夫だった?」

 橙の様に頭頂部とさかがあるわけではないが、どこか優しく鳴く竜は、橙の番である浅黄だった。浅黄は橙よりも一回り小柄で、鱗も繊細で小さいが驚くほど美しい色をしている。光沢が乳白色で、宝石の様にきらきらとしていた。

『やさしい坊や』

 声がして、少年はつい微笑んでしまう。

「浅黄」

 声を返すと、浅黄はゆらゆらと髭を動かして紅鏡の顔を撫でた。そして、頭の奥の方で声がした。彼らの声だ。

『坊や、歌を聞かせてちょうだい、私たちの好きな、あの子の歌よ』

 少し低音を撫でる様な浅黄の声は、女性のものに似ていて耳に心地よい。彼らはテレパシーが使えて、こうして直接脳内に話しかけてくる。頷いて、先ほどズボンと腰の間に挟んで隠したものを取り出す。音楽プレーヤーだった。兄のおさがりで与えられたものだ。旧式でそこまで音が良くないが、彼らが望む役目は果たせるだろう。

「待ってね、ちゃんと彼女の歌を同期してきたよ」

 紅鏡は兄ほど多くはないがお小遣いをもらっていたので、そのお金を使い彼女の歌をダウンロードしてプレーヤーに同期した。今現存する彼女の楽曲すべてをダウンロードしたのできっと彼らも満足するだろう。

「今流すよ、彼女の歌だ。橙と浅黄が大好きな、グミ・エラトの歌だよ」

 プレイヤーの再生ボタンを押すと、高い小鳥のさえずりのような声が、細められてゆっくりと太くなり低音に変わって、それからゆっくりと高く伸びる。何オクターブも行き来する声は、心の深いところに入り込む様に響く。宇宙を掌握する歌声だと言われた、グミ・エラトの歌声は、美しい。

『この子、泣いているのね』

 浅黄が嘶いて、橙もその声に応える。

『苦しくてたまらないと、教えてくれている。我が愛児ティティ、背中に乗るがいい。そして共に行こう、この子を救いに行かないと』

「救いにって、何処に」

『もちろん決まっているわ、この歌声の声の元によ』

 竜たちは番同士で嘶き合い、髭を絡め合いお互いの意思を固めたようだった。そして、紅鏡の前に顔をぐいと寄せて口を大きく開いた。びっしりと並んだ歯が鋭く光って、口の奥は暗くて手が届かない闇を飲んでいる。

「助けに行くって言ったって、この歌はもっとずっと前に収録されたものだし。それに、俺、二人に乗ったりなんかしたら、おじいさまに何て言われるか……きっともっと嫌われるよ」

『我が愛児よ。我らは背に人を乗せねば大気圏を越えられぬ。そう造られたのだから』

「だから……俺は。竜使いじゃないし。……橙、俺は」

『背に乗りなさい、坊や。お前が居れば、私たちはどこまでも駆けて行ける。遠くの果てに、誰かの願いを叶えられる。こんな苦しい声を救うことだって出来る』

 紅鏡は、下唇を噛んで下を向いた。迷っていたのだ。この家では、祖父に逆らっては生きていけない。あの冷たい眼差しを受けたらいつか心も凍ってしまうのではないだろうか。今は離れに住まわせてもらっているが、もっと遠くの叔父の家に預けられてしまうのではないだろうか。

『小さな我の竜使い。どうか、共に行こう。風を越えて、雲の向こう側に悲しい声が聞こえるのだから。その声を救いに行くのが、我らの役目だ』

 優しい橙が、紅鏡を小さな竜使いと言った言葉に、気が付けば視線を上げていた。紅鏡は、いらない子だったはずだ。お前はどうしてこの家に産まれたのだろうねと、父は囁いた。代々名誉ある家系に産まれながら、何の才能もないと検査が出て、毎晩のように父と母は口げんかをしていたし、兄には馬鹿にされた。母屋に住むことが出来ずに、一人離れに住んで、時折母が泊りに来る。

 才能が無いと言われても、紅鏡は竜が好きだった。祖父や父の様に、いつか大気圏の英雄になりたいと夢見ていた。

『行きましょう、やさしい坊や。音を越えて、想いをあの子に届けないと。私たちはそのために産まれたのだから』

 橙がドームから体をするするとすべてだして、首を巡らせて地を這う様に地面の上を這ってから首の後ろを見せる。背の低い紅鏡でも、乗りやすい様になるべく低く地面に身体をこすり付けてくれているのだ。ひげをそよがせて、これを掴めと言う。

「本当に、救うことができる?」

『ああ、勿論だとも愛しい我が竜使い』

 恐る恐る橙の身体に近づいて、その首に乗っかろうとすると、尻の下をぐいと押し上げられた。浅黄が鼻先で助けてくれたのだ。少し震えながらも、ふかふかの鬣に顔を埋める様に乗っかり、顔を髭を掴みながら顔を上げると、耳の向こう側から音がした。悲しくも、切ない声だ。グミ・エラトの声であるはずなのに、ずっと、物悲しかった。

『さあ、行こう。我らの力を使い、必ず救いに行こう。この悲しい声を出す、愛しい子に会いに』

 びゅうと風が吹いて全身が包まれたと思ったら体が浮いて、すぐにふわふわのたてがみが全身を風から守る様にそよいだ。ゆっくりと橙の身体は空に舞い上がり、そしてゆっくりと方向転換した。髭を強く掴むと明朗な声が紅鏡の背中を押す様に笑った。

 それから、全身が七色の風と、歌と、美しい光の粒の中に浸かる様に包まれていった。優しい感触のする橙の髭をぎゅっと、強く握った。



◆第一幕 一場



 はっと目を覚ますと、急に喧噪が戻った。教室の一番日当たりのよい席に居るため、カーテンが風にそよいで視界の端で揺れる。低い天井に、薄汚れた床に、狭い机と堅い椅子。相変わらず居場所のないその場所は、紅鏡(こうけい)が望んで選んだ学校の教室だ。

 竜使いになる為に卒業しなければならない地球圏保安教育学校、通称圏教。地球圏コロニー『チルナログ』の東西に分かれて開校しているため、この学校ともう一つ分かれている。そして分かれているその先には、紅鏡の兄が居た。家ではいつも祖父や父に愛されていた兄のことだ、きっと才能を認められているのだろう。

 息を一つ吐いて頬に触れて、視界に移った手を見下ろす。昼休み、昼ごはんも食べずに夢を見ていたのだと、紅鏡はその両手の大きさを思い出す。あの頃より体は大きくなり、家から出られることになり、何より、この学校に入ることができた。

「ねえ、オルフェウス君」

 肩を叩かれて振り返ると、見知らぬ人間が立っていた。胸章から同じ学年だと分かるが、確実に同じクラスの人間ではないことが分かった。白い肌に銀髪金目の目を見張るほどの美少年なのだ。こんな容姿の人間がクラスに居たら確実に覚えているし、いくらこの学校に友人が居なくても彼が学年でも有名な存在だろうことはなんとなくわかった。

「こんにちは、カザハナ・葵です」

 少女と見まごう美貌だが、残念ながらこの学校は女子部と男子部に教室も合同実習以外分かれている。男子用制服のズボンを穿いているなと見下ろしたのと、薄い胸に少々がっかりする。そしてその薄い胸についている紋章は、歌い手科のものだった。

「歌使い科?」

 問いかけると、ええと低い声が答える。見た目に反して声は低音だ。表情も女のそれと違って男らしく少し目じりがきつめにつり上がっている。

「何の用?」

「ごめん、待ちくたびれたんだ、起こしちゃったよね」

 美少年との会話に割り込む様に、耳に心地よい声が滑り込む。低音を孕みながら、少し高さも汲む玉水の様に澄んで綺麗な声だ。ふいに胸の奥から何かが囁いた。急いで顔を上げると、美少年の隣に背の高い男が立っていた。

 黒い髪の毛は男なので当然短く、顔はどこという特徴が無い男だった。隣に立っている相手が悪いのかより印象が薄らぐ顔面に反して体躯は見事だ。紅鏡が立ち上がっても見上げるほど背が高く腰の位置が高い。手足も長くて大きい。顔をじっと見ると、にこにこと笑顔を返される。その表情が実に胡散臭い。眼鏡のフレームが細いため印象をより曖昧にさせている。眼鏡の向こう側の黒い瞳は虹彩が複雑な色合いで、一見して黒というよりグレーにも見える。制服を見る限り、胸に乗り手科の紋章と学年を示す胸章が入っているので一つ上の学年代表らしかった。見覚えがあるはずだったが、思い出せない。

「君が、乗り手科一年の紅鏡・ティーダ・オルフェウス君?」

 声は、とても耳心地が良いなと、紅鏡が視線をあげると、笑顔を顔に張り付けたまま男は手を差し伸べてきた。

「俺の名前は、望長月(ユエ)牙(ヤー)」

 伸ばしてもいないのに掴まれる様にして握手させられる。大きな手は乗り手らしく節くれだって指の間隔が広い。身体ががっしりしているし、胸の章が乗り手科である証拠の羽の形をしていた。

「ユエヤー? チャイニーズ系?」

「みんなは苗字を呼ぶよ、ご明察通りチャイニーズ系。君は、天下のオルフェウス家のご子息なのに金髪碧眼なんて派手な見た目をしているからびっくりした。まあ、今日から君の指導役に入ったからよろしく」

 家のことを言われて一気に不機嫌になった紅鏡に、望長はにこにこ笑顔で応じる。その胡散臭さに馬鹿らしくなって視界を外した。

「何の用?」

 胡散臭さ全開の地味男は、書類を差し出す。手に取ってざっと表に記載されている内容を読んで紅鏡は顔を歪めた。それは、ペアリング早見表と呼ばれるようなものだ。竜使いは一人ではない、二人で一組として竜を繰り活動する。竜に乗る乗り手と、竜を繰る歌い手。この二人が組んで初めて竜使いと呼ばれる。そして、この学校のそれぞれの科に入って一日目で乗り手科と歌い手科の適性審査が行われてペアリングが発表される。

 紅鏡は、そのペアリング発表に名前が乗っていなかった。適性が無さ過ぎて、合わせる者が居なかったと担任に言われた。

「そこ、君も名前載ってなかったんだろ? 実技テストはほとんど自分のパートナーと受けるのに、そのパートナーがで居ませんじゃ、話にならないよね。もうこの時点で落第候補って言っていい」

 落第の言葉に、喉が鳴る。だからお前は、竜使いになれるわけがないのだと、脳内で祖父が罵ってきた。普通、ここまで適性が無いのなら、退学を勧められる。だが、一学期が終わろうとしているこの時期までその話が出なかったのは、オルフェウス家の後光があったのだろうと紅鏡は分かっている。

 唇を噛んで、事態を冷静に対処しようとした。

「なんで……今更」

「僕のパートナー、怪我して退学しちゃったんだ。実技中の事故でさ、色々大変で。それで、君が空いてるだろ、だから先生に紹介されて。それに、この時期だろ」

 あと一か月も過ぎれば、長い夏休みに入る。夏休みが終われば、この学校最大のイベントが始まるのだ。

「竜使い候補生である僕らが、最大級に、待ち望んだ夏のトーナメントが始まるんだよ? それも東西圏教合戦が始まる。それまでに、パートナーとしてどうにか形を作らないと、僕らはこの学校に居られない」

「僕ら? お前は、だろ」

「いいよねえ、オルフェウス家の味噌っかすはさ。適性が無くてパートナーも居ないのに、退学しろって勧告されないなんてさ。僕何て、同じレベルの乗り手が居ないからって、すぐに退学書渡されたのに」

 その一言にぐっと言葉を飲んだ。この学校は過酷だ、パートナー一人見つけられないとすぐに振り落とされてしまう。過酷なカリキュラムに、苛烈な生き残り戦争が待っている。一つでも積み損ねたらすぐに振り落とされて放り出されるのだ。

「お前に、俺のことの何が……」

 無性にに腹が立って言葉を重ねようとすると、教室の後ろのドアが勢いよく開いた。そこに立っていた女が腰に手を当て、左斜め二十度ほど体を傾け顎に手を当てている。すらりとした長身に高い位置で一つに結んだ黒髪を揺らし、男性用指導教官制服をぴっちりと着こなしている。赤いルージュで彩られた口を半開きで端を持ち上げているため官能的にも見て取れる、無駄にドラマチックな表情を見せてからこちらに近づいてくるのは、竜使い科乗り手指導教官の一人、小早川楓だった。

「おい、オルフェウス家の味噌っかす。我が指導室にきたまえ。そこの、なよなよしい歌い手科一年と、望長も一緒だ」

 言うが早いか、さっさと背中を見せてまた勢いよく扉を閉めて去っていく。名物教官である彼女にはファンが多く、クラスの幾人かが「はあん、小早川教官んん」と呟いて頬を染めている。

 紅鏡は正直、馬鹿らしいと態度で示しながら顔を横に逸らした。オルフェウス家の味噌っかす、聞き慣れた言葉だがこの学校に入ってからは久しぶりに聞いた言葉だった。

「小早川教官は、時間にうるさい人だからね、行こうか」

 望長が促し、葵も頷く。椅子から離れたくない紅鏡は、左側の窓の外を見つめた。地球圏コロニー『チルナログ』の東西に分かれて開校した地球圏保安教育学校、略して圏教のグラウンドは広い。そして、この学校特有の理由から、大きなドーム状のガラスのようなもので全体を覆われている。籠の鳥だと入学式に見上げて思った。透明な境目のこちらがわで、生きて行かなければならないのだ。

「オルフェウス君」

 低い、柔らかい声が呼ぶ。その声に振り返り、席を立った。



◆第一幕 二場



 竜が、この世界に登場したのは三百年前の第二次宇宙大戦からだった。人類が宇宙を自由に行き来し、ワープ走行が可能になったその頃、生物兵器として登場した竜たちは次々と勝利を挙げ、それまでの軍事力の多くへ影響をもたらしたと言われている。

 竜は元々、銀河系の外で生まれた生物であり、宇宙間を歌を使って共鳴しながら様々な空間を飛び交うことができた。その空間移動の力を抑えて対戦闘用として開発された生物兵器が神話の「竜」に似ていたため、この名称で呼ばれている。

「良いか、紅鏡、竜は一匹で飛ぶことはできない。人間が乗り手と歌い手に分かれて、初めて竜を操縦できるのだ」

 紅鏡がまだ幼い頃、才能なしのレッテルが貼られる前に、祖父はいつもそう言っては橙を呼んだ。

 竜は、生物兵器としての役目を終えると人類に様々な恩恵をもたらした。彼らに乗り、操縦することが出来ればその力を使い、対宇宙間での作業が格段に向上し、防衛策にも十分に貢献できる。

「我がオルフェウス家は代々竜の乗り手の名手と言われている。お前の祖父も曾祖父も立派に地球を守る任務に就いた竜使いだった」

「竜使いって、一人じゃないの?」

「二人で一組として、竜を操縦するんだ。竜は、歌によって意図は伝わるが正しく動くことはできん。だから乗り手が竜と同期し、正しい動かし方をしてやるんだ。馬と一緒だ、優秀な乗り手は馬を乗り込なし、的確な指示と華麗な動きと成果をもたらす。紅鏡、我が一族は竜の乗り手として必要なものを総べて備えなければならない。竜が主人と思わせるだけの技量、器、何より勇者でなければならんのだ」

 祖父が理想に燃えたが、竜使いになる為には、それなりに様々な難問が待ち構えている。

 竜使いになる為には、地球圏コロニー『チルナログ』の東西に分かれて開校した地球圏保安教育学校を卒業しなければならない。竜は地球圏内を守護する生物兵器であり、それ以外の星では竜は生きられない。彼らは地球の大気圏に存在する特殊な酵素を定期的に取り込まないと死ぬように作られているからだ。そしてそのために、彼らは軍部ではなく、国土交通省の外局として設置、運営されている地球大気圏内外警察組織、地圏保安庁(略称圏保)の戦闘兵器として組み込まれている。そして圏保の文教研修施設として属する二校、地球圏保安教育学校を卒業すれば竜使いになることができた。

 だが、この学校に入る為にはまず、驚異の倍率を勝ち抜きかつ運動テストにも合格し、身体測定や血液検査などを総べてパスしなければならない。そして合格できたところで中で生き抜くのも容易ではなく、カリキュラムについていけずに脱落するものは毎年多数存在し、ようやく卒業証書を得てもそのまま竜使いにすんなりなれるわけではない。地球圏内での竜使いは数の統制がされており、毎年数十人程度しか雇用されない。卒業者のほとんどが竜使いのサポートに回るか、巡回船の組員になるか、そのほか圏保の一員として地球の一般人全体を守護するのが役目になる。

 そもそも、紅鏡はこの学校に入るのも祖父に反対をされた。能力が低いものが入るなど家の恥さらしになるのだと言われ続けた。紅鏡は、一矢報いたい気持ちで元々高かった学力に加えて運動テストに合格できるようにトレーニングを積んで、そして晴れて竜使い候補生として乗り手科の生徒になることができた。

 だが、案の定という顔を周囲にされるが、紅鏡は授業についていくことができなかった。学力は何ら問題はない、優秀とまで言われるレベルではないがそれでも順位は高い。問題は、実技の方だった。

「お前の使い手としての才能は、はっきり言って近年稀にみる低レベルだ。これでは虹彩様もさぞお嘆きだろう。私としても、これ以上見るに堪えん。入学試験の際に乗り手と歌い手の適性テストも組み込むべしと意気込む先生も居るくらいだ」

 虹彩とは、祖父の名前だ。祖父は竜の使い手として数々の功績を持ち、優秀な使い手であり、竜使いの中でも彼の名前を知らぬものは居ないほど伝説的な存在だった。紅鏡は、さもありなんと教官の顔を見つめた。この学校に今まで居られたことが、紅鏡にとっては奇跡なのだ。味噌っかす、才能なし、ごく潰しと散々罵られて奮起したものの、やはり才能の女神は残酷なのかもしれないな視線を下に落とした。

 小早川の部屋は、広い。教室ほどの広さを誇り、やたらと良い匂いが立ち込めて、あちらこちらに胡蝶蘭の植木鉢やバラの花束が置いてある。楓お姉さまへとメッセージカード付なので、ファンから届いたものなのだろう。かつて小早川も高名な竜使いの一人だった。そのかつての竜使いは、巨大なデスクの前に似合いの椅子に座り、厳しい顔をして紅鏡を眺めた。彼女のデスクの後ろには、聡明剛毅と書かれた書が設置されている。

「貴様をこのままこの場所から追い出すのも考えたが、それでは我々教育者としても虹彩様にお世話になった身としても、力が足りぬと考えた。そこで、だ」

 言葉を区切って、小早川は体の重心を背もたれに移行する。

「その軟弱な歌使いをお前と組ませる。そいつも、まあお前と似たような者だ。丁度いい具合にパートナーが退学したようだが、はっきり言ってそうでなくてもこの地を去ることになっていただろう実力だ。落第寸前のお互いで傷のなめ合いをするがいいだろう。竜使いは強くなければならんからな。だが、我々は親御さんから貴様らを預かった立場でもある。特に味噌っかすの方は、虹彩様の顔を立てると言う意味でも、弱いままで居られると困るのだ。だから、その横に立っている望長を呼んだ。そいつは今、パートナーが切れたからな、優秀な使い手だ。そいつを指導としてつけてやるから、貴様らは次の東西戦でせめて一回戦突破を目指せ。突破できねば、この場から去ってもらう。以上だ、もう下がって良い」

 彼女の声が響いた瞬間に、昼休みを終えるチャイムが鳴る。あと十分後に、授業が始まるのだ。小早川も移動のため、何やら書類を手に取ろうとしていた。呆然としている紅鏡に視線を向けて、手を払う様な仕草をする。

「どうした、もう行っていいぞ。授業が始まるからな」

 声に追い立てられて、廊下に出ると、顔面蒼白の葵と目が合った。可哀そうに震えている。

「やばい、僕。やっぱり、落第寸前だったんだ……」

「俺はまあ、予想してたけどな」

 二人で少々、落ち込みながらも床と見つめ合っていると、肩を思いっきり叩かれる。望長が間に入り、勢いよくパンパンと叩いてきたのだ。

「まあ、今までのことは今までとして割り切って、これからのことを考えようよ。俺、付き合うしさ」

 笑顔が胡散臭いだけに、台詞も軽々しく響くが、葵は感動してうんうんと何度も頷いた。

 小早川にあれほど優秀だと言われた乗り手なのだ、望長はたとえパートナーと別れても引く手あまったのだろう。葵と紅鏡とはまるで立場が違う。紅鏡はそれ以上の選択肢もないので、悔しいながらも頷いて見せる。そうすると、少し吹き出したように、望長はまた笑って、それからポケットから取り出したものをそれぞれ二人に渡した。

「エネルギーバー。まあ、それ食べて午後は乗り切ったらいいよ。放課後、演習場に着替えて集合ね。来なかったら迎えに行くから」

 それじゃあねと背を向ける背中が、広い。

「カッコイイよね、望長さんて」

 さっそくエネルギーバーを食べている葵は、その背中を見ながらぽそっと呟いた。

「去年の東西戦で、賞を取ったらしいよ。竜使いのトーナメント、プロにも勝ったことがあるって聞いたし……俺たちみたいな悩みとは無縁なんだろうな。それなのに、付き合ってくれるなんて、ほんと優しいよなあ」

「パートナーがいないんだろ? 一年も組んだ歌い手と別れるなんて、あいつにもなんか問題あるんだろ」

 やっかみ半分で口にすると、葵はふと驚いた視線を紅鏡に向けた。

「オルフェウスくんはさ、そんなに見た目かっこいいのに、性格残念なんだね。成績も残念みたいだけど」

「ほっとけよ」

 エネルギーバーをポケットに突っこんで、チャイムが急き立てる教室に足を向ける。ふと呼ばれたような気がして、廊下に面した窓から外を見上げた。ドームの中に組まれているため、空は見えない。コロニーなので空も人工投影されているに過ぎないが、今はこの気持ちを紛らわすためにも必要なものがあった。

「橙に会いたいな」

 それが決して叶わないことだとしても、つい呟いていた。下を向いて歩くと、せかせかと動く足が目に入った。


(続)

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