第16話

 かがり火に照らされて、人々が踊っている。


 早いが、一切の乱れなく拍を刻む太鼓の音と、琵琶ウードの美しい音色、そして、聞いたことのない奇妙な音を発する打楽器。それに合わせて、老若男女、皆が美しく豊かな声で歌っている。その音楽は、ウルス人の歌舞音曲よりも躍動的で、心躍らせるものを感じさせる。

 

 呪詛が消え去った後、マムドゥマ村の患者たちは、発熱に苦しむことはなくなった。まだ弱っているために寝床から起き上がれない者たちもいるが、命の危険は去ったといっていい。妖魔との戦いの後、ユハは念の為患者たちを診て周り、癒しの術によって体力を回復させた。これで、彼らも明日には動けるようになるだろう。


 そうして、疲れ切ったユハは、そのまま眠りこんでしまった。しかし、これまでと違って何日も眠ったままにはならない。夕刻ごろに目を覚ましたユハに、カドラヒとダリュワが、感謝の宴に招待したいと告げたのだった。当然ながら、ユハに断る理由はない。喜んでその申し出を受けて、夜を迎えた。


 村の広場では、多くのかがり火が焚かれ、酒や食事が用意されている。手の空いた人々や、もう歩くことのできる患者たちまで、大勢がここに集っていた。


 村の人々は、救い手であるユハたちを歓迎し感謝してくれたが、一方で、恐ろしい妖魔を祓い退けた彼女たちを畏れ、近寄り難く感じているようだ。一通り挨拶と礼を言った後、離れていった。今も、この賑やかな宴の中で、人々の輪からは少し距離を置かれている。まるで祭壇の上の聖像みたいだな。ユハは、自分たちの今の扱いを自嘲気味にそう評した。相手をしてくれているのはカドラヒとダリュワだけだ。


 ユハとシェリウ、そしてラハトは、お茶を飲みながら食事をしているが、月瞳の君は、カドラヒやダリュワとともに玉蜀黍トウモロコシで作った酒を飲んでいる。大きな杯で浴びるように酒を飲んでいる月瞳の君はご機嫌だ。今はカドラヒとあまり上品ではない話をしているらしい。月瞳の君は大きな声で笑いながら彼の肩を何度も叩き、カドラヒもそれに笑い声で応えた。


 ふとダリュワと目が合う。ユハは、気になっていたことを口にした。


「本当に私が受け取って良かったんでしょうか……。これは、アシュギ様の遺した……、言わば聖遺物ですよ」 


 ユハは、傍らに置かれた、布に包まれた剣を見る。


「アシュギ様の剣だって、断言するんだな」


 ダリュワは、微かに口元を緩めて言った。


「あ……、いや、きっとそうですよ。だって、アシュギ様の植えた木から出てきたんですから」


 確信の理由を説明するわけには行かず、慌てて言い繕う。ダリュワは頷いた。


「まあ、俺もアシュギ様の遺した剣だと思ってるさ」

「だったらどうして私なんかが……」

「祝福の木に、あんな大きなうろなんてなかったはずなんだ。俺は見たことがなかったし、村の皆もそう言っている。あの時、お前があそこにいたから、あのうろは開かれた。ユハ……、あの剣は、アシュギ様がお前に贈った物に違いないさ」


 剣を一瞥したダリュワは、微笑んだ。


 託された。確かに、ユハはそう感じていた。それがアシュギだったのか。その他の誰かなのか。それはユハには分からない。しかし、遺された想いが、ユハにこの剣を託したのだ。そして、自分はこの剣を届けなければならない。そんな、確信に近い予感がある。


「リドゥワに帰ったら、いい職人を紹介するぜ。綺麗な鞘を作ってもらうと良い」


 カドラヒが言った。ユハは、その言葉に頷く。


「はい、お願いします。だけど、大袈裟な物は必要ありません。きっとこの剣には……、何の飾りもない鞘が似合うと思うんです」

「ああ……。そうだな」


 頷いたダリュワは、少し嬉しそうに見えた。


「なあ……、ちょっと知恵を貸して欲しいんだ」


 カドラヒが、ユハと仲間たちを見て言う。 


「あんた達と村を歩き回っただろ? 同じように、ここ最近、よそ者が村の周りを歩き回っていたらしいんだ」

「よそ者ですか?」


 シェリウが首を傾げる。カドラヒは頷いた。


「ああ。村に来るときにすれ違った、あの商人だ。本人は、薬草を探すって言ってたらしいんだが……。それに、用もないのに祝福の木の周りもうろついていたらしい。どう思う?」

「私はあの商人のことを詳しく知りませんから、何とも言えませんけど……。あの商人がマムドゥマ村に来るようになったのはいつ頃からなんですか?」

「いつ頃……。はっきりとは分からないが、流行病が……、呪いが顕れるようになる少し前くらいだ」


 ダリュワが答える。


「薬草を商うという話だったんですか?」

「そうだな。普通の病人の為の薬草を売り込みに来ていた。後は、やはり、この村の周りの薬草について調べたいと言っていたな」

「そうですか……。はっきり言えば、この辺りの土地がここまで来る他の土地と特別に違うとは思えませんね。水や毒について調べている時も、ごくありきたりな植物しか生えていませんでした。この周辺の土地と比べて特異な植生ではないと思います」

「ああ、そうか……」

「薬草には関係ないはずの祝福の木の周りにいたということも合わせて考えると、呪詛に何らかの関係があるという疑いは濃いですね」

「やっぱりそうだよな。俺も、怪しいと思ってな。世話になってる奴を疑いたくねえが……。調べてみる必要があるなぁ」


 カドラヒは嘆息すると、ダリュワに顔を向けた。ダリュワは、厳しい表情で頷く。


「ユハさん!」


 少年の呼び声に、ユハはそちらを向いた。


 クゥルタムが、少女を連れて立っている。ユハは、彼女に見覚えがあった。患者である幼い男の子の姉だったはずだ。


「こいつが、ユハさんにお礼が言いたいってさ!」


 クゥルタムは笑顔で言うと、少女の背中を押した。伏目がちの少女は、ユハを前に照れているのか、中々口を開かない。


「弟さんは大丈夫?」


 ユハは優しく聞こえるようにと、ゆっくりとたずねた。少女は、顔を上げると、明るい表情を浮かべる。


「あ! はい! まだ寝ているけど、熱も下がって元気になりました! 本当にありがとうございました!」

「どういたしまして」


 ユハは微笑んだ。


「ユハさんも、シェリウさんも、とても歌が上手なんですね。村の中まで歌声が聞こえて、とても、綺麗だと思いました」


 少女は顔を輝かせ、身を乗り出すようにして言う。ユハはシェリウと顔を見合わせて笑った。少女があの妖魔を見ていないのは幸いだ。あの時のユハは、妖魔を癒すために必死で、自分の声がどう聞こえるかなど考えもしなかった。結果として少女の耳を楽しませていたのだとしたら、自らが思いもよらぬところで功徳を積んでいたようだ。


「ありがとう。とても嬉しいな」


 ユハは少女の手を取ると頷いた。少女も満面の笑みを浮かべてユハを見つめた。


「ユハ、何か歌ってあげなさいよ」


 背後から、月瞳の君が言った。その言葉に、少女の目が大きく見開かれた。


「え?」

「快気祝いの余興よ、余興」


 ユハが振り返ると、月瞳の君は右手の杯を掲げて見せる。そして、困惑するユハから少女に視線を移すと、首を傾げて問いかけた。


「ねぇ? このお姉さんの歌を聞きたいでしょう?」

「はい! 聞きたいです!」


 少女は元気な声で頷く。期待に満ちた表情を浮かべ、ユハを握る手に力がこもった。


「こんな可愛い子のお願いを無下にするわけ無いわよねぇ」


 狼狽しているユハに、月瞳の君は揶揄するように言った。


「う……、分かりました。じゃあ、シェリウ……」

「私は声量に任せて叫んでただけよ。歌はユハの方が上手いでしょ。邪魔したくないから、大人しく見てるわ」


 シェリウが肩をすくめる。


 逃げた……。ユハはその裏切りに愕然としてシェリウを見た。シェリウは視線をそらすと、手にした茶を一口飲む。


 ユハは小さく息を吐くと、覚悟を決めた。


 村人たちの見事な歌声を聞いた後に自分が歌うのも躊躇われるが、少女の期待を裏切るわけにはいかない。 


「それじゃあ、私の……故郷の歌を歌うね」

「はい!」


 少女の笑顔を前に、ユハは立ち上がった。咳払いをすると、気恥ずかしさをごまかす為に目を閉じる。深く息を吸いこみ、そして歌い始めた。


 それは、イラマールで歌われていた収穫祭の歌だ。精霊と、聖女王の祝福に感謝して、収穫を祝い、その日を振り返り、家族の無事と健康を喜ぶ歌。


 まぶたの裏に浮かぶ、褐色と緑色の入り混じった乾いた景色。


 勤勉な人々が根気強く耕した美しい畑。


 遠くに見える暗い雨雲。


 風に揺れる洋橄欖オリーブの木。


 山道を、羊や山羊を連れて歩く少年や少女。家畜の首に吊るした木鈴の柔らかな音が、谷間に響く。


 駆け回るようにして毎日を過ごした、古びた修道院。


 厳しく叱り、優しく褒めてくれる我らが姉たち。


 その記憶は、遠い昔のことのように感じられる。自分は随分と遠くまで来てしまった。そして、彼の地を思い出す時に心を満たす暖かい気持ちは、イラマールの修道女、ユハ自身のものだ。他の誰の記憶でもない。そのことを、心強く思う。


 これまでのイラマールでの思い出をこめるように、ユハは歌い上げた。


 こんなに気持ち良く歌ったのは久しぶりだ。歌い終えたユハは、大きな満足感とともに息を吐く。


 そういえば、妙に周りが静かだ。 


 目を開けると、村の人々が自分の周りに集まっていた。しかし、彼らは一言も発さずに、自分を見つめている。涙を浮かべているものもいた。


 自分は何か、禁忌を犯してしまったのだろうか? ユハは、彼らの様子に狼狽し、言った。


「あ、あの、何か気に障りましたか? ごめんなさい」

「とんでもない。皆、感激してるんですよ」


 近くにいたナージュが頭を振った。


「あなたは、あんな恐ろしい悪霊を追い払い、村の呪いを祓ってくれた。そして、こんな優しい歌で祝福してくれた。本当に……、良い歌ですね。あたしは、子供の頃、親と一緒に畑から帰る景色を思い出しましたよ」


 ナージュは、潤んだ瞳で笑う。他の人々も口々に同意して、自分の思い出を語り始めた。皆が、満ち足りた表情で笑顔を浮かべている。ユハも、それを見て、とても満たされた気持ちになった。


「ああ、息子は村に救い手を連れてきてくれた。本当に、あなた達が来なければ、この村がどうなっていたのか、想像もしたくない。本当に、ありがとう、『癒し手イス・シーファ』……」


 ワダラムがナージュの肩を抱いて言った。


 『癒し手イス・シーファ』。ただの癒し手シーファではなく、冠詞イスをつけたその呼び方は、遠い記憶で呼ばれた名前と同じで、ユハの心を揺さぶった。


「……いえ。私だけの力ではありません。ここにいる、シェリウや、ラハトさん、シアの助けがあったから。何より、皆さんを救おうとして奔走していた、ダリュワさんと、カドラヒさんがいたから、私たちはここに導かれたんです」


 ユハは、小さく頭を振った。誰か一人欠けていても、呪いを解くことはできなかった。そう思う。自分だけが、そんな特別な名で呼ばれるわけにはいかない。これは、全員の力と意志で成し遂げたことなのだ。


 村人たちは、ユハの言葉に笑顔を浮かべる。 


 そして再び、人々は陽気な音を奏ではじめた。


 豊かな歌声。美しく踊る人々。


 笑顔の少女が、ユハの手を引いた。ユハも笑顔で頷くと、踊りの輪の中に混じる。


 ウルス人とは違うその躍動的な踊りに手こずりながらも、ユハは見よう見まねで踊った。

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