Miss Lonely

さいとし

第1話 駅、帰還第3便

 思い出すのは、人であふれかえった駅。帰還兵を乗せた最初の列車がゆっくりと駅舎に入ってくる。沸き上がる歓声。ホログラムの紙吹雪。歩廊に立つ人々はほとんどが婦人か子供たちだ。陽射しはあっても風はまだ冷たく、みな質素な厚手のコートを羽織っている。不安そうに周囲を見渡す女の子。手に旗を持って、懸命にそれを振っている男の子。列車の窓から窓へ視線を泳がせる女性たち。窓は硬く閉じられているが、その向こうでは再会を待ちかねた兵士たちが同じようにざわざわと動き回っている。

 私は人だかりの最前列を見下ろせる、改札側の階段に立っている。列車から降りてくる人たちも、それを迎える人たちも、一番良く見える位置だ。私をここまで連れてきた背広の男たちは、しばらくここにいるように言った後,どこかへ消えてしまった。彼らはいつも、私を連れ回すだけ連れ回し,肝心なときには絶対に姿を見せない。

 重低音と共に,列車が止まった。自動扉が開き、軍服を着た男たちが次々と降りてくる。歓声が上がり、人だかりの密度がいっそう上がった。カーキ色とコートの黒があっという間に混じり合い、珈琲に落としたクリームのようにくるくると回る。兵士たちは同じ服で同じ鞄を持っているが、誰もが違った笑顔を浮かべていた。底抜けの笑顔、安堵したような笑み、泣き笑い。迎える女性たちも同じだ。

 柱の電光時計を眺める。もう、三十分近く立ちっぱなしだ。杖もないとなると、なかなか辛い。寒さが骨にしみ込んできた。そろそろ帰りたい。私は背広たちを探そうとしたけれど、そのときコートの裾がくいくいとひかれた。誰だろうか。振り向いて、すこし驚いた。私のコートをつかんでいたのは、十歳くらいの女の子だった。

 人形みたいな、という表現がぴったりくる少女。といっても、ふっくらとした頬のビスクドールではなく、ブティックで服を着せられている人形だ。黄金律を元にして削りだした、硬質な均整を感じさせる。着ているものは他の子供たちと同じ地味なコートと耳まで届く帽子だけれど、それすら彼女にあつらえて作られたかのようだった。

「おばさん、誰かを迎えにきたの?もしそうなら、こんなところにいないで、向こうに行けば?」

 意外に低い,けれど澄んだ声。

「いいのよ、ここで。ここにいることにしたんだから」

「ふうん」

 私の曖昧な答えに女の子は曖昧なあいづちをうつ。そして、コートから手を放して一歩進み、私に並んだ。ぼんやりと歩廊の人ごみを眺めている。

 いくつかの質問が浮かび、結局私は一番無難な質問を選んだ。

「あなた、誰かと一緒に来たの?」

「お母さんと来たわ。わざわざタクシーまで使って。歩きでも来られたのに」

 女の子はまっすぐ前を見たまま、つまらなそうに答えた。

「じゃあ、お母さんは今どこなの?一緒にいなくちゃだめでしょう?もしかして、迷っちゃったのかしら。それなら駅員さんのとこにいきましょうか」

「別に迷ったわけじゃないの。ママはパパを探しに行ってる。しばらくすれば、改札のところで会えるわ。問題なし。ねえ、おばさんは誰を待ってるの?」

「私は夫を待ってるのよ。でも、この列車には乗ってないわ。知ってはいるんだけど、何となく来ちゃったのね。ああして喜んでる人たちを見ると、ちょっと悔しいけど喜ぶこともできるわ。自分のことみたいに」

「自分のことみたいに、ね」

 女の子はちらとこっちの顔を見上げると、すぐに目をそらした。

「あなたはパパを捜しに行かなくていいの?会いたいでしょうに」

「パパは今日かえっては来ないわ。たぶん、来週も再来週も。第一,会ったこともないから」

 それが当然のような口ぶりだった。何とも思っていない、そうだからそうだというだけの言葉。私は改めて彼女を眺めた。強がりの表情ではない。むしろ、他人の同情を嫌う顔。

「じゃあ、なんでお母さんは今日ここに来たの?政府公報は誰でも観られるでしょう。来ないとわかってるならなぜわざわざ?」

「ママは、軍隊の言うことなんか信じられないって。死んだことになってた人が還ってきたって、近所の人たちが噂してたのを真に受けてるのね。そういうことは確かにあったかもしれないけど、パパは違うはずよ」

「あなた、お父さんに会いたくないの?お母さんがそんな噂でも信じて、お父さんが帰ってくるのを待っているのに、あなたはそれをどうでもいいことだと思ってるの?」

 知らず知らずのうちに、言葉がきつくなった。この少女の言葉は、ひどく私を混乱させる。

 女の子は何も言わずにうつむき、急に私が背中にたらしている編み込んだ髪に触れた。じっくり検分するように。真っ白できれいね、とつぶやく。子供らしいあからさまな話題のそらし方だったが、私は彼女の手を拒む気にはならなった。ようやく、年相応の仕草を見ることができた気がしたからだ。

「ねえ…、あなた」

「知ってるのよ。覗いたから」

 彼女は私の髪から手を放し、小さいがはっきりとした声で言った。私の言葉を遮るように。

「覗いたって、なにを?」

 思わず彼女を見ると、女の子はまっすぐに私の眼を見つめた。

「覗いたの。あなたのことについても、知ることができたわ。ねえ、私とあなたは前にも会ってるのよ。覚えてない?」

 覗いた。女の子はその言葉をはっきり区切って、強調した。その一言に、私はひどく動揺する。私の眼の奥に突き刺さるような視線を送ってくる少女を、私は混乱しながらも見返した。彼女の瞳がひどく大きく見える。それは碧色の液体が満ちた、底のない淵のようで、以前にもそう、見たことのあるもの。揺らめくそれに私の姿が映っている。私は…


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