第1話


 太守の館の一室に、人々は集っていた。


 そこは、四方を柱に囲まれた、壁のない広間だ。緻密で鮮やかな色とりどりの模様で織られた巨大な布の上に、人々は座っている。外の日差しは人々の元まで届くことはなく、日陰となった部屋で、そよ風が肌を撫でる。


 カラデア人、鱗の民、ルェキア族といった、カラデアの治世に関わる人々が、太守を中心に集っていた。


「皆、急ぎ集まってもらい、申し訳ないね」


 カラデアの太守、ヌアンクは一同を見回した。髭を生やした恰幅のよい男で、細かい文様に彩られた青い長衣を着て、黒と金を貴重とした複雑な意匠の髪飾りをつけていた。


「それでは、エタム様、始めようと思います」


 太守ヌアンクは、横に座る黒石の守り手エタムに顔を向けた。エタムはそれに応えて深く頷く。


「皆に黒石の祝福があらんことを」


 エタムが両掌を前に向けて厳かな口調で言うと、その場の者達は深々と頭を下げて一礼した。


「ラワナが戻ったので、まずは報告をしてもらう」


 ラワナは、父に手で促されると、おもむろに口を開いた。


「カナムーンの報告どおり、鱗の民の騎兵部隊とウル・ヤークスの斥候部隊の遺体を確認した。また、そこへやって来たウル・ヤークスの兵二人を捕虜にした」


 ラワナは鋭い視線をカナムーンに向けると、言葉を続けた。


「また、カラデア市内で、キシュガナンに同行しているウル・ヤークスの騎士を発見した。それについては、カナムーン、あなたの報告と齟齬があった。後ほどそのことについて聞きたい」

「分かった」


 カナムーンは、短く答えた。ラワナは、じっとカナムーンの表情を見詰めたが、無論、変化は無い。この鱗の民が自ら名乗った通り名は、ウルス人の古語に由来するという。だからと言ってウル・ヤークスに通じている裏切り者ということはないだろうが、なぜカナムーンがシアタカという男の存在を黙っていたのか、それが分からなかった。


 カナムーンの隣には、カナムーンよりも一回り大柄な鱗の民が座る。その体格はまるで小山のようで、この広間でも異様なまでの圧力を感じさせるものだ。鱗の民の隊長であるハイダイは、丸い目をくるくると動かしただけで、カナムーンに声をかけることはない。


「そのウル・ヤークスの騎士というのは、シアタカという名の青年ですか?」

「その通りです。エタム様、ご存知なのですか?」


 エタムの問いにラワナは驚き、彼を見る。エタムは笑みを浮かべて頷いた。


「ええ。彼は面白い男ですよ。黒石の祝福を受けて、黒石の心に触れた男です」


 エタムの言葉に、一同は驚きの声を上げた。ラワナも例外ではない。彼女は、祝福を受けたことはあったが、黒石の心に触れたことなどない。


「ウル・ヤークスの男を黒石に触れさせたのですか。あのようなことがあったのに」


 ためらいがちな役人の男の発言には非難の色がある。


「蟻使いの一人だと思っていたのでね。悪い男ではありませんよ」

「善い、悪いではないと思いますが……。何しろ、敵の兵士なのですし……」

「構わないよ、黒石の心は我々には計り知ることなどできないのだから」


 ヌアンクが口を挟むと、役人の男は一礼して口を噤んだ。


 ラワナはあのシアタカという男が何者なのか、疑念をいだいた。ただの軍人が黒石の心に触れることが出来るのか。しかし、黒石については、凡人には理解できないことが多すぎる。黒石の守り手に言わせれば、相性、ということになるのだろうが、そう簡単に言い切られても納得は出来ないのだった。

 

「次は、黒石の守り手から戦場についての報告を聞こう」

「では、カドアド」


 ヌアンクの言葉を受けて、エタムはカドアドに顔を向ける。カドアドは一礼すると、布の上に葦紙パピルスを広げた。そこには、線と記号と文字が書き込まれた地図が描かれている。沙海の地図であり、カラデアとデソエの位置、その他の、目印となる巨大な岩石であるガノン、湧き水、鉱山、流砂といった様々な情報が書き込まれていた。


「はい。砂を聞いた様子から察するに、戦は始まったようです。あちらにいる守り手からの連絡はまだなく、戦況は分かりません」


 カドアドは地図を指差すと一同を見回した。


「今、デソエの守備軍は、ここ、『太陽の門』と呼ばれているガノンで守りを固めて、カラデアの援軍を待っています。そこへ、ウル・ヤークス軍は攻撃を開始したようです」

「持ちこたえてくれるとよいが……」


 ヌアンクが呟く。


「進軍が速すぎる。黒石の守り手が異常に気付かなければ、デソエは無防備な状態で襲われるところだった」


 髪や髭に白いものが混じった、初老のカラデア人が顔をしかめた。カラデア軍の将であるワアドという男だ。沙海で瞑想していた黒石の守り手が、砂嵐とも違う異様な音を聞いたことが、ウル・ヤークス軍進軍を察知したきっかけだった。その情報がなければ、今頃、デソエの城壁の前にはウル・ヤークス軍が並んでいただろう。


「そうね。おそらく、ウル・ヤークスの使節が帰国してすぐに軍を出発させたのでしょう」

「あるいは、それ以前から準備していたのか」


 ラワナは、軍人としての師であるワアドと頷きあう。


「各地に送った使者が間に合うのかどうか、それが心配ですね」


 カドアドが言う。進軍を知ってすぐに援軍を請う使者をおくったが、なにしろ周辺の国々までは遠い。沙海を渡って辿り着くまでがまず難事だった。


「鱗の民はどうかね」


 ヌアンクの問いに、隊長であるハイダイは喉を膨らませると口を開いた。


「我々は契約は守る。カラデア、デソエ防衛のために戦う。ただし、もしカラデアが陥落したのならば、そこからは契約外となる。長老たちがその後、カラデアの民を助けるのか、それは分からない」

「はっきりと言うのだね」

「契約は公正でなければならない。できないことをできるというような虚偽は許されない」

「あなた方に見捨てられないためには、陥落しないようにしなければならないね」


 ヌアンクは苦笑した。 


「彼らウル・ヤークスの民は……」


 隣に座るカナムーンが言葉を発した。


「聖女王という存在を崇拝している。その忠誠心は、おそらく“黒き肌の民”には理解できないものだ。氏族でもなく、一族でもなく、家族でもなく、聖女王とウル・ヤークスに命を奉げる。聖女王という存在が全てを結び付けているため、特定の種族が支配者となることもなく、様々な民が互いの差異を越えて大きな国として一つの力となっている。それは、驚くべきことだ」

「随分と詳しいのね」


 ラワナの問いに、カナムーンは小さく鳴き声を上げた後、答える。


「私は、人間の国というものに興味を持っている。その中でも、ウル・ヤークスという国は興味深い。血筋や種族という枠に捕らわれない巨大な国というものは、この地ではみることができない特異なものだ」

「以前、我々とウル・ヤークス王国は衝突したことがあった。その時、我々はウル・ヤークスに脅威を感じた。彼らを研究する必要が生じたのだ」


 ハイダイがカナムーンの発言に言い添えた。


「やれやれ、厄介な相手だ」


 ヌアンクが溜息をつく。ラワナは、カナムーンの語った話について考えていた。あのウル・ヤークスの少年と狗人の繋がりは理解できないものだったが、カナムーンの話を聞けば得心がいく。彼らは、顔も言葉も違うが、一つの家族なのだ。彼らが命知らずである秘密も、そこにあるのかもしれなかった。

 

「だから、あの時、謝罪の使者を送るべきだったのだ。ただ生き残った使節と商人だけを送り返したために、怒りをかってしまった」


 頭に白い布を何重にも巻いた黒い肌の男、ルェキア族の商人の一人が、唸るようにして言った。


「我々がなぜ謝罪する必要がある。あの強盗どもを皆殺しにせずに送り返してやったというのに、返答代わりにいきなり軍勢をおくってきたのだぞ。そもそも、ウル・ヤークスが端からカラデアを狙っていた公算が大きい」


 ワアドがルェキア族の商人を睨み付ける。


「こんな事態にならないように、あなた方が説得すべきだったわね」


 ラワナは皮肉の笑みを浮かべると、ルェキア族商人を束ねている男、デハネウを見やった。黒い肌の頬に大きな刀傷を持ち、口髭をたくわえたデハネウは、不機嫌そうな表情でその視線を受け止める。


「うるせえなぁ、あっちの同胞の商人をあたってるんだ。鱗の民の旦那が言ったとおり、ウル・ヤークスは聖女王の下に色々な奴らがいる。だからこそ、一枚岩じゃあない。この戦に反対している奴らもいる」


 デハネウは苛立たしげに手を振ってみせた。


「ウル・ヤークスにいるルェキア族の商人を使って、戦争を止めるように働きかけるということかね」


 ヌアンクが首を傾げる。


「そういうことだ。あいつらは、元老院って所に集まって、合議で国を治めている。戦に反対する者が多くなれば、軍を退くしかなくなるだろうさ」

「気の長い話ね。敵はもう目の前にいて刃を交えている。奴らが戦を止めようと決めた頃、カラデアは陥落しているかもしれない」 

 

 ラワナは、眉根を寄せるとデハネウを睨む。デハネウは大袈裟な動きで肩を竦めてみせた。


「それを何とかするのが軍人の仕事だろう」

「仕事のできない商人に言われたくはないわね。結局、あなたは取引相手の本性を見抜けなかったということでしょう?」


 ラワナは、鼻で笑う。デハネウは舌打ちをすると顔を背けた。ルェキア族は、沙海とウル・ヤークスの間で交易を営み利益をあげてきた。だからこそ、ここにいる誰よりもウル・ヤークスのことを知っているべきだったのだ。


「言ってくれるぜ。腹が立つ女だ」

「私もあなたに腹が立ってるわ。あなたはいつまでも他人事で話をしている。言っておくけど、ルェキア族にとってもこの戦は他人事じゃないのよ」


 ラワナは、デハネウを見据えると、言った。彼女を横目で見ていたデハネウは、大きく溜息をつく。


「戦はな、当事者にならなければこれほど美味い商売はねえんだ。水、食い物、武器、奴隷、何でもありだ」

 

「お前らは、この戦で稼ぐつもりなのか」


 ワアドの発した言葉には、殺意すら感じさせる威圧感があった。ルェキア族の商人は蒼ざめた表情になるが、横に座るデハネウは、その言葉に表情を変えることもなく、小さく首を傾けた。


「勘違いするなよ。俺たちルェキア族にとっても、他人事じゃあない。もう当事者なんだよ。ウル・ヤークスが沙海に直接乗り込んでくれば、ルェキア族は東方との交易を仕切ることが出来なくなる。俺たちは交易路から追い出され、沙海の北辺で山羊や駱駝を追うだけの生活に逆戻りだ」


 デハネウは、自嘲の笑みを浮かべると、一同を見回した。


「大昔、ご先祖様は傭兵をやっていたらしい。聖女王とやらを崇め奉って、奴らの仲間に入れてもらうのもいいかもな。そうして、食っていくことが出来ない若い奴らは、皆、兵隊か、野盗になる。実に魅力的で、希望にあふれた将来だ」


 両手を大きく広げると、デハネウは声を上げた。


「ルェキア族も沙海の民だ。覚悟を決めてる。兵隊だろうと、駱駝だろうと、塩だろうと、金だろうと、何だって出す。だが、ルェキア族にしかできないこともある。信じてくれ。俺たちは、奴らの中に、蠍を放つ!!」

「ああ、デハネウ。信じるとも」


 ヌアンクは、微笑むと頷いた。ラワナは、デハネウに頭を下げた。


「侮辱したことを謝罪するわ。我々も軍人としての任を果たす。ルェキア族を信じて」

「いいんだ。実際、俺たちも間抜けだったんだよ。自分に腹がたっていた所だ。あんたの蠍の舌は効いたよ」


 デハネウは口の端を歪めると、手を軽く振った。


「クァ……」


 一瞬訪れた沈黙の帳に、乾いた鳥の鳴き声が響いた。一同は、思わずそちらに顔を向ける。


 全身が黒く胸が白い鳥が、短い歩幅で、時折跳ねながらこちらに歩み寄ってくる。それは、鴉だった。沙海のような極端に乾燥した土地では見ることのできない鳥だ。


「おや、これは……」


 エタムが驚いた様子で腰を浮かせた。


「皆でお集まりのところ、失礼する」


 鴉は、立ち止まると流暢な人の言葉を発した。一同は、思わず驚きの声を上げた。


「我が名は祭祀さいしの王。南の地、ユトワの国より参った」

祭祀さいしの王……?その御姿は……?」


 ヌアンクが戸惑いの表情を浮かべる。祭祀さいしの王は、沙海に隣接する王国、ユトワを治めている君主だ。カラデアから使者を送った国の一つでもある。


「カラデアからの使者を迎え、危急の時と思ったのでな。急ぎ、使い魔であるこの烏を送った次第だ」


 鴉は、低く、よく響く声で言う。明らかに鳥の声ではない。


 ヌアンクは、笑みを浮かべると深々と一礼した。他の者たちも、それにならって一礼する。しかし、その相手が鴉のためか、戸惑いを見せている者も少なくない。ラワナもその一人だ。父は祭祀さいしの王と面識がある。王の不思議な逸話を幾つも聞かされていたが、ラワナ自身は会ったことがない。そして今、父に聞いた逸話通りの存在だったことを、目前の喋る烏を通して確認することになった。


「お久しぶりです、祭祀さいしの王」


 エタムが笑みを浮かべながら進み出た。


「久しぶりだな、黒石の守り手よ。元気そうで何よりだ」

「王もその魔力が健在のようですね。御姿を拝見できないのが残念です」


 エタムの言葉に、鴉は低い笑い声をあげる。


「迅速な対応を感謝いたしますぞ、祭祀さいしの王。使い魔とはいえ、直々におこしいただけるとは」

「何の。ユトワとカラデアとは、父祖の時代より古き盟約を結んだ仲だ。とはいえ、その盟約を履行するときが来ることになろうとは思わなんだ」


 ヌアンクが恭しく頭を下げると、鴉は首を傾げながら答えた。鳥らしいせわしない動きと、老成を感じさせる鷹揚とした口調が、違和感を感じさせる。


「ユトワは、カラデアに司祭と兵をおくる。到着するまで、何とか持ちこたえてもらいたい」


 祭祀さいしの王は言う。ユトワ王国は、国の長である祭祀さいしの王だけでなく、聖職者階級である司祭たちも優れた魔術の使い手として知られている。この援軍は、ウル・ヤークスに対抗する大きな力になる。希望の光が見えた気がして、ラワナは小さく息を吐いた。

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