第10話
決行は予定通り火曜日に決まった。
待ち合わせのいつもの喫茶店に集まると、二人は目元に隈を湛えていた。
「苦労掛けます」
「どうってことない」
「私も元気でーす」
明らかに疲労の色が見える二人に、微笑をくれてやる。
高円寺の運転する車に乗って、場所を移した。郡山とその恋人が住むというアパートの近くにある森の中である。ここで、郡山が習慣としているパチンコから帰宅する頃合いまで待機する。
車内に会話はなかった。皆それぞれ、緊張しているのだ。僕も例に漏れない。
「二人とも寝てた方が良いですよ。大事な場面で疲れてたら元も子もない」
「大丈夫。大事な場面を寝過ごすよりずっとましだ」
高円寺はそう言ったが、唐草凛のほうはうっすらと寝息を立てはじめていた。
ただひたすら、時間が過ぎていくのを待った。
相変わらずの沈黙の中でまどろんでいると、高円寺は運転席で坊主頭に手を回しながら、緩慢な口調で言った。
「本当にやっていいんだな」
閉じかけていたまぶたを開けて、僕はその後頭部を眺めた。
「降りてもいいですよ。高円寺さんが抜けるのは痛いですけど、まあ、凜さんだけでもできなくはない。僕が高円寺さんの役をやるだけの話です」
高円寺は煙草に火をつけて、ゆっくりと煙を吐き出した。
「わかった。やるよ。やるさ。しかしなあ、なんと言うか――」
「躊躇う必要はありません。そういう運命ですから」
会話はぷつりと途絶えた。
あたりが薄暗くなってきたころ、唐草凜が目を覚ました。寝ぼけ眼であたりを見回してから、ようやくこの事態を思い出したらしい、ぺちんと両頬を叩いて、何度か瞬きを繰り返した。
こう言ってはなんだが、彼女こそ、抜けても構わない立ち位置にある。協力してくれるのはありがたいが、無理強いをするほどのことでもない。
「大丈夫?」
声を掛けると、唐草凛は大仰に微笑んだ。
「ばっちりです。睡眠なんて錯覚ですよ。私が満足したと思えば、満足できるんです。思い込み療法です」
「確かにそれでも精神的には健康になれるかもしれないけど、それじゃあ身体は付いていかないだろうね。凛ちゃんの発想は面白いけど、どこか不完全だね」
高円寺が呆れたように笑いながら言うと、唐草凛は頬を膨らませた。
「不完全と言うよりは、未完成なだけです。私はこれからの人間ですからね。いくら過去の経歴を読める高円寺さんにしても、私のこれからは読めません。そういう意味では私はミステリアスな女なんですよ」
「ミステリアスねえ。まあ俺も、人にとやかく言えるほど健全な人生を歩んできたわけじゃないから、別に凛ちゃんを非難するつもりはないけどさ。これからの人間、ってのは、良い言葉だね」
窓外の景色に視線を向けて、二人の会話を聞くともなく聞いていると、ようやくそこに、郡山幸仁が姿を見せた。
「来ました」
緊張が走るのがわかる。
「行って来ます。準備していてください」
返事を待たずに車を降りた。
茂みから抜けて、郡山の後をつける。Tシャツに短パンというラフな服装で、コンビニのものらしいビニール袋を提げている。
一定の距離を保ってつけているうちに、郡山は一つのアパートの外階段を上り始めた。高円寺から聞いていた場所に間違いない。そこで一気に距離をつめる。
背後に立ったとき、その背中の丸みに、多少なりとも落胆した。
こんな体たらくが、僕の大切な人を殺すのか。
そう思うと、居たたまれない気持ちになった。
すぐ後ろに居る僕に気付いた郡山は、振り返ろうとした。僕はそれを片手で制する。
「動かないで、そのままで聞け」背中にはモデルガンを突きつけている。「言うとおりにしろ」
郡山は短い悲鳴を上げると、両手を挙げた。ドラマの見すぎた。こんな軽装の男のどこから凶器が出てくるというのだろう。体格だって僕とそう差異はない。不意を突かれたとしても負ける気がしなかった。
「な、なんだよ」
「声を出すな。いいから言うとおりにしろ」
「大声出すぞ」
「出したら殺す」モデルガンを強く押し付ける。「お前の部屋の前まで行け」
小突くと、歩き始めた。
一番奥まった部屋だった。その扉の前に横向きのまま僕たちは並んだ。
「今からペンと紙を渡す。そこに『この先の森に居る』と書いてドアポストに入れろ」
「はあ、行かないぞそんなとこ」
「行くんだよ。いいから書け」
道具を渡すと、しぶしぶながら、廊下の手すりを下敷きにして書き始めた。
「これでいいか」後ろ向きのまま、用紙を見せてくる。
「いいだろう。じゃあそこに入れろ。それから、後ろ歩きで戻るから、大きな音を立てるなよ」
指定どおりの行動をする。男が二人で並びながら後ろ歩きをしている光景は、ひどく滑稽だろう。
外階段を下りて、僕たちは前後に並んだまま茂みのほうに向かった。三十メートルも行かないところに車がある。
そこに着くと、高円寺嗣彦と唐草凜が並んで立っていた。
郡山を小突いて、その場に座らせた。
僕たち三人は、それを囲む形に位置を取る。
「何だよ。何の遊びだ? 勘弁してくれよ」
長身の坊主と年端も行かない少女、それに加えて脅してきていた男が若かったからか、急に郡山の口調は和らいだ。あざ笑うかのような笑みを湛えている。
「遊びじゃない。これは制裁だ」
「制裁? なに言ってんだ?」
「お前はこれから、お前の人生を悔い改める」
「改める? 何で、どうしてだよ」半笑いである。「ゲームのやりすぎじゃねえの」
「準備は良い?」
二人のほうへ目配せすると、無言のままで頷いた。
「何の準備だよ。くだらねえ。俺は帰るぞ、あいつを待たせて――」
「郡山くん、小学生時代からあんまりよくない人生を歩んでるね」
「はあ?」
「うんうん、見えるよ、見える。あれは四年生のときだね。近所の同級生の家に遊びに行ったとき、五歳になる彼の妹に手を出したね。服を脱がせて、あらゆるところを触った」
「は、はあ? なに言ってんだよ、馬鹿じゃねえの。そんなでたらめ――」
「斉藤祥子ちゃんか」
高円寺がそう言うと、郡山は黙った。
そしてようやく、事態の深刻さに気付いたようだ。
「いけないな、彼女、それがトラウマになってた。君がすっかり成人した頃、彼女、それも一つの原因として、自殺してる」
「ユキト君、何してるの? ねえ、どこ触ってるの? ユキト君」
唐草凛の声だ。
「その呼び名、なんで……」
「私だよ、ユキト君。忘れちゃった?」
「……意味わかんねえよ」
「分からない? 分かるように説明しようか。お兄ちゃんがおもちゃを取りに二階へ上がったとき、私が和室に居るユキト君のところに行ったね。そのときユキト君、おいでおいでってしてくれた。それから、おんぶしてくれて、私、嬉しかったな。でもお兄ちゃんがなかなか帰ってこないから、ユキト君、きょろきょろしながら私の服を――」
「やめろ!」
「いけないなあ郡山くん。異常な性癖を持つのは一向に構わないけど、成長してからもその調子じゃあ実にいけないよ。何人の女性を傷つけてきた? 高校二年生のときは帰り道でやってるね、相手はOLさんだ。次は大学一年のとき。友達の彼女だこれは。ねえ。それから、三年生の時には、殺しちゃったもんね。これは同じアパートの住人だ。顔見知りだったのかな。しかし恋人と住んでたっていうのに随分なことをしたね。十月三日の午後一時十七分。廊下から姿を現した女性を無理やり部屋に連れ込んで――」
「うわああああ!」
「郡山さん。何であんなことしたんですか? 毎朝ごみ捨てのときに笑顔で話しかけてくれてたのは、そのためだったんですか? あんなに抵抗したのに無理やり……。灰皿で頭割られるって、すごく痛いんですよ。私、憎いなあ、あなたのこと。模範囚気取ってすっかり仮釈放されたみたいだけど、私、そんなんじゃ許せませんよ。憎いなあ。殺したいなあ。殺したい、殺したいなあ」
唐草凛の声は、郡山の悲鳴で半ば聞こえなかった。
経歴の見える高円寺と、死者の声を聞ける唐草凜を最大限利用できるとすれば、こういった手しか思いつかなかった。
二人は呪詛のようにぶつぶつと続けている。
僕は頭を抱えて叫び続けている郡山に近づいた。
「郡山さん。反省、してます? してないでしょ。どうせ心の中では人生なんてイージーモードだとか思ってるんでしょ。俺だけは特別だって、何をしたって結局は許されるんだって、そう思ってるでしょ。誰にも自分の内側は覗くことができないって。ねえ。知らないでしょう。簡単なんですよ。僕たちにとっては。あなたの全てを見ることなんて。あっちの坊主は本当に、あなたの過去を見てますよ。あの女の子はあなたの殺した人の声を伝えています。ねえ、聞いてます? 僕はあなたの何が見えると思いますか? わからないでしょ。そうだと思いました。じゃあ、特別に教えてあげますね。僕に見えるのは、あなたの死のビジョンです」
手にしていたモデルガンを持ち替え、柄の部分を思い切り後頭部に打ち付けた。
打ち合わせになかった事態に、二人は瞬間言葉を無くして、ややあってから僕を止めにかかった。
でも僕は、狂ったように、郡山の頭を打ち続けた。
こいつが生きている限りは、本当の意味での安心は訪れない。
モデルガンが手から零れ落ちた。
目の前には血まみれの肉体が転がっている。
地面に座り込んでいた高円寺が、僕の動作が止まったのを見て、声を投げてくる。
「何で殺した」
「何で?」
「聞いてないぞ。殺すなんて。信じらんねえ。どうかしてる」
「どうして殺さないと思ったんです? この人は、僕の大切な人を殺す予定だった」
「でもこいつに恐怖を与えればそれで済むって、そう言ったじゃねえか」
「そんな甘い問題じゃありませんよ」血のついたモデルガンが、僕を捉えた。そこに、永劫見続けていたビジョンを見る。「ここは何とかしますから、もう行って下さい」
「なんとかって、なんだよ」
「いいから早く。時間がない」
「いいわけねえ――」
「早く行けよ!」
高円寺ははっとしたような顔をして、倒れこんでいた唐草凜を引っ張ると足早に車に乗り込み、去っていった。
死体を前にして、多分、僕は、笑っていた。
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