砂塵の王

秋山 和

沙海の辺で

第1話


 沙海を渡る風は乾ききっていた。太陽に焦がされた大気は目に見えぬ微細な砂を運び、色を帯びた風は匂いというにはあまりに粗い刺激で鼻を痛めつけてくる。シアタカは、小さくため息をつくと、襟元まで落ちていた布を鼻まで引っ張り上げた。褐色の肌、黒い髪をもつシアタカだったが、その瞳は碧い。様々な民族の血が入り混じったウルス人には時折見られる。その容貌は女性と見間違える優しげなものだが、身長の高さと体格の良さがすぐに間違いだと気付かせるだろう。身を覆う白い外套の下で、鎖甲が小さな音を立てる。無意識のうちに、腰に下げた長刀の柄を撫でていた。


 眼前に広がるのは、ただただ、白い大地。故郷の砂漠といえば黄褐色の砂と岩石に覆われた地だ。また、赤褐色の荒野が広がる赤き砂漠に行ったこともある。しかし、沙海を支配するのは、日差しを照り返して眩くさえ感じる、広大な白だった。古来より、沙海の東に住む者たちは、“白い海”と呼んで、全ての命が消え去った死の土地として恐れていた。


「騎士シアタカ!狗人兵が戻りました!」


 全身を白い長衣に身を包んだ少年が、甲高い声で告げる。日除けの頭巾からのぞくその肌は、カッラハ族独特の鉛灰色だった。カッラハ族は赤き砂漠に暮らす遊牧の民であり、砂漠を渡る商人である。何より、戦士としてその勇猛さを知られていた。聖女王を狂信的に崇拝し、王国に絶対の忠誠を誓う民だ。


 シアタカが顔を向けると、連なる砂丘を背にして二人の狗人がこちらへ駆けてくる。


「何か見つけたのでしょうか」


 シアタカは少年の問いに視線を戻した。このウィトという少年は、シアタカの従者となって間もない。シアタカにとって奇妙なことに、この少年は、誇り高きカッラハ族の出身だというのに、戦奴だった己を慕ってくれている。  

 ウィトの真っ直ぐな視線に少し気恥ずかしさを覚えて、シアタカは再び狗人へと視線を戻すと、口を開いた。


「おそらくそうだ。本来ならば定期的に我々の行軍を待っているはずだ」

「そうですね」


 ウィトは頷くと自分も視線を狗人たちへ向ける。


「あの二人はラゴとコダですね」


 駆けてくる狗人はまだ遠いが、カッラハ族の視力では誰なのか見分けがつくらしい。狗人の名前は他の種族には理解できず、発音もできないため、便宜上、人が勝手に名前をつけることになる。シアタカはこの部隊に配属された五名の狗人の名前を全て覚えていない。しかも、狗人の顔の見分けは難しい。だが、ウィトはすでに個人を見分けることができるようだ。感心するしかない。


「あの急ぎようならば、おそらく敵軍ですな」


 中年のカッラハ族の男がシアタカの傍らに立つ。シアタカの補佐を務める、ラッダという兵士だ。シアタカ率いる斥候部隊は、多くのカッラハ族で構成されている。彼らの砂漠での騎乗の腕は何よりも優れていた。シアタカのような、褐色の肌をもつウルス人は、この斥候部隊では少数派だった。


 聖女王を頂くウル・ヤークス王国。シアタカはその尖兵として沙海にいる。その刃を向けるのは、カラデア。沙海の只中にある交易都市である。ウル・ヤークスの西に広がる沙海を通る交易路が近年、急激に開かれることとなった。その一方で、交流の少なかったカラデアとの関係が深まるにつれて、ウル・ヤークスとの対立が顕在化したのである。その最悪の結果というべきものが、代表使節と商人たちの殺害だった。これを受けた王国は、すぐさま軍団を編成。沙海へと進軍したのである。


  狗人たちの足は速かった。波のようにうねり、踏みしめるそばから沈み込んでいく沙海の大地を、まさしく跳ねるようにして走る。一人は大柄、一人は小柄な体格で、対照的な二人だった。どちらがラゴでどちらがコダなのか、シアタカには分からない。彼らは、見守る兵達の間を抜けると、シアタカの元へ駆け寄る。


 狗人は、犬の頭を持った人間といった姿をしていた。しかし、その目は平均的な犬よりも大きく、そこには豊かな感情と知性の光をみることができる。また、犬というよりも猪のような牙をもち、たてがみが生えている。手足にも、犬とは比べ物にならない鋭い鉤爪を備えていた。全身を褐色の毛皮に覆われているが、さらにその上から薄い皮革の鎧を身につけ、手に短槍、鉈のような曲刀を背負った彼らは、シアタカの前で跪く。


「何を見付けたんだ?」

 

 シアタカの問いに、大柄な狗人が顔を上げた。たてがみに結ばれた飾り玉が揺れる。彼らは人の言葉を話すことはできないが、理解はしている。のどの奥で小さく唸ると、鋭い爪の生えた指を、複雑に組み合わせて手を動かす。


「やはり敵軍がいるのか」


 シアタカはそこから情報を読み取ると、言った。狗人は人の言葉を理解できるが、人は狗人の言葉を理解できない。彼らの声の中には、人には聞き取れない音も含まれているという。その為、狗人は人に意思を伝えるための簡単な声と符丁を編み出した。シアタカはこれまで幾つもの戦場を経験する中で、それらを理解できるようになっている。


 狗人は、シアタカの言葉に頷いた。彼らが人と交流する中で覚えた、肯定の合図だ。そのため、人から見ると大げさなほどに頭を上下させているように見える。


「交易路を大きく迂回しているのに、こんな所で出くわすとは思いませんでしたな」


 ラッダが唸るように言う。彼らの斥候部隊は、任務のために本軍から離れ、無人の沙海を行軍してきた。


「おそらく、部隊を巡回させているんだろう。ここで遭遇するということは、カラデアからの部隊の可能性が高い」

「長い太平に慣れきっているという話でしたが、ずいぶんと用心深いことだ」

「こちらの行軍を察知したということかもしれない。敵の目はどうやら遠くまで見通せるようだな」

「そうなると、デソエの守備も固めているでしょう。この戦、存外長引くかも知れませんな……」

「ああ。砂嵐のごとく、というわけにはいかなくなる」


 敵にまともな備えはない。それが元老院と軍上層部の結論だった。そのため、宣戦布告すらせず、不意を打つべく迅速に進軍したのである。しかし、それは甘い見通しだった可能性が高くなる。 


「われらが軍団は常勝無敵です。異教徒と蛮族など、敵ではありません」


 ウィトの自信に満ちた言葉に、シアタカは苦笑した。ウィトに顔を向けると言う。 


「常勝とは、鍛え、考え、備えることで産まれるものなんだ。慢心と怠惰からは敗北しか産まれない」

「軽率なことを言いました。お許しください」


 ウィトが顔色を赤くして俯く。


「受け売りだよ。俺も将軍にそう教えられた。そのうち、自分が体験することが、勇ましい武勲詩ではないことに、すぐに気付く」 

「それは、どういう意味でしょうか」


 シアタカの言葉に、ウィトは首を傾げる。


「戦場では、いつ死ぬか分からないし、何が起こるか分からない。運が悪ければ、流れ矢であっさり死ぬこともある。はらわたが飛び出た傷を抑えて、死ぬこともできず苦しみ続けるかもしれない。病を患って、戦場に立つ栄誉さえ与えられずに死ぬ者だっている」

「私も例外ではない、ということですね」

「そうだな。もちろん、俺も例外じゃないよ」

「そんな、騎士シアタカは、無敵です」

「無敵って、俺を何だと思ってるんだ」


 シアタカは再び苦笑した。やはり、この少年は未だに武勲詩の中にいる。やがて訪れる現実との落差に絶望しなければいいが。


 気を取り直すと、狗人に顔を向ける。


「兵数はわかるか?」


 狗人は、大勢だが数は不明だという意味の答えを返した。もう一人の狗人が、自分たちよりもはるかに多い、と答える。


「この地形では全てを見通すのは無理か」

 シアタカは、山脈のように連なる白い砂丘を見ながら、言う。


「大鳥か、翼人がいれば確実なんですが」

「今回の任務でわれわれの部隊に随伴するのは無理だ」


 シアタカは小さく頭を振る。この斥候部隊の任務は、敵の勢力圏に深く入り込み、その戦力を量ることを目的としている。長い行軍となるこの任務に空戦部隊を伴うのは、輜重の豊富な大部隊にしかできないことだ。機動力を重視して、最小限の糧食のみを携えたシアタカの斥候部隊には、大鳥や翼人は維持できない。


「そうですな。詮無きことを言いました」


 ラッダは小さく頭を下げた。


「残された矢で鳥を落とすことを考えよう。退くべきか、進むべきか」


 シアタカはラッダに顔を向ける。この経験豊富な兵士は、これまでに幾度もシアタカを助けてくれていた。


「もう少し接近して数を掴んでおきたい所ですな。そうでなければ、ギェナ・ヴァン・ワの先鋒たる、我ら斥候部隊の名が泣きます」

「確かに、一当たりして、感触も掴んでおきたい」


 彼ら斥候部隊は、敵軍と干戈を交えることもある。それによって、敵軍の練度や士気を量ることができるからだ。もちろん、正面から戦いを挑むわけではない。迅速さと剽悍さをもって敵に噛み付き、反撃を受ける前に退くのだ。そして、時に、その敵をかみ殺してしまうこともある。


「皆、準備は出来ています!」


 ウィトが上ずった声で言った。腕を振り上げ、眼前の斥候部隊を指し示す。指揮下にある兵は百あまり。全員が騎兵だ。駱駝と、巨大な二本の足で駆ける鳥、恐鳥のみで構成されている。恐鳥は雑食で粗食にも耐える。また乾きにも強いことから、砂漠の行軍には駱駝についで重宝されている。もっとも、その気性の荒さと乗り心地の悪さから、勇猛なカッラハ族や騎士以外には好んで乗りたがる者はいないのだが。


 兵達は、誰一人気の緩みを見せずに緊張感を保ったままシアタカに注目している。


 シアタカは兵達を見回すと、頷いた。自らの恐鳥に跳び乗るようにして跨る。ウィトとラッダもそれに続いた。


「行くぞ」


 シアタカの一声で、部隊は動き始めた。多数の騎兵が進んでいるとは思えないほどに静かな進軍だ。水が流れるように、滑らかな動きで一つの列となる。


 先頭を進むシアタカの横に、ラッダが並んだ。


「シアタカ殿、先鋒を代わりましょう」

「いや、自分で確認したいんだ。ラッダは後衛を頼む」


 シアタカが答える。ラッダは頷いた。


「分かりました。無理は為されぬよう」

「ああ、ありがとう」


 シアタカは頷いた。


「ウィト、お前も足手まといにならぬようにな」

「大丈夫です。従者の務めを果たします」


 ラッダの笑いを含んだ言葉に、ウィトは尖った声で応じた。シアタカは苦笑しながら横目で見る。顔を覆った布の下の膨れっ面が容易に想像できた。 


 四つ足で駆ける狗人たちがシアタカを先導する。狗人は、四つ足で駆けることによって騎馬の進軍についてくることが出来る。特に足場の悪い沙海のような土地では、彼らの走破性は遺憾なく発揮されるのだった。


 部隊は、なだらかな砂丘が連なる中を進む。それは、砂丘の中にできた谷のような道だった。幾つもの砂丘の間を蛇行しながら抜けていき、やがて眼前に一際巨大な砂丘が現れた。まるで壁のように、道を遮って立ちはだかっている。  


 巨大な砂丘の目前に到着すると、部隊は進軍を止めた。小柄な狗人が斜面を駆け上る。シアタカはその後に続いて恐鳥を駆った。


 斜面の半ばで恐鳥から降りると、身を低くして砂丘を登る。シアタカを待っていた狗人は、右手の小さな動きで彼方を指し示した。シアタカは、そちらに頭を覗かせる。


 連なる砂丘から少し離れた平地に、多数の軍勢が留まっていた。艶やかな黒色の肌の人々が、多数の駱駝とともに出発の準備を終えている。カラデアとデソエの主要な民族であるカラデア人だろう。その数は五百人を超えているように思えた。輜重部隊も伴っていることに気付いた。また、少数だが人と蜥蜴の中間のような者達の姿も見える。彼らは、カラデアに駐留している鱗の民だ。ここで見える範囲だけではない。後背に連なる砂丘の向こうにも兵士がいるようだった。


「騎士シアタカ、この軍勢は……」


 横に並んだウィトが、強張った表情でシアタカを見た。


「こいつらは、巡回部隊なんかじゃない。デソエへの援軍だ」


 シアタカは頷く。やはり、カラデアは、ウル・ヤークス軍がデソエへ進軍していることを知っている。この援軍がウル・ヤークス軍の後背を衝けば、デソエの守備軍と挟撃される可能性もある。


「一戦交える状況じゃあなくなった。この状況を報告しないといけない。本軍へ合流するぞ」


 シアタカの言葉にウィトが頷く。 


 振り返ったシアタカは無言で手を上げると、数度動かす。それを見た兵達は、胸

に拳をかざした。シアタカの合図に戸惑うことなく、すぐさま兵達は騎首をめぐらせた。統制の取れた動きで反転すると来た道へと進み始める。


 シアタカとウィトも、恐鳥を駆って砂丘を降った。部隊の後尾に並ぶ。静粛に、しかし迅速に。これが斥候部隊に課せられた能力だった。そして、彼らは正しく体現している。


 砂丘の幾つかを通り抜けた時、狗人が立ち止まった。顔を上げて鼻をひくつかせる。それを見たウィトが恐鳥をとめた。  


「騎士シアタカ!」

「どうした?」

「ラゴが、何かを見つけたかもしれません」

「どうした、ラゴ」 


 シアタカの問いに、狗人は、警戒を意味する仕草を見せた。 


「何かいるのか?」


 周囲を何度も見回した狗人が答えようとした瞬間、甲高い鳥の鳴き声のような音が鳴り響いた。鈍く低い音がそれに続く。まるで大山羊の角で作った角笛のような音だ。シアタカは思った。


 左右の砂丘の斜面が次々に弾けた。飛び散る砂が霧のごとく舞い散り、視界が白く染まる。シアタカは、砂塵の中にきらめく白刃を見た。何かが、次々に砂の中から飛び出してくる。それは、薄褐色の外套を身にまとった者たちだった。細かな鱗に覆われた逞しい腕には槍を持ち、その外套からは、しなやかに鞭のように動く緑色の尾がのぞいている。その顔は蜥蜴と蛇の中間のようで、表情というものが伺えなかった。そこまで上背はないが、明らかに人を上回る厚みの体格が見て取れる。 


「鱗の民!」 


 シアタカは思わず叫んだ。

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