或る街の群青

 狐につままれたようなキモチとは、こういうことを謂うのであろうと、ぼくたちは顔を見合わせた。

 気付けばぼくたちは、三人分の呑み代をキッチリ二等分にして軽くなった財布でコンビニに寄り、言葉少なに酒と肴を買い込んで、近所だという彼のアパートに向かっていた。道中、彼の言葉通りの丸いポストを見つけて、四角いのが丸いだけのそれを指差して阿呆みたいに笑ったのは酔っていたからだし、お互いに母国語を忘れて発情期のゴリラみたいな意思疎通をしていたのは、言葉を忘れるほど驚くことがあったからだ。

 例の橋も通った。

 思っていたよりも粗末で、思っていたよりも近代的なつくりで、思っていたよりも小さな橋だった。川も、河川というよりは用水路に見えたが、橋には名前がついていた。橋の両端に、小さな地蔵を祀った祠があったのだ。

 その祠には、『夜水橋地蔵』とあった。

 奇縁とはこういうことを謂うのだろう。缶チューハイを煽って、青年は呟いた。

「もしかしたらおれ、雲児と縁があったのかもしれません」

「どういうことォ? 」

「言うつもり、なかったんすけど、獏のおっさんの話のとちゅうで気づいたことがあって……おれ、あの、今更ですけど、こういうもんです」

 と言って、彼はおずおずと名刺を差し出した。引っ越したばかりの部屋の床に放られたボロボロの鞄から出て来た名刺は、彼の斑の金髪や、口元に二つ開いたピアスで受ける印象と違い、意外にもピカピカの銀色のケースから取り出された。角が立ったそれには、初めて知った彼のフルネームが黒々とした明朝体で刻まれている。

「おれ、あの話を信じますよ」と、彼はきっぱりと言う。

 ぼくはそんな彼の顔を二度見して、また狐につままれた気持ちになった。

「やっぱり、瀧川の人魚の呪いは解けたんですよ。だって、おれが生きてるんですから」

 青年の名前を、佐陀ざだ 久海くみ といった。


 けっきょく暇を願い出たのは、時計の針が直角になるころだった。

 バスの始発には早すぎて、タクシーを拾うには手持ちが足らず、ぼくは夜気をアルコールで割りながらの帰路に就く。華奢な月が空の端に落ちかけている。虫の音には、秋の先触れを感じる。夜空が深く、ちぎれ雲が高い。綺麗な夏の夜だった。

 ぼくはネオンと寄り添うようにある田んぼの脇を通り、田園の中に立つ鉄塔を見上げて歩きながら、今日の不可思議な出来事や、かつての級友の生末について頭を巡らせる。

 雲児と空船は幸せになれたのだろうか。

 唯人であるぼくらは、ハッピーエンドを願った。ぼくらの選択が、彼らに届くかは分からない。ぼくらはそれを知る術が無いのだから。

 ……ふと、雨が降り出した。

 天気雨だ。明け方前の狐の嫁入りは、透き通っていて、濡れても温かい。

 これが、彼らが降らせたものだったのなら、ぼくの生末は少し楽しい気がする。

 どうせ誰も見ていない。ぼくは歩道の上を子供のころのようにクラウチングスタートを取って駆けだした。

 鉄塔のてっぺんに白い影が立っている。

「七島! 教えてくれよ! 人魚の呪いは解けたのか? 」

 かつての級友は鉄塔の上で、笑って親指を立てていた。

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