第23話
空の守りは失われた。
上空に浮かんだ光る雲から降り注いだ炎によって、
シアタカは戦場で、あの光る雲を何度か見たことがある。敵兵を何十人、何百人と焼いた恐ろしい聖導教団の魔術師たちによる大掛かりな戦咒だ。今回、その炎を地上まで達しなかったのは、
しかし、安堵するのはまだ早い。本当の脅威はこれからやって来る。砦から飛び上がった空兵部隊を見上げて、シアタカは叫んだ。
「空襲が来るぞ! 備えろ!」
大鳥空兵の編隊は、砦へ迫る戦士たちの上空で大きく広がった。次の瞬間、大鳥の後方に、帯のように無数の黒い点が現れる。シアタカは、それが何なのかよく知っていた。短い杭や矢のような形をした投箭という武器だ。空兵は、投箭とそれを使う空襲を“
楕円形に広がった黒い点は、凄まじい速度で地上へと落下した。戦士たちが、死の雨に備えて盾を頭上に構える、
次の瞬間、鈍い音と苦悶の叫びが同時に発せられた。
「立ち止まるな! 死ぬぞ!!」
ハサラトが叫ぶ。
次々と投箭と石が降り注ぐ中、倒れた者たちを置いて、戦士たちは必死で砦目掛けて駆ける。
死の雨が止む。
見上げれば、矢弾が尽きたのだろう、空兵たちが砦へ戻っていく。しかし、敵は歓迎を止めない。戦士たちは砦から放たれる矢や石を防ぐことに必死だ。
城壁が白い砂塵に覆われる。防戦にあたっていた兵たちは、凄まじい速さで飛来した石や砂に薙ぎ払われ、目を眩まされてしまい、攻撃が止まる。
漂う白い砂塵の下から、黒い波が押し寄せた。
キシュの群れが一気に城壁を駆け昇る。
山地や岩場を自在に歩くキシュにとって、こんな急ごしらえの壁など階段に等しい。彼らは横一列の隊列を乱すことなく壁面を上っていく。城壁を守る兵たちからすれば、黒光りする波が蠢き、覆い尽くそうとしているように見えただろう。
キシュに続いて、
鉤爪の伸びた腕が打ち振るわれると、何人もの兵士がはじけ飛び、城壁上から落下した。
弾むように揺れる
これによって、城壁の上から降り注ぐ矢や石の攻撃が弱まった。その隙をついたエイセンが、真っ先に城壁の下へとたどり着く。攻城戦に合せて普段より短い大槍を手にしたエイセンは、それを振り回して叫んだ。
「早く来い! お前ら急げ急げ!!」
戦士たちは必死の形相で駆ける。他の戦士たちに守られたシアタカも、砦を見上げながらそれに続いた。そして、城壁よりもさらに高台の岩棚に、弓兵に混じって一人の男が立ったことに気付く。その長衣は魔術師のものだ。
何らかの戦咒を使うのか。
しかし、もう彼らは走り出している。そして、法陣を破られ、炎の雨のような戦咒を使った以上、砦の魔術師にそこまで力は残っていないはずだ。火中に飛び込むことを覚悟して、押し切るしかない。
シアタカは覚悟して歯を食いしばった。
調律の力を呼び起こす。
口から唸りが漏れ、肌に紋様が浮かび上がる。
僅かに遅れて、隣を駆けるエンティノとハサラトも調律の力を呼び起こした。
調律の力によって飛躍的に上がった視力が、魔術師の姿を捉える。
魔術師は手にしていた小振りの粘土板を掲げると、何か言葉を発している。おそらくは呪文を唱えているのだろう。大きく体を震わせると、魔術師は粘土板を放り投げた。粘土板は落下しながら、何も触れることもなく空中で四散する。
次の瞬間、飛び散った破片は弾けるような音と共に光を放った。
その光は、
「こいつで戦咒は弾切れ……、か?」
ハサラトが、顔をしかめながら上を見上げた。
「そう願いたいな……、来るぞ!」
矢が飛来する。シアタカの警告の声に反応してハサラトや戦士たちは盾を構えた。風を切る音と共に飛来した何本もの矢は、盾を貫通する。運悪く腕に刺さった者たちが悲鳴を上げた。
凄まじい強弓だ。
見上げれば、妖魔を模した恐ろしい形相の面を付けた一隊が弓を構えている。
紅旗衣の騎士。
シアタカは振り返ると言う。
「エイセン! 打ち合わせ通り、俺たちが紅旗衣の騎士を引き受ける。
「おう!
エイセンが雄叫びを上げる。選りすぐりの戦士たちもそれに応じた。
あの砦の中で、最も恐ろしい戦力は紅旗衣の騎士たちだ。
城壁の下に、続々と
号令一下、戦士たちは次々と足場を駆け登っていった。登らせまいと城壁から石や矢が飛び、何人もの戦士が落下していく。しかし、すぐにキシュがその場へと向かい、城壁上の兵士たちは、身を守ることに精一杯となった。攻撃の止んだ城壁へと、戦士たちは向かう。
シアタカの肩に
「シアタカ、ソロソロ限界ダ」
「分かった! 退いてくれ!」
シアタカは答えた。
最後に一暴れとばかりに、
シアタカは振り返った。
ワンヌヴたちは護衛のキシュと共にこの場から離れている。入れ代わるように、鱗の民も近付いていた。すぐに、城壁までたどり着くだろう。
城壁を見上げる。
視線を移すと、こちらを見ているエンティノとハサラト、そしてウィト。
「行くぞ」
「ああ。散々焦らされたが、ようやく昔馴染みにご挨拶だ」
ハサラトはニヤリと笑った。隣のウィトは、緊張の面持ちで胸に手を当てた。
「生きて帰るわよ」
エンティノの言葉に、シアタカは深く頷く。
シアタカと
長身の戦士が雄叫びと共に槍を振るう。
騎士の一人が盾でその一撃を受けたが、その体が揺らいだ。調律の力が顕れている騎士を崩すとは、大した剛力の持ち主だ。
ファーダウーンはその戦士に見覚えがあった。
シアタカと蟻使いが現れた戦場で、長大な槍を振り回していた男だ。あの槍を扱えるのだから、確かにその膂力は人並み外れているのだろう。そして、決して力だけではない。反撃に出た騎士と、まともに切り合っている。今はあの時の長槍を持っていないが、短い槍を操ることでその速さが際立っている。肉体も、技も傑出した戦士だ。
すぐに、他の戦士たちも戦いに加わった。
その機敏な動きから、各々が優れた技量の戦士たちだと分かる。それでいながら、個々の武勇に頼ることなく見事な連携で騎士たちに立ち向かっていた。それは、精鋭のウル・ヤークス歩兵に引けを取らない。ウル・ヤークス軍の連携を身に付けた異国の戦士たち。シアタカが彼らを鍛えたのだと思うと、ファーダウーンの口元には無意識に笑みが浮かんでいた。
広い岩棚の上に、次々と戦士たちが登って来る。
ウル・ヤークスの城壁と沙海の
城壁の上の戦士たちは、踊るように戦い、ウル・ヤークス兵を圧倒していた。
その戦士たち以上に厄介なのは大蟻だ。
狭く足場の悪い岩塊群の中であの大蟻と戦うのは、二本足で立つ人間にとって難しい。その上、あの大蟻は明らかに兵士としての動きを心得ている。決して、化け物が凶暴さを剥き出しにして勢いのまま暴れているのではない。
その大蟻の群れに戦士たちが合流した。
上からは戦士の槍が繰り出され、下からは大蟻が顎や頭で足下を狙ってくる。そうなると、騎士も深く踏み込むことができずに防戦一方になってしまう。
乱戦になったと言うのに、大蟻は必ず一匹、二匹が戦士と共に在り、まるで対となった踊り手のように息の合った攻撃を繰り出してくる。優れた軍馬や恐鳥でもこうはいかない。
これが蟻使いの力なのか。
これまでの敵とは全く異質の戦い方に驚くが、立ち向かわなければ終わりだ。
敵味方が入り乱れるこの状況で、ファーダウーンは、騎士たちの統率を保つべく指示を絶やさない。敵は、紅旗衣の騎士に、特に手練れの戦士たちを当てている。それは、城壁の上の戦いを見て分かる。紅旗衣の騎士はこの場では傑出した戦闘力を誇っているが、数には勝てない。分断されて取り囲まれてしまえば、紅旗衣の騎士といえど、倒されてしまう。戦闘集団としての強さを保ち続け、この場でウル・ヤークス軍の要として戦う。それが紅旗衣の騎士の役割だ。
敵が押し寄せる。ファーダウーンもただ後方で指示しているだけにはいかなくなった。足下から迫る大蟻を牽制し、戦士の槍を打ち払う。ファーダウーンの反撃の槍は、戦士が素早く退いたために空振りした。その隙に再び接近した大蟻を盾で打つと、ファーダウーンも後方に何歩か距離を取る。
この大蟻は人や獣のように目に頼っていない。
ファーダウーンはすぐに理解した。
この化け物に人間相手に使うような誘いや牽制は通用しない。大蟻は己が傷付くことに構わず、己の戦い方を貫き、相手に押し付ける。ならば、こちらもそうさせてもらおう。
「切り崩す! ついて来い!」
叫ぶと同時に、敵の機先を制して激しく踏み込むと、左足で地面の砂を巻き散らすように蹴った。石混じりの砂飛礫は、大蟻の頭を直撃し、その動きが一瞬止まる。ファーダウーンは踏み込んだ勢いを殺すことなく、盾を構えたまま跳び込んだ。
一気に間合いを詰めたファーダウーンは、大蟻の頭に槍を突き刺した。そして、驚く戦士へ盾ごとぶつかる。戦士は後方へ吹き飛んだ。
身を転じながら槍を繰り出す。
隣にいたもう一人の戦士は、咄嗟に身をよじるとその突きを躱そうとした。
穂先はその右肩に浅く突き刺さり、肉を切り裂いた。
浅い。
舌打ちすると、槍を引き戻す。
助けに入ろうとする大蟻の姿が見える。
ファーダウンは自ら大蟻へ向かって跳び、その頭を踏んだ。
何かが潰れた感覚が伝わって来る。しかし、踏み砕いた感覚ではない。おそらく甲殻にひびが入った程度だろう。確かめていては反撃にあう。
瞬間的にそう判断したファーダウーンは、そのまま大蟻を踏み台にして戦士の列に跳び込んだ。
戦士の盾に自らの盾を当てて、姿勢を崩す。小さく、素早く槍を振るった。
穂先は戦士の足を切り裂く。戦士は、唸り声と共に倒れ込んだ。
止めを刺そうと、素早く槍を返して逆手に握った。そして、がら空きとなった胸目掛けて突き下ろす。
次の瞬間、風のように何かが飛び込んできた。
激しい金属音と共に、槍の穂先は紅閃に打ち払われる。
手元へ伝わって来る衝撃をいなしながら、ファーダウーンは己の一撃を阻んだ者へ向き直った。
そこには見慣れた顔がある。
「久しぶりだな、シアタカ」
ファーダウーンは微笑んだ。
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