第14話

 川の辺に建てられていた小屋で、儀式とともにシアタカたちは身を清めた。


 まじない師らしき女の唱える言葉とともに、彼らは川の水に首まで漬かった。その厳かな儀式は、聖王教会の聖別の儀式を思い出させる。 


 儀式を終えた外つ国の者たちには、キシュガナンの衣装が用意されていた。携えてきた武器はそのままに、シアタカたちはキシュガナンの衣装に袖を通す。


「まさか、こんな所でこんな服を着ることになるとはなぁ……」


 帯に愛剣を吊るしたハサラトは、感慨深げに着ている服を見詰めた。


「似合ってるよ、ハサラト」


 アシャンは笑顔で言う。


「ありがとよ」


 苦笑したハサラトは、シアタカと顔を見合わせた。シアタカは頷いてみせる。元々、ウルス人とキシュガナンは容貌が似ている。そのために、シアタカやハサラトがキシュガナンの服を着ても、そこまで違和感はない。


「で……、どうして私は女物の服なの?」


 憮然とした表情のエンティノは、己の体を見下ろした。旅装を解いたアシャンと同じく、色鮮やかな刺繍で彩られた長い裙子スカートをはいている。エンティノは紅旗衣の騎士として、常に軍装に身を包んできた。シアタカも裙子スカート姿のエンティノを初めて見る。 


「まあ、そう言うな。キシュガナンは男女の区別をはっきりとする。お前のような美しい女に男の服を着せるわけにはいかなかったんだ。本当なら槍も持って欲しくはないんだが、戦士の誇りを奪うわけにもいかないからな」


 ウァンデがなだめるように言った。


「美しい女……」


 エンティノは、その言葉を聞いて小さく肩をすくめた。


「仕方ないわね。我慢する」

「なんだそりゃ。ちょっとおだてられたらそれかよ。ちょろい奴だな」


 ハサラトは呆れ顔でエンティノを見やる。


「おだてるって何よ。ウァンデは真実を言ったのよ、失礼な」


 エンティノは舌打ちとともにハサラトを睨んだ。


「本当に似合ってるよ、エンティノ」


 アシャンの言葉に、エンティノは笑顔で頷く。


「まあね。私みたいな可憐な乙女にはどんな服でも似合うからな」


 ハサラトが大きな溜息をつくが、彼女はそれを無視した。


 一行はウァンデに先導されて塚に向かう。


 道すがら、キセの塚の人々は、畑仕事を休んで客人たちを見物にやってきた。大勢の人々の好奇の目に晒される経験はあまりない。紅旗衣の騎士は、ウル・ヤークスでは畏怖の、戦場では憎悪の目で見られてきた。しかし、今やシアタカは紅旗衣の騎士ではない。キセの塚にやってきた異邦人にすぎないのだ。この初めての経験に、戸惑いと、心地よさを感じていた。


 白褐色の岩山を見上げる。 


 巨大な岩山の中腹に、巨大な穴がぽっかりと口を開けている。そのさらに上方に、無数の穴が開き、その間を回廊や階段が繋いでいた。人々やキシュが行き交う光景を見上げながら、シアタカは口を開いた。


「ここに人とキシュが暮らしているのか?」

「そうだよ。ここから見える穴のほとんどは人の家なんだ。キシュのあなはこの岩山の奥にあるんだよ」


 傍らのアシャンは、答えながら指差す。シアタカはアシャンに顔を向けた。


「穴の中で暮らすのは大変じゃないか?」

「そんなことないよ。カラデアの宿屋よりも快適だと思う」


 アシャンは笑顔で答える。カラデアの宿は大した設備もなくただ部屋があるだけだったが、それでも岩山の洞窟に劣るとは思えない。キシュガナンは、あの穴の中を念入りに住居として造り上げているのだろう。 


「それで、どうやって上に行くんだ?」


 ハサラトが辺りを見回した。岩山の穴の位置は人の背丈の三倍以上の高さにある。上に見えるような階段も見当たらず、岩肌も滑らかだ。ここからそこまでどうやって登るのか分からない。


「入り口がある」


 ウァンデは、右を指差した。岩山と地面が接している一部に、洞窟が開いている。


 旅の荷物や呪毯――人々には交易の品だと説明していた――、そして駱駝を岩山の近くにある大きな石造りの建物に預けると、一行はその洞窟に入った。


 ウァンデに先導されて中に踏み込んだシアタカは、円盤状の巨大な岩が横に立てられていることに気付いた。


「これは、扉か?」

「そうだ。戦になれば、岩の扉を閉めて、さらに上から幾つもの岩を落としこんでこの通路を塞ぐ」


 シアタカはその円盤状の岩を見ながら頷く。とても良く出来ている。逆に言えば、彼らがいかに戦いの脅威に備えているのかという証拠でもある。


 長い坂を上り終えたところで、彼らは広場に出た。視線を移せば、谷を眺めることが出来る。岩山に穿たれた巨大な穴に出たのだろう。キセの塚の人々が、好奇の表情でシアタカたちを出迎えた。


 一行は、巨大な穴の中に建てられた石積みと藁葺きの屋根でできている小屋に案内された。小屋とはいえ、おそらく何十人もの人が入ることの出来る大きな建物だ。


 中では、長老が共の者とともに一行を待っていた。


「ここでお前たちを迎える宴を開こう。夜まで、ゆっくりと休むといい」


 長老は、笑みとともに言う。


「キセの長老。私は宴のためにここに来たのではない」


 カナムーンが口を開いた。


「ふむ、鱗の民よ。お前が言いたいことは、東の地の戦のことだな」

「そうだ。キシュから聞いているとは思うが、ウル・ヤークスという国がカラデアに攻め込んでいる。彼らは、キシュガナンの地も手にしようと考えている。その為に、アシャンをさらったのだ。このまま何もしなければ、キシュガナンはウル・ヤークスに支配されてしまうだろう」

「あせるな、鱗の民よ」


 長老は片手を上げる。


「お前が使命を大事に思うことは理解できる。しかし、客人をキセの塚に迎え入れるのだ。清めの儀式で終わりではない。しかるべき手順を踏んでお前たちを塚に迎えなければならない。客人ならばそれに従ってもらわねばならないぞ」


 カナムーンは小さく喉の奥で音を鳴らしたあと、口を開いた。


「すまない。私は急ぎすぎたようだ」

「分かってくれればいい。そのことについては、明日話し合おう。キシュも、そのことについては随分と危ぶんでいるからな」


 長老は笑顔で頷くと、小屋を出て行った。


「さて、と、俺たちも行くぞ、アシャン」


 ウァンデに促され、アシャンも頷く。ウァンデは、一行を見回して言う。


「皆、ここで休んでいてくれ。俺とアシャンは、一族の者たちに挨拶をしてくる」

「皆、また後でね」

 

 アシャンは笑顔で手を振った。





「よく帰ったね、アシャン。疲れただろう」


 一族の女たちが笑顔で出迎える。


 女のラハシはこれまでに珍しくもないが、隊商頭としてはるばる沙海まで旅立った女はいなかった。しかも、敵にさらわれながらも無事に帰ってこれたのだ。一族の女たちにとって、かつてない功績をあげたアシャンは自慢の娘だった。


 女たちの集まる部屋で、蜜菓子や卵、茶が用意されていた。友人の姿も見える。皆、見知った者ばかりの場所に、アシャンは安堵感を覚えて大きな溜息をついた。故郷に帰ってきた。その実感が張り詰めていた心を優しく包んだ。


 菓子や茶を楽しみながら、アシャンは女たちにせがまれてカラデアへの旅路を語ることになった。長語りが苦手なアシャンは必死でそれを断ったのだが、周囲はそれを許してくれない。 


 アシャンは、どもり、つっかえながらも、身振りをまじえて自らの身に降りかかった危機を語った。その間、女たちは息を呑んで聞いていた。


 必死の思いで語り終えると、女たちは感極まった様子で歓声をあげた。涙を浮かべている者さえいる。皆が、アシャンの肩を抱く。アシャンは笑顔で抱き返した。高揚感が全身を満たす。


「アシャン、話さないといけないことがあるの」


 皆が落ち着き、思い思いにすごしている中、友人の一人が真剣な表情で切り出した。


「何?」


 アシャンは嫌な予感を覚えて身を硬くした。


「スゥア婆が亡くなったの」

「スゥア婆が?」


 アシャンは絶句した。


 スゥア婆は、とても優れたラハシだった。アシャンにとって、ラハシとしての師は、むしろ父よりもスゥア婆だった。キシュに近すぎて、まともに言葉すら喋ることができなかったアシャンを、人に引き戻してキシュとキシュガナンの狭間に導いてくれた人だ。


「いつ……?」


 呆然としていたアシャンは、ようやく口を開くことが出来た。


「アシャンが塚をでてすぐ」


 病床から起き上がり、わざわざ見送ってくれた時の笑顔を思い出す。アシャンは唇を噛むとうつむいた。


「アシャン、気を落さないでね。スゥア婆は、アシャンがきっと立派な隊商頭として帰ってくるって言ってたのよ。まさか、あんな大冒険をしてるなんて思ってなかっただろうけど」


 友人はアシャンの頭を撫でる。アシャンは友人に肩を預けた。


 アシャンは、部屋を出ると岩壁に刻まれた階段を登る。すでに、太陽は西の稜線に姿を消しつつある。上りきった場所に、夕陽に照らされた岩が目に入る。それは、キシュが刻んだものだ。複雑な形の岩で、一見すると風雨に曝された奇岩にしか見えない。しかし、それは、キシュが彼らなりに人間を表現したものだ。キシュの思考に触れているラハシには、そこにこめられた意味が理解できる。


 アシャンは、スゥア婆とよくこの岩の前に来たことを思い出していた。この岩に触れて、人とキシュの違いについてよく教えてもらったものだ。


 スゥア婆はキシュに捧げられて彼らと一つになった。そこには父もいる。


 いつか、自分もそこに行く。だけど、今はその時じゃない。


 アシャンは、岩を掴むようにして触れた。


 今、自分はただのラハシでも、隊商頭でもなくなった。キシュガナン全体を襲う恐ろしい運命に立ち向かうために、ここに戻ってきたのだ。これから待つ困難を想像すると恐ろしい。しかし、自分は立ち向かわなければならない。父が死んだ時のように、ただ、怯えて竦んでいるようなことはできないのだ。


「待っていてね。きっと、自慢話が一杯できるから」


 去っていった人々にむけて、アシャンは呟いた。 




 簡単な儀式の後、宴が始まった。


 並べられた食事はウル・ヤークスではまったく見ることの出来ない珍しい物ばかりで、味付けも全く違うものだったが、シアタカはそれを楽しむことが出来た。


 キセの塚の人々は、代わる代わる客人たちの元を訪れて、献杯をしていく。それはかなりの酒量となったが、調律の力によってすぐに酔いが覚めてしまうシアタカたちは、特に苦と感じることはなく、次々と杯を重ねていった。


 その酒豪ぶりにキセの人々は大いに盛り上がる。やがて、夜が更けるにしたがって、酔いつぶれた人々があちこちで寝転がり、あるいは自分の寝床へと帰っていった。


「出迎えを受けた時は血を見ることになるかと思ったが、案外あっさりしてるんだな」


 にこやかに酒を酌み交わしたり、だらしなく酔い潰れた人々を見ながら、ハサラトが言った。


「キシュガナンでは、昨日の敵が今日の盟友ということがよくある。立場の変化に特にこだわりはないんだ。ましてや、長老が直々に客人として認めたんだからな。歓迎しないわけにはいかない」


 ウァンデは笑みを浮かべて答える。彼は、顔が赤らんでいるが口調はしっかりとしていた。


「争いが多いってのも、良し悪しだな」

「そうだな。お陰で、お前たちを客人として迎えることができた。逆に、キシュガナンとして一つにまとまれるのか。難しい所だ」


 ハサラトの言葉に、小さな溜息とともに、ウァンデは肩をすくめてみせた。


「まとまらなければならない。さもなければ、ウル・ヤークスには勝てないだろう」


 カナムーンがぐいと首を伸ばしてウァンデに顔を近付けた。


「ああ、分かっている。だから、どうするのか考えないとな」


 ウァンデは、今度は大きな溜息をつく。 


「残された時間は少ないだろう。南からの黒い人々ザダワーヒの援軍もそろそろ到着している頃だ。その軍勢と足並みを揃えないとまずいことになる」


 シアタカは口を開いた。ウァンデは首を傾げるとシアタカを見る。


「どうしてまずくなるんだ?」

「ギェナ・ヴァン・ワは大軍だ。カラデアも、大軍としての形にならなければそれに対抗できないだろう。遅れて戦場に到着してしまえば、キシュガナンはただの一部隊になってしまう。戦で最も避けるべきなのは、大軍を相手に次々と小戦力を繰り出して敵に潰されてしまうことだ。『たらした水の一滴は土に消え、染みすら残さない。溢れ出た水瓶の水は、地に水鏡をつくり、眩く陽を写す』。軍学の教えではそう言われている」

「なるほど……。俺たちは何千、何万人の人間が戦う大戦おおいくさを経験したことがない。お前の言うようなことは、考えたこともなかったな」


 ウァンデは感心した様子で頷いた。


「私が注目するのはキシュだ。彼らの統率された動きは、厳しく訓練された軍に勝る。彼らの力を何とか戦いに活かせないかと考えている」


 カナムーンの言葉に、ウァンデは腕組みした。


「それは……、キシュがこの戦をどう考えているのかにもよるな……。キシュが大群で外つ国から出ることを認めるのか。他の群れと繁殖以外で合力することを認めるのか……。俺には分からない」

「ラハシに聞くしかないか」

「ラハシでさえ、そう簡単には分からないだろう。ラハシも所詮は人なんだ。キシュの群れの深層の考えに迫ることはできない。そこまで至ったラハシは、二度と戻って来れなくなる」

「戻って来れなくなる?」

「ああ。人としての心は失われ、キシュそのものになってしまう。だが、体は人のままだ。群れで一つであるキシュは、人の体を操ることはできない。そうなれば、心を失ったラハシは……、まあ、そういうことだ」

「ああ、分かった」 


 言葉を濁し、顔をしかめたウァンデに、シアタカは頷いた。


「まず、キセの塚の一族として、どう結論するのか、だな」


 そう言ったウァンデに、カナムーンが問う。


「長老は同盟に賛成すると思うかね?」

「ああ。アシャンを通じて、キシュにも話は通っているだろう。それに、長老のあの口振りからすれば、賛成してくれると思う」


 ウァンデは笑顔で頷いた。


「キセの塚の一族の同意が得られたなら、まずはカファの一族を訪問しよう。彼らと相談して、それから他の一族を訪ねる」

「カファという一族とは仲が良いのか?」

「ああ。キセの一族とは仲がいい。俺たちの母方の祖父も、カファの一族から出ているんだ。それに、カファの一族は大きな部族だ。周りの一族への影響力も大きい。彼らを説得することが同盟への第一歩だな」

「そうか。うまくいくと良いが」


 シアタカは小さく息を吐く。ウァンデの話を聞いていると、いかに困難な状況が実感できた。


「まあ、シアタカはのんびりと待っていてくれ。何とか朗報を持ち帰るように努力する」


 笑みを浮かべながら、ウァンデが言った。そのからかうような口調に戸惑いながら、シアタカは頭を振った。


「いや、俺も、ウァンデとカナムーンについて行くよ」


 その答えに、ウァンデは微かに眉根を寄せた。


「なぜだ? アシャンを守るんじゃないのか?」


 シアタカは、その視線を受けてすぐに答えることはできない。少しの沈黙の後、おもむろに口を開いた。


「……俺は、アシャンをここまで送り届けることができた。ここにいれば、アシャンも安心だろう。もう、俺の力は必要ない。俺のような男が塚にいても仕方がないんだ。それよりも、ウァンデたちの力になる方が役に立つはずだ」

「お前……、本当に分かってない奴だな」


 ハサラトは顔に手を当てると大きく溜息をつく。


「分かってない? どういう意味だ?」

「俺が説明しても意味がない。よく自分で考えろ」


 突き放すような返答に、シアタカは困惑して口を噤む。


「という訳で、ウァンデ、俺たちも付いて行くことになる」


 ハサラトは、ウァンデに顔を向けると言った。ウァンデは驚いた様子で首を傾げる。


「お前たちまで付いて来る必要はないんだぞ?」

「シアタカが行くっていうなら、エンティノも行くって言うだろう。あいつは、のんびり寛いでおける人間じゃないからな。だとしたら、俺も、ついていくさ。それとも、ウル・ヤークスの兵である俺たちを連れて行くことはできないか?」


 笑みを浮かべたハサラトに、ウァンデも笑みで応える。


「いや。偉大な戦士であるお前たちが同行してくれるならば、心強い。少なくとも今は……、お前たちは味方であると信じている。キセの客人でいる間は」

「信じてくれて嬉しいね」


 ハサラトは笑みを大きくして頷いた。


「おや、女たちはどうした」


 杯を手にした戦士が、シアタカたちに声をかける。一緒にいたエンティノとサリカの姿が見えないためだろう。


「ああ、アシャンに連れられて温泉に入りに行った」


 ウァンデが戦士に顔を向けて答える。


「そうか。帰ってきたお前たちはひどい有様だったからな。綺麗好きのアシャンには我慢できなかっただろう」


 戦士が笑う。


「ああ、道中、温泉に入りたいとぼやいてたよ」


 ウァンデも笑って答えた。

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