第16話

「戦士エイセンよ! このキセの者たちの無法を許して良いのか? こ奴らは、カファの一族の里で、その客人である我らを襲ったのだぞ!」


 カカルの男が、怒りに満ちた表情でウァンデとアシャンを指差した。 


 その男は十体のキシュを連れており、ラハシであることが分かった。あのジヤという戦士にしてラハシが連れていたキシュと合わせると、カカルの一族はこの里に二十体近いキシュを連れてきていることになる。他の一族の領域にいくさ以外でここまで多くのキシュを連れてくることは中々ないことだ。それだけ自分たちの力を誇示したかったのかもしれない。


 シアタカの言ったことを思い出す。人に話を聞かせるには、力があることを示さなければならない。決意したアシャンは、大きく息を吸い込んだ。


「む……、無法なのはお前たちだ!!」


 アシャンが叫ぶ。


 傍らのウァンデから驚きの感情を感じ取ったが、それを無視して言葉を続けた。


「お前たちカカルは、キセの客人を侮辱した! そして、それに抗議したら、奴らのほうが襲ってきたんだ!! 」


 正確に言えば、エンティノの挑発が直接の切っ掛けだったのかもしれないが、それまでにウァンデやエンティノを散々侮辱したのだから、自分の非難は正しい。アシャンはそう思っている。


「客人を侮辱され、しかも襲い掛かってきた奴らから身を守って、何が悪いんだ!」

「う、嘘をつくな小娘!!」 


 カカルのラハシがアシャンを睨み付ける。


「嘘なもんか!! そもそも、あんたはその場にいなかったじゃないか!!」


 アシャンの叫びに、周りで見ていたカファの人々は同意の声をあげた。そして、口々にカカルのラハシや戦士たちを罵る。この人たちもカカルの一族に腹を立てていたんだ。彼らの発する感情からそんな印象を受けた。おそらくカカルの戦士たちは、この里で随分と横柄な態度をとっていたのだろう。戦士たちが自分たちのほうへやって来た時の、カファの人々の怯えた反応からもそれは察せられた。


 エイセンは、アシャンとラハシの男を見比べて、口の端を吊り上げた。これ見よがしに、担いだ大槍で己の肩を叩く。


「さてさて、どちらの言い分が正しいのやら。俺は、自分の一族の言葉を信じるがな……」


 カカルの一族のラハシは、エイセンのその言葉に顔を歪めて口を噤んだ。


「アシャン、後は俺に任せろ」


 ウァンデがアシャンの肩に手を置いた。アシャンは、安堵の吐息を吐き出すと頷く。ウァンデはアシャンに笑みを見せると、一歩進み出た。


「カカルの一族よ、聞け」 


 ウァンデは、カカルの人々を見回すと、静かな口調で言う。


「お前たちは、多勢でありながら、我らに勝てなかった」


 その言葉に、ラハシの男や、意識を取り戻している戦士たちは険しい表情を浮かべた。ウァンデは、表情を変えることなくその視線を受け止め、言葉を続けた。


「我らにとって、カカルの一族を殺すことは簡単だった。だが、我らは刃は持たず、キシュの力も借りなかった。カファの一族に敬意を表し、客人であるカカルを殺さなかった。ただ、その非礼を咎め、罰を与えただけだ。我らは掟と礼儀に従って事を収めた。誇りを知る戦士ならば、槍を地に置き、顔を伏せ手で覆うだろう」


 ウァンデは、そう言って大槍の石突を強く地に突き立てた。


「き、キセの戦士よ」


 ジヤが進み出るとウァンデの前に立つ。時折痙攣する手でウァンデやシアタカたちを指し示した。


「オ……マエ、お前たちは、つ、強かった。こ、こいつらは、愚か、で、恥、をかいた。こん、今回は、それで良い」

「そうか、分かった」


 ウァンデは、ジヤを見つめると、ゆっくりと頷いた。ジヤも頷き、身を翻す。カカルの戦士たちは、渋々といった様子で、その場を立ち去っていった。


「カファの里はいつもこのように騒がしいの?」


 歩み寄った女が、呆れた表情でエイセンに声をかける。年の頃は、三十代半ばだろう。落ち着いた雰囲気をもっている。その背後に、何体ものキシュと男たちを連れていた。一人の男は、紋様の描かれた布が張られた長い杖を持っている。その布に刺繍された紋様を見て、アシャンは驚きの声を上げた。


「に、兄さん、あの人たち……」


 アシャンはウァンデの顔を見上げた。ウァンデもアシャンに頷いて見せる。


「ああ、ニウガドのやしろの一族だ。“やしろ御使みつかい”だろうな」


 エイセンは、顔をしかめながら女と言葉をかわしている。 


 アシャンとウァンデは、仲間たちの元へ向かった。二人を迎えたシアタカは、小さく頷いて見せる。アシャンも彼を見て頷き返すと、地面に座り込んだエンティノに駆け寄った。


「エンティノ、怪我は大丈夫?」

「平気、平気」


 エンティノは、右手を上げて見せた。サリカが、エンティノの傷を癒している。幾つもの傷を負っているために、腕の良いサリカでも、少し時間がかかっているようだ。シアタカといえば、すでに傷は癒え、首元にうっすらと赤い線として名残が見えるだけだ。頭に一撃を受けたラゴも、すでに平気な様子で立っている。


「みっともない所見せちゃったな」


 エンティノが自嘲の笑みを見せる。アシャンは小さく首を振る。


「そんなことないよ、エンティノ。でも、見ていて、本当、怖かった」

「一騎打ちで御二人がこんな手傷を負うなんて、恐ろしい相手ですね」 


 ウィトが厳しい表情で言う。エンティノは、彼を見やると首を傾げた。


「うーん、恐ろしいとは思わなかったのよね。ただ、すごく戦い難かったな」

「ああ、見ていてやり難くそうだったな。早さで言えば、調律が顕れる前の俺たちよりは上だが、それだけだ。それなのに、二人がどうしてあれだけ遊ばれたのか分からねえ。それに、ラゴとシアタカが後ろから接近したことにも、見てもいないのに気付いていやがった。まるで、頭の後ろに目があるみたいにな……」


 ハサラトが腕組みすると言う。シアタカは、頷いた。


「そうだな。今まで戦ったことがないたぐいの戦士だ。俺も戸惑ったよ。まるで、……何をしようとしているのかあらかじめ分かっているみたいだった」

「あの人は、きっと、“兆し”が観えているんだ」


 それは、シアタカたちとカカルの戦士の戦いを見ていて、アシャンが気付いたことだった。その言葉を聞いて、皆がアシャンに顔を向ける。


「兆し?」

「うん。人が、何かをやろうとする時に、同時に心の動きがあるんだけど、人が戦う時は、それがとてもはっきりするの。それと、何体ものキシュが教えてくれる色々な感覚。それが全て合さって、相手がどう攻撃しょうとしているのか、分かるんだよ。私たちが沙海で出会った後、カラデアに向かう途中でシアタカが何かしようとした時、私が声を掛けたよね? あれは、兆しを感じたからなんだ。最近、エンティノと稽古しているから、私にもそれが形として分かるようになってきたの」

「ああ……、エンティノの攻撃を先読みしていたのはそういうことだったんだな」


 アシャンは、シアタカの言葉に頷く。


「あのカカルの戦士の心は、キシュにすごく近い。私より、もっとキシュと深く繋がってる。だから、何体ものキシュの感覚が全て自分の感覚のように感じることができるんだよ。きっと、あの人が戦う時に見ている世界は、すごく細切れで、一つ一つを手に取って眺めることができるような感じなんだと思う。そして、戦う相手から自分に向けられる強い思いが、風が吹いてきたり、雷鳴が響くみたいに届いてくる。そんな感覚全てを、兆しとして受け取っているんだ。だから、相手が攻撃する前にそれを知ることができるし、後ろから誰が近付いているのか、知ることもできる」


 それは、何体ものキシュから同時に情報を受け取った時に感じる感覚だ。しかし、アシャンにはそれを全て受け止めることはできない。彼女の頭や心はそれに追いつかないのだ。そのため、詳細な情報はどこかに霧散してしまう。しかし、あのジヤという戦士はそれを取りこぼすことなく受け止め、戦いに活かしているのだろう。アシャンから見ても、恐ろしい力の持ち主だ。


「凄えな……。想像もできない世界だ……」


 ハサラトは呆然とした表情で呟いた。ウァンデが唸りながら腕組みする。


「そうか……、父さんが言っていたことはそのことだったんだな。稽古の時、父さんの言うことが理解できないことがよくあったんだ」


 アシャンは、兄の言葉に頭を振る。


「ううん。父さんは……、あのジヤという人とはまた違う観え方だったんじゃないかな。ラハシといっても、キシュから受け取る感覚は人によって違うことが多いんだよ」

「……ということは、アシャンが観ている世界は、あの戦士……、ジヤに近いということですか?」


 サリカが、首を傾げてアシャンを見つめる。彼女の鋭いに問いに驚きながら、アシャンは答えた。


「そうだね。何となく、そんな気がするんだ……」


 アシャンは、里の門を見やった。その中に入っていたカカルの一族の姿はもう見えない。これから、彼らとも話し合わなければならない。ジヤという戦士は、おそらく自分と似たキシュとの繋がりを持っている。観ている世界も似ているだろう。アシャンはそう感じた。だからといって、話が合うとは思えなかったが。


「そうかぁ……、アシャン、私の攻撃が読めるんだ」


 エンティノが、笑みを浮かべた。そこに浮かんだ感情を感じ取って、アシャンは慌てて頭を振る。


「たまに、ちょっとだけ、だよ! とてもあの戦士みたいには無理だよ!」

「謙遜しなくてもいいんだよ。次の稽古は、上の段階に進もうか?」

「無理! 無理だから!」

「エンティノ、あまり妹を苛めないでくれ」


 ウァンデが顔をしかめて言う。エンティノは肩をすくめた。


「冗談よ、冗談。基礎も出来てない人間に無理はさせないわ」


 アシャンはその答えに安堵の息を吐く。


「それより、彼らは何者だ? カファともカカルとも違う一族みたいだが」


 シアタカは、エイセンと話している女たちを一瞥して言った。


「うん。あの人たちはニウガドのやしろの一族」


 アシャンが答えた。その後を継いで、ウァンデが口を開く。


「この地で、最初にキシュと契約をした人々だ。キシュガナン諸族に尊敬されている。『やしろの一族を侵すべからず』、それがキシュガナンの掟だ。誰もニウガドのやしろの一族を襲うことはないし、彼らも他の一族を襲うことはない」

「北の山を越えてきたキシュガナンの先祖は、この地でキシュガナンに出会った……。そして、あのニウガドの一族がキシュと意思を通わせた……」


 サリカが呟くように言い、エイセンと話すニウガドの一族を見つめた。 


「ああ、そうだ。彼らはこの地で“大いなる母”と出会い、契約を結んだ。それ以来、キシュガナンはキシュと共に生きるようになったんだ」

「我々もニウガドの一族には世話になっている」


 カナムーンが口を開いた。


「鱗の民もですか?」

「ああ。我々が初めてキシュガナンと交易を始めた頃に、ニウガドの一族が力になってくれたと聞いている。姿形が全く異なる我々を、様々な一族に仲介してくれたそうだ。今、我々がキシュガナンの土地を訪れることができるのは、ニウガドの一族のおかげだ」

「ニウガドの一族はそんな権威も持っているのか」


 シアタカの言葉に、ウァンデは頷いた。


「そうだな。例えば、大きな儀式の時に、彼らに司ってもらうことも多い。新しい長老がその座についた時は、彼らに知らせるし、それを祝福するために里を訪問してくれるんだ。一族同士の争いを収めたい時に、彼らに仲裁を頼むこともある。そのために他の一族を訪れる使者を、社の御使いと呼んでいるが、おそらく彼らは、その社の御使いだろうな」

「だとすると、俺たちも敬意を払わないといけないな」

「ああ、くれぐれも失礼な態度は止めてくれよ。俺たちはともかく、他の一族の者たちが怒り出してしまう」

「エンティノ、くれぐれもお願いね」


 アシャンは、ここぞとばかりにエンティノに言った。エンティノはその言葉に苦笑する。


「言うようになったわね、アシャン」

「鍛えてもらってるからね」


 アシャンは出来るだけ意地悪に見えるように、口の端を吊り上げた。それを見たエンティノは声を上げて笑う。あまり効果はなかったようだった。


 エイセンと話を終えたのか、ニウガドの女はこちらを向いた。微笑を浮かべながら、こちらにやって来る。


「こんにちは。あなたがこの人騒がせな一行のかしら?」


 一行の前に立った女は、ウァンデに尋ねた。ウァンデは頭を振ると、アシャンを手で示す。


「いや、かしらはこの娘……、アシャンが務める。キセの塚の一族の長老より、『導くもの』の名を授かっている」

「まあ……、あなたが。若いのに、立派なものね」


 女は目を見開くと、アシャンを見つめた。そして、笑顔で頷く。その笑みは好意的だった。


「あなたもラハシなのね」

「はい。キセの塚の一族のラハシ、アシャンといいます。こちらは兄のウァンデ」

「私はニウガドの社の一族のラハシ、マスマ。よろしくね」

「お会いできて光栄です、マスマ」


 アシャンは両手で顔を覆うと頭を下げた。尊い人にする特別な挨拶だ。隣のウァンデも同じように一礼する。マスマはそれを受けて、胸に手を当てて深く頷いた。


 顔を上げたアシャンは、口を開く。


「あなたは、やしろ御使みつかいですか?」

「ええ、そうよ」

「どうしてやしろ御使みつかいがここに?」

「カカルの新しい長老を祝福するために来たの。それで、途中でカファの幹に挨拶に寄ったのだけど、まさかカカルの戦士たちがいて、こんな騒ぎを起こしているなんて思いもしなかったわ」


 小さく溜息をつくと、マスマは肩をすくめた。そして、傍らで成り行きを見守っている仲間たちを見やる。マスマとはキシュガナンの言葉で話しているために、カナムーンとサリカ以外は何を言っているのか理解できていないだろう。


「変わった客人たちを連れているのね。皆、外つ国の民?」

「はい。とても大事な客人です。この人たちは、キシュガナンに危機を知らせる使いでもあるんです」

「キシュガナンに、……危機?」


 マスマは怪訝な表情を浮かべる。


「そうです。 私たちは、その危機を知らせるためにカファの幹にやって来ました。出来れば、ニウガドの社の一族にも私たちの話を聞いて欲しいんです」


 アシャンの傍らのキシュが進み出ると、マスマの背後に控えるキシュへと近付いた。互いのキシュが盛んに触角を動かす。マスマの表情が凍りついた。大きく目を見開き、アシャンを見つめる。しばらくの沈黙の後、彼女はおもむろに口を開いた。


「……キシュから形を受け取ったわ。とても恐ろしいものが観えた」


 ラハシがラハシに語る時に言葉はいらない。ただ、キシュが真実を伝えるのみだ。言葉のもつ曖昧さやもどかしさと比べると、この交流は心強く、そして恐ろしいものでもあった。しかし、それは逆に言えばキシュに任せた形の交換でしかない。キシュは人ではない。人と人との間で真意を伝えるには、不確かなものであっても、やはり言葉を連ねるしかないのだ。アシャンは、そう考えるようになっていた。


「それが、東から来る大いなる危機です。私は、その危機を、一部ですが、直接見て、聞きました。その詳しい話をカファの一族と、それにカカルの一族にします」

「アシャン。是非、私たちにも聞かせて欲しいわね」


 マスマは真剣な表情でアシャンの手を握った。

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