Episode4 開幕
11
二〇一四年七月。
「少々お待ちください」
疲れた足取りで大泉学園駅前にある行きつけのカラオケボックスの受付で真由香は会員証を提示した。店員さんがてきぱきとそう受け応えする。
最近は撮影所帰りに終電の時間になるまで週一ペースでここを訪れるようになっていた。そして受付に立っていたのはいつもこの店ではよく見る若い男の子だった。まだ三十前にしか見えないけれど、他のバイトの子に細かに指示をしているシーンもよく見るから、副店長クラスなんだろうか。それともバイトリーダーか。
壁に貼られている夏の割引キャンペーン告知ポスターを見つめながらぼんやり待っていると、「あのう、お客様」と申し訳なさそうに男の子が声を掛けてきた。真由香は男の子を見返した。
おずおずと男の子が口にする。
「……もしかしたら気分を害されるかもしれませんが」
「なんだろう」
「お客様、顔色が随分悪いように思えるんですが」
また同じことを言われた、と思い真由香は内心溜息をついた。
「最近いろんな人によく言われるんだけど。自分では全然不健康の自覚症状がないんだよね」
「お医者さんに診てもらったほうが」
「そんな時間全然なくて。いろいろと仕事が立て込んでいて」
「でも」
カラオケボックスに来る時間はあるじゃないか、とでも続けようとしていたのかもしれない。でもさすがにそれ以上は差し出がましいと思ったのか、男の子は何も言わなかった。そして手元のパソコンを何やら操作する。空いている部屋を検索しているのだろう。
「では二階一番奥の二〇六になります」
「サービスのドリンクは何になさいますか」
「ジンジャーエール」
リモコン一式を真由香に手渡すと男の子はまじまじとこちらを見つめてきた。真由香は怪訝な思いになった。
「どうしたの? わたしの顔に何かついてるかな?」
男の子はぶんぶんと首を振った。胸のあたりに「多田」と名札がついていた。
「いえ、なんでもありません。ごゆっくりお楽しみください」
真由香は「はーい」と小さく頷いて、そのままその場を立ち去る。しかし別にこちらに遊びに来たわけではなかった。
部屋に入るとリモコンなどをローテーブルに置き、アタッシェケースを床において思いっきり真由香はソファにダイブした。「うーん」と大きく伸びをする。しばらくそのままじっとしている。室内はクーラーがガンガンに効いていた。
一人カラオケしていた頃が懐かしいな、と思う。今思えば、まだあの時は時間は作ろうと思えば作れていた。今はもう全くそんな余裕がなかった。本当は何も考えず、一人気楽に平松愛理を唄いたいのに。
女の子がジンジャーエールを持ってくると、部屋に置いていった。女の子が去るのを待って、行動開始。
ブルンブルンと子犬のように首を振ると、アタッシェケースから資料の束を取り出した。ソファに寝転がりながら、床に資料を並べていく。頭の中で整理しながら、ヨシここから始めていくかと紙を捲っていく。『超時空少年トキオ』の第一話のシナリオ第三稿のチェックからである。
カラオケを唄いに来たわけではなかった。どうも、二つの番組を掛け持ちしていると、頭のなかでいろいろと考え込んでしまい精神的に参ってしまうようになった。これは銀座の東光本社でも、大泉の撮影所においてもだった。かといって自宅に持ち帰って仕事をしていても効果がなかった。静かすぎると却って集中できなかった。
うまく作業できないなあと困ったときに、このカラオケボックスの部屋に一人いると考えが纏まることを発見した。別に部屋が明るいわけでもない、防音対策がなされているとはいえ周囲から騒音や嬌声などが聞こえてこようが、この空間内がいちばんしっくり仕事が出来た。しかもどんなに寝転がっていても周りの視線を感じる必要もなく。
諸先輩方は改めてすごいな、と素直に真由香は尊敬した。先日嘱託契約が切れた東條信之や現テレビ部部長の堤谷泰夫は往年の頃、テレビシリーズの連投や掛け持ちは当たり前だったという。堤谷は十五年連続で戦軍シリーズのプロデューサーを務めていたそうで、正月以外まともに休みがなかったよとこぼしていた。しかも堤谷はおよそ七年くらいは東光側のプロデューサーを一人で采配していたので、通常サブプロデューサーが手掛けるキャスティングやオーディションの管理、監督のスケジュール調整なども一手に引き受けていたという。以前「それは大変ですね」と堤谷に感想を漏らしたところ、「昔と今では作業量違うから。昔のほうがまだ言い方は語弊があるがプロデュースはラクだったよ。適当でも許されたというかね。今のほうが仕事が多いんだ。たぶん今の時代だと連投はきかない」とのことだった。
そのうえ、真由香はまだしも恵まれた立場と言えたかもしれない。『飛翔戦軍スカイフォース』には槇憲平と小曽根卓、『超時空少年トキオ』には神長倉和明という信頼できるプロデュース仲間が真由香を支えてくれている。また槇と神長倉は真由香より先輩であるにもかかわらず、真由香からの指示に対し嫌な顔もせず黙々と仕事をしてくれているのだった。槇は戦軍シリーズの次回作『恐竜戦軍ザウルスフォース』の準備で忙しいし、神長倉も初めての番組プロデュースで慣れない作業の連続であることは想像に難くなかったが、よくやってくれている。
そんな状況じゃあ、こちらも負けるわけにはいかないな……真由香は身を起こしながら、大きく息を吐く。今の時期が一番苦しいはずだった。ちょうどクランクイン前にはいろいろな決め事をしなければならないので各部署みんなが苦しい。しかしいったん電車が動き出せば、あとはクランクアップまで走りきるだけだ。
それにしても、と思い立ってケースのクリアファイルから一枚の履歴書を取り出した。履歴書とともに、一枚の宣材写真が綴じられていた。端正でおとなしそうな少年が写っている。
少年の名前は佐伯春という。
昨日、『超時空少年トキオ』に主役級で出演する少年・アラン役のオーディションが東光本社で開催された。少年の設定年齢が十三歳くらいで、ほうぼうのプロダクションからの売り込みを神長倉が捌いてくれて、最終二十名ほどの少年が招集された。まあ、物語の設定上、世間一般では美少年と呼ばれる男の子たちばかりが銀座に集まった。真由香をはじめ、監督の長坂やライターの相澤靖子など十名ほどで選考にあたる。
順番に出てきた少年たちはみんな粒ぞろいで、演技もアピールも何かにりよったりな印象だった。みんなソツはなかったが、逆に言うと決定力不足といった印象でこれは選考に一苦労しそうだぞという感想を真由香は抱いた。
そんな中、佐伯春の順番になった。登場順では十九番目だった。
呼ばれて入ってきた佐伯春は色白で自信なさげに、真由香たちをきょろきょろと見まわした。こういったオーディションの場数を踏み慣れていないのか、頼りなさ気な印象だった。
佐伯春はおずおずと頭を下げた。
「ムーンミュージックエンタテイメント所属、佐伯春と申します。本日はよろしくお願いいたします」
真由香は手元の資料を見た。ムーンミュージックエンタテイメントは老舗の芸能プロダクションで、昔は頑なに歌手やミュージシャンしか人材を擁さなかったが、今は多角経営なのか、お笑い芸人やタレントや役者もかなりの数が所属している。
佐伯春自身はまだ所属して日が浅いのか特に代表作品というのもない。現在都内の中学に通う中学二年生だった。特に目を惹くプロフィールというのでもなかった。後、佐伯春は本名ということだった。
少年は傍から見ていてもかなり緊張しているようだった。かわいらしい顔立ちだが、業界に慣れた風でもなかった。自己紹介の挨拶やアピールの言葉もぎこちなくて、これはダメかなあと真由香は直感で思った。
「じゃあ佐伯君。これがペーパーになるからね。読んでみてね」
オーディション進行役の神長倉が紙を手渡す。脚本家の相澤靖子にオーディション用に何パターンかセリフを書き下ろしてもらっていた。佐伯春はじっとそのペーパーに目を落とすと、あとは紙を畳んだ。
おや、と真由香は感じた。これはこれまでの候補者にはない特徴だった。短いセリフでもペーパーは見ない、という意思の表れなんだろうか。
「じゃあ、はい!」と神長倉。
佐伯春は神長倉の合図でスイッチが入ったようだった。
「……じゃあ、ここはいったいどこなの? どうしてあっち側の世界なんてカンタンにいうの? そんなのオカシイよ! 早く僕を元の世界に戻してよ! なんでこうなっちゃうわけ!」
少年は一息に台詞を言いきった。
そのセリフにはいろいろな思いが込められてるように感じた。一瞬にしてあんなに頼りなさげな普通のどこにでもいそうな少年・佐伯春は一流の演技者に変貌したと感じた。
真由香はこれはわたしだけの感想だろうかと不安になり、他の選考メンバーを横目で見たが、みな先ほどまでの顔色が変わっていた。全員が皆自分と同じ感想だと思い、ほっとした。
「あ、佐伯君」
相澤靖子が咳払いするとも手元のルーズリーフから準備稿を取り出し、慌ててページを捲った。
「ここのページの少年のセリフ、読み上げてくれるかな」
これは今回のオーディションで初めての措置だった。相澤は立ち上がると、準備稿を佐伯春に手渡した。たぶん女性脚本家は、この少年に何らかの可能性を感じて、別の台詞を試したくなったんだろう。
少年はそのページに簡単に目を通すと、あとは準備稿を見なかった。目に何か別の力が宿っているようだった。
「……だったら僕がレジェンドになるよ。レジェンドになって地球を救えばいいんだろ? ……わかったよ……ガンダリガンダリノンダリノンダリサンダリサンダリクアカ!」
嘘、と真由香はしばし呆然とした。この少年は訳のわからない意味不明の呪文の文言すら瞬間に頭に叩き込んでいた。
そして皆、佐伯春の台詞の力に飲み込まれていた。このオーディションの場を一人の少年が支配しているといってよかった。
「……キミ、見ないよねホンを。すごい記憶力だねえ」
メイン監督の長坂眞が腕を組みながら言う。
少年はこっくりと頷いた。
「そこは自信があります」
台詞以外の言葉はどうにも力がない。本番に強いタイプなんだろうか。
「……あ、ここの学校ってスゴイ進学校だよね? もしかしてあなたも東大志望とか?」
BS太陽出向プロデューサーの堀江津子が履歴書を見ながら感想を漏らした。少年が通う学校の欄を見ると先程は気が付かなかったが、確かに都内でも有数の私立中学に通っているようだった。
「はい。できれば将来は東大に」
「役者志望じゃないの?」
「いや、一流の演技者になりたいと思っています」
「矛盾してなくない?」
長坂監督が首を捻った。「東大目指すってことなら官僚とかになりたいとかって思わないか?」
「思いません。僕の夢は二つです。東大に入ること。役者に入ること。東大出身の役者さんも多いって知ってます。香川照之さんとか、矢崎滋さんとか」
「よく知ってるね」
「ネットで調べました」
皆、黙り込んでしまった。とにかく佐伯春には夢が二つあるということだけはわかったし、結果こちらが求めている以上の逸材である可能性はなんとなくわかったが。
「……勉強しながら東大の勉強って結構大変だよ」
真由香が口を挟む。
「そこは両立できるよう頑張るって両親にも言ってます。一応両親もしぶしぶですけど認めてくれていて。……拙い芝居ですけど、是非この役を僕にやらせてもらえないでしょうか」
少年は深々と一礼した。
佐伯春はそう謙遜したが、演技力も見事なものだった。真由香は末はどういう大人になるのだろうと少年の今後に思いを馳せた。
オーディション終了後の選考は全く揉めることがなかった。メンバーの意思の疎通は完全に一致して、主役の少年アランには是非佐伯春を起用しようとすんなり決まった。
「神長倉君すごいよ、よくあんないいコを見つけてきたねえ」
長坂が手放しでそう神長倉を称えたが、彼は「いや、ムーンの担当者がイチオシですからって推薦してきたのを採用しただけなので、こちらの力ではないです」と申し訳なさそうに言った。
プロデュースをしていて、初期段階で頭を悩ますのがキャスティングだった。これがコケれば何もかも躓いてしまう。しかしそこは、佐伯春という良い人材を見つけてこれた。これは明るい材料だった。「あのコなら、いろいろな芝居ができそうですねえ」と相澤靖子も嬉しそうに言っていた。
一方、懸念する材料もある。
放送キー局であるBS太陽から提示された制作予算が、こちらが事前に想像していた以上に、思いのほか低予算なのだった。戦軍一本の予算と比較すると四分の一以下といっていい。戦軍だって別に潤沢に予算があるわけではなく常にカツカツの状態でやっているのに、こりゃあんまりだと真由香は頭を抱えるしかなかった。
「そりゃ地上波じゃないからね、BSなんだからしょうがないでしょ」
大澤はそう言って開き直ったので、こちらとしてもいろいろと言いたいこともあったが腹の中にぐっと収めて制作にあたるしかなかった。与えられた制約の中で結果を出すのがプロだと割り切った。真由香は戦軍のプロデューサーになる前は低予算のB級映画やオリジナルビデオの制作畑にいたので、事情は理解できている。
そういう現場だと確かにベテランラインプロデューサーの折尾仙助の手腕は頼りになると言わざるを得なかった。折尾は久々にテレビの連続ものの仕事が出来ると張り切っていたのか、とても七十前には見えないくらい元気な様子だった。
とにかく予算がないので、いままで戦軍では当たり前に膨らませていたシナリオのシーンも折尾のチェックが入ると、あっさりと却下された。
「パトカーなんて何台も出せるか、警察のシーンはカット。必要なし!」
「看板なんて壊せねえよ、アクリル一つ壊すのにどれだけカネ使うかわかってんのか!」
「デジタル合成は一話につき三シーンまで! ビルの破壊は認めない!」
脚本家の相澤靖子は内心窮屈な制作体制に嫌気が差していたのだろうが、「プロならば与えられた条件で作品を作る」と気合を入れてくれたのか、折尾から次々と繰り出される条件のすべてに「わかりました」と頷いてくれていた。最初はあんなにぶつかったのに、ああこの人は大人の女性なんだなと真由香は脚本家の意地を見た。
当然秋の新番組にだけ関わっている場合でもなく、『スカイフォース』の進行具合も管理する必要があった。最近はロケを見学する余裕もなかったが、あちらはあちらで番組終盤を締めくくる怒涛の展開を、現在メインライターの能勢朋之と調整中だった。こちらも労力を使う仕事だった。
そう考えると本当に時間はいくらあっても足りない。最近は一日の睡眠時間が平均四時間くらいだった。そして誰からも顔色が悪いですね、具合が悪いんですか、ちゃんと健康的に生活が送れてますかと心配される。
残念ながら健康的な生活は送れてませんよ、と真由香は苦笑する。同じく業務に銃殺される槇憲平は病院にリフレッシュのために週に一度点滴を打ちに行っているらしい。真由香も点滴のお世話になろうかしら、と今真面目に考えている。
とにもかくにも、なんとかこの二本の仕事を両立させて、年明けにバンコクで優雅なバカンスを送ってみせるとひとりぐっと拳を握り締めた。
真由香は『スカイフォース』のシナリオのプロットのチェックに着手した。
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