第16話

 部屋で待ち受けていたのは、キセの塚の一族の長老や賢者たち、戦士の重鎮たちだった。そして、キシュが三頭、長老の傍らにいる。


 長老は頷くと、対面に敷かれた敷き布を示した。キセの人々の衣装に似た模様に彩られているその敷き布は、長老たちが座る敷き布とはかなり意匠が異なっている。


 ウァンデが座り、アシャンが続く。そして客人たちが座った。


 沈黙したままの長老たちを見やってから、ウァンデが口を開いた。


「長老よ。賢者たちよ。戦士たちよ。この客人たちは、俺に力を貸してくれる者達です。客人たちにも分かるように、沙海の言葉で話すことをお許しいただきたい」

「客人たちにも話を聞く権利を与える。皆、この座は、沙海の言葉で話すとしよう」


 長老は、頷くと口を開いた。横に並ぶ賢者や戦士に顔を向ける。彼らも頷いて同意を示した。


「ところでウァンデよ。どうしてアシャンがここにいる」


 長老は、微かに顔を上げながら言った。


「アシャンは……」


 ウァンデはアシャンを顧みる。


「同盟を求める旅に同行することを望んでいます」

「長老。私も一緒に行きます」


 アシャンが兄の言葉を継ぐように言う。その言葉に、賢者や戦士たちは眉根を寄せて顔を見合わせる。ウァンデの言った通り、良いことだと思われていないようだ。シアタカは彼らの表情の変化を見てそう感じた。


「キセの塚の愛し子よ。お前の旅は終わったのだ。ここからは、戦士の仕事だ」


 長老の穏やかな口調は、言い聞かせているようだった。アシャンは、激しく頭を振った。


「そんなことはありません。ラハシにもできる仕事があるはずです」

「これは戦の話なのだぞ? ラハシが、ましてや女が話をまとめられるはずがない」


 戦士の一人が、嘲笑うような口調とともにアシャンを見る。


「戦士だからまとまらないんです」


 アシャンは鋭く答える。


「何だと?」

「戦士だけに任せるから、戦は終わることがない。だから、私達の血はいつまでも流れ続けるんです」


 アシャンの言葉に、戦士たちは視線を鋭くした。


「戦士を侮辱するのか。ラハシであろうと、聞き捨てならん」

「侮辱するつもりはありません。ただ、名誉や憎しみだけでは始まらないこともあるんです」

「小娘の癖に、その賢しげな口を閉じろ」

「閉じません! 私は、真実を言っているだけです!」 

「いい加減にしろ!」


 険しい表情の戦士たちが立ち上がった。


「アシャン、お前は、自分の父親がなぜ死んだのか、忘れたのか! 隊商頭として成功したからといって、調子に乗るな」


 戦士の罵倒によって、アシャンの表情が歪む。


「父が死んだのは、アシャンのせいだと言うのか!!」


 立ち上がると、ウァンデが吼えた。戦士たちの表情が獰猛なものに変わる。


「そうだと言えば、どうするつもりだ、ウァンデよ……」

「妹を侮辱することは許さん」 

「侮辱ではないな。真実を言ったまでだ」


 挑発するような笑みを浮かべて、戦士が言う。


「貴様!」


 ウァンデが唸る。次の瞬間、ウァンデは踏み出していた。相対する戦士も、それを迎え撃とうと踏み込む。


 この男がここまで激昂するとは、シアタカにとって以外だった。ウァンデの、妹への想いを感じるとともに、それを無駄にしてはならないと思う。


 シアタカは、滑るように二人の間に割って入った。 


「シアタカ!」

「な……!、いつの間に……」


 二人には、突然目の前にシアタカが現れたように見えただろう。驚愕の表情でシアタカを見る。


「ウァンデ、落ち着け」


 シアタカは、ウァンデに顔を向ける。ウァンデはその視線を受けて、きまりが悪そうな顔で目をそらした。


「そこをどけ、客人よ!」


 我に返った戦士が、シアタカを押しのけようと肩を押す。しかし、シアタカは微動だにしない。その肩に触れた手首を掴んだ。


「は、離さんか!」


 戦士は唸りながらシアタカから逃れようとするが、掴んだ手は強く、振りほどくこともできない。


「この無礼者が!」


 傍らに立った戦士が、血相を変えてシアタカに跳びかかった。


 金色が奔る。


 エンティノが、跳びかかる戦士へ向かったのだ。半身になって踏み込みながら、戦士の胸元に手を伸ばす。同時に、踏み込んだ自らの足で、後ろから戦士の片足を払った。


 戦士は、跳ねとぶように勢いよく後ろへ倒れた。


 本来ならば、このまま背中や頭から地面に落す技だ。しかし、エンティノは戦士の服を掴んで転倒の速度を制御すると、その場で尻餅をつかせた。


 重い音とともに座り込んでしまった戦士は、虚を突かれたのか、気の抜けた表情でエンティノを見上げる。


「いい大人のくせに、黙って人の話も聞けないの?」


 エンティノは戦士から手を離すと、腕組みして大袈裟な溜息をつく。


「戦士達よ……」


 震える戦士の手を掴んだまま、シアタカは静かな口調で言う。


「どうか、アシャンの話に耳を傾けて欲しい。彼女は沙海の彼方で、あなた達が見たこともないものを見て、感じたことのないものを感じた。アシャンの語る言葉は、ここにいる誰の言葉よりも価値がある」


 長老は、キシュガナンの言葉で何かを言った。それは呪文や儀式における詠唱に似た特別な響きを持っている。その言葉を聞いたキセの者たちは皆、驚き、そして真剣な表情に変わった。


 その手から力が消えたと感じたシアタカは、戦士の手首を離す。戦士は、シアタカを一瞥した後、己の座へと戻り、腰を下ろした。


「客人たちよ。偉大な戦士よ。見苦しい所を見せてしまったな。お前の言うとおり、アシャンの言葉に耳を傾けよう。お前たちも座ってくれ」


 長老が、顔を斜めにしながら言った。シアタカとエンティノは、頷くと座る。


「ぶん殴るかと思って冷や冷やしたぜ」


 ハサラトが、シアタカとエンティノを見やり、ウルス語で言う。


「いい大人がそんなことするわけないでしょ」


 エンティノは肩をすくめた。


「さあ、アシャンよ。お前は語ることを許された。お前の言葉で話すがいい」


 長老はアシャンに顔を向けた。


 アシャンは大きく息を吸い込むと、大きく頷いた。


「私は、沙海でウル・ヤークスの者たちに囚われました。彼らは、とても恐ろしい力を持つ者たちです。きっと、キセの塚の戦士だけでは勝てない」


 アシャンは緊張した表情で長老たちを見る。


「だから、カナムーンはキシュガナンの団結を求めるためにここまでやって来ました。私も、それに賛成です。だけど、今のキシュガナンでは、お互いにいがみ合ったまま、きっと一つにならない」


 賢者たちが頷く。アシャンも頷いてみせると、言葉を続けた。


「だから、私はキシュを説得します。キシュガナンの地にいるキシュたちに、私の見たもの、感じたものを教える。それは、どんな言葉よりも確実にキシュに伝わる。キシュガナンを説得するよりも、キシュを説得するほうが良いはずです」

「なるほど。キシュの欲は、人よりも単純で純粋だ。それ故に、惑わされることなく真実に辿り着くことができる」


 長老は小さく笑い声を上げる。


「確かに、戦士には無理だな。名誉や仇討あだうちを追い求めることよってその目を曇らせて、遠くにある危機を見ることができなくなってしまう。そうやって、我らはずっと争っていたということか」

「生まれたときから、キシュガナンの習慣の中で生まれ育っているから、仕方がないのかもしれません。でも、世界は広い。外つ国には無数の人々が住んでいます。ウル・ヤークスは、姿も形も言葉も違う様々な民が一つになっているんです。私たちは、人とは全く違うキシュと共に暮らしているのに、同じ言葉を話すキシュガナン同士ではいがみ合っている。もっと、何とかできるはずなんです」


 アシャンは、どもり、つっかえながらも話し終えた。長老は何度も頷きながら傍らの賢者たちと小声で言葉をかわす。シアタカにはその会話の内容は分からないが、口調から熱が入っていることは察することができた。


 やがて長老は、アシャンに顔を向けた。


「アシャン、お前は外つ国に旅立ち、賢き人となって帰ってきた。お前の言葉は、キセの塚にとっては贈り物となったのだ。キシュがお前を隊商頭に推した判断は正しかったようだ」


 笑みと共に、長老は頷く。


「キセの塚の民は、カラデアとの同盟に賛成する。そしてアシャンよ。お前はそれをまとめる者になるのだ。キセの塚の民は、お前の言葉に導かれる」


 突如告げられたその大役に、アシャンは悲鳴にも似た驚きの声を上げた。


「しっかり頼むぞ、『導くもの』よ」


 アシャンの反応を楽しむように、長老は大きな笑い声を上げた。 



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