蝶の帳

岩上れん

蝶の帳

 朝、携帯のアラムームで起きて、顔を洗って、歯を磨く。興味の無いニュース番組を横目に見ながら。着たくも無い学ランを身にまとい、もう一度洗面台へと向かって今度は髪のセットをする。匂いのキツイワックスを手に取り適当に形を整え、流行っぽい形に仕上げた。これが毎朝の流れ。

 朝ご飯は別に食べたくないのに母に「せっかく準備してるのに」と怒られるから、サラダやおかずは無視してバターロールを一個食べた。それを水で一気に胃へと流し込む。 

  眠たい目をこすりながら、何も入っていない鞄を持って無言で家を出た。

イヤホンをつけ、胸元にはアイポッドを入れる、好きな曲なんか無くて外国の訳のわからない曲を適当に入れている。自転車に乗って変わり映えのしない道を走る。

 これが僕の日常。なんにもないただ風景がパノラマみたいに流れていくだけの、刺激もなにもない日常。学校なんか楽しいわけも無く、友達に合わせて笑って、あのテレビが面白いだの、あの音楽がいいだの、まったく分からない事だけど、分かったふりして笑っていたら、友達と呼べるものは無くならない。

  別にいなくてもいいけど、この学園生活が過ごし辛くなるのは勘弁なので、ここらへんの努力に手は抜けない。授業も暇すぎて、いつも窓の外から景色を見ている。空を見て綺麗だとか感じるわけもなく、ただただ眺めるだけ、早くこのつまらない授業が終わらないかなと思うだけだった。


 ある日、学校の帰り道の公園で変な男を見つけた。

 木陰の下のベンチに今時な感じの若い男がけだるそうに項垂れていた。その男は金髪で髪が日差しを浴びてきらきらと輝いていた。どんな顔かと思ったらサングラスでよく分からなかった。普段なら別にこんな若い男が公園にいても、変にも思わないのだが、ただ普通と違ったのはその男の足元に蝶の羽が散らばっていたからだった。というよりもバラバラになった蝶だったもの。

 声をかけるわけでもなく僕は男の近くに立ち、その蝶の破片を見ていた。僕には蝶だった時よりも美しく見えた。

 真剣にそれらを眺めていたら、その男が僕を不審げに見つめ、首をかしげながら話しかけてきた。

「そんなに気になる?」

 怒られるかと思ったが、そうではなく違う言葉をかけてきたので驚いた。僕は顔をあげ「……綺麗だなと思って」と返した。「お、少年はもの分かりがいいな。飛んでる蝶なんかよりよっぽど綺麗だろ」僕の言葉を聴いて男は楽しそうに答えた。表情はサングラスに隠れて見えなかったが口元が笑っていた。

「お兄さんはなんでこんな事してるの?」僕は素朴な質問をした。

学生でもないだろうし(大学生かもしれないが、そういう風には見えなかった)こんな時間に何でこんなところでしかも、蝶をバラバラにしているのか気になったから。するとお兄さんの口元からすっと表情が消えて、また項垂れた。

 そして「お兄さんは悪い事したから逃げて来たんだ」今度は半笑いのような、あきらめたような口調だった。「悪い事って、どんな?」これも素朴な疑問。

  ちなみに他人にほとんど興味を持たない自分がこのお兄さんに興味深深なのは、やっぱり僕の壺をついた蝶のバラバラ事件が原因だろう。足元には綺麗な羽が何枚も落ちている。項垂れていたお兄さんは顔をあげ僕を見つめながら、「俺、強姦魔なんだ」そう言われた。二人の間に沈黙が流れた。映画のワンシーンのような、短いけど長く感じる間。瞬間、急な風が吹いてきた。足元に散らばっていた羽が風に何枚か上に巻き上げられる。男の金髪も風に靡き、蝶の羽と混ざっているように見えた。きらきらと輝く金糸と蝶の羽は幻想的でどこか不気味にも感じられる。

「綺麗だね」僕がそう言うとお兄さんも「綺麗だな」って言った。 蝶の羽となんかそこらの綿毛やらが一緒に飛んでいった。


 それから、何も話すことなく、何故か流れで僕はお兄さんの隣に座ってジュースを飲んでいた。「なぁ、俺の事恐くないの?」今度はお兄さんが疑問をぶつけてきた。「別に」と言えば「俺、強姦魔だよ」とお兄さんが慌てた風に告げる。「だって、僕男だし。それにお兄さん見た目の割りに弱そうだから、喧嘩したら僕が勝つんじゃないかな」淡々と話せば、お兄さんは溜息をついた。


 昔から僕はこういうことには恐怖を感じない。正直、この人おかしいって思えば、なんとなくの雰囲気でわかるし、でもこのお兄さんからはそんな感じはしない。強姦魔なんて、普通に生きてればあうことも話しをすることもないだろう、学校の授業や友達の話しなんかよりよっぽど面白いし興味深い。それに、蝶の事件もある。僕はお兄さんが気に入っただけ。

 「お兄さん強姦魔っていうけど、何人くらい?」興味本位で聞くとお兄さんは顔を背けて「……一人」僕はそれを聞いてジュースを噴出しそうになった。

「一人じゃ魔って言わないんじゃないの?」

「んー、連続じゃないだけだよ」

「これからも繰り返すの?」

「んにゃ、しないよ」

 僕はだんだん不思議になった、自分から強姦魔だと名乗るお兄さんは、本当に強姦魔?いやいや強姦は強姦で犯罪だけど。学生の僕には深くわからない。「強姦」なんて単語や行動はよく友人たちと話すAVなどの中だけの話だから。ジュースの中身はほとんど無くなり、蝶の羽もどこかに飛んでいってしまった。残っているのは無残な胴体部分だけ。



 それから、僕が公園に行くとお兄さんはあのベンチにいた。やっぱり足元にはバラバラになった蝶。「どうやって捕まえるの?」「自然と寄ってくるんだよ。甘い匂いでもするのかな」お兄さんは自分の腕をくんくんと嗅いでいる。そんなお兄さんの姿を見て笑ってしまった。

 すると何処からか、ひらひらと蝶がお兄さんに寄ってきた。蝶はゆっくりとお兄さんの周りを浮遊する。その姿は親を探す子の様に見えた。お兄さんはそれを簡単に捕まえてしまう。「あげる」そういって僕に蝶をくれた。

 僕はそれを持つ、蝶はビクビクと羽の根元を震わせ、足をもぞもぞと動かしている。僕は一枚、また一枚とその蝶の羽をむしっていった。血なんか流れない、ビクン、ビクンと動く姿と、その胴体から離れ、足元に落ちた瞬間、綺麗になる蝶が面白かった。いろんな色が混ざり合って、重なりあって、不思議だな。

「蝶も寄ってこなきゃこんなことにならないのにね」お兄さんが自嘲気味に言った。

「そうだね。愚かだよね」羽をむしられても、生きている胴体部分を見下ろしながら、その胴体を僕は踏み潰した。

  それを無言で見ていた、お兄さんがゆっくりと俯きがちに話しだした。

「俺が強姦したのね。俺の元恋人なんだ」

「……それって強姦っていうの?」

「別れ話された時だったし、抵抗されたから強姦なんじゃないかな。力任せに抑え付けて、泣き叫ぶ声も姿も無視してね」

「ふーん」

 僕の口からは乾いた声しかでなかった。きっとこれが経験豊富な人間ならば上手い返しが出来ただろうけど、僕には恋人なんて居ない。女子に告白された事があっても、その相手を好きだなんだと思った事も無い。好きな人間なんていない僕にはお兄さんの気持ちを慮る事は出来ないのだ。

「どうしてもね。諦めきれなくて、閉じ込めておきたかったんだ」自分の手を握り絞めながら、お兄さんは項垂れた。僕は何も言わない。

「まぁ、逃げてきたけど」苦笑を浮かべた。

「そのお姉さん。お兄さんを恨んでるの?」

「わからない。わからないから恐いんだ」

 大人の男の人(立派な大人には到底見えないけど)が苦しんでいる姿を見るのは正直気分のいいものではない。それでもお兄さんが苦しんでいることや、後悔していることだけは何となく分かった。

「誰かに話したかっただけなんだ。聞いてくれてありがとう」

 黙っている僕にお兄さんはそういった。金髪が風にゆれて、ああ、綺麗だなと思う。ふと、お兄さんが初めてサングラスを外した。その目は優しく微笑んでいた。犯罪者の顔には見えない。もともと犯罪者とは思っていなかったが、すごく切なくなった。

「お兄さん、サングラス無い方がいいんじゃない?」

「そうかな?お気に入りなんだけどな。これ」



 次の日からお兄さんの姿を見ることはなくなった。名前も知らない自称強姦魔の僕の友達は、もしかしたら警察に捕まってしまったのかもしれないし、自首したのかもしれない、新しい街に逃げたのかもしれない。お兄さんがいなくなって僕の心にはぽっかりと穴が空いてしまったみたいだった。

 でも、寄ってきた蝶を捕まえて、羽をむしりとり、羽が重なっていくのを見ているうちに、僕の心に空いた穴が塞がった気がした。足りないのはきらきらと輝く金糸だけだった。                                      

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蝶の帳 岩上れん @ren0531

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ