読まれるために交流しようって結局……

 WEB小説用の指南創作論みたいなやつで必ず出て着る言葉、それが『読まれたいなら交流しましょう』です。それについて考えていたんですけどね、『読まれたいなら』って言う、見返りありき、条件付きな交流ってやっぱ変じゃないかな。

 それってつまり、読んでくれなきゃ交流しないよって話になるでしょ。実際そう言う人もいるんじゃないかとは思いますけど、心が狭いなあって思うんですよね。


 綺麗事になるかもですけど、作品が面白いなら読まれると思うんですよね。そりゃすぐには人気が出なかったとしても。

 交流は交流。読む読まないは別。そこは分けた方がいいと思うんです。


 そう言う体験がなかったら綺麗事だと感じるのも理解出来ます。私の場合、初めて作ったゲームブックがヒットしたのですが、これねぇ、特に何もしてないんですよ。それなのに割と話題になって、結構評価もPVも頂きました。


 一度交流や宣伝なしでのヒットを体験しちゃうと、交流しないと読まれない? それはあなたの感想ですよね? って手のひらを返しちゃうのです。たとえ軌道に乗るまでは交流で読まれていたとしても、一度乗っちゃえば自動的に読まれるようになります。当然、乗るまでは苦難の連続だったりなのでしょうけど。


 そもそも、交流で読まれるなら交流を止めた途端に読まれなくなるし、一般販売でその手は使えません。その作品が面白いから売れるんです。作者の性格がどうであれ、生み出した作品が全て。

 交流しないから読まれないと言うのは初期の初期、まだ名前も作品も知られていない場合の話なんじゃないかなぁ。


 あ、交流が悪いとか交流するなとか言ってるんじゃないんですよ。見返りありきでの交流は駄サイクルであり、そんなの求めちゃダメだよ~。と言いたいだけなのです。交流は楽しく、計算なしでね。

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