やつはここにいた

二石臼杵ふたいしうすきという作家を知っているか?」


 石橋いしばしのやつが『十秒シアター やつはここにいる』の文庫本を片手にそんなことを訊いてきた。

 俺はその本と作者に見覚えがあったのでうなずく。


「ああ。最近新作を書かなくなったよな」

「それもそうさ」


 石橋はくつくつと笑う。


「二石臼杵はな、もう死んでいるのさ」


 死んでいる? あの作者がか?


「あいつは書くということだけにとり憑かれた亡霊だった。それがこうして本を出せた今、満足して成仏しちまったんだ。だがな、」


 石橋は文庫本を持ち上げる。


「やつは確かに、ここにいたんだ」


 そう言って、文庫本の表紙を指でなぞった。


「そして、今はここにいる」


 次に自分のこめかみを叩きながら笑う石橋の顔は、俺の知らないものだった。


「これからは俺が二石臼杵になって、続きを書くんだ。もし新作が出たら読んでくれ」


 気づけば、石橋の輪郭は足元から次第にぼやけていく。


「おい、どこへ行くんだ」

「決まってるだろ、次回作だよ」


 石橋はにやりと親指を上げた。それがやつを見た最後の姿だった。



 それから数年経ち、俺は小説家になっていた。

 どうやら、石橋のやつは続きを書くのに失敗したらしい。

 あいつの本が出版されたという話はとんと聞かない。

 でも、二石臼杵の新作は次々と売り出されている。

 なぜなら俺のペンネームがそれだからだ。

 どういうわけか、この名前にしなければならない気がした。

 最近は執筆に疲れたのか、よく幻聴がするようになった。

 頭の中で誰かがカタカタとパソコンで打鍵しているような音だ。

 やつは今も、ここにいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る