第13話

 タハトカは高原の街だ。


 緑洲オアシスや川に囲まれたこの街は、歴史上、常に交易や農耕の中心として栄える古き都だった。


 人々で混み合う市場には、色とりどりの果物や農作物が並び、繋がれた羊や山羊が騒がしく鳴き、職人たちの作った刀剣や金属器が輝いている。ムタハ族が誇らしげに連れて歩く美しい毛並の馬と恐鳥や、遠方より訪れた隊商の駱駝の長い列などに遮られて、しばしば人々は足を止めることになった。


 そんな街路を、四人の供を連れて歩くウルス人の男がいる。


 自信に満ちた表情を浮かべた壮年の男は人並みの背丈だが、肩幅があり、袖からのぞくその腕は太い。厚みがある固太りした体格だ。よく食べ、よく飲み、よく鍛えた戦士の典型的な体型だった。


 その男、第四軍を率いる将軍タウワーリは、傍らを歩く男に言った。


「リグウス殿、古都タハトカは西方の都と比べてどうだ?」


 名を呼ばれたのは、栗色の髪と灰色の瞳を持った男だ。背は高いが痩せており、無精ひげが目立つ。おそらくは三十代であろう男は、辺りを見回しながら答える。


「何もかもが違いますな。仕事柄、西方の様々な土地に行きましたが、タハトカに限らず、ウル・ヤークスの街というものには、風通しの良さを感じます」 

「風通しの良さ?」


 リグウスは、片眉を上げてこちらを見たタウワーリに頷いた。


「そうです。人が行き来するための壁がないとでも言いましょうか……。あなた方の言う西方教派を信ずる国々では、支配する者たちと、支配される者たちの区別がはっきりしています。その壁を越えることは難しい。我が祖国フオマーンは、西方の国々の中でも自由な気風があると思いますが、それでもウル・ヤークスに比べれば少し堅苦しいでしょうな」

「この国には貴族はいない。古い名家や一族が隠然たる勢力を保ってはいるがな。だが、才能さえあれば国の中枢に立つことは出来る」

「知っています。我が国も共和制ではありますが、貴族位を持つもつ者もおりますし、何より国の根幹は西方教会の権威によってなりたっていますからね。それに、ここまで様々な民が諍いもなく入り混じることも珍しい。西方教派の国々では、狗人や翼人などを蛮族や化け物扱いをする者たちも多い。それどころか、女に読み書きを教えることや、一人で出歩くことを禁ずる国もありますからな」


 リグウスは、書店の店頭で、本を片手に店の主人と議論している女を横目に言った。タウワーリは笑い声を上げる。


「それはまた、女にとっては悪夢のような国だな。ウル・ヤークスでは、アシス・ルーやアタミラの学院で何人もの高名な女の学長を輩出しているぞ」

「フオマオーンでも学問を修める女は多いですよ。商会を構える女主人もいる。聖王教の教義は、人々の秩序を織りなし、築き上げることを目指しています。だが、この秩序の解釈が難しい。一生、生地せいちに縛られて離れることもできず、身分ごとに服装の僅かな違いまで決められ、貴族に話しかけただけで罰せられる国もあれば、平民が貴族以上に豪奢な暮らしをして、酒場で議員たちを馬鹿にする歌を合唱し、小店の番頭が国の統領になれるような我らがフオマーンのような国もある。何より、我々はエルアエル帝国やあなた方のような異教徒と取引していますからね。『聖典を切り取って金貨に代えている』。“信心深い”人たちにはそうやって罵られ、土地によっては我らも異端扱いされるのです」


 リグウスは溜息をついて答える。


「それが聖王教のもつ偏狭さなのだろうな」


 タウワーリは笑みを消すと、呟くように言った。リグウスは、からかうよな表情を浮かべる。


「ですが、このウル・ヤークスのように、種族さえも違う様々な民を一つにしているのも聖王教なのでは?」

「そのはるか昔に、巨人王が実現していたことだ。そして、その御代において、臣民は何を信ずるかを問われることもなかった。その点、聖王教を信ずる国々は実に窮屈だ。その窮屈さに耐えきれずに、教義を都合よく解釈している者たちも多いのではないか?」


 タウワーリは首を傾げる。リグウスは苦笑すると頷いた。


「まあ、女が国を治める土地もありますし、異教徒や蛮族と深い交流を持つ国もあります。タウワーリ殿の仰る通り、その土地の民が聖王教の教えをどれだけ自分たちに合せて解釈しているのか、ということでしょう」

「ウル・ヤークスでも似たようなものだ。同じ正教派を信じているはずだが、皆、気風が違う。ウルスの民の宴会に敬虔なシアートの民を連れて行けば、眉をひそめるだろうな」 

「さすが、護教の民と称される人々ですね」

「奴らが聖女王に力を貸さなければ、今頃ウル・ヤークスは無かっただろう。まったく、厄介な奴らだよ」

「それは、我々にとっても同じです。彼らは、信仰篤い聖王教徒でありながら、内海を渡り、異教徒とも上手く付き合っている。堅苦しいのかもしれませんが、寛容でもある。恐るべき相手ですよ」

「フオマーンも同じではないか。こうして、異教徒と手を組むことも厭わない」

「確かに、似た者同士なのでしょうな。ようするに、金の前では皆同じということです」

「世の真理だ」


 肩をすくめて見せたリグウスの答えに、タウワーリは笑い声を上げた。


「しかし、似た者同士だからこそ、相容れないのですよ。内海は広大ですが、残念ながら彼らと分け合えるほど広くはない」

「お互い、その憎きシアートを追い落としたいが、今のところ、順調とは言えないようだ。アッディールは、奴らが肩入れしている黒い人ザダワフとの交渉に失敗した」

「アッディール殿から話は聞きました。その黒い人ザダワフも中々な度胸の持ち主ですね」

「どこまで踏み込めるのか、そこを読み取ることが上手い者はいる。戦場でもそういう者は強い。だが、己の眼を過信して引き際を見誤ると、一巻の終わりだがな」

「タウワーリ殿もそう言う者たちを見てきたということですね」

「ああ。運命の巡りと勘働きが噛み合った時、その者はどこまでも昇って行く。だが、ふと、その勘が鈍る時がある。あるいは、運命の巡りが途絶える時がある。その瞬間を見極めることができるか。それが分かれ道だろう」

「タウワーリはその慧眼をお持ちなのですか?」

「いや、持っていないな」


 タウワーリは笑うと頭を振る。


「俺はここまで何とかやって来たが、いつすべてを失うか分からない。普通の人間よりも幸運だっただけだな。だが、ただ漫然と待つ者は、訪れた幸運を手にすることは出来ないだろう。常に動き、備え、待ち構えている者のみが幸運を迎え入れることができる。幸運の果実が落ちてきても、器を用意していなければ、受け取ることもできないのだ」

「それは、分かる気がしますな」 

「ヤガンという男も、幸運を逃さぬ目を持っているのだろう。ルェキア族の弾圧から逃げ延びて、シアートの手厚い保護を受けているのだからな」

「実に興味深い男ですね」

「会ってみるか?」


 その問いに、リグウスは目を伏せて思案している様子だったが、タウワーリを見て頷いた。 


「確かに、ルェキアやカラデアと組んでみるのも面白い。ルェキア族はラーナタ連合と取引をしていますからね。わが国にも彼らとの取引に興味を示す者は多いでしょう」

「私も、近々アシス・ルーに向かうつもりだ。その時に同行すれば良い」


 そう言ってリグウスの肩を叩いたタウワーリは、足を止めると振り返った。

 

 視線の先では、売り子が歌うように見事な声で客引きをしている。その傍らの屋台では、店の主人がうず高く積まれた柘榴を手にとっては切り分けていた。分割された柘榴は絞り機にかけられて、絞り取られた果汁は杯に並々と注がれる。人気があるらしく、主人は休むことなく柘榴の果汁を絞っていた。


「少し休んでいくか」


 タウワーリはそう言うと、リグウスの答えを聞くこともなく屋台へ向かった。


 屋台の近くには広く葉が茂る巨木が生えており、大きな日影を作り出している。そこには低い椅子が幾つも並べられており、多くの客が柘榴の果汁とともに会話を楽しんでいた。


 部下の者が注文している間に、ターワーリはそのまま空いている席へと向かった。他に並ぶ椅子からは少し離れた場所だ。その席の隣には、長衣をまとい、被衣かつぎによって頭と顔を覆い隠している女たちが三人、座っている。


「隣に座っても良いかな?」


 タウワーリの問いに、一人の女が頷いた


「急な招きに応じて申し訳ない。遠路はるばる、よく来てくれたな、感謝する」


 椅子に腰を下ろしたタウワーリは、女性に言う。リグウスは怪訝な表情を浮かべた。


「お知り合いですか?」

「いや、何度か顔を見たことはあるが、話したことはない。直接顔を合わせるのは、これが初めてだな?」

「ええ、そうです」


 女はそう答えると、顔の覆いを外した。整った容貌だが、その視線には冷たさと射抜くような力が宿っている。


「紹介しよう。こちらはファーラフィ殿。イールム王国の貴族で、ウル・ヤークスに派遣されて外交などに携わっている」


 その言葉に、リグウスは思わず驚きの声を発した。


「よしよし、リグウス殿を驚かせることが出来た」


 満足げに頷くタウワーリを見て、リグウスは溜息をついた。


「将軍閣下も人が悪い。このようなことがあるのならば、色々と準備をしましたものを」

「何の準備だ? 迂闊なことを言うと其方の身が危ういぞ?」


 タウワーリは笑みを浮かべる。ファーラフィの両脇に座る女二人がリグウスを見つめている。その瞳は金色だ。 


「剣呑なことを仰らないでください。イールム王国の方がおられるのならば、こちらも話すべきことを幾つも考えてきたということです」


 リグウスは慌てて両手を上げた。それを見て、タウワーリは笑う。


「すまんすまん、少しからかっただけだ」

「初めまして、リグウス様。タウワーリ様からお話は伺っておりました。内海をフオマオーンの支配下に置くために、シアートの民を権力の座から追い落としたい。そうお考えとか」


 ファーラフィは、微笑みを湛えて言った。その言葉に、リグウスは苦笑する。


「会ったばかりだというのに、率直な御方ですな」

「迂遠な物言いは我が国の貴族にとって礼装や化粧のようなものですが、生憎、ここは宮廷ではありませんので」  

「違いない。ならば俺も腹を割って話すとしよう」


 笑い声を上げたタウワーリは、ファーラフィに顔を向ける。


「アタミラではそなたと会うのは危ういからな。何より、二人を引き合せたかったのだ。真偽も定かでない怪しげな書状を信じて、遠路はるばる来てくれたことを感謝する」

「いえ、私がここまで出向いたのは、好機であると思ったからです。我々は以前より、ウル・ヤークスの中で対立を煽る存在について掴んでいました。何より、私自身がその場面に立ち会いましたから」

「ああ、あの時は必勝の布陣をもって臨んだつもりだったが、手痛い反撃を喰らってしまったな。そなたも随分と活躍したとか」

「我が身を守る必要もありました。何より、シアートとの繋がりを失うわけにはいかなかったのです」


 ファーラフィの答えを聞いたタウワーリは肩をすくめた。


「そなたが仕事熱心なお蔭で、こちらは段取りが大きく狂ってしまったぞ」


 店の少年が柘榴の果汁で満たされた杯を持ってくる。それを受け取ったタウワーリは、杯を掲げた。


「酒杯ではないが、三人がここで会えたことを祝して乾杯しよう」


 その言葉に、リグウスとファーラフィも杯を掲げた。


 タハトカの乾いた空気のもとでは、柘榴の果汁はことさら喉に染み込む。皆が十分に味わったのを見て、タウワーリは口を開いた。


「さて、ファーラフィ殿。そなた達がシアートと取引をしているのは知っている。だが、新たな取引相手として、我々の方をお勧めしよう。シアートは所詮、災厄の主の教えを継ぐ者たち。どこまでいってもそなた達と相容れることはない。我々ならば、寛容と慈愛に満ちた関係を築くことができるだろう」


 自信に満ちた表情のタウワーリは、大きく両手を広げた。ファーラフィは微笑む。


「祝福されし“豊穣なる河の辺”に、大いなる栄光がよみがえることを我が王はお喜びになるでしょう。朝廷も、必ずや良い決定を下すはずです」

「楽しみにしているぞ。それに、この男にも手柄を与えてやってくれ」


 タウワーリはリグウスを指し示す。


「勿論ですとも。フオマオーンが内海の覇権を握れば、エルアエル帝国に圧力を与えることが出来る。それは、我がイールムにとって大きな利益となります」

「我が国は聖王教を信ずる国です。良いのですか?」

「あなた方もシアートと同じ、利益の為ならば少しばかりの違いに目を瞑ることが出来るのでは? ならば手を結ぶことに何の問題もありません」

「ごもっともです。我々としても、有益な提案が出来ると存じます」


 リグウスは満足げに頷いた。同じように頷いたファーラフィはタウワーリに顔を向ける。


「我々が力を合わせることによって、タウワーリ様は必ずや大成を成し遂げられることでしょう。……ですが、その前にまず、摘み取らなければならない災いの芽があります」

「災いの芽?」

「シアートの人々が襲撃されたあの日、私は、別荘に攻め寄せる傭兵たちを魔術によって蹂躙しました。しかし、畑の中に魔術師が潜んでいたことに気付かず、強大な妖魔を放たれてしまった。あの時、私は敗北を覚悟しました」


 ファーラフィの言葉に、タウワーリは首を傾げた。


「怨み言でも言いたくなったのか?」

「いえ、そうではありません」

「そうだろうな。傭兵たちを屠り、妖魔を退けるような偉大な魔術師にとって、あんな事は危機でも何でもないだろう?」

「あの妖魔を退けたのは、私ではありません」

「……何?」


 タウワーリは目を瞬かせた。


「私はあの場で、人の子でありながら、精霊のごとき力をもった者を見ました。その娘は、あなた達の放った妖魔を退け、その場にいた多くの怪我人を癒した。そして……、我々の送り込んだ精霊アザドをも退けた」

「……偉大な癒し手がその場にいたという話は聞いている。だが、その者が妖魔をも退けたというのか?」

「ナタヴ様は、その場にいた傭兵や兵士、そして私の功績であるとしましたが、それは、その娘の力を隠すための偽りです。私はその力を見て、感じました。あれは、人の身に宿すにはあまりに大きい力……。百年も昔、同じように力を宿した娘が、聖女王と崇められるようになったのも理解できました」


 口元から笑みの消えたタウワーリは、ファーラフィを見つめて言う。 


「そなたのような偉大な魔術師がそのように言うとは、余程の力の持ち主なのだな」

「ええ。我らが送り込んだ“敬虔の守護者”という精霊アザドは、かつて戦場において多くの兵士を屠り、精霊や妖魔を退け、魔術を砕いてきました。召喚するためには多くの術師や祭司の力を必要とする強大な存在なのです。そのような精霊アザドを、あの娘は容易く退けました。それは、まさしく災厄の主の力と呼ぶに相応しいものです」


 ファーラフィは、道行く人々に目をやり、再びタウワーリに顔を向けた。


「現在のウル・ヤークスにおいて、建国の熱狂は醒め、団結の鎖は緩んでいます。それは、我々にとっては都合の良いこと。ですが、あのような力の持ち主が人々の前に現れれば何が起こるのか。それは、ウル・ヤークスの勃興によって示されています。再び信仰の熱狂が燃え上がり、大火となって周辺に燃え移ることにもなりかねません」


 身じろぎしたタウワーリは、一つ大きな息を吐くと、聞いた。


「それで、その娘はどこにいるのだ?」

「その者は、シアートに匿われていましたが、現在ではアタミラから出て、それ以降の消息を掴めないでいます。教会にも追われていましたから、おそらく身を隠しているのでしょう」


 その答えを聞いたタウワーリは、大きな笑みを浮かべる。


「面白い。教会とも敵対しているとなれば、是非とも我が陣営に迎え入れたいところだな」


 一切の表情が消えたファーラフィは小さく頭を振った。


「あの者は……、殺すべきです。生かしておいては、必ずや大きな災いの渦を生み出すでしょう。かつての禍つ女、聖女王と同じように、誰かが御しておける者ではありません。氾濫する大河のように、恐るべき災厄は皆を滅ぼすことになります」

「御するつもりなどない」


 笑みをたたえたタウワーリは言った。 


「聖女王の力は大衆にとって聖性の証だ。それが、聖女王に等しい力の持ち主が現れればどうなる? 唯一無二の存在であるはずの聖女王の正当性に、疑念が生まれることになる。その娘を、聖王教会という炉に放り込む火種にするのだ。現状の教会に不満を抱く者たちは勝手に燃え上がり、やがて教会全体に燃え広がる大火になる。そして、その混乱が大きくなるほど、教会の権威は揺らぐことになるだろう。そうなれば、人々も新たな救いを求めることになる。分割し、対立させる。お前たちが得意とする統治の術だったではないか。我々は、そのやり口に倣うつもりだ」


 タウワーリは、目を輝かせると身を乗り出し、リグウスと、ファーラフィを見やった。


「この時機に、そのような娘が現れた。まさしく運命の巡りというものだ。この先に待っているのが大いなる栄光にしろ、無残な敗北にしろ、嵐が巻き起こるのは間違いない。まったく、楽しみになってきたじゃないか」

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