初代の魔女と絶望の時

和錆

第1話

「初代の魔女ぉ?」

 いかにも笑えない冗談を聞かされたという口調で、事務机の椅子に腰を掛けている麻耶(まや)あゆみが聞き返してくるのに、小野大輔(おのだいすけ)は沈黙で返事をした。珍しく彼女が出してくれた珈琲にスティック砂糖の封を切って砂糖を注いでいると、ひとしきり呆れ果てて落ち着いたらしい麻耶が今度は面倒くさそうに言葉を続けた。

「――初代の魔女。能力者の女性の事を指す言葉。歴史上、女性の能力者が確認された事はないから、存在するようで存在しないモノの例えにも使われる。青い薔薇とか、そういう言葉と同義語じゃない。そんな事を聞くためにわざわざ、私のところに来たわけ?」

「そこまで俺も暇じゃない」空になったスティック砂糖の縦長の袋をくるくると指先で丸めながら大輔は応えた。「昨日、その初代の魔女を探してほしいっていう依頼人が事務所に来たんだ」

 麻耶の目が大きく瞬く。

「都市伝説を探せって?」

「身なりのいい男だったな。誠実そうな、悪い人間には見えなかった」丸めた袋をテーブルに放り出してからカップを持つ。美味くもなければまずくもない、必要最低限のクオリティを維持したインスタント珈琲を味わうつもりもなく一口飲む。少しだけ話を先延ばしにしたい後ろめたさからの行動だった。「必死に依頼してくるもので断れなくて。まあ、……依頼料も弾んでもらったし」

 見開かれていた麻耶の眼が、分かりやすい憐憫を込めて細められる。「とうとう、警官時代の貯金を食い潰したんだ?」

「――、うるさい」

 図星である。睨む大輔の眼差しを目にかかる前髪程度の扱いで手で払いのけるような仕草をしてから、麻耶は机に両肘をついた。両手を組み合わせた上に顎を乗せて、小さく傾げてみせる。

「でも、初代の魔女の都市伝説がデマだってみんな思ってるようなもんじゃない? 初代の魔女を探すよりも、女装趣味を持った能力者を探したほうが早いんじゃない? そっちの情報のほうが、私も提供できると思うけど」

「依頼人は、正真正銘初代の魔女を探してほしいって」そのあたりの事はちゃんと確認済みだと片眉を上げて主張してから、大輔はカップをテーブルに戻した。上半身ごと動かして真正面で麻耶を見る。「俺の知っている限り、一番情報網が広くて頼りになるのはお前だ。些細な事でもいい、何か心当たりはないか?」

「心当たりって、いってもねぇ」目を部屋の天井へと泳がせながら呟くと、麻耶は両手を解いてから軽く肩を竦めた。「いくら貰ったか知らないけど、初代の魔女なんているはずがないんだから。能力者の魔術は男性特有の遺伝子の中にあって女性にはほぼ百パーセント発現しないっていうのが魔術研究の結論でしょ? だから、魔術師はいても魔女はいない。でも、昔にいたとか、あんまりに強大過ぎて政府が内々に監禁しているとかっていうのが、みんな知っている都市伝説。作り話なんだから、いくら警察御用達の情報屋である私であっても、魔女の監禁場所なんて知らないから」

 短く、大輔は息をついた。「――……一億、だったんだ」地面に吐き出した言葉を追いかけるように俯くと、「いるかどうかも分からない魔女を見つけ出して一億、なら、魔術を研究してる企業なら喜んで出しそうね」妥当な金額だと頷く麻耶の気配が伝わってきた。

「違う、」顔をあげて、大輔は首を横に振る。「成功報酬ならさすがに、俺も引き受けたりなんてしない。完全に徒労で終わると分かりきっている話じゃないか。それならまだ、ツチノコを見つけて金一封のほうがロマンがあっていいと思う」

 瞼の上下する音がはっきりと聞こえそうなほどに麻耶は瞼を動かした。「あらら、」その仕草の割には幾分気持ちの欠けた驚きの声をあげる。「即金で一億? いるかいないかも分からない魔女の捜索に一億? 世の中不景気でも、お金ってある場所にはあるのねぇ」

「……さすがに怖くなって、一割前金と経費で貰うだけにしたけどな」

 ふと麻耶の声に険を嗅ぎ取って返した言葉は、大輔としても言い訳じみたものに感じられた。

 ようするに、後の九割は相手に返した。と言っているわけだが、それでも一千万だ。

 小学生でも知っている都市伝説の真相を探るでもなく、実在しているかも分からない人間の探索に一千万。四年前、高校卒業と共に警察官採用試験に合格して警察官になり半年前に退職するまでの期間、地道に貯金をしても到達できなかった金額。しかも、実際にはその十倍。一億円をかけて初代の魔女を探してほしいと依頼されたのだから、依頼主の本気を疑う事は出来ない。正気のほうは思わず、疑ってしまったけれど。

「なるほど」と、麻耶が得心した様子で頷いた。「さすがにそれだけのお金を詰まれたら、無駄足も報酬分のうちって事になるか。大輔君は律儀だから」一応は探してみたのだと自分自身に言い訳するために私のところに来たのね、と暗に言ってくる目に、遠慮なく大輔は頷いた。

 でなければ、いくら「探偵業」という平日も休日もなさそうな自営業者でも、大事に使うべき平日の真昼間に麻耶の事務所を訪れたりはしない。警察官時代からお世話になっている情報屋としての腕は買うものの、一個人としての麻耶あゆみという人物は、知り合い程度の関係に留めておきたい癖のある人間だった。人の行動どころか世間の動向さえ見透かしている部分があり、かといって助言らしき事をする事はない。例えば、これから起こるかもしれない事件の真相や犯人をすでに把握しているけれど、その事件が起こらないように未然に行動するなんて事は絶対にしない。そういう人物だ。

 警官時代からの付き合いというのも、そんな彼女の人柄によるところが大きかった。

 警察官は証拠を積み上げ足を使い、犯人を追い詰めて逮捕する。分かりやすい一本の道が見えている場合よりも、複雑に入り組んだ上に袋小路さえあるその作業を行っている者として、彼女の全部を見通すような言動は大抵、神経をこれ見よがしに磨耗させる紙やすりみたいなものだった。けれど厄介にも優秀で、手放す選択肢はありえない。担当が根をあげれば次の担当が選ばれ、次がまた駄目になればそのまた次――……、と文字通りとっかえひっかえしている最中にひとり、まさしく天命のような懐深い性分の警官が彼女の担当に任命された。

 腕のいい情報屋と交流を持っておくのは警官にとっての有益だ。と、当時新人だった大輔と麻耶を引き合わせたのも、その人物だ。

「でも、律儀な大輔君には申し訳ないけど。やっぱり、知らないものは知らないのよね」自分の言葉に納得するように麻耶は頷いて、「他の情報屋にあたってみても同じだと思うけど。むしろ、私よりも盛大に呆れられる事を保障するわ」ソファから立ち上がった大輔を上目遣いに見遣った。

 その目が見るからに気の毒がっていて、大輔は目をそらした。いつものように見透かしての同情ではない。麻耶でなくても、こんな話を持ち込まれた情報屋の反応は火を見るよりも明らかだ。驚くか。呆れるか。もしかしたら羨ましがる、という事もあるかもしれないけれど。

「それでも、探してほしいと依頼を受けて前金も貰っているから仕方ない」

 麻耶がさっき指摘した通りで、見つからないと分かり切っていても探す努力をする事が今回の依頼みたいなものだ。一千万という大金を罪悪感なく生活費に回すための儀式みたいなもの、と言い換える事も出来る。ここ半年間で溜まった滞納料金を一括返済した後で、築云十年のアパートの家賃を払い、公共料金を払い、徹底的に切り詰めても出て行く時は出て行く食費に回す。そうしたら後何年かは、今みたいな生活を維持できる。

 本来ならあの依頼主には、こんな馬鹿げた依頼はするなと言うべきだった。あんた、鴨にされても知らないぞ。一億なんて大金をこれ見よがしに見せて、存在も不明な初代の魔女を探してくれだなんて、一億円を溝に捨てるようなものじゃないか。まっとうな価値観で生きる人間ならば、そう諭すべき場面だった。

 欲に眼が眩んだ。一言で言えば、それだけだった。

「……そういえば、」ふと今思い出したような口調で、実のところは、この事務所のインターフォンを鳴らした時から頭の隅に留めていた事を切り出す。麻耶に眼を据えた。「頼んでいる事はどうなった? なにか、進展はあったのか?」

「ないわね」考える素振りもなく、予め用意していたかのように打てば響く速さでの返事だった。

 簡潔で素っ気なく、淡々とした麻耶の言い方に無意識に大輔の眉根が寄る。向けられる大輔の険のこもった眼差しを写し取るように麻耶も不機嫌そうな顔をすると、尖らせた唇で言葉を続けた。「あのね、私だって知り合いなんだから、大輔君ほどじゃないにしても色々と心配したり気遣ったりはしているのよ。でも、こっちが頑張って情報網を広げても見つからない時は見つからないの。警察みたいな権限を持ってるわけでもないんだから」

 首を横に振って大輔は応えた。「警察はあてにならない」

「半年前まで警官だった人間が言う台詞じゃないわ」大袈裟に呆れた顔をしてため息をついた麻耶はけれど、しばらくしてから目を瞬かせて、「あ。そうか」と納得するように声をあげた。「だから警察官、やめたんだもんね」

 あっけらかんとした言葉だった。その他愛ないなさの分だけ、ぐっと喉の器官が出ようとする言葉の群れで塞がれたような息苦しさを大輔は感じずにはいられなかった。

 その通り、信じられなくなったから辞めた。心底失望して、同じようにはなりたくなかったから飛び出した。――けれど、と出ようとした言葉は言う。その時の事を知らない麻耶に、さも見ていたかのように言われるのは心外であり、見透かれたのだとしても面と向かっては、言われたくない言葉だった。

「……、勝手に納得していろ」押し留めた言葉の代わりに自制心をふんだんに効かせたせいで無感情となった文句を吐き出してから、大輔は麻耶の事務所を出た。玄関扉を開けたところで、「私への依頼料は一番最後でいいから。他の事務所に先に支払っておかないと、調査そのものが打ち切りになっちゃうんでしょ?」と、当たり前の常識でも語るような麻耶の声が背中にに投げかけられたけれど気づかなかった振りをして、扉を閉めた。

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