充実の定理

「……待ってる? バカなんじゃないの? 待たせるわけないじゃないの」


 万理まりの指がパチンとなった瞬間に、生徒数人があやを押さえ込んだ。


 抵抗もなく押えられる彩を万理は見開いた目で見下ろし、紺の前髪を掴んで顔を持ち上げた。光を欠けた万理の目に、血の気が混じる。


「彩……私より幸せなクセして不幸面して……もういいわ。あなたにも、地獄を味わってもらうから」


「ほ、ホォ……地獄ってのは、案外簡単に……い、行けるもんだ。知らなかった」


「知らなかった?! 知ってるでしょう?! 今やセフレだキスフレだ、軽い付き合いしてる連中がウヨウヨしてる世間の中で! 純粋に一人だけを愛する少数派の人間の地獄は! 愛する人を亡くすこと! もうこの世は、地獄なのよ!」


「万理……」


 私にとって、という言葉が抜けていたが、しかし理解した。あずまという想い人を亡くしてからずっと、万理にとってはこの世界は地獄だったのだ。だからこそこの地獄で生き抜くために、万理はこんなにも変質した。


「あなた、彼のこと好きなんでしょう?」


 と、質問とその前の言葉で、最悪にも万理の次の言動を予測してしまった。しなければよかったと思いつつ、してよかったなどとは思わない。


 万理は机の上に脚を組んで座ると、汗を垂らす彩に笑みを見せた。


「ねぇ、リア充って何?」


 唐突に、万理が問う。しかし彩の返答も部下にしている生徒達の返答も待たず、自ら答えて続けた。


ルに実、の略でしょう? んなことは知ってる。じゃあ、リアルに充実してる人って誰のこと? 彼氏彼女がいる人のこと? 生活に困っていない人のこと? 五体満足の人のこと? 世間で名の通っている人のこと? 様々な理論の中で、私は思う」


 万理が叩いた机に、穴が開いた。


「人に助けてもらえる人! 彼氏彼女がいなくたって、友達がいればそれでいい! 生活に困っていても、施設の人が良心で助けてくれるならそれでいい! 腕や脚が動かなくても、身の回りを世話してくれる人がいればそれでいい! 自分の名が世間で通らずとも、自分を知っている人がそれでいい! 全てがない人間にとって、世間の非リアは軽すぎる!!!」


 勢いのまま、万理は彩の目の前に踏み込んだ。元教室を吹き付ける突風が制服を、髪を揺らす。


「友達も良心も親も名前も健全な考えも! 全部失った私のような人間が見た奴らは! どいつこいつも贅沢なことを言ってるわがままな子供よ! リア充いいなって言ってる時点で、もうリア充なんだから!」


 首を傾げ、バキボキと鳴らす。


 指を折り曲げ、バキボキと鳴らす。


 彩を見下ろして、万理はニヤッと口角を歪ませた。


「ねぇ……彩ってまだ処女でしょ」


「……恥ずかしながら」


「卒業させてあげようか?」


「遠慮するよ」


「遠慮しなくていいのよ。まぁ、させないけど」


 万理が指をまたパチンと鳴らす。


 男子生徒達は彩の服を、強引に脱がせ始めた。


 そして、鈍い音が鳴った。


「……! アァァァあぁぁぁぁぁあっっっっっっ!!!」


「騒がしいわね、彩。抵抗出来ないよう、両腕折ってもらっただけじゃないの」


 ダランと垂れ下がる彩の腕。


 抵抗も何も出来ず、彩は服を全て脱がされて倒れこんだ。


 涙を流して歯を食いしばる彩の顔を見下ろし、恍惚の表情の万理が彩を見下ろす。自分の顔を手で包み、舌舐め擦りするその姿は、彩には人外の怪物にも見えた。


「大丈夫よ、彩。最初は痛くて気持ち悪くて嘔吐しそうで失禁しそうで、やった相手を殺したくなるけど、半日もすれば快楽とか悦楽とか極楽とかに変わるわ、多分。それに、男性経験あった方が、今後のためにもなるでしょう」


「万理ぃぃぃぃっ……!」


「殺したいほど憎いのは、私ってこと……まぁいいわ。後でどうせ、助けを乞うでしょう」


 万理が再び指を鳴らそうとした、そのときだった。


 万理の配下の生徒達がバタバタと倒れだした。


 万理の目前に現れたのは、どこぞの誰かの靴の裏。


薔薇園ばらぞの万理さん、だったっけ? R18指定ってこういうことなの」


 万理と彩の前に、光輝こうきが現れた。恍惚や余裕と、前向きな感情表現を繰り出してばかりいた万理ですら、光輝の速すぎる登場に唾を飲む。


「何? あなた、こんな短時間で、どうやって……」


「その……正面、から」


「んなわけないでしょう?! 下からここまで、二〇〇人を超える生徒全員を置いていたのよ?! どんなトリック使えばこんなに早く――」


「純警隊の人たちが一緒だったからじゃない、かな。それより――」


 光輝の回し蹴りが、彩の周囲の男達を蹴り飛ばした。男達が起き上がる前に彩に駆け寄り、上着を掛ける。


「まったく、遅いよ、もう……」


「……ごめん、彩さん。これでも全速力で来たつもり……なんだけど。ホント、ごめん」


「わかってるって。見りゃわかるよ、そんな……こ、と……ㇵ……」


「……待ってて」


 意識を失った彩から、光輝はゆっくりと離れた。手首を回し、首を回し、足首を回す。体についた五つの首を回して、光輝はフッと息を吐いた。


 光を宿したその目で、万理を睨む。


「薔薇園万理さん、彩さんは返していただきます」


「……ざけるなぁっ! このリア充男! 私から唯一の友達を奪って、その上返さないつもりなの?! あんたたちは、不幸な人間からどれだけ蜜を吸えば気が済むっていうんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」


 万理がアイフォンを取り出した瞬間、光輝の足はアイフォンを蹴り飛ばした。


 壁にぶつかったアイフォンの画面が、わずかに割れる。


「友達を奪うつもりは、ないんです。でも、渡す気もない。友達に会いたいなら、インターホンを押せばいい。彩さんに会って、アドレスを聞いて、一緒に出かけようとか言えばいい。だって彩さんは、俺らの友達だから」


 万理より先にアイフォンを取った光輝は、万理のアイフォンを強く握り締めた。画面の傷が、ピシピシと音を鳴らしながら広がっていく。


「Queenメールの洗脳解除の方法は、メールの破壊。つまりはケータイの破壊じゃなく、メールの削除だ。つまり、受信された側のメールを削除すれば、洗脳を解除出来る」


 光輝はそっと、万理にアイフォンを手渡した。


 画面はすでに、メール機能になっている。


「Queenメールで命令してください。自分の命令文を全て消去しろと。それで全部終わりです」


「……おまえは、私から全ての繋がりを奪うというの? 何の権利があって!」


「全部じゃない、彩さんがいます。まだ、あなたの友達がいます」


 彩に歩み寄った光輝は、その体を持ち上げた。


 気絶したように眠る彩に、微笑みかける。


「このゲームは、俺達が協力するゲームです。俺達にとっては、あなたの力も必要です。だから……今度は窓からじゃなく、インターホン鳴らして玄関から来てください。お茶くらい、俺出せますから」


 感動したわけではない。納得も理解もしていない。かといって悔しいわけでもない。


 でもただただ涙は、溢れ零れる。


 万理は流れ続けるそれを、止めることができなかった。


「お願い、あの家にいて……必ず行くから……彩に会いに行くから、お願い。あそこから、動かないで」


「……彩さんに言っておきます」


 その後、Queenメールは全ての効力を失った。


 操られていた生徒達は酷く疲れきって、すぐに病院という病院に運ばれた。操られていたときの記憶は、誰も覚えていなかったという。


 薔薇園万理はというと、純警隊に身を引き取られた。


 彼女の両親の判断だと言うが……


――友達も良心も親も名前も健全な考えも! 全部失った私の様な人間が見た奴らは!


 それも、あくまで噂。


 ただ、彼女は繋がりが欲しかったということは紛れもない事実だ。そう、光輝は思った。


「おぉい、光輝くん。あぁんしてくれ」


「あぁん、って言い方止めたら? 子供っぽいよ?」


「いいだろう? 君と僕の仲じゃあないか」


「……ティアさん、お願い」


「ちょ! 光輝くん無視しないでくれ!」


「ハイ、アヤ。アァーンデスヨ?」


 ティアにご飯を食べさせてもらいながら、彩は新聞とEメールを並行して読む光輝を見つめた。


 特にゴツくもなく、未だに言葉を選んで話そうとするクセは抜けない。


 ハッキリ言って、ナヨナヨしてる。


――彩さんは返していただきます


 ったく。君は何故、あぁいうときはカッコイイんだい? 惚れちゃいそうだぜ、斉藤さいとう光輝ぃぃぃって、もう……


「なぁ、光輝くん。新聞に何か載ってるかい?」


「あぁ……うん、それが……」


 新聞の大文字の見出しを読んだ二人は、目を大きく見開いた。


――神から宣戦布告?! イギリス大手のIT会社社長に挑戦状!!――

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