第2話 巫女と化け狐

 村は、にわかにざわついていた。

 それは村に大きなクマが現れた日のことだった。

 村人たちはいつものように、コハクにクマを倒してもらうために、普段はめったなことでは近付かない社へと足を運ぶ。

 村に異変があると、コハクが張った結界が反応するため真っ先に気が付くのはコハクなのだが、彼女は自分で社から出ることは禁じられているため、武器を持った男衆の到着を神殿の中で待っている。

 村の男衆がコハクを迎えに行って目にしたのは、彼女の隣に従者のように付き従っている白い狐の姿だった。

 その狐は山羊ほどの大きさもあった。

 村人たちが狐に驚き、武器を構えるのを見ると、狐は唸りながらいつでも飛びかかれるぞと言わんばかりに体を低くした。


「こらこら、モミジ…村の衆に物騒な声を出すのはおやめ」


 コハクの声で、モミジと呼ばれた白狐は、唸るのをやめると彼女の手に頭を擦り付けて甘える仕草をした。


「この子に危険はありません。さあ、参りましょう」


 コハクは、モミジを隣に従え、呆気にとられている男衆を尻目に山へと向かっていく。

 男たちはしばらくぼうっとしていたが、クマのことを思い出し、慌ててコハクたちの後を追った。


 村の男衆たちは恐怖した。

彼らが目にしたのは、いつも通りの水の刃で切り裂かれるクマではなく、返り血で真っ赤に口元と前足を染めた大きな狐に喉元を噛み潰され頭を踏みつぶされたクマの姿だったのだ。

 まるで仕事を終えたことを褒めてくれと言わんばかりにコハクに頭を擦り付ける狐と、微笑みながらその狐の頭を撫でているコハクに、村の男たちは底知れぬ恐怖を感じた。

 男たちは、彼らを置いて狐と共に社に戻っていくコハクを、ただただ見つめることしかできなかった。


 翌朝、占い師の老婆が神殿を訪れた。


「この子は危険ではありません。」


「だが、言い伝えにあるとおり、狐はこの村に害を与える災厄の象徴だ。

 そんなものを村に置くことは出来ん。」


 村を水害で苦しめていたという邪悪な狐を蛇神様が倒したおかげで今の暮らしがあるという言い伝えはコハクも知っている。

 だが、コハクにはこの狐が邪悪だとは思えなかった。


「この子からは、妖気も感じません。ただの社に迷い込んだ狐です。」


「つい七日ほどで子ぎつねから、山羊のような大きさになる狐のどこがただの狐なんだね。」


 そう、モミジと呼ばれているのは、コハクが介抱していた小さな白い狐だった。

 確かに、見つけたときは子犬ほどの大きさだった狐が、目覚めてから数日で山羊ほど大きくなったのはコハクも不思議に感じていた。

 でも、コハクは頑として引き下がらなかった。


「この子は、私に慣れています。

 それに、蛇神様の敵であった狐をも使役出来るようになれば蛇神様もお喜びになるでしょう。」


 コハクの頑なさを見て、老婆はあきらめざるを得なかった。

 それに、確かに化け物のような狐を支配下に置くことは、野盗や害獣たちに対しても有効な戦力であると老婆は思い直したのだ。


「仕方ない。その化け物狐をここに置くことを正式に認めよう。

 ただし、許可なく社の外に出されちゃ困る。わかったね。」


「ありがとうございます。」


 コハクは、そそくさと立ち去ろうとする老婆に恭しく頭を下げた。

 老婆の姿が見えなくなり、社の門の鍵が閉まる音を聞くとコハクはやっと頭をあげる。



「はぁ。ドキドキした。占いのおばあさまに逆らったことなんて初めて。」


 頬を紅潮させながら、コハクが足を崩し、ほっとしたように声を出した。

 その声を聴いたのか、姿が見えなかったモミジがどこからともなく現れコハクの頬を舐めた。


「コハク!大変だったな」


「ありがとうモミジ。やっと見つけた話し相手がいなくなるのが嫌だっただけよ。」


 コハクは、モミジの顎下を撫でてやりながらそう答えた。


「俺が話すことを知ったら、あの婆さん嫌がるだろうなぁ…。」


 モミジはそう言いながら体を丸めた。

 大きな白い狐の毛皮に顔をうずめながらコハクもうなずく。

 モミジが話すことがわかったのは、彼が目覚めてすぐだった。


「お前は誰だ?俺は何故ここにいる?」


 コハクに発見されてから数日後、いつも寝かせていた場所で、きょろきょろ辺りを見回していた小さな白い狐は、彼女に向かってそう話したのだ。

 記憶を無くした狐は、自分の名前すらも覚えていなかったようで、コハクが「この村にたくさん植えられているから」という理由で狐にモミジと名付けたのだった。

 害獣や野盗が出るとコハクは毎回モミジを連れ立った。

 村人たちはモミジを見るたびに警戒した表情になっていたが、何回かモミジを見ているうちに慣れていった。

 それは、自分が敵を切り刻んだ様子に怯えていた村人が、自分を便利な道具として見る過程と同じだったのでコハクは少しだけ複雑な気分でもあった。

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