天泣
トウカ
第1話 コーヒーが冷める前に
『5:00になりました。今日の関東地方のお天気は全域で雨が降り続けるでしょう。昨日気象庁は梅雨入りを発表し、今後何週間は雨の日が続く予想です。朝雨が降っていなくても折り畳み傘を忘れピッ…』
「梅雨入りか、もうこの季節になっちゃった。」
いつものお天気お姉さんが淡々と説明していくテレビ画面を消し、ベットから起き上がる。少しひんやりとした床の冷気が足裏から伝わってくる。コンロに座る赤いやかんに水を注ぎ、火にかける。
『ジュボッ、ボボボ』
沸かしている間にマグカップとコーヒーポット、ドリッパー、フィルターを棚から取り出す。今日の気分は骨董市場で発掘した古ぼけたクリーム色のマグ。マグにドリッパーをのせ、ドリッパーに端を折り込んだフィルターを広げる。
『ピピピ、ピューーー』
沸いたらコーヒーポットに熱湯をうつし、フィルターにまんべんなく注いで紙の匂いをとる。マグに溜まったお湯を捨て、コーヒー豆をフィルターへ。最初は全体が濡れる程度に注いで少し待ち、蒸れたら真ん中に円を描くように注ぎ入れる。
「いい香り。」
この香りをかがないと私の朝は始まらない。寝坊した朝はコーヒーの香りを求める鼻がムズムズしてしょうがないのだ。最近は朝の初めの一杯は白湯だと雑誌だかテレビだかで目にするが、私にとってお湯を沸かす行為はコーヒーを淹れる過程の通過点でしかない。
マグを手に取り、窓から外をのぞく。どんよりした雨雲からいつ雫が落ちてきてもおかしくなかった。部屋に唯一ある大きな窓は部屋から突き出るようなかたちをしていて、窓枠に足を伸ばして座ることができた。
温かいマグを手に包み、階下を眺める。2階のこの部屋からはアパートから駅に向かう公道と1階から2階に行く階段とを見渡すことができた。
「まだかな。」
部屋に呟いた言葉が響いて消えた。一人だと少し広いこの部屋はいつも主人を待っている。私もこの部屋と共に毎朝この窓際であの男を待つのだ。
しばらくしても散歩をしている老人や朝練に向かう高校生の姿しか私の瞳には映らない。そして次第に雲から垂れてきた雫たちがコンクリートの道を暗いグレーに染めていった。
雨音がやけに耳に響いてきた頃、ゆっくり歩く影のような人影が私の瞳に映る。黒いシャツに黒いベルト、黒いズボンに磨かれた革靴。傘もささずにまっすぐこちらへ歩いてくる。
「帰ってきた。」
冷たくなってしまったマグを窓際に置いてコンロのやかんに火をつける。ひんやりしてしまった私の身体をさらに床の冷気が冷たくする。いつもこうなのだ、コーヒーと私がしっかり冷たくなった頃あの男は帰ってくる。
『ガチャッ』玄関のドアがゆっくり開く。
「太陽、おかえりなさい。」
私は玄関で太陽の雨に濡れた腕に包まれながらいつも思うのだ。
(もしコーヒーが冷める前に帰ってきたならば、太陽の体温がこんなに温かいと感じないだろう)と。
『ピピピ、ピューーー』
お湯が沸いたみたいだ。
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