第19話
シェリウは、足音を聞いて顔を上げた。そして、戸口に立つ二人の娘を見て顔をそむける。
二人は、シェリウが腰かける
「あらあら、ご機嫌斜めなようね」
からかうような口調でこちらを覗き込む一人の娘。ルミヤと呼ばれていた、自分を締め落とした女だ。
シェリウは目を細めると、無言で顔を逸らした。
「朝食は美味しくなかったかしら?」
そう問いかけるもう一人の娘と視線が合う。ティアンナという魔術の使い手。彼女との戦いを思い出して顔が強張った。
確かに、朝食は不味くなかった。認めることは悔しかったが、美味だったといえるだろう。それは、アタミラでナタヴの屋敷に逗留していた時を思い出すような、豪華な物だった。
昨夜の戦いの後、目覚めた時にはこの部屋にいた。その後は使用人たちによって身を清められ、癒し手による治療があり、薬湯や朝食が用意された。それは、虜囚というよりも、賓客を遇しているような扱いだ。とはいえ、見張りとして使用人と兵士が控えていたし、部屋の周囲に術法による結界が張り巡らされているのも感じ取れた。
そうして手厚い扱いを受けて体を癒したシェリウの体調は戻っている。すでに陽は高く、昼を過ぎているだろう。
ルミヤが、シェリウの隣に座った。ティアンナも、シェリウを挟むようにして反対側に腰を下ろす。ルミヤは、視線を合わさないシェリウの横顔に問いかけた。
「何か気に障った?」
「……あんた達の顔が見たくないだけ」
シェリウはぼそりと言った。ルミヤとティアンナは顔を見合わせる。
「まあ、無理もないけれど、仲良くしておいたほうが良いと思うわ」
ルミヤはそう言って肩をすくめた。
シェリウは大きく溜息をついた。そして、ルミヤを睨み付ける。
「人をさらっておいて仲良くしようなんて、馬鹿にしてるの?」
怒りが心に満ちているが、口調は抑制されている。ここで叫び喚いて無駄な体力をつかうつもりはなかった。
「馬鹿にしてるわけじゃないわ。あなたのお友達は
ルミヤの答えを、シェリウは鼻で笑った。
「主のものになる? 馬鹿じゃないの。ユハは誰のものにもならない」
「あなたがそう思うのは自由だけど、もう決まっていることだから。とても残念ね」
ルミヤが笑みと共に首を傾げる。その動作はシェリウの神経を逆なでした。思わず怒鳴りたくなる衝動を抑え込み、口を噤む。今言葉を発したならば、それはただの罵詈雑言にしかならない気がした。
「あなたは、碧眼の君が大事に思っている人だもの。ここに迎えるにあたって、できるだけ丁重に扱いたいのよ」
「ようするに、ユハを手に入れて、大人しく言うことを聞かせるための餌ってことでしょう?」
シェリウは自嘲の笑みを浮かべた。涙がにじんでくるのを感じてうつむく。
最悪だ。
シェリウは己に対しても怒りを覚えた。
ユハを守るために共にいたはずが、今や足枷となってしまった。
シェリウはユハを信じている。月瞳の君の言い方を真似るならば、愛を感じている。だからこそ、ユハが決して自分を見捨てないと分かる。それはシェリウにとって温かい希望となって自分を包んでくれていたが、今は冷たい絶望となって心を苛んでいた。自分が囚われていることで、ユハの心も囚われてしまったのだ。ここに自分がいる限り、ユハは自由を失う。
いっそ、自分で命を絶てば……。そんな思いが浮かび、すぐに馬鹿なことを考えた自分を叱る。自ら命を絶つことは、聖王教徒として許されないことだ。そして何より、ユハを悲しませ、傷つけることになる。
ティアンナが、沈黙しているシェリウに顔を寄せると、じっと見つめながら口を開く。
「シェリウ……、あなたはとても素晴らしい術者ね」
唐突に思えるティアンナの賛辞と近過ぎる視線に、シェリウは眉根を寄せながら仰け反った。
そんなシェリウを見たティアンナは、くすくすと笑いながら言葉を続ける。
「私、本当に驚いたのよ。まさか、あんな風に反撃を受けるなんて思ってもいなかったもの。教会の魔術には『精気の紋』を使う術が伝わっているの?」
「精気の紋? あの、力の根のような広がりのこと?」
魔術を行使するティアンナを中心として地面に広がっていた力。昨晩の運河での戦いを思い出す。シェリウの答えを聞いて、ティアンナは感心したように頷いた。
「確かに木の根に似てるわね。やっぱり、あの力をちゃんと感じ取れていたのね。そう、あれを私たちは精気の紋と呼んでいるの。教会では呼び方が違うのかしら」
「あたし……、あれを感じたのはあの時が初めてで、呼び方も何も知らなかった」
シェリウが戸惑いながらも答えた。それを聞いたティアンナは目を見開く。
「初めて!? それなのに精気の紋に自分の術法を流し込んで私にぶつけることができたの?」
「あの力の根……、精気の紋を観ることができたから、そこから聖鎚の術を送りこむことができるんじゃないかって思って……」
「即興で試したってことね! 本当にあなたはすごい! ねえ、お互いに術法の知識や技を教え合わない? 私、教会の魔術に興味があるの。それに、私の学んだ術法はとても旧いものなのよ。きっとあなたも学ぶことがあると思うの」
ティアンナが目を輝かせてシェリウの手を握った。シェリウは眉根を寄せるとその手を振り払う。
「はあ? あんたとあたしは敵同士なのよ? なんでそんなことしないといけないわけ?」
「あなたもお友達と離れたくはないでしょう? 碧眼の君は我が主の傍らに立つことになるわ。その時、あなたの信仰心と知識、そして何より魔術の才は碧眼の君の大きな助けになる。だから、私とあなた、互いに研鑽することで、我らが主のお役にたてるのよ」
シェリウは、ティアンナの浮かべた笑みに純粋な善意と邪悪な狡知を等しく感じ取った。
「ふざけるな! あんた達の主に何て仕えるものか!」
我慢しきれなくて、シェリウは声を荒げる。ティアンナはルミヤと顔を見合わせると、笑みを交わした。
「まあ、そう言うと思ったわ。異教徒であるあなたが自分の運命に納得するには、少し時間が必要だと思う。あなたがお友達とお別れするか、それとも我らが主の栄光に浴するのか、じっくり考えればいいわ」
ルミヤが優しげな表情で言う。その厚意を装った独善的な物言いに怒りが増すが、それを抑え込んで鋭く睨み付ける。
「主があなたをお待ちよ。これから主にお会いして、自分がどうするのか決めればいい。さあ、行きましょう」
微笑んだティアンナが、そう言って手を差し出した。
部屋に入った男は、強張った表情のまま席に着いた。
「お前がカドラヒか。商会を営むとともに、アドゥニ派の信徒たちの顔役として随分と頼りにされているようだな」
「はい」
カドラヒは小さく頷くと、それ以上は答えない。聞いていた評判とは違うな。ラアシュは意外に思い、首を傾げる。
「どうした、怖い顔をしているな。緊張しているのか?」
「いえ、どうして太守様が俺みてえな木っ端商人に用があるのかと思いましてね」
そう答えたカドラヒの頬が微かに歪んだ。そこに浮かんだ感情を測りかねて、ラアシュは目を細めた。
「今朝まで続いた暴動の事だ」
「……やっぱりそうでしたか」
「アドゥニ派の礼拝堂をめぐっての騒動が、あの暴動の切っ掛けともいえるからな」
ラアシュは頷くと、相変わらず表情の乏しいカドラヒを見ながら言う。
「今回の事では、リドゥワ官庁として迷惑をかけたと思っている」
その謝罪ともいえるラアシュの言葉に、カドラヒは驚きの表情を浮かべた。
「以前から正教派の行き過ぎた行動によってリドゥワは騒がしくなっていた。すでに一度暴動が起きているにも関わらず、有効な対策を打てなかった我々の責任も少なからずある」
「太守様は俺たちのせいだとは言わないので?」
探るようなカドラヒの表情を見て、ラアシュは微かに笑みを浮かべた。こちらが非を認めたというのに、警戒を解いていない。やはり、調べた通りの男のようだ。
「当然だろう。元々、先に手を出したのは正教派だ。まずは、教会の責任を追及しなければならない。勿論、暴動を大きくした者たちにも罪はある。しかし、その発端となった者たちの非が見過ごされることはないだろう。お前はあの場で何とか事態を鎮静化させようとしていたと聞いている。少なくとも、お前を罪に問うことはない」
カドラヒは言葉を発することなくこちらを見つめている。ラアシュは淡々と言葉を続けた。
「破壊された礼拝堂の補修には私から金を出そう。教会にはこの大きな暴動の責任を取ってもらわねばならないからな。残念ながらお前達に払う金が残っていないだろう。奴等に弁償させないのは業腹だろうが、我慢してもらえるか?」
ラアシュの問いかけに、カドラヒは小さく頭を振った。
「とんでもない。太守様が助けてくださるとなれば文句はありませんよ。……それで、太守様はこのしがない商人に何をお望みで?」
「私は責任と賠償の話をしているのだぞ? どうしてお前に何かを要求する話になるのだ?」
「太守様相手に少し無礼な物言いになりますが……」
言葉を濁したカドラヒを、ラアシュは手でうながした。
「構わんよ。ここに咎めるものはいない」
「……いえね。どうも俺の勘ではこいつは厚意や慈善ではなくて、取引のように聞こえるんですよ。大喜びで船に乗り込んで、引き返せねえ大海原の上で、とんでもねえ船賃を要求されるような、そんな気がするんです」
カドラヒはそう答えると肩をすくめる。ラアシュは一瞬目を眇めると口の端を歪めた。やはり、この男は侮れない。言葉の裏にある真意を嗅ぎ付け、迂闊につけ寄らせることはない。簡単な罠ならば、すぐに見破ってしまうだろう。だからこそ、懐柔のしがいがある。
「……ああ、さすが商売人だ。良い勘をしているな」
「俺の勘はよく当たるんです。それで、俺は何を差し出せばいいんです?」
「難しいことではない。お前には善きリドゥワ市民としての義務を果たしてほしいのだ。今、リドゥワは混乱している。この混乱の中では、人々を導く者が必要だ。しかし、正教派の教会はすでにその役割を果たすことが難しくなっている。リドゥワ教区の僧侶たちは自分が引き起こした混乱を自覚していないし、諸教派の者たちも正教派の者たちに反発し、受け入れないだろう。今のリドゥワでは、立場の違う者が混乱を収め、導く必要がある」
「それが太守様では?」
カドラヒが怪訝な表情を浮かべる。ラアシュは頭を振った。
「いや、我々はあくまで行政を行うだけだ。それは、人々を導くこととは違う。『高き塔から信仰を訴えるよりも、まずは隣人とともに祈りを捧げよ』というだろう? 人々を導くのは、民にとって身近な者でなければならない」
「つまり……、俺の仕事ってことですか?」
ラアシュは頷くと、カドラヒを指差した。
「何人もの諸教派の指導者たちに会ってきたが、お前は若く、有能だ。会頭として、顔役として、多くの人々を束ねている」
「……太守様とは比べものになりませんよ」
カドラヒは、硬い表情で答えた。
「いや、本質は同じだ。様々な者と話し、繋ぎ、使う。私には古くからの伝統と血筋、財がある。だからこそこの地位にいるが、逆にそれが市井の民を遠ざけることになっている。我々が民を導こうとしても、彼らにとっては高みから届く遠い声にしか聞こえないだろう。隣に立ち、その耳に直接話しかけ、その手を直に取る者が必要となる。私とお前とでは、ただ立っている場所が異なるだけで、その役割は太守のそれと何ら変わることはない」
「そういうものですか……」
「お前はアドゥニ派の信徒だが、聖職者や教派の長老ではない。商会の会頭という世俗の顔ももっている。だからこそ、様々な教派や立場の人間を束ねることができるのだ。とはいえ、お前だけでは荷が重いだろう。お前はあくまで顔役だ。皆を束ねることは出来ても、信仰を説いたり、聖なる力を示すことは出来ない。人々を導くには、光り輝く聖なる旗を掲げる者も必要となる」
「聖なる旗……」
「ああ。大いなる力によって奇跡をおこし、人々はその姿に希望を抱く。我々に必要なのはそんな存在だ」
ラアシュはそう言って頷く。
「ラアシュ様、連れてまいりました」
室外から、カフラの声が届いた。頃合いを見計らったようなその呼びかけに、ラアシュは笑みを浮かべた。
「ああ、丁度よかった。連れて来てくれ」
カフラとルミヤ、ティアンナに囲まれるようにして入室する一人の娘。その表情は強張っている。部屋を見渡し、その視線がカドラヒを捉えて止まった。目を見開き、呟くように名を呼ぶ。
「カドラヒさん……」
「シェリウ! お前、なんでここに!?」
腰を浮かしたカドラヒは、驚きの声を上げた。
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