面倒
横浜に背の高いビルはいくつもある。その中に今、鉄骨の足場に囲まれたビルが一つ。外国のIT会社が買い取り、改装のための工事をしている。周囲に他のビルがないため、一際大きく見えた。
そのビルが仕事場となる前に喧嘩場となる原因の男、
「ガキは」
「安心しろ、個部屋に入れてる。ガキに手出しはしねぇよ。俺らだって今日は観客なんだ」
「観客? てめぇらの頭は大した自信家だな、え?
「まぁな」
青年が笑うと、他の奴らも笑い出した。それでも清十郎の内心に、負けという文字は浮かんではこない。男達について来るように言われ、清十郎はビル内に入った。
首を回してパキポキと鳴らしていると、奥の方で積み上げた足場に座る人影が見えた。電気がついていないためによく見えないが、筋肉質な男に見えた。
「てめぇか。ガキ誘拐しなきゃ、俺に喧嘩も売れねぇビビリってのは」
相手が指を鳴らすと同時に、手下が照明をつける。黒のロングコートを上半身裸の上から来た男が、清十郎を睨んで口角を上げた。
「俺、
「で、大将のお出ましってわけか? 寿司屋かうどん屋か、どこの大将だが知らねぇが、俺を呼ぶためにわざわざガキ一人連れて行くなんざぁろくでもねぇ根性なしだな。てめぇから挨拶してくるってんなら殴り返してやろうと思ったが、今はそれすら馬鹿馬鹿しい」
「言うねぇ……それが現王者の余裕ってか?」
博人が立ち上がり、清十郎の前に立つ。背の低い清十郎に高さを合わせ、鼻と鼻がくっ付きそうになるまで顔を近付けた。
「だが明日から――今から俺が王者になる」
「聞こえなかったのか? 自分一人で攻められねぇ根性なしなんざ相手にしねぇって言ったんだ。おめぇが大将でも、俺にとっちゃ殴る対象にもなりゃしねぇってな」
高い音で博人が笑う。そしてまた顔を近づけ、清十郎にとって意味のない威嚇の睨みを利かせた。
「状況が飲み込めてないのか? お前と俺はこれから一対一で
また高い声で笑い、博人は清十郎を見下ろした。すでに自分が勝者だと言わんばかりに両腕を大きく広げ、大声で笑う。
「あのガキはお前にとって何なのか知らねぇが! 俺にとっちゃただのエサだ! 口封じに後でいやっていうほどボコって――」
一瞬だった。
気付けば自分の顔面に裏拳が叩き込まれていた。気付いてすぐに吹き飛ばされ、意識をなくした。博人を殴り飛ばした拳を払い、清十郎は首を左右に傾けた。
「弱い犬ほどよく吠えるっていうことわざあるだろ? あれが本当なのかどうか、暇なときに疑問に感じたことがあった。礼言うぜ、大将。お前のお陰で、真実がよぉくわかった」
一瞬すぎて周囲の博人の部下は動けず、ただその場で立ち尽くしていた。そして同時に、それまであった余裕が一気に消え去った。
「ガキはどこにいる」
全員が一歩下がる。博人がやられたら襲い掛かる予定だったのに、前に行けない。自分を見つめる敵の目に怯え、襲いかかれなかった。喰われると分かっているのに飛び掛る獲物などいやしない。
「もう一度だけ聞く。さっさと教えろ、ガキの場所」
清十郎が一歩詰め寄ると同時に、全員一歩下がる。結局誰も答えないと諦め、清十郎はエレベーターの方へと歩いて行った。
「お兄さん」
「ったく……お前、緊張感って言葉知ってるか?」
十階にある子供部屋にミニカーを持った
「お母さんから」
自分のケータイを出し、腕をうんと伸ばして清十郎に見せる。しゃがんで書かれている文章に目を通す。
『きのうのおにいさんにあって。そしたらこのメールをみせるの』
同時に新しいメールが送られ、その文章に清十郎はまた溜め息をつかされた。
『このこをたすけてあげてください。かわりといってはなんですが、まもってくださるならこのじょうほうをわたします』
間を空けて次に書かれていた情報に、清十郎は呆れた。だがそれと同時に立ち上がり、初めてニヤリと口角を上げた。
「面倒くせぇ……面倒くせぇなぁ、本当っ! てめぇこらガキ、面倒見てやるからついてこい。だが勘違いするなよ? 警察が頼りないから俺が保護先探してやるが、それまでの話だ」
ポカンとして清十郎を見上げ、千尋は首を傾げた。フードを被り、顔から笑顔を消して清十郎が背を向ける。
「それまでついてこい。危ない目に遭ってもぜってぇ文句言うんじゃねぇぞ?」
「……うん、お兄さん」
どこまで分かっているのか分からないが、清十郎の上着を掴んで千尋は清十郎を微笑んで見上げた。
しかしそのとき、清十郎が立ち止まった。ドアノブを掴んだまま、進もうとしない。
「なんで開かねぇ」
開かない。鍵はどこにもなく、閉まる方法が逆に分からない。何度ドアノブを回しても、ドアは全く開かなかった。舌打ちしながら清十郎はドアを蹴ったが、ビクともしない。そして同時に照明が消えた。
「まさかこいつ……電子ロックか」
さすがに焦る。ドアを何度も蹴ってみるが、大きい音が響くだけ。閉じ込められた。
二人の手下に支えられ、博人は持っているケータイを見て笑っていた。頭を強く打って痺れているのか、手が震えている。
「このビルにあった防犯システムを起動した……全電子ロックをオンにして、閉じ込めた……ヒヒヒッ! このまま暫く放置してやれば、帝王のミイラの出来上がりだぜぇ!」
「――とか思ってるんだろうなぁ、あの馬鹿大将」
閉じ込められている側の清十郎が、呆れて頭を掻く。目の前のドアには、蹴った際についた土がこびりついていた。上着を握る千尋を見下ろし、余計面倒に感じる。
「本当に馬鹿だよなぁ。工事中ってことは、数日すれば人は来るんだろうがよ。ま、それでも早いとこ出ねぇといけねぇのは変わらねぇな。こっちは無遅刻無欠席の皆勤賞がかかってるんだからな」
「僕、お腹空いた」
「……そういやそうだ。夜飯喰ってなかったなぁ」
千尋に言われて気付いたらしく、腹を擦って天井を見上げる。そしてしばらく見上げたままでいると、フードを深く被ってドアの方を睨んだ。
「おいガキ、これから天井昇る。とびっきり暗いから、泣くんじゃねぇぞ」
「肩車?」
「ん? おぉ、そうだ。一瞬乗っけてやるから、さっさとあそこから上れ」
清十郎が天井のまだ蓋されていない換気扇の穴を指差すと、千尋はうんと頷いてみせた。分かっているのか正直不安に思っていた清十郎だったが、肩車するとすぐに千尋が上ったので少し感心した。
「お兄さんはどうするの?」
穴から千尋が見下ろして訊いてくる。払う動作で千尋に退くよう促すと、助走で勢いをつけて穴に跳んだ。
「俺について来い、ガキ」
数時間天井裏を赤ん坊のハイハイ歩きで進み続け、後に換気扇が取り付けられるだろう穴から部屋を見下ろした。そしてやっと見つけて下りたのは、このビルの監視室。
「遠隔操作になってるのをこっち操作にしてやれば――」
「お兄さん、出口に行かないの?」
換気扇の穴から清十郎を覗き千尋が訊く。パスワードの解除に手間取りながら、振り向かずに答えた。
「ここの入り口は自動ドアだった。あれも電子ロック出来るやつだったら、結局開かなきゃ出られねぇだろ」
パスワードと格闘しながら、他の電子機器にも手を伸ばす。他の電子機器にも浮かび上がるパスワード入力画面に舌を打って、目の前の大画面に集中する。適当に打ちこんだパスワードがことごとく外れ、苛立ちが増す。
「お兄さん」
「んだ、ガキ。また下らない質問なんかしやがったら――」
「そこの紙なぁに?」
千尋が指差したのは、清十郎が腕を伸ばした周囲の機器の明りで見えたメモ用紙だった。すぐにそのメモに目を通し、清十郎はニヤリと口角を上げた。
「ナイスだ、ガキ!」
書かれていたパスワードに目を通し、すぐさま打ち込む。まるでそこに用意されていたようにも思えるメモのことを頭の隅に置いて、ビルにある全てのロックを片っ端から解除した。
「……よし、下りて来いガキ」
千尋が脚を下に伸ばし、その脚を掴んでゆっくりと清十郎が下ろす。身長ギリギリだったが、何とかうまくいった。
「帰るか」
「うん」
ポケットに手を入れ、イヤホンを耳に入れて歩き出す。その清十郎の上着を掴み、千尋は小さな歩幅で一生懸命ついて行った。
外に出てすぐさま吹き付けるビル風が、二人の服をたなびかせる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます