輝いてるよ

「ねぇ、視線感じない?」


「またデスか? 私は感じナイけど……なんでしょね?」


「そ、そっか……」


 彩がこうして視線を感じるようになったのは、つい最近のことである。


 その視線はよほど気持ちが悪いらしく、あやが一人でいる時間を極端に奪っていった。元々一人でいるのが嫌いな彼女だが、お陰で今はお風呂も寝る時も、ティアと一緒である。


 何とかしたいと考え込む光輝こうきだったが、結局何も出来ない自分をまた自責する日々。この日の夜もベッドの上で何も思いつかない自分を無力に思い、窓の外を見つめていた。


 外の三日月が、自分の心情と相反して輝いて見える。だが吹き付ける風は自分の心情と重なって、寂しく聞こえた。余りにも、胸に沁みる。


 また、何も出来ない……なんて……。


 イラついてベッドの上を転がり、思い切り壁に激突する。その衝撃は、ベッドの隣のの棚から見事、埃にまみれた箱を落として見せた。


「あぁ、何をやって――」


 ぶつけた頭を涙目でさすりながら、箱を戻そうとする。しかしそのとき落としたはずみにずれた蓋から、月光に照らされて白く光る箱の中身が見えていた。


 その輝きに込められた魔力に逆らえず、おもむろにその光沢を放つ体を持ち上げる。


「ストラディ、バリウス? 何で……何でこんなのがここに」


 ストラディバリウス。


 バイオリンの中でも最高クラスの一級品。その価値は、金額にして億の単位がついてもおかしくないほどの代物だ。こんな埃に塗れた箱の中に、入っていていい物ではない。


 今まで見たことはあっても、触ったことなんてなかった。しかもまさか、こんなところに眠っているだなんて、思いもしなかった。


 ベッドのシーツを引っ張り、ついてしまった埃を払う。そしてゆっくり立ち上がると、絃をピンと張って調整し、おもむろに構えた。


 変に緊張する。弾くつもりなんて決してなかったが、これもストラディバリウスの魔力か。おもむろだがしっかりと、呼吸を整えさせてかつ、弾く姿勢を取らされていた。


 汗ばんだ手を服で拭い、深呼吸を繰り返す。そして全ての考えを吐き捨てて、月光が照らす狭いステージの中で弾き始めた。その音は、女子二人の部屋へと響く。


「……ん、ん? どしたの、ティアくん」


「コーキくんの部屋から何か聞こえる……Violinヴァイオリン?」


「え? 光輝くん、バイオリンなんて持ってたかな……」


 流れる旋律は重く、しかし軽い。硬く、柔い。二律背反に苦しみながらも、しかしその矛盾を両立させる音色に奏者自身が酔いしれる。


 しかし陶酔してはならない。この音はすり減らした神経を糧に生まれる魂の音階。こちらが酔えば、音も酔う。せっかくの聖歌のごとき音色が台無しだ。


 故に最初から最後まで、光輝の神経はストラディバリウスと同じくらいに張り詰められていた。


 だがそれ故に耳から頭へと、自分の世界を無限に広げる旋律は、たった一分と短い間。それが限界だった。弾き終わった光輝は、口の中の息を漏らす。


「コーキくん?」


「あ、あぁゴメン。起こしちゃって……」


 ティアと彩が来ていることにようやく気付いて、頭を下げる。だが二人には、起こされた文句などどこにもなかった。あったのは、たった一分で与えられた感動のみ。


 ティアは光輝の手を掴み、赤く染めた頬を見せて笑って見せた。


「すごいよ、コーキくん! カッコよかたヨ!」


「あ、あぁ……あり、がとう」


「ったく」


 彩の指が、光輝を指差す。だがその口角は、やんわりと上がっていた。


「君、本当にピアニストかい? 疑っちゃうよ。ま、バイオリニストでも十分すごいけど」


「……ありがとう」


「ねぇ、もう一度聴かせてくれないか? 最初から聴きたいな」


「え、でも……」


「ワタシも聴きたいヨ! 弾いテ弾いテ!」


 二人はベッドに並んで座る。こうなってはもう逃げられないと、光輝は期待の目で見られながらその前に立った。またおもむろに構え、弾き始める。


 月光というスポットライトの中、凛と背筋を伸ばして旋律を奏でるその姿は神々しく、今までにないくらい生き生きとしていた。


「……輝いてるよ、君」


 いつの間にか視線の恐怖はどこかへ消えて、目の前の光輝を見つめてそう呟いていた。そしていつの間にか、心の底から見たいと思っていた。


 ピアノを弾く、彼の姿を。


「……うまく、弾けたかな?」


「無論」


「スゴイヨ! コーキくん!」


 抱き着くティアの体をしっかり受け止める光輝を見つめ、彩は静かに拍手を送る。


 小さく頷き、満面の笑みを光輝に見せる。


 だがそんな笑える時間は、長続きなどしなかった。

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