どこまでが作風でどこからが間違いなのか
これはある作品を読んでいた特に思った事なんですけど、創作論によると正しい書き方以外はよろしくないよって大抵は書かれていますよね。
つまりは個性的な書き方は読者受けが悪いよと、読まれませんよと。
創作論の言いたい事は分かるんです。読まれたいならそこに書かれた事を守るのが近道でしょう。ただね、それだけなのかなと。絶対に守らねばならないと言う感じになると、少し引っかかったりもします。
そもそも創作論自体がたくさんあって主張もバラバラだったりするので、その中から好きなのを選びましょって話でもあるのですが。
つまり何が言いたいかと言うと、すごい癖のある小説文法的に見ると間違っている作品があったとして、これは作風なのか、それとも未熟な作品なのかと言う事なのですよね。
もしかしたら作者的にその書き方、表現は色々試した上で辿り着いた唯一無二な作風なのかも知れません。それか、技術的なものも何も知らずに自己流で身に着けたものなのかも知れません。読む方はそれの判断が出来ない訳ですよ。
勿論読書のプロならそう言うのも見抜けるのだと思いますけど、暇潰しに読む私みたいなレベルの読書ビギナーにとって、ただ文章を追っただけではその違いに気付けないんですよ。
ある人が小説に決まった作法なんてないんじゃよみたいな事を書いていたのですけど、この主張も分からなくはありません。そこに何かしらの物語が描写されていれば、それが小説ですものね。そこには単に好みの違いがあるだけです。
ただ、俗に言われる作法を守った方が多くの人に好かれると言うだけで。
癖の強い作風の人に、普通はこうですよってすごく言いたくなるんですけど、それは余計なお世話なのかなあと思って何も言えない私なのでした。
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