第8話
空を、
三、四体で一つとなって飛ぶ
アシャンがキシュたちの深層に形を送り込んだ後、キシュたちは援軍へ向かうことを決断した。この地に暮らすキシュたちは、遠征の準備を始めることになる。そのことをキシュガナンたちに報せるために、羽あるキシュは急ぎ空を飛んでいた。
シアタカは、小高い丘の中腹に座り、空を飛ぶ
広い平地には各地からやって来たキシュガナン諸族の戦士たちや羽のないキシュが集まりつつある。キセの一族やカファの一族の服はよく似ていた為に気付かなかったが、ここまで様々な一族が集まってくるとその装束にも様々な違いがあることに気付く。服の刺繍や身に付けている装飾品で自分の一族を証明しているのだろう。
そんな様子を眺めながら、シアタカは三日前のあの出来事を思い出していた。
あの時、サリカは言った。自分の使う魔術は、いわば傍らでその者の名を呼び続けるようなものだと。最初は、その通りだった。まるで離れた場所から、アシャンの存在を感じ、念じているような、そんな感覚だった。しかし、それは途中で変わった。アシャンが消え去ろうとしている。そう感じた時、シアタカの魂は深奥へと向かい、アシャンの魂に触れたのだ。
あの時自分に力を与えたものがあった。シアタカはそう思い出す。
それは、自分の中に在った力。いや、存在だ。
まず一つの力は、それが何者か、シアタカにもすぐに理解できた。
その、異質で強大な存在は、『黒石』だ。
茫漠でありながら緻密で、人の理解を受け付けない、しかし、暖かく、優しい。それは、確かにカラデアでシアタカに触れ、その体と魂を貫いた黒石の力だった。
その力が自分の中にあったことは、驚きもあるが理解できた。あの時、黒石が自分に何かを残していったのだ。
そして、あの時自分の中に在ったのは、黒石だけではなかった。
それは、女だった。
見たこともないウルス人の娘。あの女を見たのは初めてのはずなのに、まるでこれまでずっと傍にいたように受け入れてしまったのだ。家族のような……。そんな言葉を思い浮かべてシアタカは自嘲の笑みを浮かべる。自分は家族が何なのか、知りもしない。そのはずなのに、自然とそんな言葉が頭に浮かんだのだ。
アシャンが消え去ろうとしている中、女は、散り散りとなったその魂を導き、集め、留めた。
それはアシャンを、そして何よりシアタカを救った。しかし、自分の中に潜む冷たく鋭い刃の正体があの女であろうことを、シアタカは確信している。
光を失った“兄弟たち”の虚ろな目。恐怖と闘争心から錯乱した兵士の目。自分たちを盗み見る、怯えた子供たちの目。死した子を抱き、諦念と絶望に沈んだ母親の目。そして、こちらに剣を向ける少女の、怒りと憎しみに満ちた目。
微笑を浮かべた優しげな眼差しに見つめられて溢れ出してくるのは、常に己の魂を苛み焦がし続ける戦場の記憶ばかりだった。
なぜあの女がアシャンを救ったのか。シアタカはずっとそのことについて考えている。
シアタカは、こちらに歩いてくる人々に気付いて視線を向けた。
仲間たちがシアタカの元に集まった。
正面に立ったエンティノが、シアタカを見つめながら腰を下ろす。
「シアタカ、話があるんだ」
「ああ」
シアタカは頷く。
「今日、皆と話し合ったの。あの……アシャンを守るために魔術に加わった時、私は、見たんだ。いや、見た……、って言うより感じたんだけど、確かに知らないウルス人の女が、私たちの側にいたんだ」
エンティノは自信なげな表情で言うと、傍らの仲間たちを見上げた。そして言葉を続ける。
「私だけの勘違いかと思ったけど、皆も見たっていうの。だから、私の気のせいではないのは確かなんだ」
エンティノの傍らに腰を下ろしたアシャンが、そして他の仲間たちも頷く。
「確かに、俺も、……あの女を感じた。何と言っていいのか言葉に困るが、確かにあの場所に女がいたと思う」
ウァンデがアシャンを見やりながら言った。カナムーンがその言葉を継ぐようにして口を開く。
「あの時は、思考と視覚の境界が曖昧な状態だった。魔術に馴染みのない者にとって、自分が何を観ているのか、はっきりとは自覚できないだろう。私の感覚はあなた達と違うので、女がいたのか断言はできないが、全く知らない者の存在を感じたことは確かだ」
「私は、あの
アシャンが短く言った。
「アシャンが、あの女は、シアタカの中にいるって言ったんだ」
そう言い添えたエンティノに頷いて見せたアシャンは、シアタカに顔を向ける。
「私、……あの時、キシュの中に溶け込んで帰って来れなくなる所だった。だけど、あの
「ああ……、そうだな。俺も、あの女を見た」
シアタカは静かに頷いた。エンティノが、アシャンが息を呑んで彼を見つめる。
「アシャンの言う通り、あの女は俺の中にいる」
「シアタカは知っていたの?」
「いや。俺も、あの時初めて見た。だけど、なぜか分かったんだ。あの女は、ずっと自分の中にいたってことを……。きっと、生まれた時から……」
「な……、何者なんだろう」
エンティノが驚いた表情を浮かべて聞いた。
「俺にも分からない。……ただ、あれは良くない
「どういう意味?」
「前にアシャンが言っただろう? 俺の中に恐ろしいものがいるって。あれが、そうなんだと思う」
アシャンは、目を見開きながらも頷く。そして、首を傾げた。
「あの時、もう一つ、優しくて大きな力が助けてくれたよね? その力が、キシュに全く違う言葉を届けてくれたんだ。キシュが沙海に行くことを決めたのは、その力のお陰でもあるんだよ」
「ああ、それは……、きっと黒石だ」
「黒石? カラデアの?」
「そうだ。アシャンがキシュと繋がっているように、俺もどうやら黒石と結びついているみたいなんだ。ただ、触れただけなのに、どうしてこんな事になったのか分からないが……」
シアタカはそう言って苦笑した。黒石に正体不明の女。自分の中に、二つの奇妙な存在が同居している。この現状には戸惑うしかない。
「あの時まで、俺も自分が黒石と結びついているなんて思いもしなかった。だけど、あの瞬間、分かったんだ。俺の中にあの女と、そして、黒石がいる。アシャンを救いたくて俺が手の伸ばしたとき、俺の中の力も手助けしてくれた」
「だとすれば、サリカの魔術がなければ、シアタカはあの女に気付かなかったことになるかな?」
カナムーンの問いに、シアタカが頭を振った。
「いや、あの女は、あんな切欠がなくても俺の中で力を増していた。そんな気がする。沙海でエンティノたちと戦った時、俺は自分を見失った。きっとあの時、俺はあの女の力に支配されていたのだと思うんだ。もしかすると、黒石と結びついたことが切っ掛けで、力を増し始めたんじゃないかな……。根拠はないが、そんな気がする」
「生まれた時からシアタカの中にいる……。まるで双子の兄弟みたいだね」
アシャンの言葉に、シアタカは意表を突かれて目を瞬かせた。確かに、見た目の年齢も近かったように感じた。もしかすると、成長する自分とともに、彼女も大きくなったのかもしれない。
「彼女は、欠片です」
サリカが突然発した言葉に、皆が振り返った。
「欠片?」
「はい。彼女は、聖女王陛下より分かたれし力の欠片なんです」
「……どういう意味だ?」
シアタカは、困惑してサリカを見つめた。
サリカは、アシャンに視線を向けると、銀の鎖に繋いだ守り石を首からはずして近くに生えている木の枝にかけた。そして、おもむろに口を開く。
「私が、この探索の旅に同行した目的は、もちろんアシャンの身柄を捕らえることもありました。しかし、シアタカ。あなたを連れ帰ることも命令の一つだったのです。それは、エンティノとハサラトもご存知のことです」
「俺を連れ帰る……?」
シアタカは思わずエンティノとハサラトに視線を向けた。二人は、真剣な表情で頷く。
「エンティノ、疑問に思いませんでしたか? どうして一介の騎士であるシアタカをヴァウラ将軍が重要視していたのか」
「そうね。ヴァウラ将軍は、シアタカが必要だって言ってた。でも、ヴァウラ将軍もあんたも、勿体振って教えてくれなかったものね」
エンティノが、恨みがましい目でサリカを見た。その視線を受けたサリカは、頭を振る。
「あの時、あなたやハサラトに知らせるべきではない知識だったからです。説明しようとするなら、その背景にある秘事を明かさなければならなくなる」
「でも、今、あんたはその秘事ってやつを話そうとしている。もう話しても大丈夫ってこと?」
「はい。ある意味で、目的を達したからです。状況は大きく変化し、次の段階に進まなければなりません」
「あんたの悪い癖! きっちりと皆に分かり易く話してよ」
腕組みしたエンティノが、苛立ったようにサリカを睨んだ。サリカは苦笑すると頷く。
「ヴァウラ将軍がシアタカを連れ戻そうとしていたのは、候補者の一人だったからです。シアタカ。あなたは、分かたれし子。聖女王陛下の力の欠片を宿した、聖なる御子なのです」
サリカは、シアタカを見つめて言った。
「分かたれし子? ……一体何のことなんだ?」
サリカの口にした言葉があまりに仰々しく現実味がなくて、シアタカは戸惑った。
「これから語ることは、聖王教徒として、そしてウル・ヤークス王国臣民として、その信仰を試される真実の物語です。もしかすると、聖王教徒である自分に疑問を抱いてしまうかもしれない。それでも、聞く覚悟はありますか?」
真剣な表情で、皆を見回すサリカ。エンティノが深く頷いた。
「当たり前じゃない。ここまで来て覚悟を決めてない奴なんて、ここにはいないわ」
「そういうことだな。俺たちはもう後戻りできない。どんな道が待ってようと、前に進むしかねえのさ」
ハサラトは肩をすくめる。
「わ、私のような者がそんな重要な話を聞いてもいいのでしょうか」
ウィトがおずおずと聞いた。
「もちろんです。シアタカの側にいると決めたあなたには、聞く権利がありますよ」
「分かりました。聞かせてください!」
サリカの答えに、ウィトは力強く頷く。
そして、サリカは語り始めた。
聖女王は百年以上もの間、深い眠りについており、今、大聖堂にいるのはその写し身であること。その聖女王の力と同じ性質を持った者たちが現れたということ。聖導教団と聖王教会は、彼らのことを分かたれし子と呼ぶということ。
それを聞いたウル・ヤークスの人々は、衝撃を受けた様子だった。勿論、シアタカも例外ではない。自分たちはこれまでずっと、聖王教会に偽りの存在を崇拝させられていたということになる。一方のアシャンとウァンデは、これがどれだけ重大なことなのか理解できないようだ。もっとも、聖王教徒でもない二人にとって、当然のことなのだが。
そんな彼らの反応を気にすることもなく、サリカは話を続ける。
「つまり、聖女王陛下から漏れ出した力が欠片と呼ばれており、それがシアタカの魂に宿っているということなんです」
「ちょ、ちょっと待って。つまり、シアタカは聖女王陛下の子供ってこと?」
エンティノが当惑の表情とともに右手を上げた。
「いいえ、それは違います。シアタカと聖女王陛下の間には、何の血の繋がりもありませんよ。勿論、聖女王陛下がその身を分けて生み出した存在というわけでもありません」
サリカは唇に指を当てて少し考え込んでいる様子だったが、すぐに顔を上げた。
「そうですね。例えが悪いですが、病を患ったようなものと考えてください」
「病って……。 仮にも聖女王陛下の力なんでしょう? もう少し言い様があるんじゃない?」
エンティノが呆れたような表情でサリカを見やる。
「不敬な私をお許しください、聖女王陛下」
両手を組んで懺悔したサリカだったが、言葉とは裏腹に、その表情には何ら悪びれた様子はなかった。
「その病は、患者に良くも悪くも影響を及ぼします。欠片の力が大きければ大きいほど、その患者は……、分かたれし子は、聖女王陛下に近い存在といえます。聖王教会と聖導教団は、百年もの間、何とか聖女王を目覚めさせようとしてきました。その為に、大きな欠片を宿した分かたれし子を使おうとしたのです。その欠片が聖女王に近ければ近いほど、その眠りを覚ますことが出来ると考えていました。しかし、何人もの分かたれし子を鍵として使っても、そして、その御魂を分かたれし子という器に移そうとしても、無駄でした。ただ魂を失った分かたれし子だけが残り、聖女王が目覚めることはなかったのです」
「つまり俺は、……聖女王を目覚めさせるために必要とされていた、ということか?」
自分の発した声がひどくかすれていることが分かる。自分は器となるためにこれまで生かされてきた。そう告げられてことで、シアタカはひどく動揺していた。それは、聖王教徒として身に余る名誉のはずだ。まさしく、聖女王のために命を捧げることができるのだから。しかし、一方でそれに納得できない自分がいることも感じる。
「シアタカ。あなたに宿った欠片は力の弱いものでした。しかし、カラデアから戻ってきたあなたの欠片は、変貌していた。黒石の力と交わることで、他の欠片とは異質な力を得たのです。それは、これまで誰も経験したことのない事態です。それに気付いたワセト様は、あなたを最も重要な候補者として認めたのです」
「シアタカを生贄にして聖女王とやらを目覚めさせようというのか。しかも、聞いていれば、一度も成功していないという話じゃないか。そんな馬鹿な話にシアタカを付き合わせる必要はない!」
ウァンデが、怒りに満ちた表情でサリカを睨みつける。その傍らのアシャンは、青ざめた顔でシアタカを見つめている。聖王教徒でもない彼らにとって、それはひどく恐ろしい話に聞こえたのだろう。
サリカは、静かに頷くと言葉を続けた。
「確かに、これまで一度も成功していない理由は分かっていません。分かたれし子に宿った欠片の力、素質、環境など、様々な要素があるために、理想的な条件に合致していないのだと考えられています。ですから、教会と聖導教団はより多くの条件を再現するために、一人でも多くの分かたれし子を必要としているのです。しかし、そもそも分かたれし子を使っても聖女王は目覚めないのではないのか、という考え方もあります。そして、分かたれし子を無駄に使い潰すのではなく、分かたれし子を新しい聖王として顕現させようと考えている教派もあるのです。それが、ワセト様が属している教派です。ただし、この教派は聖導教団でも少数派で、主流派は、やはり聖女王陛下を目覚めさせようとする考えなのですが……」
「ようするに、聖女王陛下は眠りについたまま、ウル・ヤークスの新しい王を決めようってことか?」
ハサラトが身を乗り出して聞いた。
「ええ、そうですね」
「分かたれし子ってのは、力の欠片を宿しているだけで、聖女王陛下とは何の繋がりもないんだろう? そんな赤の他人が玉座につけるのか?」
「西方では、『高貴なる人々』の血を引く王族が聖王国の後継者を名乗っています。しかし、そもそも聖王とは血筋ではないというのがウル・ヤークス正教派の考え方です。そこが西方教会と正教派との相容れない考え方ですね。西方教会は、聖王の血筋と彼らに任ぜられた貴族、その下にいる様々な身分、階級の人々によって、確固とした秩序を作り上げることを目的としています。しかし、ウル・ヤークス正教派は違います。聖王とは世界を聖なる秩序で覆い、慈悲と徳をもたらす者。その力と資格があるのならば血統などどうでもいい、というのが正教派なんです。ですから、聖女王陛下もウル・ヤークス王国を建国することができた。新しい聖王を迎えることも問題ではありません」
「……ヴァウラ将軍もワセト殿と同じ考えなのか?」
シアタカの発した問いに、サリカは頷いた。
「ヴァウラ将軍も、現状を憂いておられたようですね。そのため、聖王教会にあなたの存在を秘匿してここまで育ててきたようなのです。それを知ったワセト様は、ヴァウラ将軍と協力することを決めました。この戦争でカラデアと黒石、そしてキシュという力を得て、ウル・ヤークスに聖王を連れて帰還しようと考えておられます」
「それじゃあ、騎士シアタカはウル・ヤークスに戻れば新たな聖王になるということですか!?」
ウィトが目を輝かせて言う。ハサラトは彼の頭を軽く叩いた。
「馬鹿野郎! そんなすんなり話が進むわけねえだろ。サリカの話じゃあ聖導教団の中でも少数派の意見なんだろ? 主流派や聖王教会が反対するに決まってる。一番問題なのは元老院だ。教会が、今、秘密にしてることを全部明らかにして、いきなり現れたシアタカを新しい王として玉座にすえようなんて言い出しても、元老院議員が納得しねえだろ」
「……そうですね」
ウィトが肩を落とした。
「まあ、シアタカが王になるって言うなら、俺も全力で助けるぜ。働きがいがあるってもんだ。その代わり、俺にもいい目を見させてくれよな。将軍位くらいで我慢するからな」
そう言って笑うハサラトの目は、真剣な色を帯びている。冗談半ば、本気半ばで言っているのだろう。シアタカは思わず苦笑した。
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