晩年の魔術師
桜崎紗綾
プロローグ
俗に『天才』と呼ばれている人種には、どう言うわけか薄命が多いように思える。
アストラルはそんなことを思いながら、母の葬儀の参列者たちに目をやった。その多くは涙で目許を濡らしてその死を悼み嘆いている。無論、故人の息子で喪主である彼もそのひとり、ではなかった。
母は、大陸きっての天才と謳われた画家だった。不治の病にかかって後の死は悲しみ嘆くなと言う方が難しいだろう。
三十九歳。
それは確かに、人間が死ぬには、まだ早すぎる年齢と言って間違いではない。
それでも、人は生きているからには、遅かれ早かれ必ず死を迎える。それが、人より早く訪れただけだと、彼は何故か割り切ることが出来ていた。腹を痛めて自分を産んだ母親の死を嘆かないことを、親不孝と呼ぶのならばそれでいい。それでも、アストラルは母の死に涙を流してはいられなかった。
アストラルは知っている。母は、闘ったのだ。余命三ヶ月と言われ、医者には諦められた。それでも夫や息子達のその眼に自分の姿を刻み付けさせるが如く、半年もの間何事もなかったかのように、キャンバスに向かっていた。母は、腕が動かなくなるその時まで、描くことを辞めようとはしなかった。
その姿には家族のみならず、母を見舞いに訪ねた多くの来客も胸を打たれたことだろう。
だから、母との別れを惜しみ哀しむことよりも、最期まで誇りを胸に病と闘い続けたその勇敢さを、強さを、讃えるべきでないか。アストラルはそう思わずにはいられなかったのだ。
周りからしたら、彼は、涙を堪えて喪主としての責務を果たす『立派な長男』なのかもしれない。だとしても、はっきり言ってアストラルにとってそれはどうでもいいことだった。だいいち、自分は決して立派などではない。
朝から空が暗いと思っていたが、案の定雨が降ってきた。アストラルは傘を取り出した。帰ろうとする参列者たちにも、気を付けるようにと声をかける。
幼い頃から病気知らずの自分とは違い、少し身体が弱い弟の姿が見えない。雨に降られて、風邪をひいてしまわないか。彼は傘を持っていただろうか。
そう思った時、弟の姿が現れた。
「雨が降ってきたね、兄さん」
「アクレイア」近付いて来る弟に、アストラルは自分の傘を差し出した。
「風邪をひいちゃいけない。母さんに心配されちまうぞ。俺の傘を使っていいから、早く中に入りな」
「うん」
母に心配される。この言葉が響いたのか、アクレイアは素直に傘を受け取った。アクレイアは身体が弱かったこともあって、自分と比べて母の側にいた時間が長かった。母が弟を贔屓していたわけではないだろうが、母への思い入れは弟の方が強いかもしれない。
昔から利発で頭がよく、少し捻くれている一面もあるが根は素直で優しい性格。その上この弟は、女性に好まれるような端正な顔立ちをしている。
兄として、弟は自慢だった。誇りでもあったが、その裏に羨みや妬みがないといえば嘘になる。弟に比べて平凡、という言葉はいつもつきまとっていたのだ。
「父さんは? 一緒じゃなかったのか?」
その言葉に、アクレイアの表情が硬くなった。悪寒のようなゾッとした感触が、アストラルの背筋を走る。
どうかしたのか。父さんに何かあったのか。おまえはそれを伝えに来たのか。俺にできることは何かあるか。
言うべき言葉はいくらでも浮かんだ。しかし、彼の唇は凍り付いたように開かない。
「父さんが、消えたんだ」
アストラルは一瞬、弟が何を言ったのか、理解できなかった。しかし、やはり、それは彼が馴染んで来た母国語だった。
「目の前で、空気に溶けるように、父さんが、消えたんだ」
それは、三年前のことだった。
亡き母に永き別れを告げた、雨が降る葬儀の日。
雨は兄弟を、残酷なほどやさしく包み込んだ。
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