第8話  運命の夜

蛇神からの眷属が来てから夏の盛りが来るまで、何事もなく日々は過ぎていった。

 それは、コハクたちにとっては少し拍子抜けの日々だった。

 陽ノ月、最初の満月の夜、コハクは毎年熱を出してうなされる。そのときは蛇神様が村を見にきてくださってるとのことで、村ではささやかな祭りがおこなわれるのだ。

 社の前に集まり、音楽を奏でて、そして神への感謝の言葉を口にしながら宴をする。

 モミジは、幼い少女が苦しんでいるのに、なんて呑気なことをと、イチョウからその話を聞いたときに思った。村人にとってはコハクは感情を持っているヒトではなく、神のモノあるいは、鉄砲やお札のようなものとして扱われているのだということを実感出来るような話だった。

 先日、蛇神の眷属を送ってきた蛇神のことだ。今年は何か動きがあるだろうとイチョウが言っていたとおり、今年は異変が一つ起きた。

 コハクが熱を出さなかったのだ。

 熱が出ていないことを村人に悟られないように、コハクは寝たふりをしてやりすごすことにした。

村人に怪しまれてしまっては、蛇神と戦うことは難しくなると判断してのことだ。

幸い、占い師の老婆も世話係の巫女もコハクに熱がないことに気付くことなく無事、夕方になり村人たちは家に戻ったようだ。

社にはいつもの静寂が戻った。

 イチョウは、日が落ちると体を大きく変化させ、終始ヒゲや耳をピクピクさせて、どんな異変も逃さないようにしていた。

そして、コハクは緊張のためか顔を青くしながら動かない左手をぎゅっと握りしめモミジにしがみついていた。


 夜も更け、虫たちの声が大きくなったころ、それは訪れた。

 

 ズル…ズル…と重いものを引きずるような音が地鳴りを伴って社の裏手から響いてくる。

 中庭に出て、真っ黒な闇の中を見つめていると、ぬらりと社の屋根までありそうな高さの細長い巨大なナニカが現れた。

 月明りに後ろから照らされたそれは、上半身は装束のようなものを纏った男性の姿、へそから下は真っ黒な大蛇という異様な姿だった。

 モミジとイチョウは、恐怖に固まるコハクを隠すように彼女の前に立つと、全身の毛を逆立てて頭を低くして唸り声をあげている。


「実際に会うのははじめましてだね。」


「あなたが…蛇神…。」


「心配しなくていい。ここに結界を張ったからね。村人たちは地鳴りも私の姿も見えないさ。」


 長い体を引き寄せて蜷局を巻き始めたその異形の男を見上げながら、コハクは震える声をやっとのことで絞り出した。


「ところでコハク…そこの穢れた獣二匹を処分する気はないのかい?」


 ニコニコとした顔で蛇神は言うが、どことなくまとわりつくような嫌らしい声だなとモミジは思いながら、蛇神の顔を睨み付ける。

 蛇神は、コハクが小さく首を横に振るのを見ても、表情を崩さずに、そして何も悪びれる様子もなく「仕方ないな。」と言うと、手を前方へとかざす。

 蛇神の手から目にも留まらぬ速さで水の刃が放たれる。

つい今までコハクたちがいた場所は、庭石も神殿の壁もまるで豆腐か何かのように簡単に抉られていく。

 コハクを咥えて、蛇神から放たれた水の刃から逃れたモミジは、彼女をそっと大木の根元に下ろすと、蛇神へ向かって駆けだす。

 イチョウも、先ほどの水の刃を屋根に飛び乗って避けたようで、上空から蛇神に向かって矢のように飛び降りている。

 蛇神は、自分の攻撃を避けた二匹にさして驚く様子も見せずに再び手を前方へとかざした。

 水の刃が先ほどと同じように放たれ、イチョウとモミジも体を捩じってそれを避けようした。しかし、水の刃はまるで吸い寄せられるように二匹の体を掠めて肉を抉っていく。

 二匹は、不味いと思ったのか距離を開けて雑木林に入り、蛇神の攻撃を避けようとするが、蛇神の放つ水の刃は太い木の幹なんてまるでないかのように、木の幹を切り裂きどんなに避けても二匹のことを追いかけ、肉を引き裂いていく。

 コハクは、最初中庭の木の根元でそれを見ているだけだった。

しかし、居ても立っても居られず、なんとか水の盾を出して二匹を守れないものかと蛇神の攻撃を見ると、右手を前にかざす。

しかし、水の盾は出る気配すらなく、二匹の体はどんどん赤く染まっていた。


「その水の力は、私が貸しているものだからね。私の意に反したことは出来ないとわかっているだろう?」


 蛇神のそんな言葉に、コハクは唇を噛みしめながら出ない水の盾を出そうと必死に手を前にかざし続ける。

 ついに水の刃がイチョウの太ももに直撃する。

 動きを止めたイチョウの首元には、更なる水の刃が向かっているところだった。

 イチョウの目の前にコハクが現れ、コハクの胸にも水の刃が直撃する。


「ばか!あんたまで動けなくなってどうするんだい。」


「…悪い。気が付いたらこうしてた。」


 体中を真っ赤に染め、息も絶え絶えな二匹を見て、蛇神は口元を歪める。


「今なら、この二匹にトドメを刺せば命はたすけてやろう。」


 二匹の元に駆けてきたコハクを見ながら蛇神はそう言った。

 その言葉を聞いたコハクは、イチョウとモミジの頭を優しく撫でると、真っ赤な瞳に涙をいっぱいに溜めながら蛇神を睨みつける。

 先ほどまでの怯えた様子が嘘のように、コハクの瞳には怒りの炎が宿ったような光に満ちていた。


「この子たちは…お前なんかに殺させない。」

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