第11話

 リドゥワの街を見下ろし、海を見渡すことができる丘の上の豪奢な邸宅。そこに暮らすのは、太守ラアシュだ。


 すでに陽は沈んでいるが、邸宅の大広間や、それにつながる露台バルコニーの上には、様々な灯が置かれ、闇夜の中でも華やかな明るさをみせている。暗がりに沈んだ街から見上げれば、闇夜に浮かび上がるようにして光の花が咲いているように見えるだろう。


 この、光に包まれた舞台には、着飾った多くの人々が集っていた。 


 この季節、南洋に面した沿海地方は気温が高くなる。人々は昼間の暑さを避けて夜に遊ぶことも多い。


 ラアシュの邸宅で催されている夜会もやはり、日差しと暑さを嫌って開かれたものだ。


 楽士たちが優雅な音曲を奏でる中、人々は卓上に置かれた様々な食事や酒を手にとり談笑している。ウルス人の伝統的な宮廷料理が主だが、それ以外にもシアート、カザラ、イールム、シンハなど、様々な土地の料理が置かれていた。その卓上の彩りや種類の豊富さは、大河と南洋、北と南の土地を結ぶ交易都市リドゥワを象徴し、ラアシュを長とするウトゥム・ドゥマムヌ一族の財や権威を如実に示している。


 ウルス人上流階級のこうした宴は立食であることが多く、思い思いに食事をして、会場を自由に行き来して歓談する。休息したり話しこむための長椅子ソファや机はあるが、シアート人やカザラ人のように床に座り込むことはあまり上品ではないと考えられていた。


 ここに招かれたのは、リドゥワとその周辺に暮らす上流階級の人々や、イールムやシンハ人の豪商といった国の外や海の向こうからやって来た人々。そんな彼らの関心の中心は、やはりラアシュだった。彼の周りからは、人が絶えることはない。


 今もラアシュは、一人の男と話している。


「それでは土地の件を、どうかよろしくお願いいたします」


 恰幅のよいカザラ人の商人が、愛想笑いとともに一礼する。


「ああ、勿論だ。任せておいてくれ」


 ラアシュは鷹揚に頷いた。商人は安堵した表情でその場を離れた。


 その機を狙っていたかのように、ウルス人貴族階級の伝統的な礼服を着た若い娘が二人、滑り込むようにしてラアシュの前に立つ。背後で話しかける機をうかがっていた他の娘たちが、口惜しそうな表情を浮かべた。  


「ラアシュ様! 今晩はお招きいただきありがとうございます」


 年長の娘が優雅な所作で深々と一礼した。慌てて、もう一人の娘もそれに倣う。


「やあ、ルミヤ、ティアンナ。久しぶりだ。よく来てくれたね」


 ラアシュは笑みを浮かべると手を広げて歓迎の意を示す。カザラ人の父とウルス人の母を持つ彼女たちは、ラアシュのよく知る者たちだ。


 顔を上げた年長の娘、ティアンナを見つめると言う。


「ああ、ティアンナ。その真珠の髪飾りは、とても素晴らしい。今日の結い上げた髪型によく似合っているな。君の華やかさを引き出している」

「まあ……、ラアシュ様、ありがとうございます」 


 ティアンナは頬を赤く染める。


「ルミヤ、その紅玉の首飾りは、鮮やかな口紅と合わせているのだな。とても素敵だ。おや、少し痩せたか? 体でも壊したのか?」


 ラアシュは傍らの娘に顔を向け、首を傾げた。


「ふふふ。そう見えますか? それはきっとお父様のせいです」 

 

 ルミヤは小さく首を傾けると、微笑を浮かべた。


「カフラが……。まあ、深くは聞くまい」


 ラアシュは苦笑すると小さく頭を振った。


「そういえば、前に言っていた子猫の引き取り手は見つかったかな?」

「まあ、覚えていてくださったのですね」


 ラアシュの問いに二人は驚きの表情を浮かべる。


「当然だとも。力になれずに心苦しかったからな」

「気にかけていただいてとても嬉しいです」

「君たちは美しく、そして、とても心優しい。気にならない男などいるのだろうか」


 ラアシュの言葉に、二人ははにかんだ笑みを浮かべた。


「そこまでです、ラアシュ様。娘を惑わすのはやめていただきたい」


 長身の男が苦笑しながらラアシュの前に立った。三十代半ばであろうカザラ人の男だ。整った顔立ちだが、その頬や額には古傷が残っており、鋭い眼光とあいまって威圧的な雰囲気をもっていた。


「まあ、お父様。ラアシュ様に失礼よ」


 ティアンナが口を尖らせて抗議した。ルミヤも大きく頷く。

 

「そうです。ラアシュ様は私たちを褒めてくださっていただけですよ」

「まったくだ、カフラ。どう聞けばそんな悪意に満ちた解釈になるんだ?」


 ラアシュは溜息とともに大袈裟に肩をすくめて見せた。


 事実、ラアシュに他意はない。彼女たちは美しい娘だが、彼の“遊び相手”に選ばれることはない。彼女たちは“身内”だからだ。


 彼女たちの父親であるカフラは、リドゥワの守備隊を率いる武人であり、ラアシュが頼りにしている男だ。守備隊隊長としての任務以外でも、ラアシュの為に様々な仕事をこなしてくれている。そんなカフラは、ラアシュの計画に欠かせない人物であり、その娘たちに気軽に手を出せるはずがない。ラアシュは何より快楽を尊ぶが、それを得るための自制や努力を怠るつもりはなかった。


 この宴の中で、ラアシュの頭に浮かんだのは、あの髪を短く切った軍人の女だった。


 第二軍軍団長スハイラ・ルサゥーワ・エンムニ・イッラニフール。


 女たちとの駆け引きは、札戯カードゲーム盤棋シャトランジにも似ている。この遊戯において、様々な手札を持ち、その使い方を熟知しているラアシュの勝率は高い。しかし、時に手痛い敗北を喫することもある。 


 先日のスハイラとの会見がそれだ。


 自分に群がり、媚を売る女たちと、あの女将軍の違いがラアシュには理解できなかった。自分が、彼女の傍らにいた奴隷上がりの蛮族の青年に劣るとは思えない。これまでの恋人の噂を聞いてみると、様々な出自の男たちであり、特に蛮族好みというわけでもないようだ。ただ共通しているのは、美男子であるということだけだ。その点においても、自分が彼女の好みに合っていると自信があったのだが、どうやら気に入られることはなかったらしい。


 ラアシュの描く未来のために、スハイラは是非とも取り込んでおきたい存在だ。しかし、スハイラを篭絡することは諦めるしかないだろう。勝てない相手に無駄な労力を使う必要はない。彼女を味方にするために、違う方法を考えなければならない。


「ラアシュ様、どうかされましたか?」


 怪訝な表情のルミヤが顔を覗き込んでいる。ラアシュは我に返ると、笑みを浮かべた。


「少し考え事をしていたよ。すまない」

「いえ、とんでもありません。こちらこそ、ラアシュ様のお邪魔でしたか?」

「君は実に意地悪だな。君たちを邪魔に思うわけがないだろう?」

「まあ……」 


 二人は華やいだ笑顔で顔を見合わせる。


「お前たち、ここからはしばらく仕事の話だ。向こうに行っていなさい」


 カフラが軽く右手を振ると、娘たちを促す。二人は不満気な表情を浮かべるが、何も言うことはない。父をその場に残して、宴の中に戻って行った。


「カフラ。せっかくの逢瀬を邪魔しないでくれるか?」

「私にそんな冗談を言っても何の役にも立ちませんよ。それより、司教様がお待ちです。……やれやれ、どうやら待ちきれなくなったようだ」


 溜息をついたカフラの視線の先に目を向けると、こちらに歩いてくる集団が目に入った。

 

 僧衣を身にまとった十人の男たち。


 先頭に立つのは、黒い僧衣の上に、金糸に彩られた肩掛けを羽織った男だ。これは、司教の位をあらわしている。肥ってはいるが、それ以上に逞しい腕と広い肩幅、太い首が力強さを主張していた。その体躯にみあった大きな顔は、自信に満ちた笑みをたたえている。


 彼に続く九人の男たちは、皆僧衣を着てはいるが、逞しい肉体と厳しい表情で周囲を威嚇するように歩いていた。


 何と場違いなんだ。


 ラアシュはこの華やかな空間を台無しにしている無粋な者たちに内心呆れながらも、笑顔で一行を出迎える。


 九人の男たちは、まるで壁を作るようにラアシュと司教を背にして立った。


 司教衣を身にまとった男は、ラアシュの前に立つと、笑みを浮かべたまま微かに顎を上げる。


「ようこそバールク司教」

「やあ、ラアシュ殿。忙しいようなので、私が出向いてきてやったぞ」

「それは、手間をかけさせてしまったな。しかし、まさかここまで多くの随員を連れてくるとは思わなかった。しかも、あんな武張った者たちを選ぶとは……」


 ラアシュは、その尊大な態度に苛立ちながら、それを顔に出すことなく男たちに目をやった。自分たちを賓客から遠ざけている九人の男たちは、その体躯や身のこなしから見て、リドゥワ教区に所属する僧兵だろう。バールクは、頷くと同じように男たちを見やる。


「教会は太守とともに民を守る。そのことを示さねばらなかったのでな」

「諸教派のことか」

「そうだ。あの異端者どもは今もリドゥワで蠢動している。こうして教会と太守が固い絆で結ばれていることが伝われば、市民は安心し、奴らは迂闊なことはできなくなるだろう」

「バールク司教、ここでそのような話はお止めになったほうが。せめて、あちらで話してはいかがでしょうか」


 カフラが口を挟むと、露台バルコニーを指差した。


 バールクは鼻を鳴らすと、頷く。


「皆、すまない。少し席をはずすが、そのまま楽しんでおいてくれたまえ」


 ラアシュは、大きな声で言うと、バールクとカフラとともに街を見下ろす露台へと向かった。


 露台は人払いがされており、彼ら以外には誰もいない。


 遠くに見える暗い海を眺めた後、ラアシュは振り返り、バールクと向き直った。


「ラアシュ、私がここに来たのは直接話を聞きたいからだ。使いの者がいくら耳障りの良い言葉を並べようとも、今一つ信用ができん」 


 バールクはカフラを一瞥した後、言った。


「そう言われてもな……。事態が進行する度に太守が司教を訪ねろというのか?」


 ラアシュは肩をすくめる。バールクは腕組みすると顔をしかめた。


「細かい報告をしろと言っているのではない。重大な局面や、私の決断が必要な時には話し合うべきだと言っているのだ。それなのに、お前は勝手に話を進めて事後報告だ。しかも、事態はほとんど進展していない。のん気にこんな宴を開いている場合なのか?」

「分かっていないな……司教」


 溜息をついたラアシュは、バールクの前に立った。


「あなたは祈り、権勢を求めていればそれで良い。しかし、太守は忙しいのだ。紙切れ一枚、うっかり漏らした言葉一つで市場の相場が変わることすらある。諸外国の動静にも耳を澄ましておかなければならない。だからこそ、様々なことに注意を向け、慎重に取り組む必要がある。そもそも、私は初めに、時間がかかることだと言っただろう? 急いても綻びが生じて、全てが無駄になるだけだ。『水を与えよ。その苗木は汝の孫子まごこを救う』。司教ともあろう人が、もう少し落ち着いて待つことは出来ないのか?」


 その言葉にバールクは一瞬顔を引きつらせた。


「貴様! 猊下に対して無礼だぞ!」


 付き添いの僧の一人が、鋭い声とともにラアシュに詰め寄る。特に大柄なその男は、まるで敵を見るかのようにラアシュを睨んだ。


「無礼? 私は率直な意見を言ってるだけだ。同じ道を歩く者の足下に大きな石が転がっている。何も気付かすに歩いていれば、その石につまづくだろう。そのことを知らせずに黙って転ぶのを見ていることが無礼なのか?」

「その物言いが無礼だということが分からんのか?!」


 男は掴み掛からんばかりにラアシュへと迫る。その肩を、カフラが左腕を伸ばして制した。男はカフラに怒りの表情を向ける。


「邪魔だ!」

「身の程をわきまえろ。バールク司教猊下がおられなければ、お前たちはここに入ることも許されない」


 カフラが静かな表情で男を見る。男は顔を歪めると、肩に触れる左腕を払おうとした。


 その瞬間、カフラの右腕が跳ねた。


 広げた右手が、男の首筋へとぶ。人差し指から親指へと描かれた弧が、男の喉笛を直撃した。


 喉を潰された男は、くぐもった呻きをあげる。


 前屈みになり、下がった頭へと、すでに硬く握られた右拳を振り下ろした。 


 後頭部を強打された男の意識はとんだ。


 力無く崩れ落ちる男の体を、カフラは抱きかかえるように支える。


「まったく、こんな所で寝るな。無作法だぞ」


 カフラは呆れた表情で言った。


「貴様!」


 他の僧たちが殺気立つ。カフラは、彼らを睥睨すると、支える男の顔を掴み、親指を目にあてがった。


「行儀よくしていろ。騒ぐのならば、この男の目を潰す」

「よせ。ここは宴の場だ。大人しくしていろ」 


 落ち着いた表情のバールクが、右手を上げると僧たちを顧みた。僧たちは小さく一礼すると後ろに退き、姿勢を正す。


「カフラ、乱暴はよくないな」


 ラアシュは、顔をしかめた。


「よく吠える犬には躾が必要ですよ」


 カフラは肩をすくめると、力を失った男の体を僧たちの方へ投げるようにして放した。僧たちは慌ててその大きな体を支える。


 溜息をついたラアシュは、バールクに向き直る。


「バールク司教。私はあなたをないがしろにしているわけではない。ただ、物事には手順があり、準備が必要というだけだ。それを理解してもらわなければ、同じ道を歩くことは難しくなってしまう。人は皆、歩幅が違う。そして、今、あなたを導いているのは、私だ。だからこそ、私の歩幅に合わせてもらう必要がある。勿論、一人で歩けるというのならば止めはしない。それぞれ、違う道を歩くのも良いかもしれないな」


 ラアシュは薄く笑みを浮かべた。これだけ言えば、この男も忍耐という言葉を思い出すだろう。バールクが一人で計画を進めることができないことはよく分かっている。その為、彼は決してラアシュの伸ばした手を振り払うことはできない。一方で、ラアシュにとってもバールクは欠かすことができない存在だ。だからこそ、今、ここで、主導権を握っておく必要があった。


 表情の消えたバールクは、しばしの沈黙の後、おもむろに口を開く。


「いいだろう。お前の道案内を頼ることにする」

「ああ、それは喜ばしい。勿論、私も悪かった。勝手に話を進めていては、不安になることは良く分かる。それは謝罪しよう。私が直接赴くことは難しいが、これからは出来るだけ密に連絡をすることを約束する」


 ラアシュの言葉に、バールクは重々しく頷いた。どうやら、彼の面目を保つことには成功したらしい。侮られてはいけないが、同時に、侮られていると感じさせてはいけない。それは、血と白刃と策謀の日々において、ラアシュが学んだことだ。


 恐怖や疑念を抱かせてはならない。信用させ、油断をさせ、決定的な機会に剣を抜く。ラアシュは、そうやって当主の座を勝ち取った。


 いずれ、バールクとは袂を分かつ日が来るだろう。


 それまでは、彼の前では善き人でいる。


 ラアシュは、笑みを大きくすると、懐から袋を取り出した。そして、バールクに手渡した。


「彼には迷惑をかけたな。この男は手加減ができなくて困っているのだ。これは治療費とでも思ってくれ」


 バールクはその中身を確かめたいようだったが、袋を開くことはなく、僧の一人に渡す。


「誠意は受け取った。私を見習って、もう少し部下の手綱を握ったほうが良いぞ」


 表情を和らげたバールクは、カフラを横目に言った。


「ああ、まったく、その通りだな」


 溜息をついたラアシュは、深く頷いた。

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