第20話

 屋敷が包囲されている。


 兵士がこの報せをもたらした時、ヤガンは耳を疑ったが、共にラハトがやって来たのを見て真実だと分かった。


「おいおい、聞いてないぞ……」


 ヤガンは呟く。この屋敷にやって来た時、言葉の戦に巻き込まれることは覚悟していたが、本当の戦に巻き込まれることなど考えもしなかった。


「愚か者どもめ! 何という暴挙だ!」


 ナタヴは怒りに満ちた表情で拳を握った。


「しかし、確実なやり方ではあります」


 サウドはそう言うと腕組みする。


「とはいえ、ここまで強引な手段をとるとは思いもしませんでした。まさかこんなアタミラの近郊で兵を出すとは……」

「シアートの要人がここまで一堂に会する機会はありません。この好機を逃すまいと考えたのでしょう。皆殺しにしてしまえば、後でいくらでもでっち上げることはできる」


 厳しい表情で言うと、アトルは一同の顔を見回した。


「屋敷を包囲しているのは、ウル・ヤークスの軍でしょうか?」


 ディギィルの問いに、アトルは頭を振る。


「正直言って分かりません。彼らか、あるいはいずれかの元老議員の差し金かもしれない。疑うべき相手はいくらでもいる。しかし、軍所属の兵をここに差し向けるのは中々難しいと思われます。この別荘の近くにいるのは、第一軍とアタミラ守備隊、他に街道巡邏兵です。いずれも、兵を動かすには様々な手続きがいる。それが訓練や演習であろうともね。私の所には、それらの動きは報告されていません。もちろん、よほど極秘にことが動いていたのならば、私にも察知のしようがありませんが」

「確かに、包囲しているのが傭兵である可能性は高いな。傭兵ならば、集めるのも簡単で、動きが早い。何より、正規軍よりも後腐れがない」


 サウドが頷く。


「傭兵が相手ならば、状況はましと言ったところですか」


 イシュリーフが口を開く。その言葉には微かに皮肉の色があった。


「矢が降ってくるか、槍が降ってくるかの違いでしかないがな……」


 ナタヴがそう言ってイシュリーフを見る。その鋭い視線を受けて、イシュリーフは小さく肩をすくめた。傍らのディギィルが顔をしかめるとイシュリーフを睨んだ。


「ヤガン、君の言ったことは正しかった」


 アトルはヤガンに顔を向ける。


「敵は、私が考えている以上に本気で、事を急いでいる。君の言うとおり、我々は一つにならねばならない。さもなければ、散り散りになってしまう」

「ええ。しかし、ここまで急に嵐になるとは、俺も驚いていますよ」


 ヤガンは大きく溜息をつく。敵は自分たちよりも早く先手を打ったということだ。後手にまわったことで、全ては不利に動いている。賢しく動き回っていたつもりだったが、千の言葉も一つの剣に切り裂かれてしまう。こんな強引な手段をとられてしまっては、一商人にはどうにもできない。


「どちらにしても、今はこの場を乗り切らねばならん」


 ナタヴが、鋭い視線を皆に向けた。


「屋敷を守る兵の数は多くありません。敵の数は正確には分かりませんが、こちらが劣勢になるでしょう」

「お前御自慢の傭兵にも頑張ってもらうしかないな」


 深刻な表情のアトルに、サウドは微かに口の端を歪めてみせた。 


「助力いたします。私の護衛を向かわせましょう」


 ファーラフィが口を開いた。その表情には、何の気負いも見られずに、穏やかなものだ。


「ファーラフィ殿……。客人を危険にさらすわけにはいきません」


 アトルは頭を振る。ファーラフィは微笑とともに首を傾げた。


「この非常事態に、遊ばせておける兵力はないはずですよ。大丈夫です。我が兵は、死にませんから」

「死なない……? まさか……、不死隊を連れているのか?」


 サウドが驚きの表情でファーラフィを見る。


「ええ。数は少ないですが、ここにいるどの兵よりも優れている者たちですよ」

「なんとまあ……、噂に聞く不死隊をこんな所で見ることになるとはな」

「しかし、もし不死隊が我々の味方にいることが知られれば、敵にこちらを政治的に攻撃する理由を与えることになる」


 アトルが言った。エルアエル帝国とイールム王国の人間である彼らは、秘密裏にこの屋敷を訪れている。本来ならば、ここにいるはずのない者たちだ。シアート人がそんな彼らと秘密裏に会っていたことが知られれば、不利な状況になるだろう。


「お前は、この状況でもそんな悠長なことを言うのか? 皆殺しになるかもしれないんだぞ」


 サウドが呆れたようにアトルを見た。


「こんな状況だからこそ、です。我々は死なない。我々は生き残るんです。だからこそ、この後のことも考えておかなければなりません」


 アトルはサウドを見つめ返す。


「先を読み、慎重なことは良いことです。ただし、あらゆる可能性を考えていては、身動きが取れなくなってしまう。『ヤハーガヴ山より吹く風の音を聞き、天が落ちることに怯える』。我がイールムでは、こんな言葉があるのです。時には、考えるよりも先に動かなければならない時もあります」 


 ファーラフィは笑みを浮かべて言う。


「大丈夫ですよ、アトル様。ここで起きたことは、外には漏れない。なぜなら、鏖殺おうさつするのは、我々だからです」


 優しげに言うその表情は、彼女と接する中で、ヤガンが見たことのないものだった。笑顔とは裏腹の、冷え冷えとして狂気すら感じる彼女の瞳の光に、ヤガンは寒気を覚える。


「ファ、ファーラフィ殿……?」


 アトルは、気圧された様子で、表情を強張らせた。サウドの言葉は正しい。微笑むファーラフィを見てヤガンは思った。確かに、この女は魔物だ。それも、荒事で本領を発揮する最も性質たちの悪い奴だ。ただの口の悪い高慢な女だと思っていたが、それが間違いだったことを悟った。


「そもそも、私はこういう事態のためにこの国にいるのです。今置かれたこの状況は、元々想定された状況のひとつにすぎません。同じ船に乗って旅をする。確か、あなた方はこう言いましたね。私は、同じ船に乗っているつもりですよ」

「……ファーラフィ殿。実に心強いお言葉だ。あなたの申し出、ありがたく受けよう」


 小さな嘆息の後、ナタヴが口を開いた。 


「お力になれて光栄です」


 ファーラフィは優雅に一礼する。気を取り直した様子のアトルは、ファーラフィを見つめた。


「ファーラフィ殿、巻き込むことになって申し訳ない」

「この国における聖王教会信徒たちの団結というものがどんなものか、実感することができました」


 ファーラフィの言葉に、アトルは自嘲の笑みを浮かべる。


「ああ、胸に突き刺さるお言葉だ。全く、信仰の鎖などと、あなたに大見得を切ったことが恥ずかしい」

「気になさる必要はありません。事実、あなた方シアートの団結は実に素晴らしい。そして、この状況は我々の実力をお見せする丁度良い機会です。この戦いによってあなたの気が変わって、最初の提案を受け入れてくれるのならば良いのですが」


 ファーラフィは、ラハトに向かって微笑みとともに頷いて見せる。

 

「こいつは……。災いの種にならなきゃいいが……」


 ヤガンは、思わず呟く。彼女をアトルに引き合わせたのは間違いだったのではないのか。そんな思いが浮かぶ。しかし、もう遅いことも良く分かっていた。








「皆の者! どうやら屋敷の外に野盗が迷い込んだようだ」


 人々の前に立ったナタヴは、そう告げた。その言葉に、皆がざわめく。


「なあに、心配することはない。この屋敷は精鋭に守られている。少し外が騒がしくなるかもしれぬが、気にせずに、安心して過ごしてほしい」


 ナタヴはにこやかな表情で皆を見回した。 


 客人たちは、不安げな表情で囁きをかわしている。ナタヴの言葉が必ずしも不安を払拭したわけではなさそうだ。


 ナタヴとアトルは、シアート人の軍人たちと話し始めた。その厳しい表情から、言葉とは裏腹な事態の深刻さが察せられる。


「大丈夫かな……」


 ユハはシェリウも、ここにいる大多数の人々と同じように不安から逃れることはできていない。


「ナタヴ様はああ言ってるけど、何か、大変なことが起きてることは間違いないわね」

「うん……」


 シェリウの表情は厳しい。それに影響されてか、自身の中で不安が大きくなっていくことを抑えることができない。


「面倒なことになったな、ユハ」


 男の声に、二人は振り返った。


 デワムナとラハトを伴ったヤガンが立っている。


「ヤガンさん……」

「ヤガンさん、本当は何が起きてるんですか?」


 シェリウの問いに、ヤガンは頷くと、小声で答える。


「ああ。この屋敷は、大勢の兵士に取り囲まれてる」

「ええ……? へ、兵士に取り囲まれている?」


 ユハは、思わず大声をあげそうになって自分を抑えた。シェリウの表情が見る見る険しくなっていく。ヤガンを睨み付けるようにして聞いた。


「……もしかして、ユハを追ってきた兵士ですか」

「いや、そうじゃない。それよりもっとひでえ話だ。奴らは、俺たちを皆殺しにしようとしてる」


 ヤガンは厳しい表情で頭を振る。


「み、皆殺しって、そんな……」


 あまりに恐ろしい言葉に、ユハは絶句した。


「ようするに、シアートを気に食わない勢力がウル・ヤークスにはいるんだ。そいつらが、都合良くここに集まった人たちを一度に片付けちまおうと、そう考えたのさ」


 ヤガンは、そう言って肩をすくめる。ユハはその言葉に衝撃を受けた。自分に親切にしてくれたシアートの人々を、排除しようと企む人々がいる。しかも、最も野蛮な方法で。どんなに邪魔な人間でも、こんな方法で除こうとするなど、ユハには想像の埒外だった。


「女、子供も、ですか?」


 シェリウは固い口調で言うと、辺りを見回す。不安げな様子のシアートの女たち。その中には、母親に寄り添うアティエナの姿もある。


「こいつは戦だ。戦ってやつは、まあ、思いつく限り、ひどいことは何でもする。皆殺しなんてのは、一番簡単で頭を使わずにすむ方法だな」

「そんな気楽に言わないでください」

「深刻に言っても憂鬱になるだけだろうが」


 シェリウの抗議にヤガンは口の端を歪めた。そして、真顔になると、ユハとシェリウを見つめる。しばらくの沈黙の後、おもむろに口を開いた。


「すまんな、ユハ、シェリウ。厄介事から守られると思って、ナタヴ様にお前たちを託したが、もっと厄介なことに巻き込むことになっちまった」

「謝らないでください」


 ユハは頭を振る。


「あの時、ラハトさんに助けてもらえずに、ヤガンさんに雇ってもらえなかったら、私たちはきっとただではすまなかった。助けてもらったから、とても素晴らしい人たちに巡り合うことができて、とても大切なことを知ることができた。だから、とても感謝しているんです」


 ヤガンは、ユハの笑顔を見つめると、小さな溜息をついた。


「調子が狂うな……。お前は嫌味の一つも言ってくると思ったんだがな」


 シェリウはヤガンの視線を受けると、鼻を鳴らす。   


「美味しいものをいっぱい頂きましたからね。お互い、これで帳消しです」


 その答えに、ヤガンは苦笑した。


「大丈夫だ。いざという時は、俺が盾になって皆を逃がす」


 ラハトが口を開いた。


「そんな、大勢の兵士が相手なんですよ。ラハトさん、死んでしまいます」


 剣呑な言葉に、ユハは慌てて彼を見る。ラハトはユハに顔を向けながら答えた。 


「結果として、死が待っていても、それは仕方ないことだ。無傷で逃れることが出来る状況じゃない」

「馬鹿かお前は」


 ヤガンはラハトの頭を叩いた。ラハトは、叩かれた頭に手を当てると、無表情なままヤガンを見やる。


「俺は、お前に死ねと命じられるほど、高い給金を払っちゃいないんだよ。お前は給金分の働きをしてりゃいいんだ」


 ヤガンは静かな表情で言う。ユハは、その声に込められた怒りを感じた。


「だが、死ぬのが一番簡単で早い」

「それは手抜きって言うんだ。いいか、お前が死んだら、それはお前が無能だったってことだ。死なないように頭を働かせて、しっかり給金分、丁寧な仕事をすればいいんだ。分かったか馬鹿野郎」

「難しいことを言う御仁だな」


 ラハトは、表情を変えることなく、小さく肩をすくめた。






 蛮族の傭兵たちが、食事や茶を差し入れすると同時に、密かに矢を装填したクロスボウを手渡していった。


 すべての兵士がクロスボウを持つことができれば良かったのだが、半数程度にしか行き渡っていない。彼らの武装はあくまで少数の野盗や魔物を想定したものであり、こんな大掛かりな襲撃は予想外だった。敵がこの屋敷に駆け上ってくるまでに、どれだけ数を減らすことができるのか。それが勝負の分かれ目だろう。弩を持てない兵士は、石を投げつけるつもりだった。


「すまんな。敵の数は多い。頼りにしてるぞ」


 隊長の言葉に、赤毛の傭兵は髭面を歪めた。一見すると凶相だが、それが笑顔であることは短い付き合いながら分かっている。


「任せておけ。俺たちは今までただ飯を喰らってきた。このまま故郷に帰れば、怠け者だと皆に馬鹿にされるところだった」


 傭兵は訛りのきついウルス語で答える。


「周りが皆敵なら、味方を間違えて殴ることもない」


 隣に立つ金髪の傭兵がそう言って笑った。


「頼もしいな」


 隊長も笑う。まったく、勇ましいかぎりだ。あとは、その言葉に相応しい武勇の持ち主たちであることを祈るばかりだった。


「しかし……」


 赤毛の傭兵が声を潜める。


「あの気味が悪い連中はなんだ?」


 視線の先には、仮面のような兜と鎧に身を固め、青い外套を身にまとった兵士たちがいる。畑からは死角になる屋敷の塀の前に、彼らは集まっていた。


 その武具の様式はウル・ヤークスのものとは違う。東方のイールム王国のものだ。こんな所でイールム王国の兵士がいることが、尋常なことではない。しかし、蛮族たちの顔をしかめさせているのは、それが理由ではない。彼らのもつ雰囲気、気配が異様なものだったからだ。


 兵士たちは、一言も口を利かず、身じろぎ一つせずに立っている。気温の高いこの昼日中で、彼らの周囲だけは冷え切ったような錯覚を覚える。魔術師でもない者でさえ感じることのできる禍々しい気配。その正体を、隊長も聞かされていた。


「あいつらはアトル様が迎えた客人の護衛だ。この戦いに加わる」


 隊長が答える。


「護衛……? まるで魔物……」

「まあ、間違っちゃいない」


 呟くように言う傭兵の言葉を遮って、隊長は頷いた。


「お前たちは知らんだろうが、まあ、彼らは少し変わっている」

「変わっている?」


 言葉の意味が良く分からなかったのか、赤毛の傭兵は首を傾げた。


「最初は少し驚くかもしれんが、錯乱して彼らに切りかからないでくれよ。外交沙汰になる」

「俺たちが恐れるというのか?」


 傭兵は少し気を悪くしたようだった。


「お前らが勇猛なのは分かるが、怖い物だってあるだろう。たとえば、死者が墓から這い出てきたらどうする」

「地に還ってくれるように祈り、その後で殴る」

「そういうことだ。何が起ころうと、彼らが味方であるってことを肝に銘じておいてくれ」


 傭兵は納得していない様子だったが、小さく頷いた。


「あなたがこの場の責任者か?」


 女の声に、隊長は驚いて振り向いた。イールムの女がこちらに歩み寄る。隊長は、彼女がアトルの客人であることを知っていた。


「は、はい。その通りですが……」


 イールムの貴族がどうしてこんな所に出てくるのか。混乱しながらも頷く。


「弩を持っている兵士は皆、屋敷の裏に回してよい。ここは私に任せよ」

「……は? そうなるとこちらは矢で敵を迎え撃つことができなくなりますが……」


 突然とんでもないことを言い始めた女に、隊長は困惑しながら答えた。


「必要ない」


 女は微笑とともに断言する。


「必要ない?」

「そうだ」


 女は頷くと、小さく何か唱え始めた。そして、両手を大きく広げる。彼女の周囲に淡い白い光が瞬き、何も存在していなかったはずの空中に、小さな破片が寄り集まっていき、何本もの棒状の物体が生じ始めた。


 その異様な光景に、隊長や傭兵たちは後ずさる。


「射手は必要ない。なぜなら、私がいるからだ」


 女の周囲には、何十本もの槍が浮かんでいた。

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