Episode3 奔走
7
「お互いにいろんな荷物背負っちゃうことになったんだね。まだ『スカイフォース』も夢の途中だというのにね。これはね、でも現実なんだよね、信じたくないけどね、現実なんだよね。紛うことなき真実。いや、お互いさあ、ホントに辛いよね。びっくりする」
槇憲平は小皿にラー油とタレをかき混ぜながら、一人でまず滔滔とまくしたてた。
真由香は東光テレビプロダクションでの今後の打ち合わせを終えた後、『スカイフォース』のプロデューサーチームの槇と小曾根卓を誘って、大泉学園駅前の中華飯店「上正」にやってきたのだった。小汚い脂ぎった店内だが、終電まで営業しているのでよく利用する。大泉学園界隈には大小関係なく中華料理店が集中している。しかも個人経営の。
今は平日の夜二十二時過ぎでいつもは帰宅途中のサラリーマンで割とごったかえすのだが、今日は店内は割と閑散としていた。
ギョーザを二個まとめて、槇は口の中に 放り込んだ。
「この前なんかさあ、助監督で入りたての柳君が勝手をわからずにセットをぶっ壊しちゃったんだよお。それまで美術チームが三時間も準備してくれてたのに全部パア。小岩井さんがかんかんだよ。演出チームの責任になるわけだから、北村カントクが頭下げて事なきを得たけれども、その日に撮影予定のカットは終わらなくなっちゃった。……で、チーフの鹿島さんが柳君を鉄拳制裁だよ」
真由香は眉をひそめた。
「鉄拳制裁はだめですよ。立派な暴力行為です」
「むろん言葉のアヤですよ、アヤ。本当に暴力をふるうわけがない。美術チームの前で公開説教のあと、鹿島さんが柳君の首根っこつかんで別室に連れていき『てめえふざけんな!』、バン! バン!と……当然本当に殴ったわけじゃなく、まあお芝居でね、雑誌を床に叩き付けて、効果音出してね」
「昔からよくある古典的なアレですか」
「まあそうしないと、美術部が納得しないからね。それで何とかまるく収めて、めでしためでたしと」
三人で店の奥の円卓を占拠して、さっそく愚痴のこぼしあいになる。幸いなことに『スカイフォース』の視聴率や玩具の成績はこのところ悪くなかった。特に現場からの不協和音が聞こえてくるというのでもない。じゃあ、それで万々歳かというとそうでもない。制作内部は毎日こういったトラブル関係にはことかかない。撮影所には昔気質の気難しいスタッフも残っているし、各方面いろいろと気を遣うことも多い。こういう愚痴をお互いこぼす場所も必要だと思う。
真由香の忙しさは倍になった。……としか言いようがないくらい、このところ忙しい。大澤は真由香が番組を正式に引き受けると決定するやいなや、「では後はよろしく」とばかりに自分はさっさと手を引いた。このクソおやじ、と地団駄踏んでも後の祭りだった。
穴だらけで突っ込みどころを多く残した新番組の企画書をもう一度練り直し(タイトルは二転三転し、また別のものに変わった)、今は連日新番組始動に向けて各方面と調整の真っ最中だった。もう一本今とは別のシリーズを展開するわけだから、さしあたっては新スタッフの招集が第一にやるべき仕事。それに伴って主役のオーディションの準備などもろもろの作業を行う。
当然それと並行して『飛翔戦軍スカイフォース』の制作管理も行わないといけない。サブの槇も戦軍シリーズ第三十五作目『ザウルスフォース』の事前準備も行っているわけで、お互い連日へとへとになっている。
のんびりと紹興酒を嗜んでいるアシスタントプロデューサーの小曽根卓は今のところ唯一『スカイフォース』の制作のみに専念できる立場だった。真由香は小曽根のグラスになみなみと酒を注いだ。
「がんばってちょうだいよ、『スカイフォース』はあなたが頼りなんだから。わたしも槇さんもいつ倒れるかわからないし。がんばれ二十代!」
「大丈夫だと思いますよ、宮地さんはタフそうだから」
小曽根卓は気楽にへらへらと笑う。
「あら、か弱い乙女なんですけどわたし。失敬なこといわないでちょうだい」
「躰だけは気をつけなさいよ。僕なんか去年胃を壊して入院しているからね」
槇が焼き飯を掻き込む。昨年入院はしているが、いつも旺盛な食欲を発揮している。
追加オーダーで到着したレバーをみんなでひとしきり箸でつついた後、槇がポツリと言う。
「で、明日行くんだよね? チャイルドさんのところに」
「はい」
真由香は箸を置いた。「あんまりいい評判聞かないんですよ。社長がワンマンだ、面倒臭いって。でもメインスポンサーですからね。ちゃんとご挨拶はしないといけないわけで」
番組のメインスポンサーは玩具メーカーのMANDEIだが、その次の協賛スポンサーがチャイルズという服飾メーカーが就くことになっていた。子供服から大人用の服まで取り扱っている。特撮番組のメインスポンサーは玩具メーカーが基本的には協賛するが、それ以外の企業に、食品や飲料、お菓子、ランドセルメーカーなどがつく。服飾メーカーが就くというのはあまり聞かない。今回は大澤信孝がブルドーザー並みの強引な圧力でもって、新規でスポンサーを開拓したらしい。
……そして、スポンサーに気を遣った結果、企画書に『そして実はアランにはある特殊能力が備わっていた。それは時空を自在に移動できる力。アランは手にしている鞄からいろんな服を取り出し自在に纏うことで、時空を自由に行き来することができるのだった』という制作者泣かせの設定が捻り出された。
毎回別の服に着替えたら、別世界に移動する?
あまりに強引すぎる。
まさにスポンサーをヨイショするためのトンデモ設定。しかし、この企画書をチャイルズの広報担当者が気に入ったみたいで、結果新番組の制作に協賛してくれることになったという。明日、その広報担当者に真由香は初めて会うことになっていた。もしかしたら、チャイルズの代表取締役社長も同席する可能性があるそうな。
「噂によると、その社長がかなり面倒臭いらしいですね」
「と聞いているけど、社長の周りが面倒臭いだけで、社長本人はおっとりしてると僕は聞いてるけど」
その社長がまだ三十代でやり手の敏腕経営者だが、どうも情報が錯綜してるみたいだった。まあ明日になればわかることだが。果たしてどれくらい面倒なのか。全く気が重い話である。
「わたしだけじゃ荷が重いんで、堤谷部長と堀さんとカミさん……ああ、神長倉さんにもきてもらうんですけどね。もういい加減、カミナガクラって長ったらしくてイヤになっちゃうんで、最近縮めて言ってますけど。カミさんが僕のことカミさんって呼んでくださいって。じゃお言葉に甘えてカミさんカミさんと。カミさんっていうと、まるで刑事コロンボになった心境ですね、わたし」
「で、カミさんはどうなのよ?」と槇。
「いやカミさんは全然やりやすいですよ。向こうのほうが社歴も長いし、立場も上なのにすごく気を遣ってくれて」
実際今回の新番組企画はチーフが真由香で、サブが神長倉和明が担当することになったとはいえ、真由香が神長倉より後輩である。なのに、神長倉は真由香が映像制作においては十年選手で、こちらはまだ未経験だからと真由香のことを宮地さんと呼び、常に敬語で話す。真由香はカミさんとフランクに呼ぶのでエライ違いだった。一度改まって、そろそろ敬語はやめてもらっていいですかとお願いしたが、神長倉は黙って首を振ったのでそのままになっている。
サブプロデューサーの神長倉の仕事ぶりは実直そのものだった。これまでずっと営業畑にいたと聞いているが、映像関係の専門的な仕事内容についても精通していたようで、特に仕事がやりにくいということもなかった。「明日までに××関係の資料を用意しておいてください」と依頼すると、ちゃんとオーダー通りに資料が手元に届いた。そしてその出来は真由香が期待した以上の完成度に仕上がっていた。
「じゃあ、よかったじゃんよ。……とにかく明日平和に終わるといいね」
「まあ噂なんてあてになりませんし。面倒だ、ややこしいって噂が独り歩きしてるんじゃないかと思いますけどね、うん。意外に話してみたらそうじゃなかったってこともあるでしょうし」
真由香はへらへらと笑うと、チューハイのグラスを傾けた。
そして翌日―。
「金は出しますよ。その代わり口も出しますけどね。干渉はします。でもそちらもプロでしょう。プロなら要求に応えて当たり前。こちらはその信頼に対して出資しているわけでしてね」
『チャイルド』広報担当である広報室長の江崎周作はソファに踏ん反りがえり、尊大な態度でいう。若白髪が特徴的な四十過ぎの中肉中背なおっさんだった。真由香は愛想笑いを浮かべながら、やりにくそうな奴だと内心ため息をついた。
堤谷泰夫と神長倉和明は上下スーツで畏まり、先日『スカイフォース』を降板し、正式にBS太陽に出向となった堀江津子の全身からは傍から見ても緊張感が漂っていた。おいおい大丈夫かいなと心配になる。
恵比寿にある超高層ビルの二十五階から三十階を、子供服メーカーの『チャイルド』は借り切ってオフィスにしていた。『チャイルド』はこの十年くらい急成長を遂げた子供服の新興メーカーである。メインは子供服だが、ヤング向けの服も取り扱っているそうな。
江崎にこじんまりとした応接室に連れてこられると、いきなりまずはそうまくしたてられたわけである。
「うちの子供の昔見てたなあ、戦軍。ほら、今から十年くらい前に究極なんちゃらというのがあったでしょうよ」
「二〇〇五年に放送された『究極戦軍ゼットフォース』ですね。あれは当時の子供たちに受けて、視聴率はほぼ平均近くでしたが、玩具はかなり売れてくれました」
堤谷部長がフォローした。真由香も何本かは見たことがある。主役のレッドの男の子が今はそれなりに役者としての地位を築いていた。
「へえ、そうなんですか。……まあもっとも僕は『笑点』見てたけどね」
あっさりと透かされる。「それに子供も今は高校に行ってるから、戦軍なんて見てないし。だってねえ、いつまでたっても戦軍なんてお子様番組見てられるのも困りますからね。そんないい年でも、ああいう特撮番組見てられちゃ周りからオタクに間違えられて困りますよ」
随分失礼な言い草だと思うが、相手はこちらが逆らえないスポンサー様である。何を言われても受け流さないといけない。
「しかしまあ、三十年以上もよくもまあ飽きずに作ってきましたねえ。まあ、何もフォーマットを変えないからこそ続けてこられたのか。五人組のヒーローが悪を倒す、っていうね」
真由香は上司の堤谷の顔を横目で伺った。能面のようにのっぺりとした表情だったが、多分内心は腸が煮えくり返っているんじゃないかと推測した。堤谷はこういった特撮番組を通常の一般ドラマよりも、いちだん下に見る連中の無理解にいつも憤っていたからだ。
「戦軍はうちの事業の大きな柱の一つです。番組を通して、玩具やお菓子、絵本などが売れればそのロイヤリティーが入ってきます。これはまあ刑事ドラマなどではありえない収益です」
「なるほどね、結局は金儲けですね。よく理解できました」
勝手に納得されたが、なんだコイツはと真由香もムッとする。いくらスポンサーでもここまで偉そうな態度で接してくる奴はそうはいなかった。
「しかし今回うちがスポンサードするのは戦軍の外伝的な作品というお話ですよね。BS放送だというし、ホントに見る人間なんているのかなあ」
神長倉が口を挟む。
「特撮番組は子供から大人まで熱心に視聴してくれる方が多いので、わざわざ番組をブルーレイに録画してくれる方が多いんですよ」
「でもそういう人はCMなんてスキップするんでしょうよ」
そう言われてハイそうなんです、とはとても言えない。神長倉は「いえいえ」とにこやかに首を振る。
「そういった人も中にはいます。でも熱心に番組を視聴する方はCMも番組の一つとして見てくれるんですね」
「ああ、そうなんですか……正直今回は私はこの番組に対して懐疑的なんです。でもね、森永がエラク乗り気なんだ。だからやむなく了承したというのが正直なところです」
堤谷がゆっくり言う。
「社長さんが、ですか?」
「そうです。今から森永を呼びます」
江崎周作は立ち上がると、デスクの電話の受話器をとりあげこちらには聞こえない声で一言二言何かを話した。『チャイルド』の代表取締役社長は森永惇司という男で、ここにいるメンバーはまだだれ一人会ったことがなかった。
数分後、応接室のドアが開いた。まず一人すらりと背の高い若い女性が入ってきた。真由香は一目見て、「あ、美人秘書」と思った。いや、まだ秘書かどうかはわからないが、多分そうだろうと感じただけで。
そして続けて入ってきたのがその背の高い美人秘書より身長の低い小柄な三十代後半の男性だった。多分江崎より年下なのではないか。髪を軽く撫でつけてオールバックにしている。精悍な顔つきで、落ち着いた物腰を全身から発していた。スーツの着こなしも堂に入ったものだった。第三者的な感想だが、世間一般では「カッコイイ男」で十分通用すると思う。身長は少し低いけれども。
「森永と申します」
深々と一礼すると、森永から名刺を差し出してきた。そこからしばらくは各自名刺交換の時間になる。どうも真由香が当初思っていた面倒臭い人物像とは違うようだった。
そして背の高い美人は特に何もせず、社長の影にひっそりと従っていたのでやはり多分美人秘書なのだなと推測する。名前はわからないままだった。
堤谷部長が名刺と森永の顔をしばらく交互に見比べていた。何か腑に落ちない表情をしていたのでどうしたのかと思った。
森永はソファに落ち着くとにこやかに笑顔を浮かべた。
「お忙しいところをありがとうございます。毎日撮影が大変なんでしょう。朝から晩まで」
「おはようからおやすみまで、ですね」
真由香が答える。「本日はご挨拶でまいりました。企画書はああいったラインで進めていければと思うのです。これから脚本家も監督も見つけてくるんで、また彼らの意見を聞いて内容を細かく修正していきたいと思っています」
「申し訳なく思っています。わざわざうちに配慮した内容にしてもらって」
横目で江崎周作をちらりと見る。「でもそうしないとスポンサードはできないと彼が言うのです。いろいろ社内的にも稟議を通すとなると、そこは譲れない一戦だったというわけで、それでやむなく……お話始めていきましょうか」
そこから話が始まった。小一時間、特に波風の立たない落ち着いた話し合いの場が持たれた。江崎は社長が現れた途端、急に無口になった。
森永は終始腰の低い相手だった。話し方もスマート。左手の薬指にはなにも結婚指輪を嵌めていなかった。いやはやこういう感じじゃ女性はほっとかないでしょうねえ、と真由香は思う。
なぜかはしらないが、堤谷の顔は終始浮かない表情を浮かべていた。
「カッコイイですねえ、まるで真田広之!」
さっきまでずっと無口だった堀江津子はビルを出た瞬間そう言ってはしゃぐ。「カッコイイ社長っすねー。いや、カッコイイわあ」
「ああ、真田広之ですか。そう言われてみれば、そうですね。服の下から何となく筋肉が盛り上がってましたんで、ありゃ鍛えてますね。多分ジムで」
神長倉も同意した。
とりあえず話し合いは平和的に終わったので、これから銀座の本社に戻りこのメンバーで作戦会議を行う予定だった。本格的に脚本家や監督をはじめとするスタッフ、主役などの詳細を詰めないと間に合わなかった。みんなで日比谷線恵比寿駅に向かうところだった。
堤谷は「うーん」と唸り、いまだ浮かない顔だった。さっきからどうも何かが気になる様子だった。
「どうかしたんですか」
真由香が尋ねると、堤谷泰夫は「いや、ちょっとな」と短く言う。神長倉と堀は少し離れて前を歩いているので、二人は気づいた様子はなかった。
「気になるんだよなあ」
「何がですか」
「あの社長」堤谷が遠い目になる。「どこかで見覚えがあるような、ないような」
「そりゃ会社の社長なんだから、何かテレビとか雑誌に出てても不思議じゃないでしょう。あ、もしかして『がっちりマンデー‼』だったりして。TBSの。あれ、よく会社の社長さんとかでてるじゃないですか」
「『がっちりマンデー‼』じゃないよ」
堤谷は首を横に振った。
「とにかくひっかかるんだよなあ。なにがひつかかるかはわからない。だから余計に引っかかる。うーん、わからんよ」
真由香には上司のその感覚がどうにも理解できなかった。
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