殺人鬼編
1話 覚醒! 魔眼ソウルリーダー
「ゆうくんが魔眼に目覚めたんだって! やっぱりこういう場合はお赤飯かな、お母さん」
「あらあら、お母さんそういうのはよく分からないんだけど、おめでたいことならお赤飯でいいのかしらねぇ」
朝の食卓、雄一(ゆういち)はみそ汁を吹き出しそうになった。
――大丈夫だ、こんなことで吹き出さない。アニメや漫画じゃないんだ。そんなことするやつはいねぇ。
姉に相談したのは間違いだったと後悔した。こんなにもあっさり親にカミングアウトされるとは思ってもみなかったのだ。
姉の睦子(むつこ)はこのことは知られてはいけない! 組織に狙われるかも! などと一人盛り上がっていたのだが親には言ってもいいらしい。基準がわからなかった。
その話はこれ以上するな、という念をこめて睦子を睨(にら)みつける。睦子はそれをどう捉えたのかにこりと微笑み返してきた。まるでわかっていない。
睦子は雄一の一つ上、高校二年生になったばかりだ。雄一が今日から通う高校の先輩ということになる。目鼻立ちのはっきりした美人なのだが雄一にしてみれば身近すぎてよくわからない。
髪はかなり短めでこれは長いと掴(つか)まれやすいからと言っている。体型はスレンダーな方で胸はまるでなかったが本人は気にしていなかった。胸があっても邪魔なだけだと常々言っていて、それは強がりでもないらしい。
母親はのんきな人なので魔眼の話をふられても全く動じていなかった。そもそも魔眼が何かも分かっていないのだろう。
では父親はどうなのかと見てみると新聞を読みながらもそもそとご飯を口に運んでいるだけだった。特に興味はないらしい。最初から話を聞いてすらいない気もしてきた。
雄一は次に妹の依子(よりこ)を見てみる。こちらも特に気にしていない様子だ。姉がおかしなことを言い出すのは日常茶飯事でいちいち気にしてはいられないのだろう。
依子は今日から中学二年生だ。姉とは正反対で女の子らしさを意識している。よく手入れをされたさらさらとした黒髪は長くとても似合っていた。顔の作りは姉と同様だが雰囲気は穏やかだ。体型の女らしさでは既に姉に優(まさ)っている。
雄一はご飯を一気にかきこんでさっさと出かけることにした。朝から魔眼が話題に上る食卓に耐えられなくなったからだ。
*****
雄一は姉の部屋のドアをそっと叩いた。
親も妹も寝静まっている時間だ。だが姉はこの時間なら起きてネットをしたり漫画を読んだりしているはずだった。
すぐにドアは開かれた。
睦子が不思議そうな顔をして雄一を見つめている。
睦子はピンク色のパジャマを着ていた。偽物くさいクマのイラストが散りばめられている。
「ゆうくん? こんな時間にどうしたの?」
「えーと、姉ちゃんに相談したいことが……」
雄一は言い淀んだ。
正直こんなことを姉に相談するのはどうかと悩んだ末のことだったが他にいい相談相手を思いつけなかった。
「わかった。姉もののエロゲを大量に持ってるとかそういうこと? だったらお姉ちゃんは気にしないから!」
睦子は胸を張った。どこか誇らしげだが今の台詞のどこのそんな要素があったのか雄一にはさっぱりだった。
「ちげーよ!」
「えー、最近そういう感じのアニメみたんだけどなぁ」
「アニメと現実を混同すんなよ」
そう言いつつもこれからする相談内容はあまり現実的とはいえない。突っ込みにも張りがなかった。
「ここで立ち話もなんだし、まずは中に入ったらどう?」
睦子が弟の雄一を部屋へと招き入れる。もう春だというのにまだ出してあるコタツへと二人は入った。
久しぶりに姉の部屋に入った雄一は以前よりその混沌さを増した部屋の様子にげんなりとした。
コタツの上においてある冊子を手にとって見る。『防弾腹筋』というタイトルだった。銃弾だろうと弾(はじ)き返しそうな腹筋がでかでかと表紙に載っている。
――女子高生の読むような本じゃねーだろ!
本棚を見るとその手の本で溢れかえっている。『握力王』『関節王』『全伝 八極拳』『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』『発勁の科学』……。
更に部屋の中の混沌さを増しているのはそこらに転がっている武器だ。
中国系の武器が多い。青龍刀や、蛾媚刺(がびし)、九節鞭(くせつべん)、流星錘(りゅうせいすい)、苗刀(びょうとう)。
西洋系だとクォータースタッフ、クロスボウ、マインゴーシュ。
インド系ならマドゥにカタール。
日本系でいえば万力鎖、十手、棒手裏剣、日本刀まである。
扇などはまだ女らしいと言えるのかもしれないがこれも鉄扇で要するにここに転がってるのは大抵が武具だ。
たまに持ち出してきて雄一に使わせるので、持っていることは知っていたがまさかこれだけ数を集めていてそれを適当に放り出しているとは思っていなかった。踏んだらどうするんだといらない心配をしたくなる。
では武器を無視すればこの部屋が女子高生の部屋としてふさわしいかといえばそれも違った。ケーブルが這い回り謎の基盤があちこちに、壁面にはチカチカと光る機械が詰め込まれたロッカーのようなものがいくつも並んでいる。
それも無視したとしても次に気になるのは謎の仮面やら呪符やら祭壇だ。
雄一はそれ以上詮索することをやめた。キリがないからだ。
「さて! 相談って何?」
睦子は張り切っていた。普段あまり積極的に姉に絡んでこない弟がこんな時間に相談事だという。
期待に満ちあふれた目をしていた。
「えーとだな、その、昨日から変なモノが見えるようになってさ、それでどうしたものかと困ってるんだけど」
「え?」
睦子は身を乗り出した。あからさまに食いついてくる。
「なになに! 何が見えるの! え? 線? 死の線が見えるの? あ、だったらメガネを用意しないと! けどあれってなにでできてるのかしら? それともチャクラ! 気の流れが見えるとか? それか幽霊とか? 霊視?」
「落ち着けよ! そんなたいしたもんじゃねーから!」
「わかった! ちょっとまってね」
睦子はそう言うと深呼吸した。落ち着かせているらしい。
「で! 何が見えるの!」
「あー、ほんと大したもんじゃないんだよ。期待されると困るんだけど……その文字が見える」
「文字?」
「人の頭の上に文字が見える」
「それだけ?」
「うん」
睦子はあからさまに落胆した。
そこまで気落ちされると相談した方が申し訳なくなってくる。
だがすぐに気を取りなおしたのかがばっと身を起こした。
「そう! 戦闘系の魔眼じゃないのかもしれない! けどそれでも凄いことよね! で、文字ってもしかして私の上にも見えてる? ひょっとして余命が見えるとか? そんなホラー見たことある!」
「えーと。ねえちゃんの上には『ねえちゃん』って書いてある」
「え?」
雄一から見ると睦子の頭の上。拳ひとつ分ほど上にゴシック体で「ねえちゃん」と書いた文字が浮かんでいた。
「かあさんの上には『かあさん』って書いてあった。依子の上には『妹』って書いてあった」
依子は次女だ。睦子、雄一、依子の三人兄弟。これに両親を合わせた五人が坂木家の家族構成だ。
「どういうこと? 意味がわからないんだけど」
「俺もわかんねーよ! 何だかわかんねーから昨日これが見えるようになってからは外に出てない。けど明日から学校だしそういうわけにも行かないし、ねえちゃんなら何かわかんねーかな、と思ったんだけど」
「待って! ちょっと待って!」
睦子は片手を額に、もう一方を張り手のように雄一に向けて突き出した。待ってのポーズらしい。
「いや、待つけどさ、どうしたんだよ」
「考えるから! それが何か!」
睦子はそのままのポーズで考え込んだ。
睦子は自分の世界に没頭すると周りが見えなくなるタイプだ。放っておけばずっとこのままなのかもしれない。
もう部屋に戻ろうかと雄一が思ったとき睦子は動き出した。
「ソウルリーダー……そう! そんな感じのもの! 何か相手の本質を読み取れるような魔眼じゃない?」
「えー? じゃぁ、ねえちゃんの本質はねぇちゃんなのかよ」
「そう! 私ほどねえちゃんをしてる姉はいない!」
「まぁ、俺から見たら『かあさん』も『妹』も『父さん』もその通りなんだけどさ。まぁ気にしなけりゃいいのかな」
騒ぐ姉を見ていると雄一はこんなことで悩んでいたのが馬鹿らしくなってきた。
姉に「ねえちゃん」という字幕が出たとして特に不都合はないような気がしてくる。
「このことは誰にもいっちゃ駄目よ! 能力者狩りとかに遭うかもしれないし!」
「そんなん誰がやってんだよ」
「組織! そう、そんな組織があるのかも! 見つかったら目を抉(えぐ)られるの!」
「こえぇこというなよ」
もちろんこんなことを吹聴(ふいちょう)する気は雄一にはない。姉以外に言っても正気を疑われるだけだろう。
こんな話に真面目に付き合ってくれるのはこのおかしな姉ぐらいのものだ。
「ま、誰にも言う気はないからさ。姉ちゃんも黙っててくれよ」
「まかせて! ゆうくんは私が組織から守ってあげるから!」
胸に手を当て誇らしげにそう宣言する姉を胡(う)散(さん)臭いものでもみるように雄一は見つめた。
――まぁ姉ちゃんならもし何かあってもどうにかしてくれるだろ。
相談したことで少しは気が晴れたのか部屋に戻った雄一はぐっすり眠ることができた。
*****
県立星辰(けんりつせいしん)高校。それがこれから雄一が通う学校だった。
家から徒歩十分。
雄一がこの学校を選んだ理由は単純で家から一番近い公立高校だからだ。睦子も同様の理由でこの学校を選択している。
偏差値的にはごく普通のありふれた高校で特に何かに力を入れているということもない。
雄一はまだ着慣れていない紺色のブレザーを着て家を出てきた。
睦子は放っておいた。母親と何か話し込んでいたのでこれ幸いと一人で抜けだした。
睦子は一緒に行こうと言っていたのだが雄一はあの空気に耐えられなかった。
家族の前で魔眼の話なんてこれ以上したくもない。
家を出たところで隣の家のおじさんと出会ったので雄一は軽く会釈をして通り過ぎた。これから通勤なのだろう。
そのおじさんの上には「隣のおじさん」と書いてあった。ここまでは予想通りだ。今までの所は雄一の認識と大きくずれる文字は出てきていない。
では初対面の人間ではどうなるのか? それはすぐに判明した。
通学路には通勤中のサラリーマンもいる。それらの上にも全て文字が表示されていた。
「課長」「所長」「会社員」「公務員」などと表示されている。
――役職とか職業か? まぁ分かった所で大したことでもないか。
本当にそうなのかはわからない。自分が知りえない情報だった。
最寄り駅の前を通ると更に人が増え始めた。
「男子生徒」「女子生徒」「母親」「父親」という文字だらけになる。
そんなもの見ればわかるという情報だった。
――いや、もしここにオカマでもいれば正体が見破れるかもな。
そう思ったが見破れたから何だというのだと思うと苦笑がもれた。
高校へはあっという間だ。門を通り講堂へと向かう。親子連れでやってくるものも多いが雄一は一人だ。どちらかと言えば男子はその傾向が強かった。
講堂でも見えるものは同じだ。「先生」「教頭」「校長」「生徒会長」などの文字が頭の上に表示されている。
それぞれの挨拶があり入学式が終わる。その後は中庭に出た。貼り出されている組み分けの掲示を見てクラスごとにぞろぞろと教室へと向かった。
席順は最初は出席番号順らしい。雄一の席は窓側から二列目の一番後ろの席だ。
早速幾つかグループができているようだがそれを横目に席についた。後は担任の先生がやってくるまでしばらく待つことになる。
「よぉ!」
前の席に座っていた少年が椅子に逆さに座って雄一に話しかけてきた。
雄一より頭一つ分背が高い、がっしりとした体格は何かスポーツでもやっていそうな感じだ。いきなり初対面の相手に物怖(お)じせずに話しかけられる性格らしい。
「俺は佐伯翔太! よろしく!」
「あぁ、よろしく。俺は坂木雄一。……エースストライカー?」
佐伯翔太の頭の上には「エースストライカー」の文字が浮かんでいる。
今までと少し毛色の違う文字に違和感を抱いて確認するように読みあげてしまった。
「お前もサッカーやってんの? どっかで会ったっけ?」
「あ、いや、何かサッカーやってそーな顔だなぁって思っただけだよ」
「あぁ、よく言われるよ!」
――言われんのかよ! サッカーしてそうな顔ってどんなだよ!
自分で言っておきながら雄一は自分に突っ込んだ。単純なやつなのかそれで誤魔化せたようだ。
「なぁ、お前ってねえちゃんか妹かいるか?」
「ん? いきなりだな、何でそんなこと聞くんだ?」
「いや、お前の兄弟なら美人かなと思ったから」
坂木家三人兄弟は似ているとよく言われる。翔太の推測は当たっていた。
「ねえちゃんならここの二年にいるよ」
妹のことは伏せた。姉についてはそのうちばれるだろうから隠す意味はない。
「おぉ! じゃ紹介してくれよ!」
「何だよそれ、本当にいきなりだな」
翔太はどこまでも真っ直ぐだった。すごく単純に人生を過ごしていそうだ。
「あぁ、うちのねえちゃんは止めといた方がいい。何だっけ、ほら、最近はやりの残念系ってやつだ」
「残念系?」
翔太には通じなかった。その手の趣味はないのかもしれない。
「見た目はいいけど性格がよくないって感じか? 何というのか趣味が偏ってる」
「何だっけ、腐女子とかいうやつか? でも最近はそういうのも結構いるんだろ?」
周りにいる女子の何人かがぴくりと動いた。自分のことでも言われたと思ったのだろう。
「そっちじゃない。中二病ってやつだ。あれをこじらせてる」
「中二病?」
これも通じなかった。健全な人生を送っているようだ。
「なぁ、姉ちゃんの写真とかもってねーか?」
「あのな……どこの世界に姉の写真を持ち歩くような弟がいると思って……」
そう言いかけて雄一は思い出した。確か姉と撮ったプリクラが鞄のどこかに入ったままになっている。無理矢理一緒に撮影させられ、いならいというのに押しつけられた。
「お、あるんだな? 見せてくれよ」
「わかったよ……」
あまり突き放して険悪になるのもまずい。そう思い雄一は鞄に手を伸ばした。
机の上に鞄を乗せごそごそと探る。
「なぁ? それなんだ? 握力鍛える奴?」
翔太がかばんを指さす。鞄から覗いている金属質な塊が気になったらしい。
「これか? キャプテンズ・オブ・クラッシュグリッパーのNo4だ。握力鍛えるやつだよ」
「へぇ? なんか変わってるな。ちょっと貸してくれよ。」
雄一は鞄(かばん)から金属製のグリッパーを取り出し翔太に手渡した。
キャプテンズ・オブ・クラッシュグリッパー。
アイアンマインド社の製品で超強力なグリッパーだ。No1からNo4とありNo4ともなれば閉じるのに必要な握力は百六十キロ。そこらの高校生に閉じられるものではない。
雄一はそれを両手でどうにか閉じようと必死になっている翔太を尻目にプリクラを探し続けた。
*****
結局担任がやってきたのでプリクラ探しは断念した。もしかしたらかっこ悪いと思って捨ててしまったのかもしれない。
担任が自己紹介をし、これからの高校生活についての簡単な説明を一通り行い始める。
だが雄一はそれを話半分に聞いていた。
そんな話はどうでもいいとばかりに目を見開いていた。
視界を埋め尽くす文字の羅列に目がくらみそうになる。
クラスメイトの頭の上に表示されている文字がいつの間にか一変していた。
「死者」「魔女」「エースストライカー」「ギャルゲ主人公」「ギャルゲ幼なじみ」「エロゲ主人公」「エロゲ幼なじみ」「超人」「偽物」「殺人鬼」「伝承者」「吸血鬼」「お嬢様」……。
突然の事に雄一は思わずどうでもいいことを考えた。
――「ギャルゲ主人公」と「エロゲ主人公」って似たようなもんじゃないのか? ヤレるかヤレないかが違うのか?
ちらりと手元にある座席表を見てみる。
ヤレない可哀想なやつは牧瀬光一という名前だ。そのお相手のギャルゲ幼なじみは杉本陽子。先ほども担任がくるまで痴話喧嘩のようなことをしており早速冷やかされていた。
表示の質が変わっている。今までは当たり障りのないことしか表示されていなかった。それがなにやら物騒な感じになってきている。
雄一が混乱し考えている間に自己紹介が始まっていた。席順で行われている。雄一は十六番目なのでまだ先だ。どうしていいのかはまだわからないがまずは自己紹介の内容と文字の対応に関連があるのかを知るのは重要だ。雄一は真剣に聞き始めた。
雄一の左隣の席、八番目の片桐杏の自己紹介が始まる。
「魔女」だ。そう言われればそれらしい。長い黒髪も目元を隠すように伸びた前髪も陰鬱に見えた。
「片桐杏です。私の趣味などはどうでもいいでしょうから省略させてもらいますが皆さんに一言言っておきたいことがあります。私は目の前にいる出席番号七番の小田拓郎くんを愛しています。誰にも盗(と)られるつもりはありません。小田くんに手を出そうとするなら殺します」
教室が一気にざわめいた。当の小田くんもびっくりして目を丸くしている。見たところ元々知り合いという様子ではない。初対面のようだった。
「おいおい、悪い冗談はやめとけよ、みんな引いてるだろ? それにそんなことしたら刑務所行きじゃねーか」
翔太が軽い口調でそう言う。本気だとは信じたくなかったのだろう。
「捕まろうと構いません。出所後に必ず小田くんのもとに現れて添い遂げる覚悟です。その際に小田くんが結婚しているということであれば、その妻も子も殺そうと思います。だから小田くん、私以外の人と結婚するということは少なくない人が不幸に見舞われることになります。その覚悟があるならそうしてください」
そう言うと杏は席についた。その発言には揺るぎない覚悟が感じられた。言葉だけの印象だが言ったことを確実に実行するという気概にあふれている。
その後の自己紹介は精彩を欠いたものとなった。皆名前をぼそぼそと言うだけだ。
だが勇者というものはそれなりにいるようで、またおかしな事を言い出す者が現れた。
小(こ)西(にし)妃(ゆ)里(り)。「お嬢様」だ。
「皆さんに最初に言っておきたいことがあります。有り体にいいますと私のうちはいわゆるお金持ちということになります。日本の法律上身分的な差別はもちろんありませんが、あなた達もすでに高校生。経済的な意味で人の間に格差が生じていることは十分にご承知の事かと思います。金の多寡は人の価値に直結しているのです。私はあなた達庶民とは立場もなにもかもが違うのです。こんなことを言えば金持ち故の傲慢とお思いになるかもしれません。ですがこれから一年という長い時間を共にするクラスメイトの方々に不幸なことにはなって欲しくないのです。後々私への対応を間違えたと後悔するようなことになる前に言っておいた方がいいだろうとそう愚考いたしました。ですのであなた達は十分に考えた上で私へ接してくださいますようお願いいたします」
またもや教室がざわめく。翔太が雄一へと振り向いた。また強烈なのが出てきやがったという目をしている。
妃(ゆ)里(り)が着席した。自己紹介が続けられたがもうおかしなことを言い出す者はいない。雄一も当たり障りなく簡単に名乗るだけにした。
雄一が次に注目したのは右隣の席、二十四番の武内奈月という少女。「殺人鬼」だ。
この表示は他と違い直接的な危険を感じた。
他はどうとでも解釈できるが「殺人鬼」は文字通りの意味にしか捉えられない。殺人鬼だと思って見るとその凛とした鋭い眼差しも短く切りそろえられた髪もその様に見えてくる。
「私は殺人鬼です」
などといったとんでもないことは言い出さず、奈月は当たり障りのない自己紹介をした。少しほっとしたが問題は先送りだ。これでは正体がわからない。
雄一はその頭上の「殺人鬼」という文字から目を離せずそれを注目し続けた。
*****
初日のホームルームはそれぐらいのものだった。
「これどうなってんだよ! 機械の部品かってぐらい、うんともすんともいわねーんだけど!」
翔太はキャプテンズ・オブ・クラッシュグリッパーに挑戦し続けていたがまったく歯が立たない。諦めて雄一に返してきた。
「まぁいきなりそれは無理だろうな。本気でやるならNo1を今度貸してやるよ。それなら六十キロぐらいだ」
「やめとくわ。サッカーにはあんまり関係なさそうだし。てかお前どうなんだよ、それ閉じれんの?」
「え? あぁ、アイソメトリックトレーニングってあるだろ? 動かない壁を押し続けるとか。そんな感じで使ってるんだよ」
雄一は適当にごまかした。世界で五人程度しかいないNo4の攻略者だなどというのは少し恥ずかしかった。
「あぁ聞いたことあるな。でもお前何かスポーツやってるの?」
「特には。ねえちゃんに強要されてるだけだよ」
「そっか。じゃあ俺行くわ。サッカーの先輩に挨拶しにいかないとな」
クラス内に残っているものはそんなに多くない。皆さっさと帰ったようだ。翔太も席を立ち教室を出ていった。
雄一も残ってすることもない。トイレに行ってから帰ることにした。
廊下に出ると他所のクラスの生徒が見える。その頭上には「男子生徒」「女子生徒」とあるだけだった。
トイレに入って用を足し洗面所で手を洗いながら考える。
――全く関わりがない人間の表示は当たり障りのないものになるのか? 翔太や他のクラスメイトも同じクラスという関係性が定まってから文字が変化した?
ぼーっとしていたら水が出しっぱなしになっていた。慌てて止め鏡を見てみる。
自分の頭上には今まで何も出ていなかった。それにも何か変化があるだろうかと思ってのことだったがそこには予想外のものが映っていた。
武内奈月だ。
「ねぇ、さっき私のこと見てたよね?」
「えーと、ここ男子トイレなんだけど……」
「気にしないで、私も気にしないから。それより質問に答えてよ。見てたよね? 何で? 私そんなにおかしかった? うまく馴染めてると思ってたんだけど」
殺人鬼が背後に立っていた。ぼーっとしすぎていたらしい。全く気づかなかった。首筋にちくりと何かが当たっている。刃物の切っ先のようだ。
確かに見ていた。凝視していたといってもいい。
ほぼ初対面のクラスメイトに対する態度としては不自然だったかもしれない。
「え、ちょっと待って! いや、ほら綺麗だなぁとか思って見てたんだけど、そんなに気に食わなかった?」
目が合って慌てて視線をそらしたことを雄一は思い出した。
そのときに気づかれたのかもしれないがほんの一瞬のことだ。それを気にされるとは思っていなかった。
「嘘。そんな目じゃなかった。私が人殺しだって知ってる人の目だよ。私に殺される人が最期にする怯えた感じの目にそっくりだった」
雄一は冷水を浴びせられたような気分になった。奈月が殺人鬼というのは事実らしい。
雄一は身を引き締めた。ここまでは相手のペースにのまれっぱなしだ。打開する必要がある。
「殺人鬼……なのか?」
今のところ殺意はないようなので慎重に発言する。殺意があれば雄一は反応できたはずだ。
「そう。人殺しを日常的に行ってる。けど自分の身近な環境ではしてないし、この高校でも殺す気はなかった。でもいきなりばれたからびっくり。ねぇ? 何で?」
そう言われてもどう答えていいかわからない。結局のところ下手な嘘は逆効果だろうと思い素直に話すことにした。
「人の頭の上に文字が見えるんだ。そこに「殺人鬼」って書いてあった。他にもクラスには「魔女」やら「死者」やらがいる」
「……嘘じゃないようね」
奈月はたっぷりと時間をかけて鏡越しに雄一の目を見ていた。嘘かどうかがそれで分かるらしい。
「まぁいいわ。別にあなたを殺しに来たわけじゃないから。警告。私のことは黙っているように。もしバレたなら学校中の人間を皆殺しにして立ち去る。そんな惨劇がお望みならご自由に。けどこれでも私、これからの高校生活を楽しみにしてるの。それが台なしにならないことを祈ってるわ」
奈月が刃物を引いた。話は終わりらしい。そのままトイレの奥へと向かうと窓枠に手をかけた。
「これからもよろしくね、坂木雄一くん」
奈月は窓からひょいと飛び降りた。
「はぁ?」
それと同時にトイレのドアが開いて男子生徒が連れ立って入ってくる。
窓から飛び出したのはこのせいだったのかと思うもそんなことを躊躇なく実行できるというのが信じ難い。ここは四階だ。
雄一は慌ててトイレを飛び出した。窓から落ちた奈月がどうなったのか確認するべきだったかもしれないがそんな悠長なことをしている余裕は雄一からなくなっていた。
何が何だかさっぱり分からない。
教室に戻り鞄(かばん)をひっつかむとそのまま全速力で帰宅の途に付く。とにかく一旦帰ってゆっくりと考えたかった。
――文字が見えても大したことないと思ってた。けど何だこりゃ? 問題大ありじゃねーか!
周囲の人が怪訝に思うような速度で雄一は駆け続けた。
*****
気づけば雄一は帰宅しベッドの上に横たわっていた。二階の自分の部屋、二段ベッドの下が雄一の領域だ。
考え続けたがうまい対処法など思いつかない。混乱していた。
寝れば整理がつくかとも思ったがこんな精神状態で寝られるわけもない。
そのまま無為に時間を過ごす。夜になると姉が夕飯ができたと呼びに来た。
夕飯は母と姉が一緒に作った赤飯だった。
これが坂木雄一の波乱に満ちた高校生活の幕開けとなる初日の出来事だった。
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