一朝一夕

 翌日、朝起きた光輝こうきは一人黙々と制服に着替えていた。鏡に映る痩せた体を見るのは嫌なので、鏡の前に立たないよう鏡のすぐ側で着替える。朝食はパンにマーガリンを塗ったトースト一枚だけ。朝は余り食欲が湧かない。


「行こうか」


 一人暮らしなので、いってきますとは言わない。だが必ずこう言って、学校に向かう。


「おはよう、斉藤さいとうくん」


「よぉ、斉藤!」


「……はよう」


 クラスメートが声を掛けてくれる。いつもは手を振るだけだったが、今日はあいさつを返した。そんな斉藤の方にわざわざ行く友達はいない。人と話すのは苦手なので気は楽だが、反面苦しかった。だが最近、その苦しみが少し和らいでいる。


「おっはよう、光輝くん!」


「……やぁ、あやさん」


 神捜索ゲームが始まり、神を見つける為にわざわざ転校までしてきた御門彩みかどあや。彼女の明るい性格は他の人にも気に入られたが、いつも光輝に話しかけていた。


「ふぐご! むぐぅ!」


「口に物入れたまま話すの、止めた方がいいよ?」


 監視が甘く、生徒達が度々上っている屋上で昼食を食べる。昼食時もさほど食欲は無いのだが、一人で食べる朝食よりは食が進んだ。


「よし! では今日は帰宅って事で!」


「……分かった」


 帰りもまた、光輝の家まで一緒に帰った。帰る時間が早いと、彩は光輝の家に上がっていた。胡坐を掻き、楽しそうに笑っていた。


 だが今日、その彩は来なかった。学校に行って、いつまで経っても彩は遅刻してでも来なかった。昨日の事がやはり頭に残り、心配になった。


「よぉ光輝、彼女はどうした? 喧嘩か?」


「羨ましいねぇ、仲直りはキスですかぁ?」


 そんな冷やかしを聞く耳を持たず、光輝はごめんと一言だけ呟いて学校を飛び出した。下校途中、制服姿のまま光輝は家を通り過ぎ、歩き続けた。そして辿り着いたのは、昨日も訪れた御門家。


 彩さん、家には帰ってないんだろうな……。


 光輝は震えたケータイを開き、メール画面を見た。自分の顔に綻びが見えると、光輝はケータイをポケットにしまって玄関までの階段を上った。


「……入りなさい」


 玄関の前に立った光輝が、玄関のドアの奥から聞いた声が確かにそう言った。気味が悪いと思うところ、光輝は一度の深呼吸でそれを吹き飛ばした。ドアを開き、奥へと進む。


「座りなさい。茶がそこにある」


 昨日と同じ青の制服を来た彩父が、昨日と同じ和室で胡坐を掻いていた。中央の囲炉裏で、銅の入れ物が火に当てられている。光輝は昨日、彩が座っていた彩父の近くに座った。


「……君の姿は、監視カメラで見ていたのでな。入れさせて貰った」


「ありがとうございます」


 彩父は囲炉裏で沸かしている茶を見つめ、暫く黙る。茶が沸くと灰をかけて火を消し、銅の入れ物の取っ手を掴んで二つの湯飲みに茶を入れた。


「昨日、彩と共に来ていたな。今日は一人で何をしに来た」


「率直に伺います。このゲームについて、知っている事は本当に何もないのですか?」


 彩父が眉をピクリと動かす。彩父は茶を口に含み、少し溜めてから喉へと流した。


「何故そう思う」


「彩さんは昨日、貴方が世間に興味を示さないからゲームについては何も知らないだろうと言いました。でも、俺はその隣でこうも思いました。貴方は他の富豪と賭けをして、このゲームを企てさせた一人です。そんな人が、ゲームの内容を全く教えられずにゲームが始動する訳がありません」


「それで」


「ゲームを企てさせた富豪が何人いるかは存じませんが、限られた富豪だけ有利に働くゲームなら、他の富豪が許しはしません。全員が納得した上で、このゲームの実行が決定したはずです」


 はっきりと自分の考えを言う光輝。それはいつもの彩の姿と重なり、彩父にとっては珍しい事ではない。だが普段の光輝を知る人間が見れば、光輝の成長は一朝一夕で変わったものだとは思えなかった。


「……質問には答えよう。だがその前に問う。お前は昨日、彩の手を握るだけの男だったが……何があった」


 光輝は出された茶を飲み、一息ついてから彩父の方を向いた。首を傾げ、笑みまで見せる余裕が光輝にはあった。


「昨日はここに来る前に色々ありました。その事で頭が一杯で、またそうしない様にするので必死だった……その後にも違う事が起きて、正直駄目になりました。でも、駄目になって、何か吹っ切れました」


 彩父は光輝の言葉を聞きながら茶を啜った。光輝はいつもより鼓動が大きい事に気付き、胸に手を当てて話を続ける。


「駄目な人間ですが、俺は俺のやれる事で他の人を助けられたら……そう思えたんです。その為にこのゲームに勝てと言われたら、勝ちにいきます」


 飲み干した湯飲みを置き、彩父は外のししおどしに視線を向けた。


「お前、彩の何だ?」


「……同じゲーム参加者であり、大切な友達です。少なくとも、今最も失いたくない」


「……神と名乗った奴の詳細は、富豪の誰も知らん。身寄りもなし。どこの生まれかも不明。だがその高すぎるIQで、敗北を忘れたと豪語した奴だ」


 まだ外を見つめる彩父。だが光輝は、彩父から視線を外さなかった。


「横浜の方に、神に最初に接近出来た者がいると聞く」


「……ありがとうございます」


 光輝は茶を飲み干し、その場から立ち去った。


 玄関を出て光輝がケータイを弄っていると、誰かの足音が聞こえた。振り返ってみると、私服の彩だった。


「えと……宿題とか出た?」


「いや、何も出てない。風邪?」


「気分悪かったけど、もう大丈夫だよ。何を話してたの?」


「……来週の三連休、横浜に行こうと思うんだ。そこに、神を最初に見つけそうになった青年がいるって教えてくれた」


「お父さんが?!」


 光輝が頷くと、彩は信じられないと手で口を覆った。光輝は吐き気がするのかと、彩の背中を擦りに行く。


「それ、さ……僕も行っていい?」


「勿論」


「……何かありがとう、色々」


 彩はいつもの笑みを、光輝に見せた。




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