第14話

「こいつは……、壮観だな」

「ああ。シアート杉の森も驚いたが、ここはそれ以上だな」


 ハサラトの呟きに、シアタカは頷いた。


 立ち並ぶ巨大な木々。 


 それは奇妙な形をしている。根元から幹の半ばまでが球状に膨らんでおり、その天辺から、筒状に細くなった幹が太い枝を放射状に生やしながら天に向かって伸びている。それは、まるで酒場に置いてある大きな酒壺のようだった。その高さはアタミラで見た大聖堂に匹敵するだろう。いや、木によってはそれ以上の高さがあるかもしれない。幹の太さも、大きな教会や小規模な砦に匹敵している。何もかもがシアタカの知る木という概念を超越していた。 


 そんな奇妙な巨木が何本も生えている光景は、見るものを圧倒する迫力を持っていた。よく目を凝らせば、この球状の幹には穴がいくつも開いている。キセの塚での経験から予測できたが、思ったとおり、その穴からはキシュが出入りしていた。


 巨大な木々の間に、畑が広がり、水路が張り巡らされている。周囲に広がる鬱蒼とした森と比べて、この巨木の生えている土地は、実に丁寧に開拓され、整備されていた。


「まったく……、世界は広いなぁ……」

「ああ、そうだな」


 しみじみと言うキエサに、シアタカは笑みを浮かべて同意した。


 これまで、紅旗衣の騎士として、ウル・ヤークス王国各地や、異教徒の土地で転戦し、様々な美しいもの、驚くべきものを見てきた。そして、王国を遠く離れたこんな土地にも、想像を超えたこんな光景がある。このまま世界中を旅すれば、自分はどんなものを見ることができるのだろうか。シアタカは、そんなことを考えている自分に、思わず苦笑する。紅旗衣の騎士である時は、そんなことを思いもしなかった。


「あれが、“カファの幹”だ」


 エイセンが笑みとともに言う。


「あの中で一族が暮らしているのですか?」


 サリカの問いに、エイセンは頭を振った。


「カファの一族は穴には住まない。あの幹の中で暮らすのはキシュだけだ。木の中で火を使うわけにはいかんだろう?」

「ああ、確かにそうだな」


 シアタカは頷いた。


「だが、木の上には暮らしているぞ。見てみろ」


 エイセンが指差す先、木の幹や枝に改めて目を凝らす。ここからでも幹に設置された階段らしきものや、枝の間に張り巡らされた回廊、小屋のようなものを見ることができた。


「木の上に家が……。何て素敵なんでしょう……」


 セリカが目を輝かせる。


「とても面白いんだよ! 時々揺れるから少し怖いけどね」


 アシャンの言葉にエンティノは笑った。


「そりゃ、落ち着けないわね。嵐なんか来たらおちおち寝ていられないじゃない」

「うん。私には絶対無理だな」

「案外丈夫なものだぞ?」


 大きく頷いたアシャンとそれを見て再び笑うエンティノ。エイセンは心外だというような表情で二人を見た。


 エイセンと戦士たちに先導された一行は、カファの里へと到着した。


 遠くから見たカファの幹は実に見事な光景だったが、こうして木の下から見上げると、その巨大な幹と天に広がる枝葉には圧倒されてしまう。里に入ってようやく気付いたが、密集しているように見えた巨木と巨木は、案外離れている。しかし、幹と枝葉は巨大な屋根となって里のあちこちに影を作り出していた。 


 畑仕事をしている人々が、戦士たちに笑顔で挨拶をするが、その後ろに続くシアタカたちを見て驚きの表情を浮かべる。取り囲む野次馬たちを押しのけながら、一行は里の奥へと向かった。この辺りの人々の反応はキセの塚と変わらないな。シアタカは思う。ほとんどキシュガナンしか行き来しないこの土地では、外の土地から来た人々が本当に珍しいのだろう。狗人や翼人といった様々な異種族、昔奴隷だった黒い人々ザダワーヒ、北方からやって来た遊牧の民、西方の金髪碧眼の蛮族、はるか東方にある竜の帝国の民までもが行き来して、それを特に気にすることがないアタミラの住人とは対極にある人々だ。


 畑が広がり家屋が点在する周辺から、里の中心へと近付いた。


 そこは木造の柵、と呼ぶにはあまりに頑強で大きな壁と、水をたたえたほりに囲まれていた。ちょっとした砦といっても良いだろう。濠の一部に橋が渡され、里への門が建っている。


 キセの一行の面会の許可を得るために、エイセンはアシャンたちを外で待たせた。


 エイセンを待つ一行の元に、カファの人々は集まってくる。アシャンやウァンデはカファの一族にいる顔見知りの者たちに囲まれて、質問攻めにあっていた。主にウァンデが、彼らを相手にしている。ウァンデとアシャンは訪問の理由を問う人々に、深刻な表情でウル・ヤークス王国の脅威を語った。沙海での出来事を、カファの人々は驚きの表情を浮かべながら聞き入っている。彼らの周囲には、聴衆がどんどんと集まってきていた。


 一方のシアタカたちも、アシャンたちから少し離れた場所で、カファの人々に囲まれていた。カファの人々は、外つ国からやって来た珍しい客人たちを静かな興奮を持って迎えている。彼らは、シアタカたちににこやかに話しかけ、茶や軽い食事を勧めてくる。ここまでの旅の中で、アシャンとウァンデを教師にキシュガナンの言葉を教わってきた。しかし、シアタカやエンティノ、ハサラト、ウィトはごく単純な会話しかかわすことができない。ただサリカだけが、片言ではあるが、彼らと言葉をかわしている。少し早く喋られるだけで理解できなくなるシアタカとしては、彼女の語学力に感心するしかない。カナムーンは、元々キシュガナンの言葉を話すことができるために、彼らとの会話には不自由していないようだった。


 必死に覚えたてのキシュガナン語を口にしていたシアタカは、聞こえてくる騒々しい声に、顔を上げた。 


 大槍や剣を携えた男たちが、こちらを指差しながら歩いてくる。十人いる男たちは、皆、猛々しい表情をしていた。その身のこなしから見て、戦士であることは間違いないだろう。


 振り返ったカファの人々は、怯えの表情を浮かべてシアタカたちから離れていく。その場に取り残された彼らに向かって、戦士たちが歩み寄ってきた。


「カファの戦士ですかね」


 ウィトの問いに、シアタカは首を傾げた。エイセンたちとこの戦士たちとでは、カファの人々の反応があまりに違う。


「それにしては様子が変だ」

「カファとは違う氏族ですね。服の模様がキセやカファと違います」


 シアタカは、サリカの言葉に感心する。


「模様? 気付かなかった」

「カカル、と呟いている人がいました。彼らは、カカルの一族の戦士でしょう」

「そうか、奴らが……」


 シアタカは、アシャンを見た。


 アシャンはこちらにやって来る戦士たちを、強張った表情で見詰めていた。その顔色は蒼白になり、身を硬くしているように見える。その肩を、ウァンデが強く抱いていた。


「大丈夫か、アシャン」


 シアタカは、アシャンに歩み寄って言った。


 アシャンは小さく震えていた。ようやくシアタカに気付いたのか、彼を見上げて、小さく頷く。


「だ……、大丈夫」


 その声は弱弱しい。やはり、アシャンの中ではまだカカルの一族に襲撃された時の恐怖が消えてはいないのだ。シアタカは口を開きかけたが、何も言えずに唇を結ぶ。


 戦士たちは、物珍しそうにエンティノたちを見た後、ウァンデを睨み付けた。一人の戦士が、荒々しい口調とともにウァンデを指差す。ウァンデは、静かな表情で何かを答えた。戦士は、さらに険悪な表情となった。口にしたのが罵倒の言葉であろうことは、シアタカにも推測できる。彼らはアシャンとウァンデがキセの塚の一族だと分かっているのだろう。罵倒もそれが理由に違いない。 


 戦士の一団の中から進み出た男が、一行の元へ歩み寄る。 


 その男は、笑みを浮かべながら手を伸ばし、エンティノの髪に触れた。エンティノの眉根が寄る。舌打ちするとその手を払った。男は笑い声を上げると、しつこくエンティノの髪に触れようとする。


「よせ、何をしているんだ」


 様子に気付いたシアタカが、男に言いながら近づいた。男はそれを見て笑みを大きくすると、エンティノの髪を握った。エンティノの頭が引っ張られる。


 エンティノの表情が消えた。 


「やべえ」

「まずい」


 ハサラトとシアタカが同時に呟いた瞬間。


 引っ張られたエンティノの頭は、勢いを増して男の鼻を直撃した。男は悲鳴をあげて仰け反る。髪を掴んでいた手を払うようにして一閃したエンティノの肘が、男の頭を一撃した。硬い物を叩くような高く大きな音が響く。


 男は力を失って仰向けに倒れた。


 エンティノはそのまま首へと足を踏み下ろそうとする。


「やめろ!」 


 シアタカは一気に踏み込むと、ぶつかるようにしてエンティノを抱きすくめた。その衝撃に、エンティノは我に返る。のろのろと間近にあるシアタカの顔を見上げた。その目に浮かんだ、怯えにも似た光。


「シアタカ、ごめ……」

「すまん、エンティノ。こいつを無理にでも止めるべきだった」


 エンティノの言葉を遮って、シアタカが言った。エンティノは目をそらすと、シアタカの体を両手で押した。シアタカがその体を解放すると、彼女は無言のまま離れる。


 大柄な戦士が倒れた男を引きずり、唾を吐きかける。こちらに向かってキシュガナンの言葉で何かを言った。


「あの男は……、女にやられて情けない奴だと罵られている」


 エンティノを気遣うように見た後、ウァンデはカカルの男たちの言葉を訳した。


「仲間に優しくないんだな」

「奴らは何より武勇を尊ぶからな。外つ国から来た、しかも女に一撃でのされたのが許せないんだろう」

「エンティノの動きを見て実力も見抜けないようじゃあ、大した戦士じゃねえな」


 ハサラトが鼻で笑う。


 シアタカは心を決めた。皆を見回し、言う。


「少し暴れよう。奴らを……黙らせる」

「なっ! 何を言うんだシアタカ」


 ウァンデが驚きの声を上げた。


「エンティノを侮辱されて怒るのは分かる。いいかシアタカ、冷静になれ。お前らしくないぞ」

「確かに、エンティノを侮辱したことは許せない。だけど、それだけでこんなことを言ってるわけじゃない」


 シアタカ頭を振ると、ウァンデを見つめる。


「カカルの一族はキセの一族と、俺たちを侮っている。こちらを侮り、下と見ているような相手と、まともな交渉はできない。このまま話し合っても、奴らはアシャンの話をまともに聞こうとはしないだろう。相手に話を聞かせるには、聞く耳を持たざるをえないような力を示さないといけない」

「それは……、確かにそうだ」


 ウァンデは、渋々ながらも頷いた。


「いいねぇ。ガキの頃を思い出すぜ。久しぶりにやるか」


 ハサラトの言葉に、シアタカは彼を見た。


「ただし、殺すなよ」

「優しいことを言うんだな」 

「後々、味方にしないといけないんだ。殺すと、憎しみがいつまでも渦巻くことになる。それに、殺す必要もなかった。そう分からせるほど、圧倒的な力で蹂躙するんだ。キセの塚には、恐ろしい客人がいる。カカルと、それにカファの一族にそれを知らしめよう」

「そういうの、好きだぜ。月輪の坊ちゃんたちとやり合った時を思い出すな」


 ハサラトは、獰猛な笑みを浮かべる。


「あれはあんたが喧嘩を売ったんでしょ。あの後、どれだけ酷い目にあったか忘れたの?」


 エンティノが呆れた様子で言った。ハサラトは顔をしかめて反論する。


「あの後散々謝っただろ! 今度は、シアタカが言い出してることだぜ。張り切っていこうや」

「そうね。まさか、シアタカがこんなことを言い出すなんて思わなかったな」


 シアタカを見て、エンティノは苦笑する。確かにそうかもしれない。以前の自分ならば、自ら積極的に戦うことを選ぶことはなかっただろう。おそらく、ウァンデに成り行きを任せていたはずだ。しかし、アシャンを守ると決めてからは、流れに身を委ねる事は出来なくなった。流れを読み、時に逆らい、進まなければならない。それが、道を選ぶということだと、今では理解している。


「アシャンはそこで見ていてくれ。キシュの助けも必要ない」


 シアタカは、アシャンの肩に手を置くと微笑む。


「今、目の前にいるのあいつらは、恐ろしい敵でも何でもない。俺たちに叩きのめされる、ただの哀れな獲物だ。もう、恐れる必要なんてないよ」


 アシャンは強張った表情のまま小さく頷いた。


「どうだ、ウァンデ。同意してくれないか?」

「……ああ、悪くないと思う。アシャン、覚悟を決めたな?」


 ウァンデは、アシャンを顧みる。


 アシャンは決意に満ちた目でシアタカを見つめた。


「シアタカを信じるよ」

「ああ。俺を信じてくれ」


 シアタカは頷いてみせると、カナムーンに顔を向けた。


「カナムーンも、頼む」

「力尽くは好まない」


 カナムーンは擦過音とともに答えた。シアタカは笑みとともに言う。


「弱い奴と一緒に戦をしようとは思わないぞ。カラデアから来た使者は……、鱗の民は腕利きの戦士だと知らしめないといけない。お披露目の場だよ、カナムーン」

「……仕方がない」


 しばしの沈黙の後、カナムーンは喉を小さく膨らませた。


「ラゴ、噛み付かない、鉤爪で切り裂かない。ただ奴らを叩きのめす。出来るか?」


 ラゴは激しく何度も頷く。


「ウィトは、アシャンとサリカを守れ。近寄ってくるなら、矢を射ても構わない。奴らが弓や石を使いそうなら先に潰してくれ。ただし、手や足を狙うんだ。殺すなよ。出来るな?」

「お任せください、騎士シアタカ!!」


 ウィトは、鼻息荒く胸を拳で叩く。


「私は何をすれば……」

「サリカは何もしなくてもいい。魔術は、奥の手だ。今は見せる必要はない。万一、怪我人が出た時は頼む」

「分かりました」


 カカルの戦士たちは、シアタカたちが棒や杖を手にしていくのを見て、笑い声を上げた。こちらを見くびり、蔑んでいることが感じられる笑いだ。相手の戦力を推し量ることもできずに、侮る。それは、戦う者が最も禁忌とすべきことだ。たとえ勇猛な軍人であろうとも、少年の投じた石で死ぬ。それを忘れることは、死へ到る道への一歩だった。


 一人の戦士がエンティノを指差し、何か言う。その言葉に、他の戦士たちは下卑た笑いをあげた。


 ウァンデは気まずそうな表情でエンティノに顔を向けた。


「奴は、お前が戦士に相応しくないと言ってる」


 エンティノは手をひらひらと振ると、微かに笑みを浮かべた。


「ああ、分かった分かった。その何倍も下品で酷いことを言ってるんでしょ」

「……すまんな。訳して聞かせるにはあまりに品がない」

「大丈夫。ウァンデ、これから私が言うことをちゃんと訳してね」

「ああ、分かった」


 笑みを浮かべるエンティノを見たウァンデは、引きつった表情で頷く。


「玉無しの臆病者ども。どいつもこいつも、女を怖がって口で罵ることしかできないのか。そんな奴らは母親のけつの穴にでも隠れてろ」

「……それを訳すのか?」

「訳して」


 ウァンデは顔に手を当てると小さく嘆息した。そして、カカルの戦士たちに顔を向ける。その言葉に、彼らの顔が強張った。そして。


「さあ、来い! かかって来いよ!!」


 エンティノは嘲笑とともに大きく両手を広げた。


 カカルの戦士たちは、怒りの声を上げると、槍や剣を手にこちらに駆け寄ってくる。


「さあ、始めるか」


 シアタカは言った。


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