虚空
「二人共、調子はどうだい?」
刺された箇所を包帯で巻いた光輝と結衣に彩が訊く。二人は答えにくそうにすると、まぁと言って頷いた。
美郷の事件があってから一週間が経ち、何だかんだでもう三月。二人共傷が深く、まだ思うように動けない。しかも光輝に至っては利き手を貫かれたので、不便極まりなかった。現在は診て貰った病院に、二人がリハビリで通っている感じである。
「光輝くん、食べづらいでしょ? アーンしてあげよっか?」
「ちょっ! 彩さん、大丈夫だから!」
病院の食堂でフォークを持つのに苦労しているのを見てからかう彩に、光輝は焦って答えた。顔を赤くして言ったので、赤くなったとまた彩にからかわれる。
その前でパスタを
「そういや彩さん、事情聴取はもう終わった?」
彩が光輝の隣にドカッと座る。
「多分ね。もうしつこいんだよ! 僕が録音したあれを渡したら終わりと思ってたのに、その後何があったとかどういう経緯で僕らがいたとか、結衣姉と関係あったのかとか、もう代わる代わる訊かれてさ!」
「あぁ……大変だったんだっけ」
「お疲れさまでした」
愚痴る彩に二人で頭を下げる。
実際、彩が見舞いに来れるようになったのは一昨日からだった。彩の言うとおり、かなり長い期間事情聴取に付き合わされたらしい。だが彩によると、訊かれた内容の半分は美郷を刺した男の話だったと言う。
「一番困ったよ、あの男の人について訊かれ続けた時! 僕のGメールで情報収集出来る程あの人いなかったし、ってか本当に一瞬だったから全然顔とか見れてないし。ってか本当にしつこいし!」
「「本当、お疲れ様でした……」」
愚痴を続ける彩に、二人は話の間で何度も頭を下げた。
二人が苦労してパスタを食べ終わり外に出ると、紺の和服を着て頭の毛が少ない男の人が立っていた。結衣のお父さんらしい。すぐに結衣が歩み寄り、父親が結衣の肩を叩こうとした。
「肩を……刺されたのか?」
結衣が頷く。結衣の父はしばらく眉間を押さえると、光輝と彩の前に出てきて深く頭を下げた。
「この度は、娘の美郷がとんでもない事を……謝罪だけでは済みません。ですが、謝罪だけはさせて下さい」
「謝罪だけで十分ですよ、結衣パパさん。僕らまだ子供ですから、大人のルールとかよく分からないし、謝罪があれば今は納得出来ます。それに、結衣姉――美郷さんが……」
「分かっています。誰がやったかは警察も分からないそうですが……その男も、結衣と同じ奇妙なメールを受け取っているそうです」
結衣の父がメールの事を知っていたので、光輝と彩は驚いた。彩が訊くと、結衣は最初父親に話していたそうなのだが、話を盗み聞いた美郷に利用されてしまったらしい。
「美郷の死は、悔やんでも悔やみきれません。叱ってやろうと思っていたのに、まさか殺されただなんて……殺された事もそうだが、何よりあいつを叱れなかった事が何より悔しい」
結衣の父が顔を上げる。泣きそうな表情は見せていないが、悲しげに見えた。何故か彩の方が泣きそうになっている。
「今回の治療費は全額、こちらでお支払いさせて頂きます。だからと言う訳ではありませんが……結衣と――娘とこれからも仲良く――」
「勿論ですよ、結衣パパさん! 結衣ちゃんの事は、僕達に任せて下さいって!」
結衣の父の手を取り、涙目で手を振る彩。結衣と光輝は、笑って誤魔化した。
結衣の父が病院に入って行くと、涙を拭く彩に結衣はハンカチを手渡した。
「彩さん、何も泣かなくても……」
ハンカチで顔を拭きながら彩が言う。
「だって君、聞いたかい? 殺された事よりも、叱れなかった事が悔しいって君……感動出来ないって訳ないだろう」
確かに立派な人だけど、何も泣かなくても……
明らかに困り顔の結衣を見て、光輝はそう思いながら言わなかった。今はとりあえず、この彩の感動が治まるのを待っている方がいいと思ったからだ。
「結衣、帰るか?」
病院で用を済ませたらしく、戻ってきた結衣の父が訊く。結衣は感動が治まった彩を見てホッとして頷いた。
「あ、でも少し待って貰っていいですか? お二人に言いたい事があるんです」
結衣がそう言うと、結衣の父は駐車場で待ってる事を告げ、光輝達に改めて頭を下げてから駐車場へと向かった。
「本当に、ありがとうございました。これからも、その……お友達でいて頂けたらと思います」
「何をそんな固くなってるのさ。バシバシメール頂戴よ。即返事返すからさ」
結衣の背中を押すように叩き、彩が言う。結衣は笑って頷き、光輝に向き直った。
「光輝さん、あの……許せないと言って頂けて、ありがとうございました。あの言葉、なんか嬉しかったです、とっても」
「いいよ、そんな……今改めて言われると、恥ずかしい事を言ってたなって思うし」
結衣が笑う。その笑みには、何かを隠している様子はなかった。純粋だった。光輝はそれにつられる様に笑みを浮かべた。結衣がケータイを出す。
「アドレス、教えて頂けませんか?」
「あ、うん」
光輝がケータイを取りだす。だが慣れない左手なので落としてしまった。拾おうとしゃがんで手を伸ばすと、同じく取ろうとした結衣と手が重なった。お互い急いで手を引っ込める。
「ご、ごめん」
「いえ……」
慌てる二人。それをおもしろそうに見てニヤニヤしている彩に気付き、光輝は素早くケータイを拾い上げた。そして彩に渡し、彩にやって貰う。
「では、ありがとうございました」
「うん! バイバイ!」
「じゃあね」
手を振る二人に見送られて結衣は父の元へ向かった。父の車に乗り、家へと向かう。
「どうしたんだ、結衣。嬉しそうだな」
バックミラーで結衣の顔を見た父が訊くと、結衣は頷いて言った。
「嬉しいんです。お兄さんとお姉さんが出来たようで。それも……お二人共、かっこいいんです」
窓の外を見る結衣に、父はそうかとだけ言って運転に集中し始めた。笑みを浮かべている結衣が、ずっと自分の手を擦っている事に気付かないまま。
長野県 山奥倉庫
誰も人など入ってこないだろう山の奥。茶色く変色し、
その扉から何度も聞こえる衝突音。やがてその衝突音は止み、一人の女性が出てきた。全身乾いた血の付いた体に、ボサボサの紺の髪。白いワンピースを着ている彼女は、顔をうんと上げた。
「これが……空? 雲は……ないの?」
木々が伸ばす枝の隙間から僅かに見える青空。そこに一つの雲もなく、まさに快晴だった。彼女は後ろの倉庫を一瞥し、体中を
「早く逃げなきゃ……早く!」
獣道もない山を駆け下りる。何度も木にぶつかり、枝に切られたが、彼女はずっと赤いケータイだけはしっかり握りしめて落とさなかった。
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