第10話 アイスと謎はとけていく。♯1

「去年、後輩の子に告白されて以降、そういったものとは縁がないのです」


 そう言いつつ彼女は、そういったもの、すなわち恋というものを求めている様子が全く窺えなかった。


 色恋に興味がないわけではなく、自分が恋をする以上に、誰かの恋を見ている方が幸せなのだそうで。


 そういう所が、ワタシには理解が出来ない。


 彼女のバイト先である書店に立ち寄って、バイト終わりを待った。そして、同じショッピングモールのフードコートでおしゃべり。いわゆる女子トークというやつだ。さすがに二人では姦しいとまではいかないけれど、話は自然と、定番に向かっていく。


 つまり、恋バナだ。


「ねえ、実結みゆい

「なんでしょう」


 答える実結は、アイスをぱくぱく食べている。


「いい加減、恋人の一人でもつくろうとか思わないわけ? 傍から見ててちょー心配なんだけど。食い気より色気でしょ、やっぱさ」


「心配、ですか」


「ん。年頃の女の子が誰とも付き合ったことないとか、普通ないからね」


「そうでしょうか」


「そうだよ」


 ワタシはため息を吐いた。


 大学に入って実結に会って、きっかけと呼べるようなきっかけもなく友達になり、学内でたまに時間が合うと、一緒にいることのあるワタシは、どうしてもこの実結のことが気になって仕方がない。おっとりというか、ほんわかというか、もう纏っている空気そのものがワタシとは異質な気がして、それがまた心地いいんだけど、見方を変えれば隙だらけというか、守ってあげなくてはという気にさせられる。


 ワタシは指を二本立てて突き出した。


「高校生の頃には二人」

「な、何の話でしょうか」


 実結はぽわんとした顔をする。


「彼氏の数。高校生の頃には二人と付き合って、大学に入ってからは一人」


 実結の顔が一気に紅潮する。「確か、今は歳上の方なんですよね!」


 彼女のテンションがロケットのように上がっていくのが、傍目でも分かった。


「まあ相手は五年前に一つバツ付けちゃったような人だけど。二年しか持たなかったってさ」


「いえ、素敵ですよ。恋はいいです。誰かと誰かが出会って幸せになる。これほど素敵なことはありません」


「んー。うん。でしょ? 素敵でしょ? そう思うのなら恋人つくりなって。普通の女の子はワタシくらいの人数とは当たり前のように付き合ってるよ」むしろ少ないくらいだろう。


「当たり前のように?」

「当たり前のように!」


 実結は首を傾げた。


 ベビーフェイスで小柄な体型、こんなに可愛いのに、世の男どもが放っておくわけがない。いや、隙だらけに見せて、意外と男が付け入る隙はないのだろうか。


「誰かを好きになった試しは?」


 と、こう訊いても、実結から返って来る答えは分かりきっている。


「わたしは麻衣まいちゃんが好きですよ。そして皆さんが好きです」


 ほら。いつもこんな調子。


「ワタシじゃなくってさ、好きな男の子とか。異性としてだよ。人間的にじゃないよ」


「いましたよ。保育園の頃は斜向かいに住んでいた丈原(たけはら)くんが好きでした。でも、その子はクラスの女の子からモテモテで、告白される度にオッケーを出しては、全員と結婚する! と豪語していたので、わたしは引いたといいますか、冷めたといいますか」


「ああ、いたいたそんな男の子。両手に花をなんの悪気もなくやれちゃうし許されちゃう年頃だからね。ワタシとあの子どっちが好きなのって訊くと決まって『どっちも』って言うんだよね……じゃなくて! もっとこう、女が目覚め始めてからの話! 具体的には中学生くらい。周りにも付き合ってる子とかいたでしょ」


「いましたね。可愛らしいカップルもいましたが、三年生にもなると、校内を闊歩するやんちゃないわゆるヤンキーさんが登場し始めまして、その方は二股三股当然とばかりに、複数の女性と関係を持っていたようです。陰で泣いてる女の子を何人か見ました。逆もまた然り。奔放な女の子に遊ばれた男の子も一人や二人ではありません。見ていて心苦しかったです。悲しい限りですね。恋心を無下にされるのは、見ているだけのわたしにとっても気分が良いものではありませんでした」


「どの年頃にもそういうのはいるんだよね……もうちょっと相手を大切に、じゃなくて!」


 なかなかこちらの意図が伝わらない。いや、伝わってはいるんだろうけど、実結はこの手の話題は好まないのか、色恋には興味を示しつつも、自分の方へと話題を乗せていかない。


 実結はカップに入ったアイスを、小さな口でぱくりと食べた。


 閑散とした店内。今日が、二学期が目前に迫った夏休み終盤の平日であることに原因はありそうだが、おかげで少し不気味だ。ワタシが少しでも声を張ると嫌に響いて目立ってしまう。


 イチゴ味に舌鼓を打つ実結は、そんな空気を気にも留めず、心配するワタシのことなんてなんのその。すぐ隣の玩具コーナーでお母さんにぬいぐるみをねだる子供を、実に幸せそうな顔で見つめている。


 そちらをワタシも見てみると、ひらめきが一つ。これでどうだと一撃。


「あ、そうだ。ねえ。実結はさ、結婚願望とかないわけ? ああいう親子を見て幸せそうだなぁと思うんならさ」


 結婚。


 このご時世でなんだかんだ言われているけれど、結局女はこの言葉に憧れを抱くもの。


 アイスを食べながら、実結は柔らかく微笑む。


「結婚願望……あります。今すぐにでもしたいくらいです。旦那さんと子供と過ごす時間というのは、子供の頃からわたしの憧れなので」


 ほら来た! とばかりに。


「だったらまず恋愛でしょ! いつまでも経験なしだといざって時に男にも敬遠されるって」


「そうなんですか」


「そりゃあね、男は女に純真無垢を求めるものだけど、それも行き過ぎると地雷扱いって言うかさ、男に相手されたこともない程度の女なのかって思われちゃうわけよ」


「あらま」


「あらま、じゃなくってさあ」


 本当にこの子は大丈夫なのだろうか。ただの友達の域を出ないワタシがここまで思うのだから相当だと思う。


 恋愛よりも仕事。とか言っておきながら、いざ婚期を逃すと男が欲しいだのと時既に遅しを体現するような自業自得極まれりな女には、たぶん実結はならないだろうけど、本当に恋がしたいとき素敵な恋が出来るのか、お節介を自覚しながら、ワタシは考えることを止められない。


「じゃあ、去年後輩くんとやらからの告白を断ったのはなんで」


「なんで……と言われましても」実結は腕を組んだ。


 ワタシが溶け始めたチョコミントアイスを口にしている間も、実結は「うーん」と唸ってあざとさいっぱいに悩む。


 こういうところは、まあ、僻みたっぷりな女には嫌われるかもしれないけど、大抵の女子は可愛い可愛いと頭を撫でたくなるだろうし、男ならなおさらだろうに。どうして色恋に無縁なのか。


 心配もここまで来ると、もはや好奇心に達していた。


「おそらく、彼はわたしのことが好きだったんじゃないと思うんです」

「え、なにそれ」


 予想以上というか、斜め上というか、そんな答えだった。もうちょっとマイルドに「なんとなく」程度の答えが来るものだとばかり思っていたのに。


「なんというか、恋に恋している、という感じですかね。わたしでなくても、恋が出来れば誰でも良い、みたいな」


「さっぱり分からない」首を振って、感情を二割増しにして伝えた。


「本来ならば受け手の感情とされるようなものを、彼からは感じたのですよ」


 受け手の感情……つまり、告白される側の感情、ということだろうか。


「言うならば、告白して来たA子さんのことを特別好きという訳ではないけれど、告白されるのはやぶさかではないし、お付き合い出来るなら妥協しよう。そう思うことは誰しもにあると思います。おそらく、恋そのものや、恋人のいる自分、というものを欲しているからでしょう。でもそれは、相手のことなんて考えていないとわたしには思えてしまうんです。青春を渇望しているのかもしれませんが、残念です」


「誰でもいいから付き合いたい。だから恋人のいない実結にアタックしよう。そういうのを、相手から感じた……って話?」


「……おそらく、そうです」


 ワタシは嘆息した。真っ直ぐすぎるというか、純粋が行き過ぎているとでもいうか。


 そこまで考えて恋をするのは、百年早いか百年遅い。


 大学生なんてイケイケドンドンで行くべきお年頃だろうし、お互い好き同士じゃないと嫌だなんていう純真が許されるのは高校生まで。そういうものだろう。


「別にさ、それでもいいじゃん。恋愛ってそういう所から始まるもんだよ。付き合ってみたら以外に、なんてよくあることだから」


 実際、ワタシの初めての交際は、妥協から始まっていた。告白された時点では好きでも何でもなかったけれど、付き合ってからはなんだかんだで二年はラブラブだった。


「そうかもしれませんが、わたしでなくてもいいのなら、わたしではなくて、きっとその彼を好きでいるであろう人、言うならばA子さんとお付き合いして欲しいのです。妥協をわたしでするのでは、誰も幸せになりません。どちらも想いを寄せていないのですから」


 実結は親子を見つめる。ぬいぐるみを抱きしめ離さない子供と、うんざりしたように、でも優しく頭を撫でる母親。実結の言う幸せというものがそこにはあるのだろう。


 でもワタシには、そんな光景すらも妥協の産物に見えてしまう。妥協から全ては始まるのだ、と思ってしまっているから。


 恍惚とも言うべき表情を浮かべる彼女の純粋さはとても美しいものだけど、これでは実結自身が報われない。少女漫画のようなキラキラした恋愛なんて、少女漫画だけにしか存在しない。だからこそのメルヘンなのであって、現実には存在しないから、漫画の世界に世の女の子達は夢を見る。


「そもそもさ、その後輩はあんたのことを本気で好きだったかもしれないじゃん。恋に不慣れな実結が、異性への不信感から捻くれた見方をしただけかもしんないし、やっぱり、とりあえず付き合ってみるっていう選択肢の否定にはならない気がする」


 そう言うと、実結は少し肩を丸めた。


「分かってはいるんですが……」


 しゅんとしている。そういう可能性があることも自覚していたらしい。


「わたしはただ……穿った見方をしただけで……」


「それは穿ち過ぎってやつよ」


「んむぅ……」


 おお、初めて実結を論破出来た気がする。ふくれっ面がまた可愛いけれど、ワタシはその程度で怯まないぞとばかりに追い打ちをかける。


「恋なんて案外くだらないことから始まるんだって。理屈こねたって好きになる時はなるし、ならないときはならない。だからとりあえず一歩踏み出すのが大事なわけ。分かる?」


「わ……分からなくは……ないですが」


「ほら、実結が前に言ってた、万引きを疑われたっていうカップル。その人達、確か女の子同士で付き合ってるんでしょ?」


「はい。とても素敵なお二人でした」


「普通女の子同士ってなかなか付き合わないじゃん。ってことは、どちらかが女の子を好きになって、どちらかがその想いに応える形で付き合い始めたのが最初だと思うわけ。つまり、実結の言う所の妥協ね。初めから両想いなんて稀有よ稀有。いくつもの妥協の果てに恋愛なんて出来てるんだから。それは男女でも同じ。ってか、恋愛の大半はそんなもの」


「でも……どこかには両想いに成り得る妥協がある筈です」


「だったらあんたがその後輩くんを好きになれば良いだけの話。あんたが本気になれば落ちない男なんかいないから。はい、これで両想い。あんたの言う所の幸せが生まれる。ほら、万事解決」


「うう……」


 そう。臆病になっていては恋なんてどうにもならない。時には自分からアタックして、アタックしてこられたなら、その人がよっぽど嫌いでもない限りとりあえずデートくらいはしてみる。どうせ人間性なんて一朝一夕じゃ分かりようもないんだから、とりあえず触れて見なければ判断もつかない。いきなり一夜を共にしろってわけじゃないんだから、そこまで高いハードルでもない。


 冷房の効きが悪いフードコートで、とうとうワタシのチョコミントは溶けきった。時間の経過を教えられたようで、すこし平静を取り戻した。


「口うるさく言ってごめん。心配だったからさ」


「いえ。ありがたいです。そういったことを言ってくれる方はあまりいないので、ありがたいです。はあ……恋って難しいですね」


「したことないのに?」


「未経験ほどおそろしいものもないのです」


「なるほどね」


 恋。キス。セックス。そういえば、初めては何もかもが怖かった気がする。


 チョコレートのようなほろ苦ささえ内包したコイバナというものを嬉々として話せるようになったのは、それなりの経験を経てからだ。


 そりゃあ、未開の地はいつだって怖い。


 恋を遠ざければ遠ざける程、どんどん臆病になってしまう気持ちは、理解も出来るし。


 ワタシは何気なく腕時計を見た。


 そうだった。ワタシはそもそも、実結とアイスを食べる為にこのショッピングモールに来たんじゃなかった。


「はあ、あいつ何してんだか」


 アイスも溶けてしまうほどに待たせるとは如何なものか。そんな気持ちが時計に向かって吐き出された。


「彼氏さんですか?」


「そ。向こうがここを待ち合わせ場所に指定して来たくせに」


「遅れていると」


「もう何回目だか分かんない」


「遅れるのがですか」


「だけじゃないよ。色々とあって」


「それはそれは」


「疑ってるんだよね、最近。ここまで来ると」


「疑う? 何をですか?」


「あいつ、メール来る度に携帯見ながらにやにやしたりしてるし、怪しいったらありゃしない」


「と、いうことは」


「あいつ、……浮気してんのよ、たぶん」

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