第一夜 しとどの晴天 前編

 不思議な話をしたいと思います。


 この街には、よく雨が降ります。

 まだ「ゲリラ豪雨」だとかいう単語が出来るずっと前からですね、どこからか、モクモクと黒い雲が湧いてきまして、そンで、あっちゅうまにバケツをひっくり返したような雨が降るんです。

 いちばん多いのは、夜も更けた丑三つ時。

 これだけなら、ただの土地柄って感じでしゃろ? 違うんです。

 ここらって、ほら、盆地やないですか。こう……ぐるう~っと山があって、ぽっかり穴が開いている。おわんみたいに。

 ……この雨はね、この街にしか降らないんです。丑三つ時になると、街の上にだけ、すっぽりかぶさるみたいに、どこからか雲がいてくるんですよ。

 あ、待って待って。まだあるんですから。


 この街の子供はね、必ず「クモジ」にあうんです。

 クモジって何かって? ……子供のおばけですよ。


 そいつは夜にしか現れません。「クモジ」が言うには……ああ、そいつ喋るんですよ。いや、ぼくも、クモジと話したのは一度っきりですけどね。ははは。

 ……でも、ちゃんと本人に聞いたんですよ?

 曰く……「クモジ」は、普段は人間なんだそうで。夜にだけ、おばけになるんです。え? その時のお話を聞きたい? ……しっかたないなぁ。ま、酒の席でのことですし、こういう話ってのは往々おうおうにして「お約束」があるってことを堪忍かんにんしてください。でなけりゃ、ぼくがクモジに怒られちまう。やつがどこで聞いているか、分かったもんじゃあないですからね。

 ……実を言うと、ぼくが出会ったクモジは、同級生なんです。いや……同級生がクモジだったのか。

 中学です。そう。


 ぼくは、そこの……ほら、川沿いに、跨道橋こどうきょう、っていうんですか。あれが河川を斜めに突っ切るみたいにまたがってる……そう、そこです。そこにですね、新しい住宅街、できたでしょう。しばらくスーパーがあったけど、二〇年くらい前まで、中学校があったんですよ。吸収合併きゅうしゅうがっぺいされたんですがね。ぼくはそこの最後の卒業生なんです。

 そいつは、ちゃんと人間の名前を名乗っとりましたよ。ナンだったかな……ナナシ、とか、そういう名前だった。

 名前は忘れてしまいましたけど、ちびで色白で、でっかい目をしていてね。人気者でしたね。ほら、クラスに一人はいる、やたらと声の大きいやつ。いつもピョンピョン跳ねるみたいに駆け回って、女の子とも仲が良かったっけなあ。


 そう……「クウちゃん」と呼ばれてました。


 クウちゃんはクラスのお調子者で、末っ子気質。何かといえば「クウちゃーん」なんて、教室のあっちこっちに呼ばれて行って、チヤホヤされちゃって。みんなより頭一つ小さいモンだから、可愛かったですよ。でも意外と鋭いことも言ったりして、一目置かれていたところもあると思います。


 ある時……部活が無かったから、テスト週間だったのかな。

 学友とクウちゃんを交えて、夕方まで居残りしていたんですよ。

 お喋りしていたらねえ、キンコーンって、四時の鐘が鳴ってね。そうすると、今しがたまで会話していた声が一つ足りないことに気付くんです。

 学校が終わると、四時には学校から消えてるんです。そう、パッタリと。日が暮れるころには、お喋りしていたはずなのに消えている。放課後、仲のいい誰かと帰ったり、遊んだりしているってわけでもない。

 ぼくは不思議に思うより先に、腹が立ちましてね。だって、薄情じゃあありませんか。一言も無く、先に帰るなんて。

 友達には、「きにすんな」って言われましたよ。

 ……仲のいい連中はみんな慣れたもんで、「ああ、あいつ帰ったんだな」とまあ、こんな感じなんです。


 ぼくには、モヤモヤしたもんが残りましてね。

 ぼく、陸上部で100メートルの走者だったんですけど、陸上部の短距離走者のメンバーって、校門の手前にあるグラウンドの一角で、ライン引いて練習するんです。練習しながら校門がよく見えるんですよ。

 校門は、裏門と、グラウンド側のこの表門と、二つあるんですが、裏門って呼ばれてるほうは、車や業者の搬入口はんにゅうぐちに使われとってね。登校の時は開くんですが、下校時は閉められとるんですわ。

 だから、帰るとなると必ずこの表門を……ぼくの前を通るはずなんですね。

 ぼく、クウちゃんが帰っとるところを見たことが無かった。こうなると、意地でも変える姿を見てやろうと思いました。


 陸上部の男なんて、着替えはそこらの校舎の陰ですわ。心なし急いで、パーッと階段を下りて、着替えて、グラウンドに出るころには、まだ他の生徒は教室で駄弁だべっとります。ぼくはこれでもスポーツ少年やったんで、誰より早くグラウンドに出とった。友達にも頼んで、クウちゃんを教室に引き留めてもらったりしてね。

 そうして注意して一週間……二週間……見てみましたけれど、やっぱりクウちゃんが帰っとるところは見かけないんです。


 おかしいでしょう?

 でも、本人に聞くのははばかられて……そうこうしとるうちに、三年生の秋になりました。


 その年で、もう学校が無くなるゆうんは決まっとったんで、「最後に何かしようか」いうことになりました。なんせ最後の三年生ですから、華々しく学びの最後を飾ってやりたい。

 そこで「学校の歴史」をテーマに、発表会をしよう、となりました。

 ぼくらのクラスは、歴代の卒業生の写真を使って、「卒業アルバム」を作ったんです。集合写真の顔だけ切り取ってね、大きな方眼紙ほうがんしに貼って、学校の廊下の壁に長い長い「歴代の生徒たち」の顔が並びます。アルバムとは名ばかりですね。

 保管されとった古いネガを使って、新しく写真屋さんにお願いして、山のような顔写真が段ボールいっぱい、上がってきました。

 これを分類して並べる、張る……それだけでも、たいへんなことでしてね。


 作業中、ぼくは「アレッ」となりました。

 オンナジ名前があるんです。

 例えば……第12期生と、第32期生に、同じ名前があるんです。ついでに37期生にも。……ぼくら第48期生にも。


 クウちゃんの名前が、リストにいくつも載っているんです。紙魚虫しみむしの虫食いみたいに、ぽツ、ぽツ、ぽツ……って。


 ……最初はね、偶然やないかとも思ったんです。たまたま、この地域に多い名前なのかもしらん、ってね。でも、リストと写真を並べて息が止まりました。


 オンナジ顔ですよ。

 男だったり、女だったり……でも、判子を押したようにオンナジ顔。色が白くて、ぐりぐり大きな目をしてて、口をニイッと大きく開いて笑っている……見慣れたクウちゃんの顔です。

 どうやら気づいているのは、このぼくだけらしかった。そうなると、指摘もできなくって。

 誰ンも言えなくって、ナンだかんだ卒業の日になりました。全校生徒、100人あまりの卒業式は、つつがなく終わって次の日です。

 出来るやつだけ学校に来て、掃除をすることになっとりました。

 べたべた張り付けた方眼紙ほうがんしを剥がして、椅子や机を体育館に運び出して、最後に黒板に落書きをして……。九時過ぎから集まって、昼過ぎを境にポツリ、ポツリと、帰るやつが出て来たんですけれど、ぼくはどうしても、クウちゃんの顔がちらついて離れなくって。けっきょく夕方までいたんです。

 カーテンの取り外された窓から、黄色い西日が教室に差して、桃色の鱗雲うろこぐもが、薄く浮かんでいました。西の空は、もう紺色。

 キンコーンとチャイムが鳴ったんです。最後に気を利かせて、先生が鳴らしてくれたんですね。


 ふわっと、窓の外に、白いものが見えました。蜘蛛くもの糸を束ねたような、か細くって、きらきらした何か。

 ……こう言うと、美しい光景でしょう? でもぼくは、総毛だって立ち上がりました。……ゴロン、ゴロン、ゴロン……外で太鼓のような音がします。雷でした。何かが『来た』……ぼくはそう思ったんです。

 背後から声がしました。ナンて言ったのか、聞き取れませんでした。

 扉はぴっちり閉めてありました。開いていたのは、窓だけです。ちょっと目を離していた間に、東の空からどす黒い雲が湧いてきていました。

 振り返ったそこに、白い着物が見えました。

 ぼくはそこで、『雲児くもぢ』に逢ったのです。



 ……え? 話はそこで終わりかって。

 ええ、これで終わりです。何を話したか? それは言えませんよ。約束ですからね。

 言ったでしょう? この街の子供は、一度は雲児に逢うって。

 雲児に逢った子供は、必ず大人になれるんだそうで。

 だからとても縁起の良いものなんですよ。でもそン代わり、こいつと話したことは秘密なんです。話せるのは、約束が果たされて大人になってから、雲児に逢ったことがあるやつにだけ……。

 ぼくはね、きみに話しかけてみてピーンときた。

 あなたも雲児に逢ったことがあると見た。違いますか?

 え? 違う?

 あれ。違ったかあ。

 ……え? なんです。そりゃあ面白そう。



 じゃあ次は、あなたの話を聞くとしましょうか。


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