第9話

「残念ですが、聖王になったシアタカが、ハサラトの望みをかなえてくれることはないでしょうね」


 サリカは、静かにそう告げる。


「何言ってるんだ? シアタカと俺の仲だ。将軍位ぐらい、安いもんだろ。なあ?」


 そう言ってこちらを見たハサラトに、シアタカは右手を振って答えた。


「そもそも、俺が聖王になる前提で話をするなよ」

「だから、もしもの話だろ? もし俺が聖王になれるなら、もちろんシアタカは将軍様だ」

「くだらない話しないでよ、まったく」


 エンティノが小さく溜息をつく。


「前提が間違っていますね。もしシアタカが聖王になったのならば、その時にはもうシアタカではなくなるのです」

「どういう意味?」

「ワセト様にとって、シアタカが器であることは変わりありません。もしシアタカを聖王とするのなら、聖導教団はその為の術式と調律を施すでしょう。脳に法陣を刻み込み、魂を書き換え、シアタカという存在を聖王というまったく別の存在へと生まれ変わらせるのです。この世から、シアタカという人間は完璧にいなくなるんですよ」


 サリカは、淡々と言う。その恐るべき内容に、皆が絶句し、凍りついた。


 エンティノの顔に浮かんだ驚愕の表情は、徐々に険しさを増し、憤怒へと変わる。サリカを睨み付けると、叫んだ。


「あんたは……、シアタカに消えろっていうの!?」

「ヴァウラ将軍閣下とワセト様は、そう考えています。……しかし、私は違います」


 サリカは頭を振った。


「快適な書庫や研究室で深遠の世界に思いをめぐらせ、超常の力をもてあそんでいると、自分が肉体を持った存在であることを忘れてしまいそうになります。ですが、この旅で私は、自分が肉体に囚われた存在であることを思い知らされました。険しい道を登り、歩き、息を切らせて、汗をかき、冷たい川で身を清め、熱い温泉で疲れを癒した……」


 微笑んだサリカは、皆を見回した。


「私はただの人間であり、多くの人々に助けられなければここには辿り着けなかった。同じような考えの同僚に囲まれて書庫と戦場にいるだけならば、この広大な世界をただ俯瞰で見ることしかできなかったでしょう。様々な土地を歩き、様々な人々と出会うことで、小さなものから大きなものまで、等身大の大きさで感じることができたんです。それは、あなたたちのお陰です。そして、分かたれし子についても、そうです。私にとって、分かたれし子というのは、文献の記述以上のものではなかった。でも、シアタカ、あなたと出会った。あなたは、悩み、想う、力の欠片を宿したシアタカという一人の人間でした。私は、もうあなたをただの分かたれし子とは考えることはできないんです」


 その視線を受けて、シアタカは頷いた。


「俺も、サリカが……、聖導教団の魔術師がこんな親しみやすい人だとは思わなかったよ」

「私は同僚から変わり者と言われていました。一般的な聖導教団の魔術師とは少し違うかもしれませんね」

「ああ、分かるような気がする」


 サリカの答えを聞いたエンティノが笑った。隣のハサラトも苦笑している。


「シアタカ、あなたはこれからさらに大きな変化を遂げるでしょう。あなたには、分かたれし子として、とても特殊で、優れた素質があると思います。一人の探索者として、あなたのこれからにとても興味があるんです。あなたの側で、その進む先、そしてそこに立つ姿を見届けることを許していただけないでしょうか」


 サリカは、そう言ってシアタカへ深々と一礼した。エンティノが呆れた表情で彼女を見た。


「あんたねぇ……、シアタカを馬か恐鳥とりみたいに言わないでよ」

「似たようなものだろ? 名馬扱いしてくれたならありがたいんだが」


 シアタカが苦笑する。こんな奇妙な存在と同居する人間もそうはいないだろう。魔物扱いされないだけ、ましというものだ。


「あんたが同意してどうするのよ、まったく……」


 エンティノは溜息をついた。


「俺の行く先には戦場が待ってる。俺はアシャンを守り、キシュガナンとともにウル・ヤークスと戦う。それでもついて来るのか?」


 シアタカの問いに、サリカは頷いた。 


「私もアシャンを、キシュガナンを守りたいのです。私は今、異郷の地において異邦人でいることで、より真理の泉に近付いているのだと感じています。探索者として利益になるから、というとても自分勝手な理由で、私はキシュガナン、そして、カラデアに味方したいと思っているんです。勿論、アシャンやキセの人々が好きだという感情も理由の一つですけどね」

「それでいいと思う。俺だって、自分の罪を償うために今ここにいるんだ。サリカの考えを否定することはできないよ」

「ありがとうございます。よろしくお願いしますね、シアタカ。それに、アシャン、ウァンデ」

「サリカ、本当にありがとう」


 アシャンが真剣な表情でサリカの手を取った。サリカは、微笑むと、握った右手の上に左手を重ねた。


「私の都合で動いているだけです。感謝する必要はありませんよ」

「それでも嬉しいんだ」


 アシャンは喜びの感情を表現するように、握りあった手を大きく上下させた。


「サリカのような偉大なまじない師が味方になってくれるとは、心強いな」


 ウァンデは、喜びと安堵の入り混じった表情を浮かべ息を吐き出す。


「……それでサリカ、あの、シアタカの中にいるひとは、どうするつもりかな。シアタカは、あのひとに支配されてしまうの?」


 アシャンが、シアタカを横目で見ながらおずおずと尋ねる。サリカは小さく頭を振った。


「それは私にも分かりません。何しろ、かつてなかったことなので。これまでの報告では、欠片はその宿主の魂と分かち難く一つとなっているはずでした。欠片がはっきりと宿主と別の形をとることなど無かったのです」

「すまん、俺にはこれまでの話がよく分からなかった。つまり、欠片というのは悪霊のようなものなのか?」


 ウァンデの問いに、サリカは答える。


「ある意味で、似ています。しかし、一方で欠片は宿主の一面でもあるのです。欠片の力は宿主の生命や、魂を形作る要素の一つです。生まれ時から宿主と一つであった欠片は、おそらく死ぬまで宿主に影響を与え続けるでしょう」

「こいつと上手く付き合っていくしかないってことか……」


 シアタカは自分の胸に手を当てると、呟く。あの欠片が自分に何をしようとしているのか、あるいは自分に何をさせようとしているのか、それは分からない。しかし、それはシアタカの望む道とは異なるように思える。欠片に導かれて誤った道を歩み、落とし穴に踏み入らないように気を付けなければいけない。シアタカはそう決意する。


「私もシアタカに協力します。何とか、折り合いをつける方法を探しましょう」

「ああ、頼むよ」


 シアタカは、サリカの提案を心強く思った。


「さて……」


 ウァンデは大きく息を吐き出すと、緊張した表情を浮かべた。そして、紅旗衣の騎士二人に顔を向ける。


「エンティノ、ハサラト。……お前たちはこれからどうする? キセの塚の一族は、お前たちを客人として迎えた。それは、例え戦が始まろうと変わることはない。しかし、この地を離れ、ウル・ヤークスへ戻るのならば、話は別だ。そうなれば、お前たちを客人として扱うことはできない。お前たちは……、敵だ。勿論、帰る事を望むなら、俺にはそれを止める権利はない。だが、あえて俺の望みは言わせてもらう。……俺は、お前たちと戦場でまみえたくはない」

「へえ……、こいつは面白いな」


 ハサラトは薄く笑みを浮かべた。


「何かおかしなことを言ったか?」


 ウァンデは微かに眉根を寄せると、ハサラトを見た。


「いや、この前、シアタカにも同じことを言われたからな」

「ああ、当然のことだろうな。友と殺しあいたい奴などいるものか」


 ウァンデは腕組みすると顔をしかめる。 


「そうか……、シアタカ、お前、本当にアシャンやウァンデに拾われて良かったな」


 ハサラトはシアタカに笑みを向ける。


 ウァンデは、懇願するような表情で二人を見た。


「客人たちよ……。どうか、この戦が終わるまで、キセの塚に留まってはくれないか? 戦に勝てば自由に帰ってくれていい。もし負ければ……、キシュガナンとウル・ヤークスの仲介をしてほしいんだ」

「ウァンデ。あんたがそんなせこい事を言うなんてらしくねえぜ」


 ハサラトが笑いながらウァンデの肩を叩く。


「言っただろう? もう前に進むしかねえんだよ。こんな所で立ち止まったって、時間を無駄にするだけだ」

「ハサラト……」

「俺は、腕には自信があったんだ。だから、紅騎衣の騎士でも成り上がれると思ってた。今考えると、ガキだったな。そして、紅旗衣の騎士になってみたら、騎士団には俺ではとても及ばねえような化け物が何人もいた。きっと、俺は平の騎士のまま、どこかの戦場で死んで終わるだろうな。運良く生き延びて田舎に農園でも買えたなら、儲けものだ」


 自嘲の笑みを浮かべたハサラトを、シアタカは見つめる。その視線を受けて、ハサラトは笑みを大きくした。その瞬間、自嘲の色は消えた。


「俺は所詮、貧民街育ちの悪党さ。結局、大した信仰心なんて持ち合わせてなかったんだ。聖女王とか、聖なる秩序とか、そんなものはどうでもいい。どうせなら、でかい事がしたいんだ。シアタカ、俺はお前に付いて行くぜ」

「でかい事……? ハサラト、これから向かうのは沙海だ。カラデアを守るための戦なんだぞ。何を期待してるんだ?」

「サリカが言ったじゃねえか。聖王だよ、シアタカ。お前が聖王になってウル・ヤークスに帰還するんだ。それで、俺は将軍になる。どうだ? 悪い話じゃねえだろ?」

「馬鹿言うな。俺に聖なる秩序を織り成す徳があると思うのか? 俺にはそんな資格なんてない」


 シアタカは顔をしかめると言った。ハサラトが共に歩んでくれることは嬉しかったが、的外れな期待を元にしているとなればそれは危うい決意になるかもしれない。


「まあ、そう言うと思った。とりあえずは、保留だな。戦に勝てば、その気になるさ」


 ハサラトは笑みを浮かべたまま肩をすくめた。 


 不安を覚えて大きな溜息をつくシアタカは、横目でエンティノを見た。表情の消えた彼女を、直視することができない。エンティノの答えを聞くのは怖かったが、受け入れるしかない。そう決意していた。


 不安げな表情を浮かべたアシャンが、エンティノに歩み寄った。そして、彼女を見つめて口を開く。


「エンティノは……、本当は私のこと、嫌いかもしれないけど……。でも、私、エンティノのことが大好きなんだ。あなたには敵になって欲しくない。だから、お願い、全てが終わるまで、キセの塚に留まってくれないかな……」

「馬鹿じゃないの、アシャン!」


 エンティノは目を吊り上げて叫んだ。


「ここまでの付き合いは何だったのよ。私があんたのこと、嫌いなわけないじゃない!」

「エンティノ……」

「私だって、アシャンのことを大切に思ってる。だから、あんたとの約束も大切にしたいんだ」


 エンティノはアシャンの肩に手を置くと、大きく頷いた。そして、シアタカに顔を向ける。その鋭い視線に圧倒されて、シアタカはたじろいだ。


「シアタカ!」

「……エンティノ」

「私はね、アシャンと約束したんだ」

「約束……? ああ、あの時の……」


 シアタカは、沙海でエンティノとアシャンが言っていた言葉を思い出した。


「シアタカを助けて欲しいって、アシャンは私たちに頼んだんだ。あんたを助けることができるのは、私たちだけだって言ってね。そうやって、私たちは命を救われて、客人になった。だから私も、その恩に報いるためにアシャンとかわした約束を守る」


 エンティノはアシャンと笑顔で視線を交わすと、再びシアタカを見た。その視線は、和らいでいる。


「あんたを助けるのは私の義務。シアタカ……。私に守ってもらえるんだから、アシャンには感謝しなさいよ!」 

「ああ、感謝するよ。ありがとう、エンティノ」 


 シアタカは微笑んだ。その視線を受けたエンティノは、頬を紅潮させて顔をそらす。 


「まあ、これでいつも通り、ってことだな。よろしく頼むぜ、兄弟」


 ハサラトが笑顔で右手を差し出す。シアタカはその手を握った。ハサラトは力強くシアタカを引き寄せると、その肩を抱き、強く何度か叩く。その馴染みのない抱擁の仕方に戸惑いながらも、同じように肩を抱いた。自然と、笑みがこぼれる。


 兄弟たち。


 この新しい兄弟たちと共にいることができるという喜びが、心を満たしている。こんな感情はこれまで感じたことがなかった。戸惑いながらも、この幸福感を噛み締める。


 ハサラトから身を離したシアタカは、こちらを見ているエンティノと目が合った。


「エンティノ!」


 シアタカが右手を差し出すと、エンティノは躊躇いながらもその手を握る。シアタカはその体を引き寄せながら、力強く抱きしめた。

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